朝、シュラの呼び声で目覚めた。 どうやら疲れが溜まっていたようだ、ここ数日まともに寝ていなかったからだろう。 「ほら、早く支度をしろ。」 彼に急かされて支度を手早く済ます。 一階に下りると既にトマは朝食を運んでいた。 「ショウか、おはよう、今日の飯は腕によりをかけたからせいぜい味わってくれ。」 「そうそう、しばらく食えなくなるんだからな。」 意味深な含み笑いを漏らすシュラだがいかんせん寝起きで頭が動かない。 「? …あぁ、いただきます。」 「ほれ、コーヒー、熱いから注意しろよ。」 「すまない。」 一口啜る、うん、美味い。 基本的に私はブラックだ。コーヒーそのものの風味が楽しめるというのが大きい。 と、目の前でどぼどぼと角砂糖を入れているシュラの姿を眺める。 「ん、なんだ?」 目が合った。 「いや、よくそんなもん飲めるな。」 「へぇ〜お前こそよくそんなの飲めるな、苦いだけじゃねぇか。」 そう言ってこれでもかとミルクを流し始める。全く、お子様だな。 「ふ。」 「んだよ。」 「いや、あ、トマ、コーヒーはまだあるだろうか。」 「ああ、厨房にあるぞ。どれ。」 「あぁいい、自分で入れてくる。」 変わらぬ風景、ともすれば数日前に戻ってきたのではないかと錯覚させられる。 このまま私は露店を開き、シュラは狩りに出かける。そんな毎日。 しかし、シュラの一言でこれが現実だと改めて実感させられた。 「さて、いくか。ショウ。」 目を閉じ、最後に一回だけ、深呼吸をした。これが、最後の、これまでの自分との別れ。 「………ああ。」 もう二度と元の生活には戻れない。そしてその道を選んだのは私自身だ。 元の生活という言葉でふと、こちらが違う世界だということを思い出して、心の中で苦笑した。 シュラに連れてこられた先はフェイヨンの森の中、よく覚えていないが私が村を出て行った時とは違う方角のようだ。 「さて、ここらでいいか。」 ふむ、村から随分離れたがここで何かをするらしい。 「ショウ。」 「ん?」 「剣を習いたい、だったな。」 「ああ…剣というよりはとにかく力が欲しい、別段剣に拘っているわけではない。」 「そうか。」 そう言ってシュラは担いできた大きな袋を漁り始める。 やがて、何やら短剣のような物を出すとそれを手渡してきた。 「いいか、約束通りこれからお前に冒険者としての訓練をしてやる。 が、はっきり言って今のお前の身体能力は平均以下だ。基礎すらできていない。」 「そこでだ、お前にはこれから一ヶ月ここで生活してもらう。」 ……… 「…今、何と?」 「ここで、一ヶ月間生きろ、その短剣だけでな。」 「この森の中でか。」 「そうだ。」 無茶な、この森の恐ろしさは私は知っている、それに、文明の利器を全く頼らずに生きるすべを私は知らない。 「大丈夫だ、ここらへんのモンスターは比較的穏やかな性格をしている、危害を加えない限りはあっちから攻撃してくる事はない。 それに、フェイヨン出身の冒険者は全員この道を通ってるんだ。お前でも十分できるさ。」 「ふ…む。」 いまいち釈然としなかったが、鍛えてくれと言ったのは私だ、彼は彼なりで考えがあるのだろう。 「いいか、これだけ渡しておく。」 渡されたのは巻物のように巻かれた一枚の紙だった。 「これは?」 「それはまぁ、お守りみたいなもんだ。この一ヶ月、どうしよもなく困った時に読め、いいか、それまでは絶対に使うな。」 「?…あぁ。」 「うし、じゃあ俺は帰るが、安心しろ、丁度一ヶ月経ったら迎えに来る。」 「!?   …ああ、生き延びてやるさ。」 (必ず) そう心の中で付け足す。 大丈夫だ、一ヶ月生きる事だけを考えよう。なに、生きるだけならなんとでもなる。 「そうそう。」 そう言ってシュラが振り返る。 「あまり遠くに行くと色々といるから命の保障はできんぞ、まぁ死んだら骨は拾ってやるから安心しろ。」 え… それだけ言うと彼は元来た道を戻って行き、やがて見えなくなった。 「さて、と。」 まだ日は高い、今のうちにできる事をしておかないと。 まずは…火の確保だな。 いくらなんでも一ヶ月間火もなしに過ごすわけにもいかない。 さて、、どうしたものか。 今の私にあるもの。 鞘にダガーと刻まれた短剣、一枚の紙、それだけだ。 止め具を外し、鞘から短剣を抜く、刃は20センチ程だろうか、ずっしりとまではいかなくても中々に重量感はある。 次に紙、巻いてある為内側の字は読めない。読んでおきたいところだが、ここはシュラの言いつけを守ることにする。 「ふむ。」 昔、サバイバルの教室みたいなのをテレビでやっていたのを思い出す。 そういえば彼等はナイフ一本あればとりあえずどうにもなると言っていた気がする。 「火…か。」 道具を使わずに火を起こすとなるとやはりアレだろうか、本やテレビでしか見たことのないが、たしか、錐揉み法…だったか。 棒を木の板の上で摩擦させ火を起こす…あのようにできるのだろうか。 物は試し、適当な大きさの枝を拾い、そのへんに倒れていた丸太にあてがってみる。 これを両手で挟んで、と。 シュッシュ。 「ん…。」 