1. 「あー、疲れた!ちくしょう!」呟きながらがちゃがちゃとドアに鍵を差し込む。 午後11時40分・・・いや、それは電車を降りたときの時間だから、もう50分か・・・。 朝7時に家を出て8時半に出社して、そして・・・。 やっと家に着いたときには、もう今日は「昨日」になりかけている。 そして、また今日と同じ明日が・・。それが、もう1ヶ月近く続いている。休みもほとんどない。 「冗談じゃねェ!」なかなか鍵が回らない。何が引っかかってやがる? ほとんど壊してやろうかと言う位の力を入れて、強引に鍵を回しこみ、ドアを開く。 目の前には、朝起きたときのままの、布団。俺は倒れこんだ。 倒れこんで、俺は部屋が明るいことに気がついた。 「部屋、電気消し忘れてたか・・・。」ため息が出た。電気代がもったいねぇ・・・。 俺はカバンからスナックを取り出し、齧る。乾いた喉に引っかかる。むせた。 「俺、いつからこんな働き者になったんだろうねぇ」わざとふざけた口調で言いながら これまた電源をつけっぱなしだったPCへ向う。 メールを確認する。まず仕事のメールは・・・なし。助かった。 俺個人宛のメールは・・こっちも着てない。 「そういえば、RO、チケット切れそうだな・・」俺は、一通のメールを見た。 【チケット購入完了のお知らせ】送信日時は、ほぼ1ヶ月前・・・。 そういえば・・・1ヶ月前は、まさかチケット買ってから、一度もログイン出来ないような ことになるなんて、考えてもいなかったな・・・。あと4日しか残ってない。 「もったいねぇナァ」どうにかして、このチケット役に立たないかな? 無理か、ログインするどころか、ほとんど家に帰れねェ状態だもんな・・・。 携帯の目覚ましアラームをセットし、PCはディスプレイだけ消して、俺は眠りについた。 2. PIPIPIPIPIPI・・・。 忌々しい目覚ましの音・・・クソみたいな一日の始まり・・・起きる、か。 やけに痛む腰を庇いながら、俺は起き上がるためにうつ伏せになるように転がる。 その俺の頭近くを、靴を履いた足が降りてきた。 「っるせぇな、誰だよ」俺の問いに「離れて!」帰ってきたのは叫び声。 「・・なんだと!?」寝起きの頭に一気に血が上り、意識が覚醒する。俺は起き上がった。 「人様の家に土足で上がり込んどいて、よくもそんな」皆まで言う暇はなかった。 足の主・・男が俺を足で退けるように押しやったのだ。それで俺は盛大にこけた。 ガツ、と床とぶつかった肩が痛む。・・・ガツ?なんだこの床?俺の家は、安物だが絨毯を。 敷いているような場所では、ココはなかった。床は、いや、床ですらなかった。岩になっていた。 ひゅん、と音がして、脇の携帯がぴょん、と跳ねる。俺の手元に飛んでくる。 キャッチする。これはご丁寧にどうも。とりあえずアラームがうざったいので消した。 俺は寝っ転がりながら、目の前の男が、巨大なイソギンチャクを叩っ斬るのを見た。ヒドラか。 ROだな。俺は瞬時に理解した。夢だ、と。 俺中毒かな?最近ログインすらしてないのに。ココは伊豆だろうか?多分、そうだろう。 ・・俺の脇に男が立った。「大丈夫?」手を差し出してきた。剣士だ。返り血を浴びて。 一瞬だけ、びびったが・・俺を助けてくれたのだし、非礼で返すわけにはいかない。 「ああ、ありです」俺はRO流の感謝の言葉を述べて、右手でその手を掴んだ。引き起こされる。 「イテテテ、痛ぇ!」俺は叫んだ。引っ張られた右腕、正確には肩が裂けるように痛む。 男はすかさず俺の背広を脱がした。「ちょっと見せて」男が肩に触れる。 触れられるだけでは痛みはない。だが、動かそうとすると地獄のように痛む。 「なんだってんだ・・」俺は呻いた。今の夢は痛みさえ伴うんか?それはないだろう? 剣士は診察を終え、俺に言った。「とりあえず、一度ここから離れよう、いいね?」是非もない。 3. 剣士は強力だった。俺の左肩を支えたその肩は細身ながらがっしりと俺を支え、揺るがない。 水深が深いところでは、俺をおぶって進む。安定している。 一度ヒドラが群生しているところに差し掛かった時など、彼は俺を地面に降ろし 「何か起こったらすぐ言って。あと、ここを動かないで。」そういうと駆け出し、 ヒドラの群れに向かい・・・あっという間に切り伏せた。 「強いですね」俺は声をかけた。レベルはどれくらいなんだろうか? 剣士は笑って「そんなことないです」と笑う。謙遜だと思う。 「俺のPCじゃ、こうは行きませんよ」俺が言うと、「ぴーしー?」と聞き返してきた。 「ああー、いえ。なんでもありません」俺はごまかした。多分言ってもわかんないと思った。 まさか、「俺はこのゲームのプレイヤーです」だなんて。 もう俺は、「これ」を夢だとは思っていなかった。その理由は2つ。 一つは、言うまでもないこの肩の痛み。夢でこんな激烈に痛いなんてことありえない。 そしてもうひとつ。先ほど背広の内ポケットから見つかった、チケット。 4枚が連なってる、遊園地の乗り物券みたいなそれには、はっきりと一枚づつ 【RAGNAROK ONLINE 1DAY】とだけ印字されていた。そして、内1枚は黒ずんでいる。 つまり・・・あと4日あるうちのチケットで、俺はいま「ここ」にいる、というわけなんだろう。 1枚の黒ずんだチケットは【期限切れ】ってことなんだろう。 ガンホーも粋なことを・・。いや、そんなはずはない。出来るわけない。出来ても・・しないだろう。 4. やがて、外の光が見えてきた。俺たちは帰還したのだ。「やっと出られたか・・」剣士が言った。 「どうもありがとうございます」俺は肩に負担をかけないよう、すこしだけ頭を下げた。 「いえ」と剣士が応える。「元はと言えば、俺が突き飛ばしたのが悪いんだし」 剣士は少し悔しそうにしていたが、やがてこちらに向き直った。 「まぁ、とりあえずイズルードまで戻りましょう」そう言って、また俺たちは歩き出した。 イズルードへの船上。やっと人心地ついた俺は、剣士からりんごジュースをもらい、一気に飲んだ。 まさにりんごの果汁って感じで、コンビニで売ってる奴ほど口当たりはよくないが、それでもうまい。 剣士が聞いてきた。「それにしても、なんだってあんなところにいたんですか」改めて俺の全身を 見極めるようにしながら「どう見ても、冒険者じゃない、ですよね?」 「はぁ、まぁ・・・」俺は言葉を濁すしかなかった。なんせ俺は背広姿だ。 しかも、途中で気づいたんだが、靴すら履いてなかった。つまり、昨日寝たとき状態なワケだ。 「僕にもよくわかんないんです」俺は正直に言うことにした。どうせ嘘を言ったって仕方ないのだ。 剣士は頷いて「・・どちらにしても、二度とあんな危険なとこに行かないように」と厳しい口調で言った。 俺が頷くと、彼は笑い「・・・とりあえず、お互い名前くらい紹介しましょうか」と言った。 俺は自分の名前を言った。剣士は数回俺の名前を反芻すると、 今度は自分、と自己紹介を始めた。・・それを俺は30秒で止めた。彼が名前を言ったからだ。 「ホントに、あんたの名前・・・」俺の重ねての問いに「ああ、そうだけど・・・」 剣士は当惑しながら応える。 マジか?・・・なんてこった。この目の前の剣士は・・・俺のPCじゃないか! 5. 俺は再度目の前の剣士・・・俺のPCを、少なくとも同じ名を持つ男を見つめた。 困惑を顔に浮かべる彼の、その特徴を見逃さぬよう注意して。 ・・・確かに、こいつは俺のPC、のように見える。似ている。 彼が頭につけているゴーグルは、そう・・・俺のPCもつけている。 剣士になってちょっと経ったころにもらったもので、今でも愛用している。 レベルに合わず、鎧すらつけてない軽装、アドベンチャースーツは、俺のPCの装備だ。 ・・・よくよく見れば、その顔も、トイレの鏡とかで見る俺の顔とどこか似ている。 しかし・・・それでも釈然としないものがある。 その最たるものが・・・彼の性向、というか、性格だ。 俺は、ゲーム中じゃ一人称は「僕」で通している。ロールして(演じて)いるのだ。 だが、さっきこの剣士は確かに「俺」と言った。 それもあるし、何より俺のPCのはずなのに、俺とこいつはぜんぜん似てないのだ。 まぁ、もっとも、まだ知り合ってさほど時間も経ってないので、 そのあたりを判断するのは早計か、とも思うが・・・しかし違和感は残る。 もうひとつ、伊豆Dで見せたあの剣さばき、ヒドラどもを危なげなく捌いた、その腕。 確かに、俺のPCのレベルなら伊豆の敵なら何とかなるが・・・。 だが、にわかには信じがたい話だ。俺のPCがあれほどの動きをするとは・・・。 しかし、名前を聞いたときから俺にはわかっていた。この剣士は俺のPCだと。 なぜか?俺はそれをこいつ・・・1stの剣士を作るときに知ったのだ。 すなわち・・・「ROでは同名のキャラは存在し得ない」 6. 剣士の町イズルード。夕焼けの赤が空の底に沈殿するころ、俺たちの船旅は終わった。 桟橋では、数人が船を待っていた。5,6歳くらいの子供が歓声を上げて向かってくる。 俺たちの横を駆け抜け、船から出てきたばかりの男に飛びつく。 そのほか、あるものは待ち人の元に向かい、またあるものはそれを横目に船へ。 その中には明らかに冒険者でない人もいたが、彼らはアルベルタ行きなのだろう。 「もうちょっとだけ、我慢してくれ」剣士は俺を支え、ゆっくりと移動した。 町の中心、中央市場についた、そのときだった。 「やぁ、剣士君。いつもお疲れさまだね」声が聞こえた。若干高い、男の声。 剣士は俺をゆっくりと座らせると「なんだ、またあんたか?」声の主に振り向き、苦笑した。 声の主はアコライトだった。白い装束がちょっと煤けている。 「なんだ、はひどいね。友達にむかって?」彼が言うと「いつ友達になったんだよ?」剣士が返す。 友達?俺は頭に疑問符を浮かべる。・・・俺、いや俺のPCにはアコライトの【友人】などいないぞ? 「友達?」俺が聞くと「いや・・・ただの知り合いですよ」剣士は言った。 「そんなー。友達だろ?」「友達だと思ってるんなら、剣士君と呼ぶのはやめろ」軽口を叩きあう。 ・・・どうやら、彼にはプレイヤーの俺すらあずかり知らぬ人間関係があるようだ。 だんだん触らずとも痛くなってきた肩に意識をとられながら、俺はぼんやりと思った。 俺を見て「とりあえず、君と友情を語らうのは後だね」アコさんは俺のそばにかがみこんだ。 7. 「ヒール!」ちからのこもった声でアコライトがおなじみの回復魔法を唱える。 いや・・おなじみといっても、それはディスプレイの向こうでの話だ。 実際に俺自身が受けるのは、当然これが初めてだった。 全身を走るちからの奔流。これは・・・どうもむずむずする。 気持ちいいか悪いかと問われれば「いい」のだが、どうもくすぐられているような・・・。 「どう、楽になった?」アコさんの問いで、俺は治療の終わりを認識した。 ・・・ゆっくりと、恐る恐る右肩を回してみる。一瞬軋んだ様な痛みが走り・・・ 「・・・お、おおぉ!」正直驚いた。確かに痛いは痛いが・・・さっきよりはずっと軽い。 「どうもありがとうございます」俺の礼に対し「どういたしまして」とアコさんは笑った。 剣士はほっとしたように俺を見ていた。ずっと気にしていたのだろう。 「でも、仮処置だから、無茶はしないでね」アコさんは言った。俺は頷いた。 「今日は僕の家に来るといいよ」アコさんは剣士に言い、彼は・・・俺を見てから頷いた。 「まぁ、ゆっくりしていって」アコさんは茶を淹れつつ、言った。 「どうもです」受け取る。思ったよりぬるめのお茶だ。色も薄い。 一口飲んでみたが、薄いお茶だ。だが、匂いはいい。薫りというべきだろうか? アコさんが剣士に「プロンテラへは、明日?」と聞くと「ああ、そのつもりだ」と答える。 俺の方をみて「彼はどうするの?」アコさんの問いに、剣士は一瞬逡巡したのち、 俺に向き直り「とりあえず、明日俺とプロンテラに行こう。」俺にそう言った。 