澄み渡る青い空、静かなフェイヨンの森、一本の木の上に影が一つ。 影は息を潜め、気配を絶つよう努めていた。 何事もなく過ぎていく時間、その時、空気が一瞬凍り付いた。 ガサガサッ 木の上から飛び降りつつ、影は何かを目がけて手を振り下ろす。 斬 短い小動物特有の断末魔が聞こえ、それは動かなくなった。 影の名はショウ、彼の手には動かなくなった獲物、ルナティックが握られている。 「ふぅ。」 長く集中し、獲物を待ち続けた為、神経は擦り切れ、額には汗が浮かんでいた。 そして彼は、苦労をして手に入れた獲物を調理すべく準備を始めた。 まず毛をむしり、皮を剥ぎ、よく洗い血を落とす。そのまま豪快に串刺しにして焼く。 いたってシンプル。(器具も調味料もないので当然だが) ルナティックのような比較的穏やかな、草食のモンスターは、ウルフ等天敵が近づくとす ぐにわかりように、目が前ではなく横に付いている。一点を見るのに不利だが、広範囲を見る ことができる。 その目が捕らえるものは人間とて例外ではない、ショウもまた、近づいては逃げられ るという日々が続いた。 そこでショウは、敵の死角である「上」を狙った。 上から襲えば敵に見つかることなく、一瞬で決めることができる、そう考えたからだ。 しかし、現実は彼の考えるほど甘くはなかった、木の上から襲うものの、落下しながらダガーを振り下ろ すという行為は困難を極めたのだ。 幾度も失敗し、それでも生きる為に、彼は諦めなかった。 すっかり手慣れた手つきで火を起こす、最初の頃から見ると大した進歩と言えるだろう。 焼いてる間、私は座りながら考えた。 もうあれから何日経ったのだろうか、毎日を生きるのに必死で、日数など数えている余裕 はなかった。 あれから…色々あった。 空腹で倒れたり、食った茸に当たって三日三晩生と死の狭間を彷徨ったり、とにかく大変 だった気がする。 焼き終えたルナティックを食す。 臭みが残り、肉の味しかしないため、どうにもこうにも美味くないが贅沢は言ってられな い。 「ご馳走様。」 ここでの生活が始まってから、考えが色々と改善されたと思う。 文明社会の真っ只中にいた私は、食事をとる時、ただ漠然と食べていた。味につけた不平 不満も数えきれない。 もちろん牛も、豚も、鶏も食べた。それらの動物が人によって殺され、肉にされている事 も知っていた「知識として」 知っているのと実際にやるのは天と地程の差がある。 こうして、生物の死と直接関わる事によって、自分が「生かされてる」ということが如実 に実感できた。 そういえばこの間─────── 「…っ。」 それに気付いたのは本当に偶然だった。 風が吹けば消えてしまいそうな、微かな気配、意図的に隠された殺気。 草むらに隠れているが…あちらから出てくる気配はない。 ダガーを鞘からそっと引き抜く。 来るなら、こい。 私だって今まで遊んでいたわけではない。 時間と体力の許す限り短剣を振るう練習をし、体の調子の良い日はポリンやウィローに挑 戦もしていた。 「…………。」 どれくらいの時間が経過しただろうか、相手はなかなか動いてくれない。 しかし、確かにそこに「いる」、存在感ははっきりと感じ取れた。 ざわ… 空気が張り詰める。 草むらから小鳥が飛び立った。 来る!! ぞわり、と嫌な感触が背中を駆け巡り、草むらの向こうから勢い良く何かが飛び出してき た。1、2…3つ! それらは空を裂き、熱気を放ちながら私の腹一点を目がけて迫り来る。 咄嗟に後ろに跳躍する。 「…なっ!」 私の頭程の高さから腹に目がけて下方に飛んできたそれらは、私が後ろに飛ぶと、まるで 意志を持っているかのように軌道を修正してきた。 「ぐ…」 一発、下から腹に突き上げるように叩き込まれた。 何とも言えない鈍痛が体を支配する。 例えるなら熱い金槌で殴られたような感触。 だが私には、痛みをゆっくりと味わう暇は与えられなかった。 二発、三発と次々に打ち込まれていく衝撃。 最後の一撃の衝撃で体が吹っ飛んだ。 「―――――っ。」 胃の内容物と鉄の味をした赤いものが盛大にぶちまけられる。 痛みで頭がどうにかなりそうだったが、堪えて顔を上げる。 「赤い…ウィロー……。」見た感じはただ赤くなっただけのウィロー、だが、目の前のそ れは明らかに危険だった。 すう、っと奴の周りに火でできた矢(のようなもの)が浮かび上がる。