走る。 走る、走る。 息が苦しい、そういえば、最近は運動なんてまるっきりしてなかった。 何故走っているのか、元はといえば時を遡ること30分前。 「…ふぅ。」 少し休憩しよう。 トマの宿屋を出てすぐ、私はフェイヨンを発った。 それからもうまる一日になるだろうか、空に浮かぶ茜色の夕日が沈むのも時間の問題だろう。 担いでいた皮袋を下ろし、適当な丸太の上に腰掛ける。 皮袋の中身は、携帯食、水、ナイフと毛布、あとは少しの包帯だった。 幸い、ここは森の中、火を付ける事はできた。 が、あまりにも時間と労力を費やすため、よほどのことがない限り起こさないだろう。 ここの世界に季節が存在するかどうかはわからないが、夜でも冷えることもなかった。 「……クイナ…シュラ。」 未知の世界、そこに一人、私は放り出された。 それでもなんとかやっていけたのは、外でもない、いつも私を支えてくれていた人がいたからだ。 その人達はもう、私の周りにはいない、たった1、2ヶ月、時間にすればそれくらい、だが、私にとっては掛け替えのない時間だった。 この短い時間で私は、全てを失い、全てを得り、そして失った。 (……!!) 薄っすらと暗んで来た草木の中、不気味なほどに赤く、深く光る二つの点を偶然にも発見した。 草むらの中からこちらを窺っているようだ、視線の先には皮袋、餌の匂いを嗅ぎ付けたか。 「………っ。」 額から汗が滴る。 不味い、あれは尋常ではない、フェイヨンでの事件で青い骸骨に感じたものとは比べ物にならない。 いるだけで圧倒されそうになるプレッシャーのような、これが殺気というものだろうか、二つの赤い点から感じるそれは、痛いくらいに全身に突き刺さる。 逃げなければ、しかし、袋は置いてはいけない。 置いていけば多少の時間を稼げるだろう、しかし、ここで袋を失えばどちらにせよ結果的に私を待つものは死。 そもそも、置いていったところで私が狙われなくなる保障はどこにもない、あの殺気の前ではそんな都合の良い考えは起き得なかった。 一瞬で袋を掴み、逆方向へ走る。これをできるか。 向こうもこちらの出方を窺っているのか、お互い見つめあったまま何ともいえない間が生じる。 永遠とも思える長い沈黙、実際には一分もなかっただろう。 その時、突風が吹いた。落ち葉や枯れ葉が巻き起こり、光点と私の間に吹き荒れる。 今しかない! 私は右手で袋を鷲掴みにすると同時に体を反転させ、脇目も振らずに全力で駆け出した。 撒けるか!?いや、撒けない時は死ぬ時だ。 全力で走る、後ろの方から草を掻き分ける音が聞こえる。 振り向く事はできない、振り向いてはいられない。 走る。 走る、走る。 息が苦しい、そういえば、最近は運動なんてまるっきりしてなかった。 こんな時にこんなどうでもいい事を思い出す。 いや、こんな事でも考えてなければ気がどうにかなりそうだ。 振り向いた瞬間に目の前にアレがいるかもしれない。 いや、もう既にすぐ後ろにいるかも。 あぁ、あと一秒もしない内に私は食われているだろう。 それでも、それでも私は!! 生きたい。死ぬのは怖い。そうだ、死ぬのは嫌だ! だから走る。 限界なんてとっくに過ぎている。 これだけ長い間、全力疾走をしていれば当たり前だ。 膝も、笑って…き───── 「…あ。」 足先に何か硬いものに引っかかった。 足がもつれて派手につんのめる。 倒れたまま上半身を両手をついて起こす。 たまらなくなって後ろを振り向いた。 「…っ!!」 がさがさと音を立てながら凄いスピードで近付いてきたそれは、4、5メートル先まで近付くと、 一瞬の「溜め」の後飛び掛って来た。 ああ、これで死ぬんだな。 そう思った。 だからその時は何が起こったか理解できなかった。 物凄い速度で飛び込んできた赤い点、それを上回る速度で「何か」が横切っていった。 勢いが止まることがなかった赤い目の生き物───よく見ると狐のような、尻尾がやたらとある化け物。 は、私の目の前で着地したかと思うと、血を盛大に噴出しながら綺麗に二つに別れた。 「な…。」 横切った何か、それの通った方向を向く。 高ささは大柄な男性程、禿げた頭に白い服を着ていた。 ぱっと見、痩せている長身の男、ただ、そいつには人間であるべき要素が欠落していた。 骸骨。 「それ」の顔は人間のものではなく、かつて人間だったもの。 やがて頭はこちらを向き、人間でいう所の目の部分のくぼみの奥、そこから出る光が一層輝いた。 ふ、という音と共に骸骨の姿は「ぶれ」て歪み、いつの間にか目の前にいた。 手に持っていた、「何か」で、私の首、目掛けて── 一筋の不可視の閃光が私の首筋に流れてきた。