「あそこなら、君を知っている人間がいるかもしれないからね」 ・・・そうか、そういうことか。なぜ、今の今まで剣士の彼も、アコさんも 俺の素性について何も聞かなかったのか、疑問に思っていたが・・・。 よりにもよって、俺は自分のPCに「記憶喪失」と思われてたのか。なんか痛い。 8. 「あそこが剣士ギルドか・・・。」俺は赤く染まるイズルードの町を散策していた。 夕食までまだ時間があるから、とのアコさんの言葉に甘えて散歩することにしたのだ。 My剣士は危ないだのなんだのと言っていたが、あえてスルーして飛び出してきたのだ。 「なんせこんな機会二度とないモンな」足取り軽く、俺はイズルード探検を堪能した。 イズルードへは、伊豆Dへ向かう為に何度か足を運んだことはあったが、 こうして自分で歩いて、自分の目で見てみると全く違う趣がある。 露天をたたみ、帰り支度をする人がいる。おばさん同士が井戸端会議をしている。 そんな中に、帳簿を持ってなにやら忙しそうにしている女性がいる。カプラさんか・・・。 目が合ったので会釈をすると、可愛らしい微笑みを返してきた。あれが人気の秘訣か・・・。 一度話しかけてみたかったが、忙しそうなのでやめた。 まだ開いてる露天を覘いたり、冒険者らしき一群の話を立ち聞きして見たりして暇をつぶした。 意外にも、周囲とは明らかに格好の違う背広姿の俺も、自然に街に溶け込めていた。 歩き疲れて、近くにあったベンチへ座り込む。気づけば、空に星が瞬き始めている。 「一日終わるなァ・・・」俺は呟いた。ポケットから、例のチケットを取り出す。 ・・・後、3枚。今日含め、後3日。多いと見るか、少ないと見るかは、微妙な按配だった。 「仕事あるしなァ・・・」頭を掻く。例えクソッたれだなんだと思っていようとも、仕事は仕事だ。 そう簡単にほっぽりだすワケには行かなかった。 夢の世界への来訪、衝撃の出会い、今この状況の不条理、見失った現実・・・。 興奮が冷め、痛みが治まり・・・ようやく冷静に状況を省みれるようになって。 これからどうなるのか、そして俺はどうしたらいいのか。 唐突に噴出した混沌とした幾つもの問題に、俺は叫び出したくなった。 9. 「こんなとこにいたのか」後ろから声が聞こえる。振り返ると、俺の剣士がいた。 頭を掻きながら「探したぞ。・・・道に迷ったのか?」俺の横に腰掛けた。 「・・・まぁ、ね」俺は力なく言った。迷っているのは、確かだ。「迷ってる」俺は答えた。 彼は「そっか」と呟き、そして沈黙。 彼は、何も聞かない。何を考えているのか、俺にはわからなかった。・・・俺のPCなのに。 「・・・あのさ」沈黙を破ったのは俺だった。「あんた、ホントに俺のこと知らないのか?」 それは、船上で何度も聞いた問いだった。 彼は、表情を苦くしながら「・・・悪い、本当にわからん。名前も、顔も、覚えがないんだ」 それは、船上で何度も聞いた答えだった。 そして、再び沈黙。俺は星を見る。まるでプラネタリウムのような、空。 次に沈黙を破ったのは、彼。 「プロンテラに行けば、きっと手がかりがあるさ!」いきなり彼はぱん、と俺の肩を叩いた。 「イテ!痛いよ」蘇った痛みとともに抗議すると、彼は「すまん、ついな」と苦笑した。 そして立ち上がり「マァ、大丈夫!なんせあそこは、王国の首都だからな!」うんうん、と頷く。 ・・・俺を元気付かせようとでもしてるんだろうか?そうなんだとしたら、こいつは全くの大根芝居だ。 元演劇部の俺から言わせれば、まるでダメダメだ。やっぱりこいつは俺には全然似てない。でも。 「・・・そうだな。プロに行けば、なんとかなるよな!」俺は立ち上がり、ガッツポーズをした。 一瞬びっくりしたような顔をした彼も、やがて口元に笑みを浮かべ、「そうとも」と言った。 「帰ろうか」「帰ろう」俺たちは並んで歩いた。家ではアコさんが夕飯を用意して待っているだろう。 ・・・でも。たとえ大根芝居だろうがなんだろうが、そんなことはいいのだ。 プロンテラに行った所で、なんとかなるかどうかもわからないが、それもどうでもいいのだ。 自分のPCに元気付けられる・・・普通に考えれば、あり得ない不条理なんだが。 それはとても・・・何というか、「悪くないな」というか・・・ありがたかった。 10. 翌朝、俺と我が剣士は、プロンテラに向けて出発した。 アコさんはまるで今生の別れかとばかりに見送っていたが剣士君は「またな」とあっさり。 やっぱり俺とは性格が似ていないなァ・・・どういうことなんだろう。 俺がプレイしてたら、もうちょっと言葉をかけたりするのだが。 ・・・ちなみに、ポケットの中のチケットは、すでに2枚目が黒ずんでいた。後2日か・・・。 プロンテラへは徒歩で半日かかる、とのことだった。 カプラの「空間移動」を体験してみたかったが、今の俺にはお金がないので、贅沢は言えない。 まぁ、マイPCの剣士君はいくらか金持ってるけど・・・今の状態はあくまで「他人」だ。我侭は言えない。 このあたりは微妙な感じだ。一応俺が稼いだ金・・・だよな?ちょっと自信がなくなる。 道中はのどかな旅となった。そよそよと頬をなぶる風が心地よい。ふぁんたじーわーるど最高。 ・・・ちなみに、俺は昨日と変わらず背広姿だ。そして、背にはなぜか、ロッド。 魔法使えないケド、と聞いたら、剣士君は「君は戦うとか、そんなこと考えなくていいから」とのこと。 ・・・昨日の夜からか、ずいぶんと気安く話ができるようになった。もう「ですます」は要らない。 しかし、護身用か・・・期待されてねぇな。ま、期待されても困るが。 それと打って変わって、彼の旅装はキマっている。腰に挿した剣と、膨らんだザック。 剣とか、道具が詰まったザックなど、全部あわせるとかなりの重量になると思うんだが 見た目には軽々と背負っているようにしか見えない。 そうしてどのくらい歩いただろうか、視線の先に人影・・・と、大きな丸い影。 ノビさんと・・・ポリンだ。ノビさんがナイフを手に格闘を演じている。 こうしてみると、ノビさんの動きはまるで初心者のように見えず、寧ろ秀麗な動きが目を惹く。 「あのノビさん、強いね」俺が言うと、剣士は「のび?」と怪訝そうに言った後「彼か?」と前方を見、 「まぁ、教練所で基本的な型は教わるからな・・・そんな大したことはない」と至極当然のように言った。 教練所・・・ゲームでも存在していたが、この世界ではまさしく「実戦的」教練がされてるんだろう・・・。 11. ふと、左に目をやる。視線が地を這い、空を駆け・・・再び地面に落ちる。 ピンク色の、股くらいの高さの、丸い、物体。これは・・・ポリンか! すぐ近くにいながら、全くそれとは認識していなかった。無理もない、大きい。 確かに画面でも股くらいの高さだったが・・・その【等身大】が目の前にあると、 逆に認識がいかない。 彼我の距離は6-7メートル程。とりあえず安全圏だろう。 ・・・ちょっと、触ってみたい。シンプルだが強力な欲求。 「・・・ちょっとなら」俺は慎重にポリンへと近づく。静かにやれば大丈夫だろう。一歩踏み出し・・。 「何をやっているんだ!」背後から怒号がとどろき、俺は思わず身をすくませる。 その一瞬後。横合いから吹っ飛ぶような勢いで飛び出した剣士がポリンに肉薄。 ぶん、という音と鈍い光。すっ、とポリンの体に縦に線が走ったかと思うと、 その体が2つに分かれ・・・右と左にそれぞれ倒れる。地面にぶつかるとぶちゃりと瓦解した。 ・・・空気を切る音だけだった。ポリンを「斬った」ような音は、聞こえなかった。 彼は、ゆっくりと体勢を直した。ぶん、と剣を振り、汚れを払う。布で拭いて、鞘に戻す。 こっちへ振り向いた。明らかな怒り。それを隠そうともせず、ずんずんとこちらに向かってくる。 「この・・・馬鹿が!」肩をつかまれ「今、ポリンだから、と油断してたろ」揺さぶられる。 肩が軋んだがそんなことに気をとられる余裕はなかった。 「ごめん」目を伏せ、俺は謝った「ポリンとか、見るの初めてだったから・・・ほんとごめん」 ホントならちゃんと目を見ていうべきなんだろうが、顔を上げることができない。 いきなりすごい剣幕で怒り出した彼を恐れた、というのもあるんだが・・・それ以上に 心配してくれているのがありがたく、余計な心配をかけてしまったことが悔しかった。 12. 彼は、ゆっくりと俺の肩から手を離し・・・俺の頭をぽんぽん、と軽く叩いた。 「・・・まぁ、いきなり俺も言い過ぎたよ」苦笑する。「怒鳴って悪いな」 「いいよ・・・俺が悪いんだし」俺が呟くと、剣士は今度は苦笑ではなく・・・笑みを浮かべた。 「ま、次から気をつけてくれればいいさ」地面に落としていたザックを拾い上げる。 「ポリンだって、本気になったら人も殺す。ペットになってたりもする大人しいヤツだが、 モンスターはモンスター。油断してほしくないんだ。」剣士の、何気ない一言。 今更ながら、俺は自分のしたことがどういうことか、はっきりと認識した。 そう・・・ポリンだって、人を「殺す」。俺は最悪、殺されていたかもしれないのだ・・・。 それから俺たちは、また歩き出した。途中何匹かルナティック等のモンスターに遭遇したが、 俺は取り敢えず近づくことはしなかった。我が剣士君は、積極的にそいつらを狩っていった。 「モンスターがこんなにいたら、フツーの人が町を出れないだろ?」 それが、この世界の現実なのだ。 日が高くなってきたころ、俺たちは木陰で遅い昼飯を採ることにした。 アコさん手製のお弁当だ。中身は・・・栄養バランスのよさそうな、パンとか果物だったんだが。 「なんというか・・友達っていいねぇ」はーと型のクッキーをかじりながら、俺は言った。 一方の剣士君は渋い顔。「あいつめ・・・。何を考えてるんだか」 弁当箱には、愛が詰まっていた。はーと、はーと、はーと。 「アコさんって・・・間違いなく男の人だよね?」「聞くな・・・」俺たちは、黙々と愛を平らげていった。 13. 「そういえばさ、プロンテラってどんな街なの?」昼食も終り、食休み。 弁当を片付けながら、俺は聞いてみた。当然知ってはいるが・・あくまでゲームの話だ。 我が剣士君はああ、と呟き「賑やかな街だよ。商人も多い」彼は頷き 「いい街さ。きっと、君も気に入ると思う」 昨日の夜。俺は彼に簡単に自分の状況を説明していた。 いきなりワケもわからずあの場所に来てしまったこと、この世界に身寄りがないこと。 チケットの事は伏せたが、とにかくあと2日で俺はいなくなるだろうと言うこと。 それと・・・決して記憶喪失というわけではないこと。 彼が俺のPCであるとか、俺はプレイヤーだとか、別の世界から来たとか、そのあたりは伏せた。 言ったところで、わかる筈もないだろうから。 そんな、言う側からすれば不条理極まりない話を、彼はさほど重要な事とも受け止めず 「なるほどね」と返してきた。・・・まぁ、瞬間移動が実際に存在する世界だ。 大方転送ミスだね、と彼は考察した。その考察を否定できる材料もないので、反論とかはしなかった。 そして、俺の話を聞いたその上で、剣士君は改めて、俺をプロンテラに連れて行くと決めたのだった。 「あそこなら、あてもあるしな。2日位なら、問題なく滞在できる」との言葉に 「別に、アコさんの所に居てもよかったんじゃ?」と聞くと彼は「冗談じゃない」と首をぶんぶん振った。 「あいつに借りを作るのはごめんだ」苦笑する。確かに、と俺も笑った。払いは高くつきそうだ。 片付けが済んで、再び俺たちはプロンテラへ向け歩き出した。 それから、どのくらい歩いただろう?やがてはるか遠くに薄ぼんやりと巨大な灰色が現れ・・ はっきり見えてきたそれは、巨大な壁だった。灰色の、大きな壁・・・。 「すげぇ・・・!」何度かファンタジー映画で見たこともある、それは何の変哲もない城壁なんだが、 本で読んで、幾度も想像を巡らせ、今では簡単に想像できる、ただの城壁のはずなんだが・・。 「すげぇ・・すげぇすげぇすげぇ!」俺は身体が、こころが震えるのを抑えることが出来なかった。 