恐らく、さっき私 を襲ったのはあれだろう。 ぼぅ、と三つの火矢が空中に停止する。 来る! 腹の痛みを堪えながら何とか、立ち上がる。 「っ…」 立ちくらみ!? こんな時にっ 迫る火矢。 横ッ飛びに躱す、しかし… 「くそっ!」 やはり、どういう原理か火矢は私目がけてその軌道を修正してくる。 咄嗟に手を掲げ火矢を払う。 熱い…! 一瞬手の感覚がなくなる、丁度熱湯に手を突っ込んだ時のような感じ。 何とか一本目は払ったが第二、第三の魔手の勢いは止まるところを知らない。 二発目が下顎にクリーンヒットする。 肉が焦げる匂い、とても嫌な感覚が広がる。 「ぐ……ぁ。」 蛙の潰れたような呻き声をあげ、三発目の衝撃と共に転倒する。 どうしようもない。 朦朧《もうろう》とする頭に鞭を打ち、見上げると赤いウィローは更に、次の弾を装填し ていた。 あの火矢さえ何とかなれば…。 カツン 木の上から林檎が落ちてきて……当たった。 目の前のソレに。 「!?」 敵の周辺に浮遊していた火矢が消滅する。 瞬時に一つの疑問が浮かび上がる。 もしや…………いや、やるしか。 最後の力を振り絞り、全身の筋肉を総動員する…… …今! 左手にダガーを逆手に持ち、敵に向かって一直線に駆け出す。 私に気付いた奴は、先程と同様、火矢を展開する……ここだ。 走りつつ右手で石を素早く掴み、奴に目がけて…投げつける! 「―――!!」 当たった!? 奴の周りの火矢は消え、奴は奇声を発してもがいている。 疑問は確信に変わった。 「…っらああぁ!!」 逆手に握ったダガーを右斜め上から懇親の力を込めて振り下ろす。 ガリ 浅いっ! 刃は半分程突き刺さったがそこで止まる。 左脚を振り上げて踵で、思い切り柄を蹴り降ろす。 今度こそ確かな手応えを感じる。 「くっ…」 途端にこんな体で全速で走った代償が全身を蝕み、足をつく。 熱い、腹は煮え繰り返り、頭は燃えそうだ。 そうだ……奴は… 横を見る。 奴はしばらく呻き、喘いでいたが、目に灯る生の光を次第に失っていった。 やった………のか。 体を支えるのもおっくうになってきて、そのまま俯せに倒れこむ。 さすがに……死ぬかと思ったな。 思えば最近はこんなことばかりだ、いや、そもそも、冒険者でもないのにこんなところを たむろっているのが問題か。 む……まずい、眠く…なってきた。 このまま倒れていたらどれほど楽だろう、でも、それはするべきではない。 「く……つっ。」 何とか立ち上がる。 そこであることに気付いた。 「折れたかな……」 立ち上がった瞬間に腹を刺すような電気が走った。 我慢できなくもないがしばらくは満足に動けまい。 足を引きずりながらも焚き火の近くに辿り着く。 息は上がり、意識が朦朧とする。 そこでふと、何かが目に入った。 巻き物……? これは確か、ずっと前、シュラくれた物…だったか。 思い出す、そうあの時、確かに彼は言った、困ったら使えと。 手を伸ばし巻き物を手に取る。 屈んだときの腹が痛かった。 長い間、解かれることのなかった紐を解く。 するり、と開かれた巻き物にはぎっしりと文字が書かれ、真ん中に魔法陣?のようなもの が描かれていた。 これは…… 不思議なことに、私はこれが理解できた。 文字は見たこともなく、絵の意味すらわからないはずなのに――― 頭の中に直接入ってくる情報、情報、情報。 理解 実行 「ヒール」 何故こんな単語が出てきたのか、わからない。 理屈ではない、感じたのだ。 そしてその「呪文」が何を引き起こすのかも。 ぽぅ、と、手に温かい光が灯る。 温かいだけでなく、とても気持ちがいい。 手を腹に添える。 痛んだ箇所を中心に体中を優しい光が包み込む、実際には目を閉じていたので見えなかっ たが、そんなイメージ。 「………………ふぅ。」 光は次第に収束し、その役目を終えた。 腹は嘘のように治っている。もう痛みは全くない。 筋肉を弛緩させ、体を投げ出す。 腹の傷は治ったが、頭は相変わらず朦朧としている。 いや、むしろさっきよりも更に悪化したかもしれない。 ひどく頭痛がする。 このまま寝てしまおうか、そう思った時、何者かが近いてくる気配がした。 「…………シュラ。」 「なんだ、ひどい格好だな。」 会うなり出てくる言葉がこれだ。 「……ほっとけ。」 「ま、大体の想像は付くがな。」 にやり、と口を釣り上げて薄笑いする彼の姿がなんだかとても懐かしかった。