虐殺者 凄まじい閃光が周囲を焼き、景色の全てが白で包まれる。 そして少女を中心として突如として暴風が吹き荒れ、付近に砂嵐を巻き起こす。 その勢いに男達は思わず後ずさり、出した手を引っ込めた。 「な、なんだぁ」 そして風が収まり、男達の視界が元に戻った時、からりと言う乾いた音と共に、 どんなに少女が力を込めようとも決して抜ける事のなかった鞘が地面に落ち、大剣がその禍々しい姿を明らかにする。 それは、異常な剣だった。刀身は銀色ではなく黒い輝きを宿し、幅広の剣は如何にも重量がありそうに感じられる。 だが、真にこの剣を特徴付けるのは、やはりその長さだった。 鞘にある時から感じられたが、抜き放ち、構えをとるとその長さがよくわかる。 少女の身長を超える二メートル近い長さに、その三分の二以上を占めると思われる刀身。 そして、剣にしては余りに長い柄。武器としては非実用的なまでに、それは長く大きく――そして、殺意に満ちた剣だった。 「ぬ、抜きやがった」 思わず男達は気圧される。だが、すぐに驚きは嘲笑に変化した。 「なんの、びびるこたねぇ。そんなどでかいのを、こんなところで振り回す気かい」 赤服の男はどこまでも冷静だった。恐らくこう言う事に慣れているのだろう。 裏路地の奥は、短剣を得物とする男達にとって有利極まりない戦場だった。 二メートルに及ぶ大剣は狭いここでは振り回すことが出来ない。抵抗されたとしても絶対に勝てる、と男達が信じるのも無理はない。 ――普通なら。 少女がゆらりと足を運ぶ。それを、自分より巨大な剣に足をとられたのだと錯覚した男達は、左右から一気に襲い掛かった。 途端、男たちは目を疑う。 少女はその場で地面を強く蹴り、高く跳躍した。 高く、高く。自分の身長を遥かに超えた高さへと。重厚な幅広の大剣を握ったまま。 「な、なんだと」 路地裏の住人である男達は盗人である。体力や、力はなくとも素早さに関してはそうそう引けをとることは無い。 その身軽さを身上とする男達にすら成し得ない、遥かな高みへやすやすと飛び上がった少女は、 壁を蹴って先ほどまで男達が塞いでいた道に着地する。 「どうなってやがる」 茶色の服の男が狼狽する。だが、赤服の男はそんな男を一喝した。 「ばか、何呆けてやがる。逃げられるぞ、こうなったらちぃっと傷モノにしてもしかたねぇ。通報されちゃ厄介だ」 言いつつ、腰を低く落し、ナイフを逆手に構えると、男は少女に向かって走り出した。 だが、その動きは単純ではない。一直線に少女へと襲い掛かるかと思いきや、急速に右に転進し、腕を狙う。 茶色の服の男も慌ててそれに倣い、左から斬りかかる。目にも留まらぬ速度による、時間差攻撃。 剣を振ったことはおろか、喧嘩すら碌にしたこともない少女には絶対に回避不能だっただろう。だが、 ――これは、何かの冗談か。 少女の目には全てがスローに見えた。否、それどころではない。 左右の男達がどこを狙っているか、次に何をするか、その全てが読めるのだ。 ばかのように遅く、見え見えの動きをする男達に戸惑いつつ、少女は全てがゆっくりと進むこの世界で、一歩を踏み出す。 しかし、このスローな世界で彼女だけは普通の速度で動けた。右から男が迫ってくる。 腕を狙っていることは見え見えだ。少女は詰まらなそうに大剣を下から上に片手で大きく振り上げた。 さっきまで両手でも持つのが辛かった剣は、今や羽のように軽い。 「なっ!?」 赤服の男は信じられない物を見たような目で少女を見る。 少女がその華奢な外見からは想像もつかないような速度で振り上げた大剣は正確に短剣を打ち、 弾き飛ばされた短剣は壁に当たって乾いた音を立てた。 のみならず、少女は瞬時に体勢を立て直すと急速に接近して、懐の空いた男に強烈な当て身を食らわせる。 苦悶のうめき声が男の口から漏れた。 「よくも、このぉ!」 背後から茶色の服の男が迫る。既に距離は二、三歩まで迫っていた。必殺の突き。 だが、茶色の男の短剣は空しく空を切る。少女は既に男の視界にはいなかった。 「ど、どこに」 「う、後ろだ!」 