「おかしな奴だなぁ」そんな俺を見て剣士は笑い「行こうぜ。・・・街に入ろう。」 14. 街は、人々でごった返していた。イズルードも人が多かったが・・・まるで比較にならない。 騎士、商人、腰の曲がったばぁさん、鷹を連れたハンター、チョッキを着た酔いどれのおっさん・・・。 「大丈夫か?」剣士の言葉に「大丈夫」と答えると、彼は「人に酔うなよ」と笑いながら言った。 「はぐれないで。俺について来てくれ」俺たちはゆっくりと街の中央に向って歩を進めた。 「意外と冒険者って少ないんだな」それがこの街についての俺の第一印象だった。俺がそれを伝えると 「冒険者がそんないっぱい街にたむろしてるわけないだろ?」彼の答えはこれだった。 冒険者とてお仕事なのさ、と彼は言った。街の外こそ俺たちの仕事場。みんなお勤め中なのさ。 そんなことを話しながら、俺たちは一軒の店に入った。 「よう、旦那。久しいな」「お前か。とっくにくたばったかと思ったぜ」店の中には、一人のオヤジ。 冗談、と肩をすくめながら剣士は「今日のはこれだ、どうだ?」ザックの中から何やら取り出し カウンターに置く。「またかにニッパかよ」「うるさいな。いいだろ?」オヤジは帳簿にすらすらと書き込み 「ほらよ。今日はこれだけだ」小袋と紙切れを剣士君に渡した。すぐさま袋に手をつっこみ、中身を確認する。 「後ろの黒服、初めて見るが相方か?」オヤジの言葉に「いんや。ま、ちょっとな」と剣士は紙切れを見ながら答える。 しばらくして、彼はつと袋から顔を上げ「おい、おやじさん。ちょっと」オヤジさんに向き直る。 「なんだ、足りねぇってのか?」オヤジの言葉に「逆だよ。ちょっと色がついてないか?」 「ああ、なんだ。そのことか・・」オヤジが笑う。心なしか、俺にはそれが、悪戯っぽい笑みに見えた。 「そりゃ、アレさ。ちょっとした恩返しってやつだよ。・・・お前さんの恋人のな」 ・・・なんだって? 「ミーマが・・ココにきたのか?」「ああ、アップルパイを馳走してもらった」オヤジが腹を叩く。 「いつもお世話になってるお礼ですー、てさ」オヤジは無理矢理高い声を出して、女性の口調を真似た。 剣士は頭を掻き「あいつめ・・・」と呻いた。「こんな所には来るな、って言っといたのに」 こんな所とはひでぇな、とオヤジは剣士を睨みながら「旨かったぜ」 「彼女には、なるべくこういう危ないところには来て欲しくないんだ」 「ワシの店に限って言えば、間違いなく安全だと言わせてもらうがな」剣士とオヤジの会話・・・。 俺はと言えば・・・途中からそんな会話は右耳から左耳へ、だった。 さっき、オヤジはなんて言ってた?・・・恋人だと!?俺のPCにか? 15. 「おまえさん、彼女いるのか!?」店から出たあと、俺はすぐさま剣士を問い詰めた。 俺の剣幕に戸惑っているのか、彼は呟くように「あ、ああ、まぁ、一応・・・」と答え、 細々とした声で切り返してきた。「な、なにか悪いかよ!俺に、その・・彼女がいて」 「いや、悪くはないが・・・」悪くはないが・・・彼女だと? 「まぁ、いいじゃないか。俺の恋人のことなんてさ」一方、彼は話を切り上げたいみたいだ。 頭を掻きながら、そっぽを向く。顔が赤い。照れてるのか?・・・面白い。 ・・・しかし、俺のPCに恋人がいるとは・・・。 確かに、女性キャラだって数人友達登録してるけど・・・彼女達はホントにただの「友達」だ。 第一【ミーマ】というキャラ名には心当たりがない。少なくとも俺は全く知らない。 そういえば、あのアコさんもそうだ。俺が全く認識してない、俺のPCの人間関係・・・。 それが、一体どういう意味を持つのか。考えても、答えはでない。 「ま、この話はこれで。とりあえず移動しよう」そう言って、彼は俺を一軒の宿屋に連れてきた。 カウンターの女将に挨拶をする。木製の鍵を受け取り、2階に上る。 2階には、並んだ3つのドア。一番奥のドアに木製の鍵を差し込み、ドアノブを回す。 「ようこそ、俺の家に」招かれたそこは、簡素な部屋だった。 家具といえば、ベッドとテーブル、そして小さな鏡台。床には、ナベや空き瓶が転がっている。 「・・・まぁ、何もないけどさ」剣士はどさ、とザックを下ろし、ベッドに腰掛け「住めば都さ」笑って言った。 16. 「ずっとココに住んでるの?」「ん・・・まぁな」剣士君が茶を淹れて、持ってきた。受け取る。 茶をすする。熱い。熱くて旨い。「剣士になってからは、ずっとこっちだな」剣士君も茶をすする。 彼も、茶をすすりながら・・・簡単に自分の出自を話し始めた。 農村の、農夫の夫婦の次男として生まれ、子供の頃から冒険者・・・魔法使いに憧れていた事。 18の時に、親父と大喧嘩をした末、冒険者となるべく家を飛び出したこと。 冒険者を養成する修練所で、彼は一生懸命に冒険者となるべく奮闘し・・・ちからを手に入れて。 そして、同時に現実を知る。魔法使いになるには、自分はあまりにも・・・ものを知らないということ。 自分の将来に絶望したそのとき、一人の男と出会い・・「ま、その後も色々あって、今こうなったのさ」 それは俺の知らない物語。俺と彼のゲームでの出会いは・・・初心者修練所だった。 そこにいたるまでの事なんて、ゲームの中では語られるはずもない。 しかし・・・目の前の彼は違う。俺のPCでありながら・・・彼は間違いなく一人の人間の「彼」なのだ。 「その・・・一人の男、って、誰?」俺が聞くと、彼は照れたように頭を掻き 「ハンターさんだよ。・・・俺の、尊敬する人さ」こころなしか、胸を張っているように見える。 ハンターさん、か。その人なら、俺も尊敬しているとも。すばらしいプレイヤーだと思う。このあたりは共通か・・。 「そういえば、君はどうなの?俺だけ話すのはずるいぜ?」剣士は俺を肘でつつく。 あんた、自分で勝手に話始めたんじゃないか・・・。俺は一瞬抗議の声を上げようかと思ったが ・・・ま、ちょっと位なら、いいか。思い直し、俺も簡単に語ろうとしたが・・・ いざ話すとすると、どう話せばよいやら・・・俺は頭を掻いた。 普通の家に生まれて、学校――修練所のようなものだ、と説明した――に通って、 学校を出てからは、普通に働きに出て・・・「そんで、この前いきなりココに来たのさ」と締めた。 「それだけか?」剣士の問いに、俺は「・・・そうだよ」としか応えられなかった。 ・・・しかたないだろ?平成日本じゃ、そうそうスペクタクルなドラマにはお目にかかれないんだ。 17. 俺は窓を開けて、外の空気を部屋に入れた。窓から身体を乗り出し外を臨む。 階下から聞こえる人々のさざめき、子供が路地を駆けていく。 「どこか、行ってみたいところはあるか?」剣士君が横から声をかけてくる。 「それじゃ、あそこ」俺は速攻で決めた。指した先にあるのは・・・灰色の威容。 「プロンテラ城か?」「ああ、そうだよ。」彼の言葉に俺は頷いた。「一度城をこの眼で見てみたかったんだ」 「おおー・・・」眼前にそびえる圧倒的な存在感に俺は思わず呻いてしまった。 俺たちはプロンテラ城の正面、橋の手前に来ていた。この場所から見上げる城の姿は、なんというか・・ 陳腐なせりふなんだが・・・ホントすごい。ただそれだけで、言葉も出ない。 「すごいだろ?これが俺らの王国の中心なんだぜ」剣士君は心なしか胸をはって、誇り高そうにしている。 君のお城ではないだろうに・・・。しかし、確かに人様に自慢したくなるような立派なお城だ。 「まぁ、さすがに中には入れないけどさ。満足してくれたみたいで良かった」剣士君は笑った。 「これで充分だよ・・・」俺はこの光景を忘れないように、決して忘れないように目に焼き付けた。 城を見ただけでへとへとに疲れてしまった俺は、彼の気遣いでベンチに座り、休むことにした。 「ほい、りんごジュース」「ありがとう」剣士君の手から瓶を受け取る。 彼自身も瓶を取り出し、あおる。彼が飲んでいるのは、俺のとは違い、白い液体だ。 「ミルクだよ」俺の視線に気づいて、彼が言う。「剣士はみんなこれを飲むんだ。健康にいいからな」 ふぅん・・なるほどねぇ、と思いながら俺もジュースを飲む。果汁100%、美味い。 「そういえば、これ、船でももらったよな」「そういえば、そうだっけ?」俺の言葉に、剣士君は首をかしげる。 「そうとも」俺が笑って言うと「そういや、そうか」彼も笑った。 ・・・今の俺と彼は、他人からはどう見えるんだろうか?と、唐突に疑問が浮かんだ。 友人?兄弟?まさか親子はないだろうが・・・。 ・・・プレイヤーとそのPCには、どう見ても見えないのだろうな、そう思った。 18. プロンテラの街を、ゆっくりと夕日が赤に染めていく。 ベンチの上で人の流れをぼーっと見やりつつ、沈む夕日を眺めた。 ・・・あと、1日とちょっと。 それで、俺のこの奇妙な日々は終わる・・・チケットの期限切れが、本当に【期限切れ】であるならば。 いままでは、深夜にチケット期限は終了していた。今日と、そして明日も今までと同じなら。 明日の深夜。俺のこの世界での生活は終わる。 ・・・いや、本当に、終わるんだろうか? 「なにぼーっとしてるんだ?」頭を小突かれる。「ここで寝るんじゃないぞ」と、剣士君は笑った。 「寝るわけないだろ。考え事してるんだよ」大事なことを考えてるんだ。 ・・・もし、チケットが嘘っぱちだったら?唐突に湧いた、不安。いや・・・期待かもしれない。 そうなったら俺はこいつと・・・自分のPCとずっと一緒に暮らすんだろうか? 無理じゃないだろうか・・。少なくとも、俺には困難なことであることは間違いなかろう。 彼は冒険者で、俺はただの一般人だ。武器を持ったこともなければ、魔法だって当然使えない。 でも・・ひょっとしたら、出来るかもしれない。俺だって、今から必死にやれば、冒険者に・・・。 初心者修練所で、一生懸命修行して、冒険者の資格を手に入れる。剣士君に鍛えてもらって、剣を習う。 そしていつか、俺は彼とコンビを組める力を手に入れて、2人で凄腕の冒険者として鳴らすのだ。 困難は多かろう。回復役もいないのでは、無茶はできないし・・・いや、アコさんがいる。 アコさんも仲間に入ってもらって、3人で冒険するのだ。剣士君の誘いなら、彼も乗ってくれるかも知れない。 そして・・・ダンジョンに潜り、生と死のハザマ、極限状態での戦い。 街に帰れば、勝利の美酒。たまには敗走の屈辱に涙を流すこともあるかも知れない。 時には挫折もあるだろう。出会いもあろうし、別れもあろう。 ひょっとしたら、俺はその途中で死ぬかもしれない。剣士君が、アコさんが死ぬかもしれない。 いや、3人でなら。いや、2人ででも。俺が彼の背中を守り、彼が俺の・・・。 そうだ。そうだとも。俺たちなら、できる。なんせ俺たちは・・・。 「――おい、おい!」・・・剣士君の声が聞こえる「おい、起きろよ」・・・起きろ? 「・・・んぅ」寝てなんか。・・・抗議の声の代わりに出てきたのは、情けない声。 「行ってるそばから」剣士君は俺の額を指でつついた。「疲れたんだろ?家に帰ろう」 いつしか、夕日は姿を消していた。空はいまだ赤かったが、じき暗くなろう。 ・・・どうしようもなく終わりが、近づいてくる。一日の終わりが、夢の終わりが。 19. 「せっかくだから、うまいモンでも食っていこうぜ」剣士君が言った。 「うまいもん?」俺が返す「おまえさん、そんな気の利いた店を知ってるのかね?」ふざけた口調で問う。 その問いに彼は「・・・まぁな」と、口元にかすかに笑みを浮かべながら言った。 剣士君に連れられて入ったのは、大通りからちょっと外れた通りに軒を構えた一軒の食堂だった。 建物はくたびれているが、手入れは行き届いていて汚らしい感じはない。 扉の開かれた入り口の、脇においてあるちっぽけな花壇に、ささやかながら花が咲いている。 「いい雰囲気だろ?」剣士君の言葉に「うん、良さそうだね」俺は素直に返した。 俺たちは、並んで食堂に入った。 「やぁ、いらっしゃい。」「どうも、お久しぶりです。」店の中には、一人の男性・・・この店の主人か。 