冷たい石畳の感触に目をあけると、そこは見知らぬ世界だった。 いや、正確に言おう。 見知ってたはいたが現実にはありえない世界だった。 まさかな、と頭を振る。 だが気持ち悪くなっただけで、事態はなにも変わらなかった。 いや、寧ろ気持ち悪くなった分悪化したかも知れない。 OK,おちつけ。 取り敢えず状況確認だ。 と、自分の恰好を見下ろすと紫のスリットワンピース、ガーターちらみえ。 さらに言えば、絶対しないと心に決めた十字架のネックレス…。 あぁどうやら確定だ。 ラグナロクの世界に何故だかはいりこんでしまったらしい。 ということはここはギルドの溜まり場か。 どうりで見覚えがあるはずだ。 まぁそんなことはどうでも良い。 朝起きたならお茶だ、お茶。 今日の朝は何を飲もう…。 菊花茶、獅峰龍井茶、黄金桂…。 そこまで思ってふと気付く。 ここってお茶あったっけ? 食べ物ならば林檎なりなんなりある。 飲み物もブドウジュースを筆頭にジュースならば、ある。 だが、お茶はないのではないか? 慌てて情報サイトを確認しようとしたが、ゲームの中にいては無理である。 溜まり場にもギルドにも誰もログインしていない。 「くそぅ、この過疎ギルドめっ」 小さく呟き、仕方なく街にでる。 こうなったら街で聞きまくるしかない。 「あの、すみません。お尋ねしたいんですが」 通りすがりの逆毛騎士に訊ねる。 「wwwwwwwwwっうはwwwwwwww」 返ってきた返事は逆毛語。 どうやって発音してるのか疑問である。 訊ねてみようか…。 いや、まて。 ここは一つ、リアル逆毛語キターと言うべきか? いやいや、落ちつけ。 お茶とはなんの関係もない。 よし、あれだ。 逆毛語は無視だ。 「お茶のみたいんですけど」 「wwwwwwっうはwwwwwwwwナンパwwwwwwwwきたwwwwwww」 こらえろ。 疑問に思うな。 「ROの世界にお茶ってありましたっけ?」 「wwwっうはwwwwwwwwそんなwwwwアイテムwwwwwwwwしらねぇえええええええwwwwwwwっうはwwwwwwww!!!!!!!!!!!!!!111!!」 「そうですか、ありがとうございました。」 「wwwwwwwww」 それだけ言うと逆毛騎士は去っていった。 まぁ情報はもらえたし、逆毛語の謎は後回しだ。 というかそんなことには関っていられない。 お茶がないということは、お茶が飲めないということで、つまりは人生の危機である。 人生の危機の時に逆毛語なんかに関れる人なぞいないだろう。 でもちょっと気になるのは秘密だ。 まぁそんなことよりも今はお茶だ。 お茶…お茶…。 そういえばハーブティーってあれもお茶だし、緑ポーションとか緑茶っぽくないか? よし、倉庫に確か各種ポーションがあったはず。 試してみよう。 さっそく、カプラさんに頼んで倉庫をあけてもらう。 棚ごとに整頓されているなかから、ポーションを取り出す。 緑、青、白、赤、紅、黄。 各一本ずつ手に取り、丁寧に鞄にしまって行く。 これでお茶にありつけるかもしれない。 そう考えるとぞくぞくしてきた。 「カプラさんありがとー」 カプラさんにお礼をいい、早足で溜まり場に戻る。 お茶だー、お茶だー。 らららー、と踊っているとふいにどんっとなにかにぶつかった。 「ごめんなさい」 反射的に頭をさげると上から明るい声がふってきた。 「ウリ、こんにちはー」 顔をあげるとそこにいたのはギルメンの森さんだった。 「森さんおはよー」 「ウリ前見て歩かないと危ないよ」 「森さんそんなことより重大な相談がっ」 「おう?」 「ROの世界にとりこまれたらしいんだ」 「は?」 「で、それはどうでもいいんだがお茶が手に入らないんだ」 「まぁROにはそんなアイテムないしねぇ」 「で、思った。ポーション類はお茶代わりにならないか?」 「…どれが重要な相談?」 「ポーションがお茶になるかどうかが重要な相談だ」 「なぁ…取り敢えずいろいろおいとくとして、俺は嫌だ」 「何が?」 「緊急時に飲んでる白ポーションがお茶だなんて嫌だっ!せめて栄養ドリンクにしてくれっ!」 確かにそれはなんとなく嫌だが、でもここで森さんの主張を聞いてしまうとお茶が飲めなくなってしまう…。 私のお茶がっ! 許すまじっ! 「森さんっ。森さんが嫌だというのもわからなくはない。しかし、じゃぁお茶という概念がROにはなくなるじゃないか!ポーションが実はお茶だったとか素敵だと思わないのか!そもそもお茶が飲めるかどうかは死活問題なんだっ!」 「じゃぁウリはポーションをお茶だと思って飲みなよ」 森さんにあっさりとそう返された。 