未だ起き上がることができずに這いつくばる赤服の男の声に男が振り返ると、 今正に拳を顔面に炸裂させようとする少女が見えた。 しかしその表情は実に奇妙な――まるで、戸惑っているような――ものだった。 ――おい、殴ってもいいのか。 隙だらけの顔面に、拳が叩き込まれる。とても反応できる速さではない。 もろに一撃を受けた男は吹き飛び、後頭部を壁面に打ち付けて動かなくなった。 「ば、ばかな」 赤服の男は恐怖に震えて少女を見上げる。彼は全てを目撃していた。 茶色の服の男が少女の背中に短剣を突きたてようとした、その刹那。 少女はその場で跳躍し、空中で一回転した後、背後に回ったのだ。人間にできる芸当ではない。人間はあんなに身が軽くない。 「ひ……」 カタカタと震えながら、立ち上がって拾い上げた短剣を構える。狩る者と狩られる者の立場は逆転していた。 「う、おおおおぉ!」 幽鬼のように一歩一歩踏み出す少女に相対するのに耐え切れず、男は寧ろ前に出て少女に斬りかかった。 勝てるとは最早思わない、上手く懐を潜り抜けて、逃げることしか男の頭には無かった。だが、少女はそれすら許さない。 横薙ぎの暴風が突如として男を襲う。それが剣のカタチをした殺意の塊だと気付いた男は、 何とか踏みとどまって短剣で受けた。だが勢いは殺せない。 巨剣の一撃は防御などなかったかのように振りぬかれ、男は勢いよく壁面に背中を打ち付ける。 骨が何本も砕ける嫌な音が響いた。男の口から血の塊が吐かれる。 だが、それすらも忘れて男は自らの右腕を愕然と見つめる。奇妙な方向に捻じ曲がった腕、その先にある短剣は、粉々に砕けていた。 「バカな、ダマスカスが壊れるなんて!」 それは、魔力を受けた短剣だった。強靭な鋼に一流の術士が『破壊不能』の呪いをかけた、壊れない事に特化した短剣。 それがダマスカスである。それが、華奢な少女の一撃で粉々に砕け散った。 戦慄が男の背に走る。ゆっくり、ゆっくりと近づいて来る少女は死神のように見えた。 「ま、参った。降参だ、ほんの出来心だったんだ、許してくれ」 必死に哀願する。だが、少女は歩みを止めない。両手に構えた巨剣がゆっくりと振り上げられる。 天高く突き出された黒い剣は陽光を受けて不気味に輝いていた。 「ま、待ってくれ。こんなところで殺したら、あんただってただじゃ済まな……」 言いかけて、男は言葉を中断する。少女は男の言葉など聞いていなかった。 黒剣を掲げた、少女の姿をした死神は、これからすることが心底楽しくて仕方ない、とでも言うように笑っていたのだ。 それは、蟻を踏み潰す子供や、蛙の腹に空気を詰めて破裂させる少年にも似た、凄惨な笑みだった。 男は恐怖に下顎をカタカタと鳴らす。逃げようにも、手足は悉く言うことを聞かない。 ――死ね。 黒剣が、振り下ろされた。  ※ 『全く、人間と言うのは理解に苦しむ』 黒剣はあきれ果てた、と言う様子で少女に語りかけた。 だが、彼の主はそんな剣を無視して身を隠すように目立たぬ場所から場所へと、足早に歩いていく。 無表情を保ってはいるが、心臓の動悸は激しく、息も荒い。そんな彼女にお構いなしに、黒剣は言葉を続ける。 『あそこまでやったなら、止めを刺すのが定石というものだ。付け狙われたら面倒であろう』 少女の表情が曇る。 『大体、あんなところに身動きもできぬまま放置したのでは、運がよくない限り碌な事にはなるまい。ああいうのを偽善と言うのだ』 「黙れ」 静かに少女は言う。押し殺したようなその声は、苦悩を感じさせた。 「ボクは、人殺しなんてしたくないんだ」 自分が信じられない、と言うように俯いたまま言う。少女は、路地裏で男に剣を振り下ろさなかった。 ――あの時。 内から湧き起こる暴力と殺意の衝動に駆られるまま剣を振り下ろした少女は、その刹那、水溜りに映る己の姿を見た。 それは端正な容貌を醜く歪め、禍々しい黒剣を振り下ろさんとする、自分ではない誰か。 ――虐殺者。 思わず恐怖と嫌悪感を覚える。そして彼女は正気に返った。剣は寸前で停止し、男の命を救う。 恐怖の余りに気絶した男を放置して、少女は剣を鞘に仕舞い込むと再び背中に括り付け、足早にその場を立ち去った。 