ねかま戦記  序 剣戟の音が響いた。 爽やかな風が吹き抜けるプロンテラの平原に、鋼鉄と鋼鉄が打ち合わされる音が響く。のどかな草原は、決闘場と化していた。 それは何とも不釣合いで、奇妙な決闘だった。一人は鎧兜に身を固めた完全武装の武者。 しかし、その兜の隙間から覗く甲冑の内側は、空虚そのもの。 明らかに人外、この世ならざる理に支配されたる生きてる鎧。死してなお戦いを求める、救われざる魂の形。 そして、今一人は紛う事なき人間、軽装甲冑に身を包んだ剣士であった。 しかし、重厚な甲冑の武者に比べて、その身の何と細く、小さく、儚い事か。 両手に構えられた両手剣と、その決意に満ちた表情を見なければ、とても剣士には見えない。 女――それも少女と言ってもいいだろう。両胸の僅かな膨らみは軽装甲冑を纏ってなお女性であることを主張していた。 決闘者達は目まぐるしく位置を変えながら、両手に構えた大剣を突き出し、幾度も幾度も切りつける。 互いに剣は交わせども、有効な打撃は一撃もない。だが、少女は明らかに力負けしていた。 元より屈強な兵士の霊の宿った甲冑武者と、年端も行かぬ少女に過ぎない剣士とでは体力が違う。 腰まで伸ばした青い髪は風に舞い、その身ほどに大きく、重い両手剣は不安定に揺れる。 赤い瞳は決意の色を宿しつつも、焦りの色を浮かべていた。 と、その時。甲冑武者は構えを変え、大きく片足を踏み出した。瞬間、少女の背筋に冷たいものが走る。 ――力攻めに転ずるか。  剣士は冷や汗を頬に感じつつも口元を吊り上げ、不敵な笑みを浮かべる。 ――いいだろう、乗ってやる。 剣士もまた構えを変え、剣の柄を確りと握り締めると正眼に構え、片足を大きく踏み出す。 互いの距離は数メートル、だが、駆ければそんなモノは無意味になるだろう。 見合ったのは一瞬、そして強烈な剣戟の音が響く。だが、両者共離れることはない。 互いに必殺の勢いを乗せた一撃は予期せぬ鍔迫り合いをもたらした。 青髪の剣士と物言わぬ甲冑の武者は殺気を漲らせて睨み合う。だが力で武者に大きく劣る剣士はじりじりと押されていった。 瞬間、剣士は腰を下げ、力を抜いて意図的にその場に倒れる。勢いをかわされた甲冑の武者はたたらを踏み、体勢を大きく崩した。 ――強打(バッシュ)。 それを見逃す剣士ではない。ただちに一回転して体を起こすと、武者の無防備な背後に強烈な一撃を見舞った。 鉄板を強打する鈍い音がすると、武者は苦悶のうめき声をあげる。 いける、そう思って続けざまにもう一撃を加えんと大剣を振り上げた剣士はしかし、 咄嗟に殺気を感じて後ろ足に飛び退り、その場を離れる。直後、武者の両手剣が一瞬前まで剣士のいた場所を薙いだ。 「ちっ、存外にしぶとい。もう五回ほど直撃を喰らわせたはずだぞ」 呆れたように剣士は言い放つ。だが、その目は依然として武者から離れない。 『レイドリックは見ての通り頑丈だ。本来なら今のお前には少々荷が重いが、まぁいい社会勉強だろう』 「言ってくれる。こちらは命がけだというのに」 不意に耳元に響く無機質な『声』に、剣士は怒鳴るように言い返す。 『死ぬも一興やもしれんぞ。復活できるかどうか、試してみる気はないか。最悪の場合でも我がお前を同胞に仕立て上げてやろう』 「ごめんこうむる。……ふん、無駄話をしている時間はなさそうだな」 見れば、武者――レイドリックは体勢を立て直し、再び必殺の一撃を見舞うべく、殺気を漲らせていた。 『ふん、残念な事だ。……それと、最後の忠告だ』 「なんだ」 『スカートが泥だらけだ。転がって回避するのは優雅とは言えないな』 剣士は片目で自らのスカートを一瞥する。 足元まである厚手の生地で出来た茶色のフレアのスカートは声の言うとおり、泥と埃に塗れていた。 「余計な事は気にしなくていい。だからこんな服は着たくなかったんだ」 視線をレイドリックに戻し、全身を緊張させたまま、剣士は毒づく。 「ボクは、男なんだから」  第一話「生活」 「今日の収穫はブリガン一つ、まぁ、悪くないかな」 人でごったがえす雑踏の中、赤みを湛えた鉱石を放り投げては受け止め、剣士は呟く。 ブリガンはそれなりに貴重な鉱石だ、三日分の生活費にはなるだろう。そんな事を考えながら。 『強敵を倒したことは祝わんのか』 『声』が囁く。 『正直、いつ助けを求めるかと思っていたのだが、独力で倒したのには感心した』 称えているようで、嘲弄しているようでもある。そんな妙な口調の『声』に剣士は顔をしかめる。 「余り何だか分からないものに貸しは作らないことにしている。それと、余り話しかけるな。 ここは首都だ、大勢人がいるのだぞ。独り言を言う妙な人間だと思われたくない」 小声で返す。しかし既に剣士は雑踏を離れ、人もまばらな広場に来ている。