尤もだ。 そもそもポーションをまだ試してはいない。 「じゃぁ緑ポーション飲んでみるね」 「うん、どうぞ」 ポーションの蓋をとる。 硝子のビンに入ったそれは冷たい緑茶を連想させた。 思わずつばをのみこむ。 こくっと一口飲んで私は…噴き出した。 「うわっ、きたなっ!」 噴き出したものは、綺麗な弧を描いて森さんに直撃していた。 しかしそれどころではない。 「お茶じゃなかった…」 「じゃぁなんなんだ!?ってかまず謝らないか!?」 森さんからつっこまれたけども聞こえないふりをした。 「抹茶ミルクだった…」 「はぁ?」 「私はミルクが嫌いなんだー!」 「知るかっ!」 「森さんのあほー!」 残っていた緑ポーションを投げつけ、その場を走り去る。 行くあてなんてない。 だからか。 自然と足はそこに向っていた。 ゲフェンの路地裏。 リアルで嫌なことがあったらキャラをそこに置いてぼーっとしていた場所。 辿りつきしゃがみこむ。 涙がとまらない。 泣きすぎで頭がガンガンする。 「帰りたいよぉ」 思わず声がでた。 これは私の本音なのだろうか。 否、そこまで女々しくないはずだ。 これはお茶が飲めない為である。 絶対そうだ。 お茶が飲みたいから帰りたいのである。 「見つけた」 泣いている私の上に明るい声が降ってきた。 見上げると森さんがそこにいた。 「怒ってないから、お茶が欲しいなら一緒に探そう。だから泣くな」 そう言って森さんは手を伸ばし、私の頭をくしゃくしゃになでていく。 「うっ…」 そんな事されたら余計に泣けてくるからやめろ。 そう言いかけたがやめた。 森さんの手は暖かかったから。 森さんに洗いざらい全部話してみた。 前後が逆になったり要領を得なかったりしたが、それでも森さんは黙って話を聞いててくれた。 全部の話しを聞き終わった後、森さんはポツリと言った。 「なぁ?リアル思い出せる?」 「え?」 「お茶好きでリアル女子で、えっと…」 そこから先がどうしても思い出せない。 「あーうん、可愛いかったよ」 べしっ。 思い出せなかったので適当に答えたら森さんにチョップされた。 「俺、おまえのリアル彼氏なんだけども覚えてないのか?」 「下半身直結厨か!?」 もしそうならば私の貞操の危機である。 げしっ。 今度は蹴りをくらった。 痛い。 「いや、ごめん…。覚えてない」 そう言うと森さんは軽くため息をついて言った。 「今からおまえんちに行くわ」 「えぇ!?」 「どういう事になってるんだか分からんからリアルのおまえがどうなってるのか確かめよう」 「いやいや、こられても…。私はここにいるんだし…」 「確かめる」 そういうと森さんはログアウトしたのだろう。 目の前からいなくなった。 「ったく…新手の気の惹き方か?」 森さんこと新田ユウは上着を羽織りながら誰にともなく愚痴った。 彼女であるウリこと安田絵里はかなりの甘えたである。 というよりは寧ろユウに依存して生きていると言った方が正確であろう。 それがROを始めてからは随分収まっていたのでユウも安心していたのだが…。 「はぁめんどくせぇ…」 片手に鍵を持って家を出る。 絵里の家までここからバイクで10分。 ユウはヘルメットを被り、バイクにまたがった。 森さんが行ってしまった。 なんなんだろう、この喪失感は。 良く分からない。 私にはお茶とROがあればそれで良いはず。 ほら、あんまり熱心だと森さんが困るじゃない? あれ?森さんがなんで困るんだ? 熱心って私はROとお茶にしか興味ないはずだし。 そもそも森さんって唯のギルメンじゃないか。 そうそう。 お茶だ、お茶を探しにいかなきゃ。 ROにはいられるんだもん。 あとはお茶だよね。 お茶探しにいかなきゃ。 「絵里、入るぞ」 鍵を差込み、ドアノブを回す。 きぃっと音がした。 お茶の匂いが漂う。 「?」 絵里はかなりのお茶マニアである。 しかし、お茶の匂いが漂うなんてことはありえない。 お茶は湿気を嫌う為、密封するのが正しい保存方法である。 故にありえない。 「おい。絵里?」 なんとなく不安にかられ、絵里の名を呼ぶ。 しかし返事はない。 「おぃ!いるんだろう!」 荒荒しく叫び、室内に足を踏み入れると誰もいなかった。 お茶の匂いはキッチンからしていた。 大量の茶葉が収まり切らずにゴミ箱からあふれていた。 「絵里どこだよ?隠れてるんだろう?」 そう叫ぶユウの目に、明かりがうっすら見えた。 キッチンと部屋を分けるドア越しに浮ぶ、パソコン独特の明かり。 「あぁ絵里いたんならいえよ」 安堵してユウはドアを開ける。 そこには誰もいなかった。