どうぞ、と促され、テーブルに座る。木製のいすは意外にも暖かく、お尻が冷えるようなことはなかった。 「えーと、いつものやつを・・・2人分お願いします」剣士君が注文する。 主人は「わかりました」と答え、厨房に向う。剣士君は席を立ち、水を汲んできてくれた。 「・・・お客さん、俺たちだけみたいだね」閑散とした店内を眺めながら俺が小声で聞くと、彼は苦笑して 「そうなんだよなぁ、いい店なんだけど・・・」水を一口飲んで「ま、落ち着いた雰囲気ってことで」 そうだね、と俺は笑った。静かで小ぎれいで、ゆったりとした感じ・・・悪くない。 「そういえば」俺は聞いた「いつもの、って?」「お待たせしました」絶好のタイミングで主人が帰ってきた。 テーブルに並べられたのは・・・オムレツ。ふんわりと黄色い、湯気のただよう。 「じゃ、頂きます」剣士君が食べ始めた。「・・・頂きます」俺はゆっくりとさじで一切れ切り取り、口に入れた。 「うん、おいしい」「・・・うまい!」声を出したのは同時だった。 主人が嬉しそうに顔をほころばせる。俺たちは、しゃべる事もなく、黙々とオムレツを平らげていった。 「ごちそうさまでした」「ごちそうさまでした」声がハミングする。目の前には、すっかり空になったお皿。 「お粗末さまでした」と、主人が皿を重ねて厨房へ持っていった。 「いやぁ・・美味しかった」「うまかったろ?」剣士君は得意そうに笑う。「俺の一番のお気に入りなんだ」 「お気に入りは、オムレツだけではないでしょう?」いつの間にか主人が厨房から出てきていた。 「もうそろそろ帰ってくる頃なんですが・・・」そう主人が呟いた時「ただいま帰りましたー」女の声がした。 20. 入り口のところに女の娘が立っていた。膨らんだ袋の手提げを両手で持って立っている。 「ミーマ、お帰り」主人が迎える。剣士君も席から立ち上がり「お疲れ」と言った。 女の娘は驚いたように「あ・・」と呟きを漏らして、やがて落ち着いたように姿勢を直して言った。 「お帰りなさい」 「いつプロンテラに戻ってきたの?」彼女の問いに「今日だよ。朝一でイズルードから歩いてきた」 「帰ってくるなら連絡してくれれば良いのに」「悪いな、まぁいろいろあってさ」剣士君が苦笑し、答える。 俺はそれをなんとはなしにボーっと見ていた。・・・見るからに恋人みたいだ、うらやましい。ちくしょう。 さっき簡単に自己紹介はしたが、ミーマは明るくてはきはきしていて可愛い。・・・正直少し好みかもしれん。 「ふむ・・」俺は少々いたたまれなくなって目をそらした。主人と目が合う。・・・どちらともなく、笑みを浮かべる。 「ミーマ」主人が彼女を呼ぶ。「今日はもうあがって良いです。彼とゆっくり楽しんでいらっしゃい」 ミーマはびっくりしながら顔を赤らめ「そ、そんな、いいですよ、お仕事します」と抗弁したが 「せっかく久しぶりに恋人が戻ってきてくれたんですから。いろいろとつもる話もあるでしょう?」 との言葉と、穏やかそうな笑みに言葉を失くし「・・・わかりました。今日は上がらせてもらいます」頭を下げる。 剣士君も「すいません」と主人に頭を下げ、主人は「いいんですよ。ごゆっくり」と微笑んだ。 ・・・しかし、ミーマは見たところどう見てもふつーの人だ。いかなる職業の冒険者にも見えない。 もしや、本当に一般人か?だとするならば・・・これもまた俺の知らぬ、俺のPCの人間関係ということか。 21. 夕焼けの赤が空の底に沈殿し、空が蒼黒くなってきた。 もう少しすれば、昨日も見た、プラネタリウムのような星空になるだろう。 俺たち三人は連れ立って歩いていた。とくに当てがあるわけでもなく、ただただ歩く。 俺は店を出るときに気を利かせて「俺、家に帰ってようか?」と言ったんだが、剣士君は 「ば、ばか」と顔を赤らめ、「ヘンな気を使うな」そっぽを向き、頭を掻きながら言った。 まったく・・・面白いな、この男は。 俺はこみ上げてくる笑みを必死に隠しながら「じゃ、ご一緒させてもらおう」と言ったのだった。 とりあえず、どこかベンチにでも座ってゆっくり話でもしよう、と言うことになった。 「剣士君の家は?」何気なく俺は提案しようとしたが、こちらを真剣に見詰める、 いや睨む剣士君の視線に殺気すら感じ、あえなく提案を退けることにした。 道中、剣士君がミーマに話しかけた。「悪いな。仕事休ませて」その言葉に彼女は「気にしないで」と返す。 「店長が気を利かせてくれたんですもの。せっかくだしゆっくりしましょう」と笑った。 その言葉に剣士君はさらに問いを返す。「でもさ、今日の分の給金出ないだろ?ほんとに大丈夫か?」 「大丈夫だよ、一日くらいなら。・・・なんとか」ミーマは指折り何かを数えつつ言った。 「あなたの方こそ、ちゃんとした生活できてる?」ミーマが問い返す。「部屋、追い出されたりしてない?」 「俺は、大丈夫だよ」剣士君が答える「そのあたりは割ときっちりしてるからさ」 ・・・彼氏と彼女の会話。 ・・・おまえさんら、久しぶりに逢えたんだからもうちょっと色気のある会話をしたらどうだ? 他人事ながら、ついそう思ってしまった。・・・それとも、恋人同士ってこんな感じなのか? そういえば、ミーマと話しているときの剣士君はいたってフツーだ。 照れていたりもしないし、非常にリラックスしている。・・・恋人って、こんな感じなんだろうか? ちぇ・・・どーせ恋人なんて出来たことのない俺にはわからないさ。 そんなやり取りをしているうちに、ベンチの置いてある広場に着いた。「ここで休もう」剣士君が言った。 22. 剣士君がベンチに座りこむ。どさ、とザックを足元に置く。その横にミーマがちょこんと座る。 俺は剣士君の隣に。ゆるいカーブのあるベンチだから、この位置でも2人の顔が見える。 「相変わらず重そうな袋ね」ミーマが彼の足元のザックを見て言った。「何が入ってるの?」 「いろいろだよ」剣士君が答える。「保存食に、怪我を治療する薬、解毒薬、着替え・・・」指折り数えている。 「今はないけど、冒険に行くときは寝袋も入れるな」まぁ、確かに所持アイテムは多いな。・・寝袋は俺は知らんが。 「呆れた」ミーマはため息をついた。「まるでお家をそのまま持って歩いてるようなものね」 「まぁ、なぁ」彼は頭を掻いて「でも、これでも昔に比べれば少なくなったんだけどなぁ」苦笑した。 ・・・彼氏と彼女の会話。俺は、まったり星空を眺めながら、2人の会話を聞いた。 「・・・そういえば」剣士君は急に真顔になって「ミーマ。君さ、オヤジさんの店に行った?」 ミーマは「オヤジさん?」と呟き「・・・うん、この前。アップルパイを・・・」皆まで言えなかった。 「もう、二度と行くな」剣士君がぴしゃりと言った。「いいな。もう行くなよ。・・・前にも言っただろう?」 いきなり思いのほか強くなった剣士君の口調に、ミーマは一瞬戸惑ったような様子だったが 気を取り直し「どうして?」と聞き返す・・・声が硬い。いきなりの緊張状態・・・ヤバイ雰囲気だ。 「危険、だからだ」言葉に力をこめ、彼が言う。「あそこは、一般の人間が来るところじゃない」 「別に危険なんてないわ」彼女が抗弁する。「店のオヤジさんだっていい人だし、冒険者の人だって」 「とにかく」剣士君が割り込んだ。「危ないから、もう絶対に行かないこと。いいね」有無を言わせぬ口調。 「いやです」彼女が言う。「オヤジさん、アップルパイ美味しかったって、笑って言ってくれたのよ。それに・・・」 「ミーマ」「冒険者が危険な荒くれ者だなんて、それだってただの根も葉もないうそっぱちじゃない」 「別にオヤジさんとかは関係ないんだ。俺が言いたいのは」剣士君はそこで言葉を止めた。 「・・・冒険者は、決して乱暴者じゃないわ」ミーマが強い声で言う・・・俯き、膝元で小さなこぶしを固めて。 「私は、知っているもの。・・・あなたを」・・・それだけ、ミーマは搾り出すように言い、口を閉ざした。 「む、う」剣士君はかける言葉が見つからず、彼女を見つめ・・・ポケットからハンカチを取り出した。 ミーマは彼からそれを受け取り、両手でしっかりと、絞るように握り締めた。・・・涙は流さなかった。 「・・・この前の俺の言い方が悪かったんだな」先に口を開いたのは、剣士君だった。 「俺が言いたかったのは危険ってのは、冒険者のことでも、オヤジさんのことでもないんだ」 「・・・じゃあ、なに?」ミーマがゆっくり問いかける。剣士君はしばし目を伏せ、そして顔を上げて言った。 「あそこで売られているものの中には、魔物を召還したり、一瞬のうちに遠い所に飛んでいってしまうような、 そんな危険なアイテムだってあるんだ」・・・古木の枝か。それに、蝶や、ハエの羽。 「知らないうちにそんなアイテムを使って、危ない目に会う人だっているんだ」彼は言葉を続けた。 「ミーマには・・・。俺は君を、そんな危ない目にあわせたくない。・・・わかってくれるね?」 彼女は、彼の言葉を受け取って、しばし目を伏せ・・・「はい」と、そう言ったのだった。 23. 結局あの後から、剣士君とミーマはお互いに黙り込んでしまい・・・そのまま別れの時間が来てしまった。 「家まで送ろう」立ち上がり、剣士君が言った。「首都プロンテラとは言え、夜道は危ないから」 彼の申し出にミーマは「じゃ、お願いします」と、静かに言った。 彼女の家は小さくもこぎれいな一軒家だった。 「じゃ、ここで」剣士君がドアの前で立ち止まる「こんな遅くまで悪かったな」 「いいよ」ミーマが言った「私だってもう子供じゃないもの。お父さんに文句は言わせないわよ」 その言葉に彼は微笑み「まぁ、そうだな」と頷いた。 「でも、親御さんは大切にしろよ?」ちょっと真顔になって剣士君は言った。・・そうか、彼は。 「わかった」彼女は笑い、家のドアを開けた。家の中に入り、ドアの向こうでこっちを向く。 「おやすみなさい。送ってくれてありがと」彼女は逡巡し「・・・ナイト様」悪戯っぽく笑った。 「俺はまだ騎士じゃないよ」彼は頭を掻きながら苦笑し、ふと真顔になり「じゃ、おやすみ」と言った。 「おやすみ、ミーマさん」俺も挨拶をし、彼女は「おやすみなさい」と返してくれた・・・微笑みながら。 「・・・じゃ、またね」ドアを閉めようとした彼女へ「・・待って」剣士君が言った。 「あのさ・・・」ミーマは怪訝そうに彼を見る。・・俺も怪訝そうに彼を見る。何か言いたいことがあるんだろうか? 彼はしばらく考えこんでいたようだったが、ふと考えがまとまったようにミーマをまっすぐ見つめ 「今度、またオヤジさんの店に行こう」一瞬言葉に詰まり「・・・俺と、一緒に」最後は力を込めていった。 ミーマはぱぁっと顔を輝かせた。・・・そう、女の娘の顔って本当に【輝く】んだなぁ。 「うん!」ミーマは頷いた「また、きっと、一緒に、ね!」そういって、今度こそドアを閉めた。 剣士君はそれを見守り、最後に閉じたドアに向かい、静かに「おやすみ、ミーマ」と呟いた。 「いい娘じゃないさ」俺と剣士君、ゆっくりと星を仰ぎながら帰り道。 「・・・まぁな」剣士君は笑った。こいつ・・・ホントに嬉しそうな顔をするなぁ。 「でもさ、久しぶりに会ったのに、あんなケンカになっちゃって大変だったな」 俺が苦笑混じりに言うと「まぁ・・・それもいつものことさ」彼も苦笑しながらそう言った。 そして、ふと真顔になり「でも、本当にいい娘だよ、彼女は」静かに、言った。 「冒険者の俺には、もったいないくらいにね」その顔は、どこか寂しそうで、見ている俺まで辛くなってしまった。 24. 部屋に戻った後、しばし休憩した後「そういえばさ」剣士君がお茶を淹れながら聞いてきた。「明日だっけ?」 「何が?」お茶を受け取りながら俺は聞き返し・・・思い出し「あ・・ああ、そう。明日」と返した。 ・・・明日の夜で、この生活ともおさらばだ・・・この世界とも、彼とも。 「そうか・・・明日か」剣士君はなにやらうんうんと頷きながら考え事をしているようだ。 しばらく経ってから、やおら顔を上げて言った。「じゃあさ。