単純に『声』との会話が嫌なのだろう。 だが、『声』はそんな剣士を気にすることもない。 『何だか分からないもの、とは随分な言いようだな』 「物を言う無機物なんてのは、何だか分からないもので十分だ」 言いつつ、剣士は背に負った大剣をすらりと抜き放った。 周囲の者が怪訝な視線を送るも、そのままその場に座り込み、刀身を丁寧に磨き始める剣士を認めると、 興味を失って視線を元に戻した。剣を携える者など珍しくもないのだ。 だが、遠目にはわからないが、剣士の持つ大剣は他の者の剣とは少し異なっていた。 それは、細身で小柄な剣士が持つには不似合いなまでに大きく、また、無骨だった。 剣士が携えるもう一本の大剣――一市場に大量に出回っているトゥーハンドソード――と比すれば、その違いは明らかだろう。 大剣とは言え比較的取り回しが容易な一メートル少々のトゥーハンドソードに比べて、 その剣は刀身と柄を合わせて二メートルを超える長さを誇っていた。 『嘆かわしい』 と、『声』は芝居がかった口ぶりで再び囁いた。剣士の手元で大剣が僅かに輝く。 『これでもお前の剣の師匠だろうに、礼を失すること甚だしいな。 そもそも異界に彷徨い出でて右も左もわからぬ貴様をここまで導いたのは誰だと思っているのやら……』 「やかましい、錆止めを一日でも切らせば百万の文句を弟子に一月に渡って言い続ける師匠に払う礼儀なんて言うのは、 持ち合わせていない」 『声』は剣士以外には聞こえない。行き交う人々にとって、剣士はただ大剣を研ぐ剣士に過ぎない。 だが、剣士は誰にも聞こえない程度に声を落し、確かに会話をしていた。その、大剣と。 「それに、ボク達は共生関係にあるんだ。上下なんてないはずだぞ」 言い放つ剣士に、『声』はやれやれ、と言った感じで溜息をついた。 『全く、ここまで言われたのも初めてだよ、エリス』 ※ 街は活気に溢れていた。 午後六時を回り、太陽が西の果てに沈んで月が中天に上がろうとしても、人々の往来は絶えることがない。 物売りの露店商達は市門から始まる街のメインストリートに軒を連ねて陣取り、市民や来訪者相手に熱心に商品を売りつけている。 宿の二階から往来を見下ろすエリスは、その熱気に安心感を覚える。 露店商たちが灯す明りで街は照らし出されており、既に光を失った空を黄金色に焼いた。 星すらも街の活気に遠慮してその身を隠す。その光景はまるで天と地が逆転したかのような印象をエリスに与えた。 『人間というのは夜を恐れるものだと思っていたが』 『声』がエリスに語りかける。 『案外、我らと気が合うやも知れぬな。夜毎に繰り返されるこの騒ぎ、明らかに昼間に勝る人の群れ。 人間というのも夜が好きなのだろうか』 ははは、とエリスは哄笑する。 「違うな。一歩街の外に出れば人っ子一人いない。夜が怖いから人は群れるのさ」 そう言うエリスは窓から見る景色に目を投じつつ、膝の上に投げ出したトゥーハンドソードを静かに研いでいる。 大振りな喋る大剣は軽装甲冑ともども、壁に立てかけられていた。 「お前ときたら、物知りなようで何も知らないんだな。これではどちらがこの世界の先達かわかったものではないぞ」 明かり一つ差さない部屋は、しかし表からの明かりで照らし出されている。 エリスはトゥーハンドソードを鞘に仕舞い込むと、着ていた剣士の制服を脱いで畳み、チェストの上に載せた。 黒いインナーシャツと、青いズボンに着替えた彼女は大きくため息をつく。 「デザインした奴の神経を疑うね。剣士の制服がスカートとは」 動き辛いことこの上ないのだ。そう続ける彼女に、『声』が囁く。 『我にしてみれば、お前の神経を疑いたくなる。折角の可憐な容貌が、その粗雑極まる口調のせいで台無しだ。 全く以って優雅とは言い難い』 「余計なお世話だと何度言わせる。大体、ボクは男だと言っているだろうが」 繰り返された問答なのだろう、うんざりと言った様子で言い放つエリスに、『声』は飽くまで淡々と返す。 『ああ、異世界ではそうだったらしいな』 「現在進行形で男だ」  その身は女なのだから説得力に欠けることおびただしい。エリスは腹立たしげに『声』の主である大剣を蹴飛ばしたが、 重い大剣はびくともせずに壁にもたれ掛かったままだった。 『やれやれ、お前と出会ってから数ヶ月、優雅というものを我なりに教育した積もりだったが、全ては徒労に終わったようだな』 エリスは『声』を無視して再び視線を窓の外に向けた、市門の門限が近い。入り損ねまいとする人々が次々と門をくぐり、 往来は益々盛況になって行く。夜は、これからだ。 「全く、なんだってボクがこんなことに……」 呟きながら、エリスは粗末な黒パンを齧り、これまでの事を思い出していた