シュッシュッシュッシュ。 シュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッシュ。 「……………これは・・・無理だ。」 息があがるほど真剣になってやってみたが、火どころか煙も出てこない。 棒が滑ってうまく擦れないのだ、うまく擦れても全く火が点く気配も出てこない有様だ。 …古人は偉大だ、こんな事を毎日やっていたのか。 文明を除かれた現代人の脆さを呪う。 とにかく、火は少し後回しにすることにした。 となると、水か。 これも聞いた事がある、食物はともかく、水がないと人間は三日と持たないそうだ。 水… 周りを見渡す、見渡す限りの森、森、森。とてもではないが水などは期待できそうにない。 そうなると…湖か。 よくも知らない森の中を不用意に歩きまわることは危険だ。適当な木でも登って見てみようか。 少し歩き、丁度いい高さでかつ、枝の豊富ながっちりとした木を見つけた。 それにややぎこちなくよじ登ると辺りを見下ろしてみる。 「…………あれか。」 何やら湖のようなものを発見した。よく見るとかなりの大きさのようだ、向こう側が見えない。 木を降り、湖の見えた方角へ向かう、降りる時に足を踏み外して落ちたことはあえて言うまい。 「おぉ…。」 思わず感嘆の声を漏らさずにはいられなかった。 湖は思っていた通りに広大で、それでいて太陽の光が湖全体に反射して美しい景色を創り出していた。 湖に近寄り、覗き込む。 水は澄んでいて、ともすれば底まで見えるのではないかと思う程であった。 手で皿を作り、掬う。一口啜ってみたが別段おかしなところはない、むしろ澄んでいてとても美味い。 水はこれで確保できたことになるだろうか、問題は水を飲む度にここに来なければいけないことだが… 太陽はさらに高く昇り、大地を照らす。 少し腹が減っているのを感じた。 これから一ヶ月、よもや何も食わずに過ごすわけにもいかないだろう。 「さて…。」 実は言うとこの湖に辿り着くまでに、先程シュラの言っていた穏やかな性格のモンスター(と言うにはあまりにもかわいらしいが) を何匹か見ている、以前、クイナが作ってくれたサンドイッチの具でルナティックと聞いた事があるが、どうやらそれらしい者もいた。 元来た道を辿って行く。 ……いた。 ピンク色のスライムのような生物、あれはたしか、ポリン…と言ったか。 人間の頭大の体に不釣合いな大きな目、人形になるほど人気があり、愛くるしさも定評がある。 ────────────────────やるか? 持っているダガーをぐっと握り直す。 今、目の前のあいつを倒さねばならない理由はないのかもしれない、むしろ無駄な体力の消費は避けるべきだ、しかし、聞いた事がある。 ポリンは空き瓶や林檎をよく落す。これから一ヶ月生きて行く上でそれらが非常に有用なのは言うまでもない。 鼓動のリズムが次第に早くなっていく、これから目の前の生き物を殺す、私が、この短剣で。 平和な現代日本、刃物を持つことも禁止されている環境で生まれ、育った私は俗に言う平和ボケしていたのかもしれない。 生きている者を殺し、糧とする。当たり前のこと、現代の日本でも普段私達が接する機会がないだけでそれは常日頃から繰り返されてきた。 そんな当たり前のことさえ、忘れていた。そのおかげでこの歳になっても生き物を殺すことはなかった。 それはそうだ、私の育った環境では「殺す」という行為自体が悪と見なされる。 だがここは違う、殺らなければ殺られる、故に殺らねばならない。明らかに私が住んでいた世界とは異質のものなのだ。 やるしか…ないな。 覚悟はとっくにすんだはずだ、この道を選んだ時から、こういうことになるのは目に見えていた。 ならばもう考えるのはなしだ。そう、私が生きるために… 「死んでもらう。」 ダガーを鞘から抜くと同時に草陰から飛び出し、一気に間合いを詰める。 敵は私の膝までもない、腰を屈め、握り締めたダガーを力を込めて下方に突き出す。 剣先はポリンの眉間に突き刺さり、破裂した。 「うわっ。」 破裂したポリンの破片が四方に拡散し、私にも飛び散ってきた。 驚いて足を引っ掛けて後ろに尻餅をついてしまう。 「ぃてて…ん?」 左手から嫌な感触が駆け巡る。 恐る恐る左手をどけてみる。 「…っう。」 思わず前屈みになった途端、胃の中身が逆流する。 「…ぅあ、ぁ…」 胃の中身を盛大にぶちまける。 あそこにあったものは、かつてポリンだったものの「目」。 倒れ間際についた左手の位置が悪かった、目は既に原型を留めておらず、無残な姿で潰れていた。 「……はぁ、はぁ。」 仰向けに倒れこむ。何も考えたくなかった。 しかし目を閉じると頭の中に浮かんでくるのはさっきの目、目、目。 潰れているはずなのに、既に原型を留めていないはずなのにその目は、私を見つめている。 何も言わず、動かず。ずっと私だけを見つめていた。どんなに目を背けても、目はこちらを向いている。 耐えられない、目を開けよう。 しばらく空を眺めていたが、ふと横を向く、そこにはひとつの、綺麗な空き瓶があった。