明日は一日、俺と冒険に行こうぜ」 「冒険?」「ああ。行きたいところがあるならどこにでも連れてってやるぞ」胸を張って剣士君が言う。 「そ、そうだなぁ・・・」じゃあ、ちょっと考えてみよう・・・か。 地下水道・・・臭い、汚い、ゆえに却下。第一あそこに入るには許可が必要だったはずだ。 オーク村・・・面白くなさそう。第一、剣士君はともかく俺は死ねる。 フェイヨンD・・・う、うーん。ムナたんハァハァ、か? ・・・俺の柄じゃねぇな・・・第一、ムナって死体だろ?ペットはともかく野生は・・・見かけによらず臭そうだ。 具体的に想像してみると、どの狩場もひでぇな・・・。 とりあえず、行ったことない所か?じゃあ・・・いちかばちかで。「グラストヘイム」「無理」・・・一蹴された。 「ま、明日までに考えておいてくれ」剣士君は笑い・・・「じゃ、おやすみ」と床に寝転がる。 「おやすみ」俺も返し、ランタンの火を消して・・・ベッドに潜り込んだ。「ベッド、ありがと」呟いた。 特に夢を見ることも無く、寝付けないことも無く、俺は冒険前夜をゆっくり休ませてもらった。 「おはよう。よく眠れたか?」「おはよう。・・・まあね」早朝。俺たちは同時に目を覚ました。 窓を開けて、外の空気を入れる。・・・ほんとに早朝だ、人が全然いない。 寝ぼけマナコには朝の太陽の光もきつい。しかし、おかげでばっちり目が覚める。 「いい天気だなぁ」俺は伸びをしながら言った。「まさに冒険日和」 「行きたい場所、決めた?」剣士君がりんごを削ってくれた。 「決めてない」俺は答えた。「まぁ、どこでもいいんだ・・・」この世界なら、どこでも良かった。 「しょうがないな」彼は頭を掻きながら「ま、適当にぶらついてみるか」と笑って言った。 ・・・ポケットのチケットは、3枚目が黒ずんでいた。 4枚目、ラスト1枚。 25. 「冒険に当たっては、まず準備を念入りにしなくちゃな」との剣士君のお言葉で やってきたのは・・・プロンテラ正門近く、カプラさん。 「カプラサービスへようこそ」「どうも、いつもお世話になります」剣士君が頭を下げる。 そのままなにやら話し込む・・・倉庫のアイテムについての話のようだ。 しかし・・・こんな朝早くからホントご苦労様だなぁ・・・こっちでも24時間営業なのか。 やがてカプラさんは近くの建物に入り・・・荷物を抱えて出てきた。 「お待たせしました」「ありがとう」剣士君はカプラさんから品物を受け取る。 「またのご利用をお待ちしております」カプラさんは笑顔で頭を下げた。 手を振って、俺たちはカプラさんを後にし、西門近くの広場に向った。 剣士君がカプラさんから受け取ってきたのは、防具の一式だった。 ガードに工事帽、サンダル・・・そして、レザージャケット。 「そのジャケットにはな、ちょっとした御守りが付いてるんだ」目を細めながら剣士君が言う。 ・・・俺も知ってるよ、ラッキーレザージャケット。・・・ずっとコレを着て戦っていたものな。 裏地を見ると、薄ぼんやりとポリンをかたどったマークが見える。「いい防具だ」俺は笑った。 「ところで・・・剣は?」剣士君が渡してくれたものの中には見当たらない。「忘れた?」 「忘れたんじゃないさ」剣士君は言った。「君にはちゃんと武器を渡してあるだろ?」 「武器・・・?」俺は一瞬考え込み「・・・まさか、これのことじゃないだろうな?」背中のロッドを取り出した。 しかし、彼は「それだよ」と当然の事であるように言った。「初心者が剣を持ったって使いこなせないさ」 「でも」反論しようとした俺を留めて、彼は「刃物は、自分のことを傷つけてしまうかもしれないんだぞ?」と言った。 「ロッドなら安心だろうからさ」彼は真顔で言う。・・・こと冒険に関しては、本当に彼は真面目だ。 ・・・確かに、そうかもしれない。包丁すら満足に使えない俺が、剣を持っても危ないだけだろう。 俺は剣士君の言うことを素直に聞くことに決めた。 剣士君が見守る前で、俺は一つ一つ、間違いのないよう、慎重に防具を装備していく。 工事帽をかぶり、サンダルを履く。サンダルは走っても外れないように、しっかりと紐を縛る。 工事帽も首紐をしっかりと結び、決して取れないように固定する。少し息苦しいが、それは我慢。 ガードは、握りの部分が壊れてないか確認するため、軽く地面を殴る。しっかりした手ごたえ、問題ない。 ガードを一旦足元に置き、最後にレザージャケットを着込む。少しだけ、汗の匂いがした。 うん・・・着てみると、思ったよりずっと硬くて頑丈だ。動きも疎外しない、素晴らしい防具だ。 ロッドを腰に差して、ガードを再度握り締めて・・・これで装備は完了だ。 「うん」剣士君は頷いた。「いい感じだ。よく似合うよ」 その言葉に「ああ、いい感じだ」俺は笑って言った。 ・・・そりゃ、おまえさんが昔使ってたんなら、俺にも似合うさ。似合わないわけがないとも。 26. 俺たちはプロンテラ西の街道をてくてく並んで歩いていく。 空は青く澄み渡り、街道はどこまでもどこまでも続いている。 ・・・のどかだ・・・。「のどか過ぎる・・・」俺は呻いた。「のどかで結構」剣士君が言った。 向こうの木陰で、ノビさんがペコペコに乗った騎士の見守る前でポリンと対峙している。 その光景を見やりながら「やっぱり、冒険の第一歩はポリン退治からだな」剣士君は呟いた。 街道をちょっとそれて、木陰を探す。木々が生い茂るそこに、ポリンがいた。 「初陣だな」剣士君はすっと俺とポリンから離れるように移動する。 「がんばれ」力強く手を振り回して応援してくる。「油断するなよ」いや、油断なんてしないケドさ。 「おいおい・・・」俺はポリンから目を離さず言った。「ホントにこいつやっつけるのか?」 「大丈夫」剣士君は笑っていった。「いざとなったらすぐ助けに入るから」すっ、と剣の柄に手をかけてみせる。 「いや、そうじゃなくてさ・・・」やっぱり、ちょっと抵抗があるのだ・・・この生き物を殺すことに。 「ちょっと・・・可哀想かな、と」俺の言葉に剣士君は、ふぅ、とため息をついて 「まぁ、無理にとは言わないけどさ」剣を抜いて「無理なら、俺がやるよ」構える。 「どの道、俺はこいつは見逃さない。こいつだって、後で一般の人に危害を加えるかも知れないんだからな」 あくまで油断のない、本気の構え。本気の目。 ・・・その目を見た瞬間、俺は思い出す。 ・・・そうとも。俺はこの短い日々の間に、この世界の姿を、ほんの一部なりと見てきたじゃないか。 この世界にいるのは、冒険者だけじゃない。 普通の旅人や商人・・・そんな戦う力のない人が、むしろ多数。ミーマだってそうだ・・・。 冒険者の仕事は、そんな戦う為の力のない人々を守ること。それがこの世界なんだ。 「・・・やるよ」俺は言った。「こいつは、俺がやる」冒険者・・・そう、俺は今、冒険者なんだ・・・! 27. 左手のガードをぐっと握り締め、脇を絞る。ぐい、と一歩踏み出す。ポリンまであと3,4メートル。 武器の構えなんてファンタジー映画や剣道のものを見ただけだから、マネをしても仕方ない。 ロッドの柄をしっかり握り、いつでも杖の頭を叩きつけられるように構える。 ポリンもこちらが自分の敵であることを悟ったようだ・・・戦闘開始だ。 先に仕掛けてきたのはポリンだった。ぴょん、と1回の跳躍で一気に俺との間合いが詰まる。 そのまま突進して来る!盾を持つ左手に力を込める。どかっ、と言う衝撃。弾き飛ばされる。 こけないように足を必死に回転させる。「こなくそ!」よろめきながらも3歩の後退で体勢を整える。 ポリンのほうも体当たりの衝撃は少なくあるまい・・・やってやる。 突進する。叫びながら、込められるだけの力と殺意を込めてロッドの頭を叩きつける。死にやがれ! ボクッ、という手ごたえ。効いているのか?丸いその体を見ても判断が付かないし、確認する余裕もない。 もう一撃とロッドを振り上げたそのとき、がら空きの俺の腹にポリンがぶつかってくる。 目の前が真っ白になる。一瞬息が完全に止まり、背中に衝撃。吹っ飛ばされたのか・・! 俺はレザージャケットと工事帽に感謝した。コレが無ければ今頃後頭部を強打、背中はズタズタ・・・。 視界に色が戻ってくる。ピンク色・・・!俺はのしかかってこようとするポリンを何とか転がってかわす。 「・・・殺す気かよ!」思わず間抜けたことを口走った。殺す気満々だよ、向こうもこっちも。 俺は再度両手の武具を握り直し、ポリンに向き直った。「ぶっ殺してやる」自然と物騒な言葉が出た。 ポリンがその体をたわめる。相手に攻撃のチャンスを与える手はない。俺は突進した。 ・・・それからどのくらい経ったか。何度となく俺はポリンに吹っ飛ばされた。 しかし、それと同じくらい、俺はあいつにロッドを叩き込んでやった。 そして・・・今、俺はぼろぼろになって地面に座りこみ、ポリンは・・・潰れて、砕け散っている。 俺は、多大な体力と、膨大な時間を消費して、なんとか・・・なんとか勝利をモノにしたのだった。 「お疲れ」剣士君が俺の脇に座り込む。「よくやったよ。初めてにしては上出来だ」 「ありがと」俺はなんとかそれだけ言った。 俺はいま、一匹の生き物を全力をかけて殺した。 俺の戦いは、はっきりいってかっこ悪くてみっともないし・・・とても罪深いことなのかも知れない。 しかし、俺は満足だった。俺は冒険者として・・・ささやかだけど、仕事をやり遂げたのだから。 28. 俺の怪我を治療した後、俺たちは早い昼食を取る事にした。 「干し肉にりんごジュースは合わない」「文句言うなよ」飯を食いながら、ささやかな談笑。 風が頬を撫で、草木はそよそよとそよぐ。空は青く澄み渡る。・・・のどかだ。 「のどかだぁ・・・」「のどかで結構」「全くだよ・・・。落ち着いて、気持ちよくて・・」この状態、とても幸せだ。 こんなのどかさがずっと続けば、素晴らしいだろうなぁ・・・。 それじゃあゲームにならないんだが、そんなことはどうでもいいや、と思った。 この静かで平和な素晴らしい時間が、ずっと彼らの世界を満たしてくれていればいいのに。 でも、現実の世界では。 モンスターがいなくなること、それはきっと・・・ROのサービスが止まる時、この世界が消える時だ。 PCがみんな消えて、モンスターが「必要なくなる」ってことだ・・・。 いや、やめよう、こんな想像・・・無意味だ。俺はかぶりを振って頭からくだらない想像を追い出した。 「さて・・・次はどうしようか?」食事が終わった後、剣士君は言った「どこか行きたいところがあれば・・・」 「だから、グラストヘイム」「ばか。無理だよ」やっぱり一蹴された。 「いろいろ歩いて回れるなら、どこでもいいよ」俺は笑った。「ゲフェンでも、モロクでも」 「街巡りか・・」剣士君は頭を掻いて言った。「歩きじゃ無理だな。まぁ、カプラさんに頼めば・・・」 やった!俺は心のなかでガッツポーズをした。カプラ転送サービス、やってみたかったんだ・・・! 「じゃあ、どこにしようか?手始めに、ゲフェンでも行ってみるか?」剣士君が聞いてきた。 「アルデバランとか、いいなぁ」「隣の国か・・・」剣士君は空を仰いだ。「たまにはいいかな」 「ホント?」「ああ・・・でも、日帰りだとちょっときついかな?」剣士君が苦笑したそのとき。 「助けてください!」街道の向こうから青年が駆けてくる・・・白い装束、アコライトか。 「どうした?」息を切らした青年に駆け寄り、剣士君が聞く。「なにがあった?」 よくよくみると、アコライトの白い装束に・・・血が付着している。 「それが・・・いきなり街道に、大量の魔物が現れて・・・」途切れ途切れに青年が言う。 「これは・・・」「枝テロか?」俺と剣士君は顔を見合わせた。「まだわからんが・・・。」言葉とは裏腹に、彼は頷く。 「すぐ現場に行く。案内頼む」アコライトの青年に声をかけ、俺の方を振り向いた「君は・・・」 「行くよ」俺は即答した。「戦えない人を逃がす手伝いくらいは出来るさ・・・俺だって冒険者だからな」 「ああ、そっちは任せる」俺の言葉に彼はかすかに笑みを浮かべ「・・・相棒」呟いた。 「任された」俺は胸を張って請合った。 29. 駆けつけたそこは、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図だった。 さっきまで平和そのものだった西の街道に、悲鳴とそして、魔物が満ちている。 冒険者達が、必死になって魔物と戦い、あるいは一般の人々を誘導している。 「ひどい・・・」俺の呟きに「大丈夫」剣士君が言った。「まだ、なんとかなる・・なんとかするとも」 所在ないようにうろついていたゾンビが2匹、こっちに気づいて・・近づいてきた。 「先に進んで」剣士君は手で俺とアコライトの青年を退かせて、ゾンビに向かって突撃する。 「君達は、みんなの避難を手伝って!」ゾンビどもをけん制しながら、剣士君が叫ぶ。 「了解!」「わかりました!」俺とアコライトは、彼を背にして駆け出した。 ほどなくして、10人ほどのパーティと魔物の群れが戦っているところに遭遇した。 必死に魔物を抑えているが・・・限界が近い。力尽き、倒れこむ者もいる。 倒れた者を庇う為、剣士と弓手が前に出て盾になり敵の足止めに努めている。 前衛が必死に敵を抑えている隙に商人や盗賊が倒れた者を後方まで運んで、治療を施す。 そのパーティの後ろのほうでは、ノービスたちが人々を街へ誘導している。 だが・・・パーティは崩壊しようとしている。アーチャーの女性が膝をついた。剣士が叫ぶ。 魔術師が剣士の横に立ち、杖を振るう・・・俺が見ることができたのはここまでだ。 「俺はあっちに行く!」ノービス達のほうに駆けながら俺は言い、アコライトの青年は 「僕はあのパーティを」そういいパーティの方に走っていった。 ・・・お互い、武運を。俺は一瞬だけ彼の背中を見て祈り、再び駆け出した。 30. 「避難手伝う!」「お願いします!」俺の言葉にノービスの女の娘が答えた。 負傷した青年の肩に手を回し、立ち上がらせた・・・重い。身体にほとんど力が入っていない。 「頑張れ!」俺は叫んだ。「絶対に、安全なトコまで連れてってやるから」青年は呻き声で応えた。 「魔物が出たら、叫んでください」彼女が言った。「きっと誰かが助けてくれます!」 ・・・なるほど、役割分担ってワケか。確かにこの人を抱えたまま戦うのは無理だ。 街道を、青年を半ば持ち上げるように支えながら、必死にプロンテラの方角に向う。 と、目の前にルナティックが現れた。普段なら大人しいだろうこいつも、喧騒の雰囲気にのまれたか 落ち着きのない、殺気にあふれた目をして、こちらに向ってくる! 「敵だ!」俺は叫んだ。盗賊の青年が駆けつけて来てくれた。「早く行け!」彼は叫ぶ。 「ありがとう!」俺は答えて、また進み始める。「頼みます!」 やがて、城壁がはっきりと見えてきたあたりの所で、アコライトの女性が僕の連れてきた青年を引き取った。 「ありがとうございます」彼女は言った。「ここからは、私の仕事です。街の中なら安全ですから」 「お願いします」俺は言いつつ、再び戦場に戻るために街道に向き直った。 「お待ちください」背中からアコライトの言葉。「ヒール」彼女の詠唱と同時に、ほわっと体に力が駆け巡る。 振り返った俺に「どうか、お気をつけて」と彼女は、心配そうな目で俺を見つめてそういった。 「ありがと」俺はそれだけ言って、今度は止まることなく、街道に向って走っていく。 ・・・普段の俺だったらもっと言葉を使って感謝を表してたんだろうが、今はそんな余裕はない。 やんなきゃならないことがあるのだ。 街道を走っていくと、先ほどのノービスの女の娘が老婦人を支えてこちらに向って来ていた。 「大丈夫?」俺の問いに「私は大丈夫です」彼女が答える。 「それより、私の後ろのほうが危険です」彼女が言った「防衛してる方々が・・・」 「わかった、すぐ向う」俺は頷いた。そのまま街道を奥に向って走り出す。 「もうちょいで街だ、頑張れ!」走り際に、彼女に向って叫んだ。 31. 俺が最初の地点にたどり着いた頃には、もう避難はあらかた完了し、ノービス一人がそこにいた。 「もう大丈夫なのか?」俺の問いに「はい、あとは・・・」ノービスの青年は後ろを見やった。 弓を抱きしめるようにしながら、女性が倒れている・・・さっきのパーティのアーチャーか。 「ほかのパーティの方々は、残った魔物の殲滅のためにもっと奥のほうに行かれました」 「じゃ、あとはこの人だけか?」「はい、そうです」俺は頷いた。 「じゃあ、俺が」運んでいこう。・・・そう言おうとしたときだった。 いきなり魔物が近くの木陰から飛び出してきた。空とぶ魔物の影・・・コンドルだ! まずい・・・ノービスや、ましてや俺じゃ一人で相手にするには荷が重い・・・。 どうする?三人で逃げるか、無茶を承知で二人で戦うか、どうしようもなければ最悪彼女を見捨てる・・? 頭でごちゃごちゃと考えているうちに、身体は動いていた。俺が、そうしたいと思った手順のとおりに。 ノービスをアーチャーの方へ突き飛ばし、コンドルとアーチャー達の間に入る。 「行け!」俺は叫んだ「彼女を連れて行け!早く!」右手のロッド、左手のガードを掴み直す。 「でも・・・!」「早く行け!」頼むから早く行ってくれ・・・そう長い時間抑える自信がないんだから! 「時間を無駄にするな!」この言葉で、彼は決意を固めてくれたようだ。 アーチャーさんの身体に手を回し、持ち上げ、支える。「すいません!」そう言って、彼は走り出した。 そう、それでいいんだ。俺はにやりと笑うと、ロッドをコンドルに向けて挑発的に突き出した。 「さぁ、お前の相手は、俺がしてやる」やっと俺にも見せ場が回ってきたか。 そうとも、ここはかっこいい場面なんだからさ・・・止まれよ、俺の足の震え。 さっきの戦いを思い出せ・・・俺は勝てる。俺は勝てる。そうとも、俺は勝てる。 勝てなければ全て終わりだ。 32. いざ戦いが始まってみると、俺の身体は俺が思った以上に、戦いに対して柔軟に動いてくれた。 全身がばねになったかのように激しく動きまわる、頭には血が上り、フル回転で殺しの為の演算をし続ける。 コンドルの嘴は速く鋭かったか、そのうち何発かはかわし、あるいはガードで防御できた。 それに対し、俺のロッドの攻撃は直撃さえしないものの、少しづつ着実に相手にダメージを与えていく。 もちろん、こっちも無傷では行かないが、優位に戦闘を展開できたと思う。 ・・・俺は幸運だったのだ。敵は戦いによって傷ついていて、動きが鈍かった。 幾度とない打ち合いの末、コンドルは勝利を諦めたのか、背を向け逃げ出そうとする。 ・・・逃げる気かよ、ふざけるな。「逃がすか!」俺はその背を追いかけ・・・。 いや、違う!待て、そうじゃない。それは今の俺がするべきことじゃない! はっとなって足を止めた・・・そうだ。俺がするべきは、逃げる敵を追い掛け回して殺すことじゃない。 みんなが逃げる為の手伝いをすることだ・・・俺のちからのすべてをかけて、皆を守るんだ。 興奮で真っ白になっていた頭が冷めて行く・・・大丈夫。もう、今の俺はクールだ。 あの傷では、仮に生き延びたとしても・・・もう戦えるような状態まで回復することはあり得まい。 俺は逃げるコンドルに背を向け、ノービスとアーチャーの後を追いかけようと街道へ振り向いた。 が・・・いや、やめとこう。 俺は再び方角を変えて・・・森の奥、冒険者たちが魔物と対峙しているだろう方角へ踏み出す。 さっきの戦いから随分時間が経った。もうあの二人も逃げ延びたことだろう。 それよりも、今も戦い続けている人たちがいるところに行ったほうがいい。 ・・・怪我人も出ているだろうし、俺にも手伝えることがあるはずだ。 33. 俺が街道を奥に向って進んでいると。「おーい」後ろから声が聞こえた。 「良かった、追いついた」一番最初に出会った、女ノービスだった。「無事だったんですね」 「うん、なんとか」俺は頷いた。「俺と入れ替わりに、アーチャーの女の人が行ったはずだけど?」 「彼女なら大丈夫」ノビさんは微笑んだ。「ちゃんと街まで着いて、今は治療を受けてます」 「そう、良かった」「ありがとう、あの人たちを助けてくれて」「いいって」当然のことをしたまでだ。 「それより、あなたも奥へ?」「君も?」なら話は早い。「急ごう」どちらとも無く言い出し、駆け出した。 俺たちが駆けつけた頃には、もう大きな戦闘はあらかた終結しているようだった。 何箇所かで小競り合いはあったが、それもほぼ冒険者の優勢に見える。 「お手伝いにきました!」ノビさんが声を張り上げる。「何をすれば良いでしょうか!?」 「あそこのシーフの治療を頼む」近くのマジシャンが包帯の束を投げ渡してきた。 短く大声で返事をして、シーフの元に駆け寄る。シーフの青年は腕に傷を負っていた。 「あなた、包帯巻ける?」彼女の言葉に「ごめん、俺できない。護衛にまわる」と返し、臨戦態勢をとる。 「お願いします」ノビさんははさみを腰の袋から取り出し、手際よく包帯をシーフさんの腕に巻いていく。 俺は、油断無く周囲の様子を探る。周囲の魔物はほぼ鎮圧されたとはいえ、油断は禁物だ。 ・・いつの間にか、自然にそんな考え方が出来るようになっていた。 俺も少しは冒険者として「らしく」なってきたんだろうか。でも、今はそれを喜ぶ暇も無い。 ふと、向こうで行われている戦闘が気になった・・・あそこで戦っているのは、剣士君か? ・・・そうだ、彼だ。冒険者のパーティに混じって、彼は戦端の一角を押さえている。 割と大きな戦闘だ・・・冒険者側と、魔物側の戦力は、見たところ互角くらいか? いや・・・数の上では敵の方が上だ・・・それに、魔物側の一番後ろには巨大な魔物、ミノタウロスがいる。 大丈夫だろうか・・・。俺は、周囲の警戒を忘れないようにしながら、彼の戦いを見守る。 34. オークウォリアーの斧の一撃を転がってかわし、そのままぴょんと後方に跳躍、距離をとる。 ぶんぶんと素人みたいに乱暴に剣を横に薙ぐ・・・いや、ちがう。けん制だ。 そうして彼がけん制しているオークウォリアーの眉間に、後衛のアーチャーの放つ矢が突き刺さった。 それを横目で確認しながら、上空からの蝙蝠の一撃を転がってかわす・・・かわしざま、盾で叩き落す。 土まみれになりながら立ち上がり、地に落ちた蝙蝠を踏み潰す。 踏み込んできたもう一体のオークウォリアーの斧を剣で受け止める。がっき、と鍔競り合い。 彼は足を上げ、どかっ、とオークを蹴り倒・・・さない。蹴った反動で後ろに飛び・・接地の瞬間、ダッシュ。 ぶすり、と剣を反動によろけていた魔物の腹に突き込む。力の抜けたオークの体に足をかけ、剣を引き抜く。 ・・・と、剣を抜いた瞬間に今度は横ざまに跳躍、すんでのところでゴブリンのメイスの一撃をかわす。 けん制、避け、間合いを取り、けん制し、また避け・・・攻撃の合間にとにかくちょこまかと彼は動く。 地面に無様に転がりながら、けん制を繰り返しながら、攻撃をした後には即座に間合いをとって。 彼は戦う。その姿は・・・まるで猫がじゃれあっているようにさえ見える。 敵の攻撃を避けるために地を転がり、這い蹲り、土にまみれる。 その戦い方を見ているうちに、最初見たときに彼の戦いぶりを 「とても俺のPCとは思えない」という位に強く見えた、その理由の一端が分かった。 彼は・・・敵の攻撃を食らわないのだ。それも、「かわしてる」んじゃない。 かわす以前に、敵の攻撃の間合いにとどまることをしないのだ。 常に距離をとり、攻撃をした後は即座に離れる・・・攻撃を【まともに受けない】為に、とにかく動きまくる。 よく見ると、剣士君の隣で前線に立っている大柄の騎士は、盾と剣とさらには鎧を使って 敵の攻撃を「受け止める」戦い方をしているが、やはり絶対に攻撃をまともに食らわない戦い方をしている。 だから、倒れず、戦い続けられる。興奮に我を忘れることなく、戦える。だから、強い。 そうして彼らが引き止める敵を、後衛の魔術師や弓手が的確に打ち倒していく。 それは、本当に見事な連携で・・・魔物の群れは、少しづつ、少しづつ打ち倒されていき・・・ その少しづつが積み重なって、いつの間にか大勢は決していた。 最後に、ミノタウロスの巨体が大地にどどぉ、と倒れこみ、その轟音が戦いの終わりを周囲に告げた。 35. 「終わったのかな・・・」「終わった、みたいですね」俺の呟きにノービスの女の娘が応える。 「そっちのシーフさんは?」俺の問いに「もう大丈夫だ。ありがとな、二人とも」と、シーフさんが応えた。 「正直、みんなよく戦ったよ」シーフさんは薄く笑う。「即席で、まぁよくここまでまとまったもんだ」 「そうですね」と、ノビさんが微笑む。「ほんとに、よかったです」彼らの笑みにつられて、俺も笑った。 「それより、あそこにいるの・・・あんたの知り合いか?」シーフさんが聞いてきた。 「ええ、まぁ」俺が答えると「なら、早く行ってやりなよ。お疲れー、ってさ」シーフさんは行け行けと手を振る。 「行ってください」ノビさんが言ってくれた。「後は、私に任せて」 「ありがとう」・・・じゃあ、お言葉に甘えて。俺はゆっくりと、戦闘を終了した冒険者のパーティへ歩いていく。 大規模な戦闘を終えた彼らは、周囲への警戒は怠らずにいたが・・・表情は一様に明るかった。 土まみれの剣士君が見える。アーチャーと手を叩き合わせ、ぐりぐりと魔術師に頭を小突かれている。 隣同士で戦っていた騎士の鎧をごつんと叩き、お返しとばかりにチョップを食らう。 そこに商人の女の娘が割って入り、剣士君に話しかける。彼は頭を掻きながら、なにやらしゃべっている。 ・・・戦い終わった冒険者達。一体何をしゃべってるんだろうか? 俺に気がついたのか、剣士君がこっちに向っておーい、と手を振ってきた。俺も手を振り返す。 ・・・俺の剣士君。土まみれでちょい汚いけど・・・なんて言うか、すげぇカッコいいな。 俺に気づいた周りの冒険者たちがこっちに向って手を振ってくる。 な、なんか恥ずかしい・・・でも、嬉しいもんだね、こういうのって。 俺はさらに力を込めてぶんぶんと手を振って彼らに応え・・・殺気を感じて左へ振り向いた。 目の前には、街道の木々が・・・いや、その木々に混じって、一本の木がこちらを【睨んで】いる! 36. う、ウィローか・・?俺はロッドを握り直し、もう一度、木々に隠れた魔物を見逃さないよう目を凝らす。 ・・・見たところ、どの木もただの木にしか見えないが・・・しかし、俺にはわかった。 一本の何の変哲もない木を、いや、魔物を睨みつける・・・普通の木は殺気なんて放たない。 魔物は、もう普通の木を偽ることは諦めたのか、そのウロの奥に隠された邪悪に満ちた目で俺を睨む。 その枝、いや腕がひゅんひゅんと唸りを上げ・・・見る間にヤツの頭上に赤い火が浮かび上がる。 ファイアーボルト?・・・ひ、ひょっとして・・エルダーの方かよ! 俺はすばやく周りを見回した・・・何人かの冒険者達が傷を癒している。 女ノービスさんとシーフさんは・・・まだいる。きょとんとした顔で、こっちを見ている。 パーティの人たち・・・何人かが異変に気づいたらしく、立ち上がってくる。 いや、彼が・・・剣士君が一足速く、こちらに向って駆けてくる。ホント、お前ってヤツは・・・。 でも・・・ごめん、悪いけど間に合わないと思う。・・・なら、俺が取るべき道は一つだ。 左手のガードを投げ捨て、両手でロッドを握り締める。もう半端な防御は必要ない、無駄だ。 ・・・逃げるのは論外。怪我をしている冒険者達にこれ以上負担はかけられない。 踏み出す。エルダーウィロウに向ってまっすぐに、ただひたすら全力で駆ける! ・・・防御も無理。まともに魔法を食らったら、いくら身構えていても耐えられる自信がない。 魔物の頭上に浮かび上がった火が、次第に輪郭を得ていくが、それは敢て無視して突っ走る。 ・・・パーティの支援も、あの距離では期待できない・・・駆けつけてくる頃には俺は消し炭だ。 あとちょいで接触できる、力を込めてロッドを握り直す。間に合ってくれ! ・・・剣士君。ああ、お前さんはいいやつだよ。一番に気づいてくれたモンな。でも、それでも間に合わない。 あと4歩・・・3歩・・・! ・・・なら、俺が何とかするしかない。ヤツをぶっ叩いて詠唱を止めさせてやる、それしかない。 あと2歩・・・必殺の一撃を見舞うべく、ロッドを振り上げたその瞬間。 どふ、と火の矢が俺の胸ど真ん中に突き刺さり・・・衝撃と激痛で目の前が白く、真っ白になっていく・・・。 ああ、ちくしょう。ダメか・・・。 37. ・・・目が覚めると、そこは夕日の赤に染まるプロンテラだった。俺は・・・ベンチに寝かせてもらってるのか。 あたりには、傷ついた人々。それを縫うようにノービスやアコライト、包帯を持った医師が駆け回るのが見える。 「俺は・・・」ゆっくりと起き上がる。・・・胸に痛みとかはない。アレは夢だったんだろうか? 「ごめんな・・・」声が聞こえた。ゆっくりと声の主に振り向く。・・・剣士君が、そこにいた。俯いて。 「ホントに、ごめん・・・」沈んだ彼の声に苦笑しながら、俺は返した。「大丈夫だって・・」 「ちゃんと生きてるし・・・」言葉を続ける事は出来なかった。剣士君がいきなり俺に抱きついて来たのだ。 「うあ、何を・・」引き剥がそうとしたが、出来ない。「・・・泣いてる?」触れた肩を通して、震えが伝わってくる。 「・・・ごめん」か細い声で返事が返ってきた。・・・バカだな。お前さん、ホントバカだよ。 「だいじょぶだって」俺はもういちど言った。ゆっくり肩を叩いてやる。「俺はだいじょぶだとも」 なんとか声を震わすことなく、言うことが出来た。そのまま彼の震えが収まるまで、俺は彼の肩を叩き続けた。 「じゃあ、俺死に掛けてたんだ・・・」「ああ・・・ホント、あの時は心臓が止まりかけたよ・・・。」 あれからどれくらい経ったか、俺は落ち着いた剣士君から俺の戦いの顛末を聞いていた。 ・・・どうやら、俺はやっぱりと言うか、ファイアーボルトをまともに食らって死に掛けていたらしい。 それでも、正面から向っていったおかげで、まともに命中した火の矢は一本だけで、それが俺の命を助けたらしい。 「なんで逃げなかったんだよ?」強い口調で問うてくる剣士君に「周りに怪我人いるのに逃げられないだろ」 と返すと、彼は頭を掻きながら「頼むから、俺の寿命を縮めないでくれよ・・・」と苦笑していた。 プロンテラの広場を何人もの人たちが行き来していく。俺はそれをボーっと眺める。 怪我人を搬送する人、包帯を抱えたノービス、人々を治療してまわるプリースト・・・。 商人の青年はカートから商品であろう薬品を提供し、女シーフは渋々ながら、器用に包帯を巻いていく。 そこに街の人たちから差し入れのパンがやってくる。瞬く間に皿からパンが消え、人々に廻されていく。 「冒険者って、こんな生活を守る為に戦ってるんだな・・・」俺の言葉に「そうさ」剣士君が言った。 「かっこいいな、冒険者」俺が剣士君に笑いかけて見せると、彼は俺を見つめながら 「おまえさんだって、かっこいいさ」そう言って、笑った。 「冒険、さすがにもう行けないね」「だな・・・。悪いな」「いいよ」俺は薄く笑った。 「取り敢えず、ご飯食べに行こうよ」俺の言葉に「そうだな」剣士君は頷いた。 そのあとの「でも、取り敢えず着替えてきていいか?」との彼の言葉に「もちろん」俺は笑って首肯した。 食べに行くのにその土まみれの服はアレだし・・・恋人の働いている店に行くんだったら 真っ赤になってしまった目を休める為の時間も必要だろう。 38. 「いらっしゃい」食堂に入ると、ミーマが笑って俺たちを迎えてくれた。 「ちょっと汚れてるけど、いいかな?」剣士君が少し申し訳なさそうに聞くと、ミーマは彼の全身を眺め 「確かに・・・でも、大丈夫よ」ミーマは笑った。「着替えてこなかったら、追い出してた所でしたけどね?」 その言葉に、俺は苦笑した。なにせ、今の彼の格好と来たら・・・。 だぼだぼの作業用ズボンとジャケットという、よくわからない組み合わせだったのだから。 今日は昨日とは違い、何組かのお客さんが入っていたので、主人は厨房に篭りっきりだ。 「聞いたわよ・・・まったく、無茶するんだから」ミーマがオムレツを運んできてくれた。 もう話がこんなところまで回っているのか・・・。一体誰から彼の戦いぶりを聞いたんだろうか? 俺は「いただきます」とぱちんと手を合わせ、ご馳走に向き合う。 「別に、無茶したわけじゃないよ」剣士君は苦笑していった。「仲間もいたから、勝てるとは思ってたしね。」 「でも無茶よ」ミーマは一蹴する。「プロンテラには、優秀な騎士様たちがいらっしゃるのに」 「まぁ、これも冒険者の仕事だからね」そう笑いながら、ご馳走に向き合い、ぱちんと手を合わせる。 「いただきます」「どうぞ、ごゆっくり」ミーマは笑って、別のテーブルに歩いていった。 ああ・・・やっぱ可愛いなぁ、ミーマ。こんな素敵な娘を恋人にした剣士君を、俺はホントに羨ましく思うよ。 食事を終えて、俺たちが食堂を出たときには、もう夕日は沈み、空は暗くなりかけていた。 ミーマは「今日はたくさんお客さんいるから」と言うことで、剣士君とのデートはなしだ。 「残念だったな」と言ってやると「べ、別に」と顔を真っ赤にして言い、 「今日はお前さんに一日付き合うって決めてたから、いいんだ」と、頭を掻いて言った。 「今日か・・・もうすぐ終わるな・・・」俺の呟きに、剣士君は少し寂しそうに「そうだな・・・」と言った。 そうだ・・・今日が最後、最後なんだ。 「あーあ・・最後にミーマと話がしたかったなぁ!」しんみりとし始めた空気を打ち払えとばかり、俺は叫んだ。 39. 最後の日くらい、一日の終わりまで彼と話をしたかったんだが・・・。 「やべぇ、なんか眠い」部屋に着くなり、俺はへろへろとベッドにもたれかかった。 「今日は大変だったからな・・・」剣士君が苦笑する。「疲れたんだよ。眠いなら、寝れば?」 「それはヤだ」俺は即答した。「今日が最後なんだぞ」恨めしげに剣士君を睨みつける。 「最後、最後って言うな」剣士君が頭を小突いてくる。「別に、今生の別れってことでもないだろ?」 ・・・剣士君、君は知らないんだ。俺は【いなくなる】んだ。もう今日が本当に最後なんだよ。 本当のことを言うべきだろうかと、この3日間に何度も悩んだが・・・結局言えずじまいだった。 きっと彼は俺がどこか遠い所に帰るのだと、いまだにそう思っているんだろう。 遠いが、それでも時間さえかければ歩いて行けるところへ帰るのだ、と。 「今日はいろいろあったな」剣士君がお茶を淹れてきてくれた。「そうだな」俺が返す。 ・・・ホントにいろいろあった。この三日間、いろいろな事があったが・・・今日は極めつけだ。 「お疲れさん」俺が言うと剣士君も笑って「お疲れ」と言う。お茶とお茶で、乾杯をした。 「うまいね」「お褒めに預かり光栄」俺の賛辞に剣士君が応じる。 ホントにこのお茶はうまい。なんというか、俺好みのお茶なのだ。濃くて、お茶の匂いがきつくて。 「ひょっとして、濃いお茶が好きなん?」俺の質問に「そうさ。お茶は濃いに限るよ」剣士君は笑って答える。 「君も、ひょっとして濃いお茶好き?」「ああ、俺も」「気が合うな」にやりと笑って、しばし二人して黙ってお茶をすする。 窓をいっぱいに開けて、ひんやりとした夜風と、そのついでに星と月の白い光を部屋に招きいれる。 「夜のプロンテラも綺麗だなぁ」月の光に照らされ、薄く輝くプロンテラの城。 ふと、下の方に視線を移すと、疲れた顔をした男がドアを叩いている。格好からすると商人だろうか? 程なくしてドアが中から開かれる。出てきた女の人に招かれて、男はドアの中へ入っていった。 「いい街だねぇ」俺が呟くと「当然だろ?」剣士君が胸を張って言う。「俺の住む街なんだからさ」 40. やばい・・・。もう、そろそろ本格的に眠くなってきた・・・。気を抜くとふと眠ってしまいそうになり、必死に立て直す。 「無理するな。もう、今日は寝ろ」「やだ!・・・寝てたまるか」今日が、最後なんだ・・・こんなことで終わらせてたまるか! 「ばか」ぽかりと軽く頭を叩かれる。「無理は身体に良くないぞ」分かってる・・・これが餓鬼みたいな我儘だって事は。 でも、これが最後なんだ・・・。俺は、もっと、お前さんと話がしたい。聞きたい事だってまだいっぱいあるんだ・・・。 しかし、まるで強い風邪薬を飲んだ後のような強烈な眠気が、抑えても抑えてもこみ上げてくる。 「ああ・・・ちくしょう、悔しいなぁ」俺の呟きに「わかんないなぁ・・何が悔しいんだ?」剣士君が苦笑する。 ゆっくりと彼が俺の肩を支えて、ベッドまで運んでいく。そのまま有無を言わさず、横にさせられてしまった。 「もういいから寝ろ」少し怒ったように彼が言う。「無茶して体壊すのは、冒険者失格だぞ」 頼むよ・・・あとちょっとしかないんだ・・・あと少しでいいから、持ってくれよ俺! ・・・いや、ダメだ。どれほど力を込めても、到底眠気には勝てない。諦めよう・・・諦めて寝よう。 でも、最後に一つ、どうしても聞きたいことがあるんだ。 「な、なぁ・・・。一つ、聞きたいことが、あるんだ・・・」俺の言葉に「なんだ?」と剣士君が聞き返してきた。 「あ、あのな・・・」・・・どうもダメだ。言葉にしようとすると、恥ずかしくてうまく言葉が出てこない。 「どうした?」剣士君が苦笑しながら聞いてくる。・・・その顔を見ていると次第に気持ちが落ち着いてきた。 うん、大丈夫だ・・・今なら聞ける。 「お前さんさ、今・・・幸せか?」ヘンな質問か?でも、それは俺がここに来て、ずっと気にしていた事なんだ。 俺の問いに、彼は「うん?」と一瞬不思議そうな顔をし、頭を掻いてなにやら考える仕草をしていたが・・・ やがて、真顔になって、まっすぐに俺を見て、はっきりと言った。 「ああ、俺は今、毎日幸せにやれてるよ。・・・まぁ、それなりに、だけどな?」そう言って微笑む。 「そうか・・・」最後に、それが聞けて良かった。あんたの笑う顔も見れて・・・良かった。 意識が薄くなっていく。目の前が次第に暗くなっていく・・・もう、限界だろう。 「君は、どうなの?」剣士君が言った。・・・ごめん、流石に今は答えられそうにないや・・・。 「じゃあ、おやすみ・・・」俺は眠りに落ちていく・・・。さよなら、剣士君。「ありがと・・・」 意識がぷっつり落ちる直前、彼の声が聞こえたような気がした。 「おやすみ」 41. 「・・・んぅ?」ゆっくりと体を起こす。体が重い、力が入らない・・・ごきごきと音を立てて身体を伸ばす。 肩が妙に突っかかる、背広が邪魔だ。俺は伸びを止めて背広を脱いだ。 ぽん、とふとんの脇に投げ落とす。・・・ふとん?違和感に頭が回転し始める。俺は周囲を見回した。 コンクリートの壁、頭の上にあるのは蛍光灯。枕の向こうでブーンを小さい起動音を漏らす、俺のパソコン。 ・・・そうか、帰ってきたのか。そりゃそうだな。チケットが切れたんだから。うん・・・大丈夫、わかっていたから。 幸いにも、背広はぼろぼろでも、胸に穴が開いていたりもしない。・・・着て寝てしまったからしわだらけだが。 同じく、身体にも怪我は残っていないし、ロッドや、レザージャケットなどの装備もない・・・向こうの痕跡は、何もなかった。 残っていたのは・・・胸ポケットに入っていた、文字を読み取れない、4枚つづりの黒こげた紙片のみ。 それも手に持った途端にぽろぽろと崩れて、すぐに灰の塊みたいになってしまった。 まず確認したのはポケットの携帯。時間は・・・4時12分。早すぎる、が、この画面では時間しかわからない。 向こうに3日いたのだから・・・日にちを確認する必要がある。 携帯を操作し――幸い、携帯も壊れていなかった――日にちを表示させる。 「うげぇ」思わず呻いた。あの日から2日経っている・・・つまり、まる一日仕事休んだことになるのか。 「ヤバイヤバイヤバイ!」俺はパソコンに飛びついた。ディスプレイを点ける。ぼんやりと画面が浮かぶ。 本当なら3日いたわけだから、1日しか経っていないのは幸運ですらあるが、今はそれどころではない。 スクリーンセイバーを消すためにカシャカシャとマウスを動かしているうちに、画面がはっきりと映った。 速攻でメーラーの「仕事」のフォルダを確認する。・・・新着7通。あれ?・・・妙に少ない。 無断欠勤だったらそれこそ一時間毎にメールを送ってきたっておかしくない性格なのだ・・・俺の今の上司は。 不審に思いながらフォルダを開く。ひょっとして・・・首になったか?まさか・・・。 しかし、確認してみると、どうやら状況は俺が思ってるのとは全く違っていた。 どうやら、同僚が気を利かせて俺を「病欠」にしてくれたらしい。 上司からの「明日必要書類提出の事」のメール以外は、みんな同僚からのメールだった。 【サボりか?】【くたばったか?】【俺が気を利かせてやったおかげだぞ、なんか奢れよ】等々・・・。 俺は一通りメールに目を通したあと、簡単に返信メールを作成する。 上司へは、病欠の侘びと、出社次第書類作製する旨を。 同僚へは、感謝の言葉を。次回の休みの前日に、親愛なる皆様を食事にご招待する旨を添えて。 【我が親愛なる仲間達へ】と、ちょっと気障なタイトルをつけて。 42. 一通りメールを送信し終えて、俺はパソコンに表示されている時計を見た。・・・まだ4時半か・・・。 寝直そうかな・・・?そう思いながらメーラーを閉じる。デスクトップ画面が映る。 「・・・あ」デスクトップ画面にある、一つのアイコン。【ラグナロクオンライン】 俺は思わずそれをダブルクリックしてしまった。バッチクライアントが走る。 バッチのダウンロード完了。やれやれ、間違えちまった。終わらそう・・・ そう思っていたんだが、気づいたときには「ゲーム開始」ボタンを押してしまっていた。 ログイン画面に遷移、BGMが流れてきた。・・・ここまで来たら止めるのもなんか忍びない。 「仕方ないな」俺はIDとパスワードを打ち込んだ。しばらく打ってなかったが、身体は覚えているものだ。 1発で認証をクリア。「俺は本来この分のチケットは使っちまったはずなんだけどな」 ログインサーバを選択。こんな時間でも千人単位で人がいるのは驚きだ。そしてキャラセレ画面に遷移。 ・・・といっても、俺にはこいつしかいない。一番左の、ゴーグルを装備した剣士を選択、Enterキー。 「そろそろ一度パスワード変えるか」伸びるバーとパーセンテージを眺めながらそんなことを考えた。 俺が・・・いや、俺の剣士が降り立ったのは、プロンテラ西の木陰だった。 そうか・・・そう言えば、俺の拠点はこことプロ南だったっけな。久しぶりですっかり忘れていた。 のんびりとプロ西を散策する。普段誰かしらが溜まり場にしているカプラさんの前も、この時間は AFKの露店商人くらいしかいない。流れないログ。 深夜の特別料金なのか、赤ポが安価で売られていたため、ちょっと奮発して多めに買い込み、カプラさんに預けた。 そうだな・・・プロンテラの中でも歩いてみるか。 43. さすが首都プロンテラ。朝とはいえ人が多い・・・AFKばっかりだけど。 取り敢えずプロ南へ抜けるために中央の大通りを通る事にしたんだが・・・軽い。 「うはぁ・・・」いや、冗談でなく、すいすい通れるのだ。そういえば、プロに入るときのロード時間も短かったし。 これが早朝ROかぁ・・・初めてやったが、これはこれでまた違った趣があるな。 これはもう一つ驚いた事なんだが、こんな時間でも歩いてる人がいる、しゃべってる人がいる。 こんな時間に俺以外にもログインしている人がいるんだ・・・。 俺はゆっくりと、普段とはまた違った一面を見せるプロンテラを存分に楽しみながら、プロ南に向った。 一瞬だけど、不謹慎なことを考えてしまった。 「ここで枝テロしたら、みんななすすべも無く全滅だろうなぁ・・・」確かに、しゃれにならないだろうな。 わかってるって・・・当然、俺はそんな事はしないとも。 プロ南。 ここも人が多い・・・やっぱりAFKの人が大多数だけど。 でも、起きてる人の比率はプロンテラの中より多い。 流石に、臨公の募集はないな・・・あったら参加しても良かったんだが。 「ちょっと休憩するかな」俺は剣士を座らせた。 44. ゆったりしたフィールドのBGMが流れる、プロンテラ南フィールド。 ともすればこのまま寝てしまいそうだが・・・そうなったら無断欠勤が2日になっちまう。 俺は席を立ち、珈琲を入れた。砂糖を多めにいれ、お湯を入れ、さじでかき回してから牛乳を入れる。 ぐるぐると黒と白の渦巻きが発生し、やがて濃い茶色に収まった。 そういえば、珈琲を飲むのも随分久しぶりの事に思える。 画面をボーっと眺めているうち、急にやりきれなくなって、ホイールを廻し、画面をズームさせる。 俺のPCが大きく画面に映し出される。ゴーグルを頭に装備した、剣士の姿が。 「なぁ・・・」この、画面の向こうにいるキャラは、本当に俺の剣士なのか? 同じ髪型のゴーグル剣士の中に紛れてしまえば区別がつかなくなっちまうような、 こんな無個性で、じっと固まってるだけのヤツが、あの・・・剣士君なのか? 「なぁ」いくら問いかけても、剣士は答えない。ただ座り込んで、彼にとっての正面をただただ向いているだけだ。 「答えろよ」頼む・・・。「おい」何か、一言でもいい。「答えろよ!」頼むから、何か言ってくれ・・・頼むから。 剣士は答えなかった。 ・・・当然だ。これはゲームで、この剣士はあくまで俺のプレイヤーキャラクターでしかないんだ。 プレイヤーキャラクターは、プレイヤーの操作のまま動くだけだ。 それしか出来ないし、それしかするべきではない。 プレイヤーキャラクターが勝手に動いたりしたら、プレイヤーはまともにゲームができない。 そうとも、これが普通なんだ。これが、剣士君のあるべき姿なんだ。これでいいんだ。 もう彼は、俺に話しかけてきたりはしない。もう彼は、俺の言葉に言葉を返してきたりはしない。 でも、これが正しい姿なのだ。 俺は泣いた。 45. しばらく時間が経って、ようやく俺はある程度の落ち着きを取り戻した。 珈琲を飲み干して、俺はキーボードに向き直った。 ・・・例え、俺の言葉に返事を返してくれる事が無くとも。 少なくとも、俺から彼に、メッセージを伝えることはできる・・・はずだ。 ・・・一呼吸置いて、俺はキーボードに指を走らせた。 【俺は、幸せだとも】 【・・・今は、意地でそう言ってるだけだけどな】 【でも、いつか、いつかきっと】 【お前さんみたいに、心から「幸せだ」と、笑ってそう言えるように】 【俺は俺なりに、頑張ってみる】 俺の打ち込むメッセージを、剣士がオープンで発言する。 端から見ればヘンな独り言に見えるかもしれない。 しかし、これは俺から彼に送るメッセージだ。・・・きっと、届いてくれたろう、そう思いたい。 「じゃあな」最後に口で言って、俺はEscボタンを押した。 表示されたメニューから、終了のボタンを押す・・・ROのウインドウがクローズした。 画面が消える、その最後まで、彼は動く事はなかった。・・・それでいいのだ。 俺と彼の世界は違う・・・しかし、俺と彼は、共に生きているのだ。 根拠も無い、証拠も無い、ただの妄想かもしれない、だが・・・俺はそれを信じることができる。 今はそれで充分だ。 6時になっていた。 「さて、ちょっと早いけど」始発電車は出ている頃だ。 多分会社は開いてるだろうから・・・「行くか」昨日の遅れを取り戻さねばなるまい。 遅れを取り戻して、そして・・・。「絶対に、来週は休みを取るぞ」俺は胸を張った。 俺は、俺の仕事を成し遂げよう・・・それも、彼に約束した【頑張り】の内に入るだろうから。 「さて、行くか」俺は支度を完了し、家のドアを開いた。・・・おっと、今日はちゃんと電気を消していこう。 あ、そうだ・・・手帳に一行、メモをしとこう。 【webマネー買うぞ!】・・・いつか来る、次の冒険の日のために。 完