「大体お前は何なのだ。ボクは戦ったことなんて一度もないし、人殺しをしたいなんて思ったことも無いんだぞ」 『ああ、我はいわゆる魔剣、と呼ばれる類の剣でな。我を握ると皆、人を斬りたくなるらしい』 くくく、と剣は薄笑いを漏らした。 『今までに五人ほど持ち主を変えてきたが、最初に我を使ったとき、人を殺さなかったのはお前ぐらいだな』 瞬間、少女の背筋に冷たいものが走る。確かにただの剣ではない。だがそれは、ただの剣よりももっとタチの悪いものだったのだ。 少女は自らの背に結わえ付けた剣を体から離すと、鞘越しに壁面に叩きつけた。 「なら、関係はこれで終了だ。誰か相応しい人に拾ってもらえ、ボクはごめんだ」 『やれやれ、短気な主殿だ』 「主じゃない!」 肩を怒らせ、少女は歩いていく。忌まわしい剣から一歩でも遠ざかろうと。 やがて剣が見えないぐらいまで歩いた少女が、一息ついたその時。 『いいや、お前は我の主だ。本来なら逆のところなのだが、立場が立場ゆえ我慢しておこう』 声が再び少女の耳に響く。ぎょっとして振り返ると、捨て去ったはずの剣が背に再び負われていた。 驚いた少女は再び剣を捨ててその場を走り去るが、 『無駄だと言うのに』 何度捨てても、剣はいつの間にか彼女の背に戻ってきた。 「くそ、どう言う事だ」 『察しが悪いな、主殿。契約したではないか』 瞬間、あっと叫ぶ。 『納得して頂けたようだな。最早お前が死ぬか、我が砕け散るかのどちらかでしか、契約は解除されない。 そして我はこの世の何者よりも硬い』 つまり、生きている間は離れることはできない。と言う事だ。 「くそ、何だってこんな、人殺しの剣にまで……」 少女は絶望に沈む。色々な事が全て自分を責め立てているような錯覚に彼女は陥っていた。 その時、今まで余裕の態度を崩さなかった剣が突如として語気を荒げて口を開いた。 『我の名誉のために一言言っておくが、さっきのアレは、我のせいではない』 「ばかな、ボクはあんなに上手く戦えないし、第一人殺しなんてできやしない」 『確かにお前が過ぎた強さを発揮できたのは我の力だ。だが、何故『できない』などと考える。 それは『出来る状況に今までなかった』の間違いではないのか』 う、と少女は口を閉ざす。当然だ、社会と言うのはそういう風に出来ている。 いざ人を殺すような場面になった時にどうなるかは、実際のところ未知数なのだ。 『我は強大な力を持った魔剣だ。だが、外部には干渉できぬ一本の武器に過ぎない。 我を手にした人間が破壊と殺戮の衝動に目覚めたとしても、それは我の責任ではない。飽くまで扱った人間の本来の姿がそれなのだ』 「そんなわけがない!」 全力で少女は否定する。あの虐殺者が自分の本性だとしたら、何と醜い姿である事か。 そんな事は絶対に否定しなければいけない。そう思うが、少女の心は何処かで、圧倒的な力に酔う自分自身を自覚していた。 『本来の姿というのがまずければ、一面とでも言っておこう。我は人間観察を趣味にしている。 今まで我を手にした五人とて、人格高潔な者も、清廉なる者もいたが、何れも破壊の衝動に身を任せた末に破滅した。 人間とは一面で、恐ろしく残酷になりうるのだ』 少女は返答を返せない。精神操作を受けているのだと思っていた。だが、もしそうだとしたら剣を捨てるなどできるはずもない。 つまり、先ほどの『戦い』とも言えぬ一方的な『蹂躙』は完全に彼女の意思によるものなのだ。 絶対に負けない相手を遥かな高みより嘲笑し、踏み潰す。その快感に確かに彼女は酔いしれていた。 殺すことにも一切の躊躇はなかった。相手を、人間扱いしていなかったのだ。 『だが、気を落すことは無い。それが人間というモノなのだからな。 要は殺意と上手く付き合えばいいだけだ。破滅したくなければ、な』 失意に沈む少女に魔剣は声を和らげ、言い聞かせるように囁いた。 「……気楽に言ってくれる。五人も破滅させた魔剣が」 『何、お前は上手くやればいいだけの話だ。我にとっても女の入れ物に男の中身をいれた、 お前のような面白い魂を破滅させるのは勿体無いのでな。それに、この世界では我が先達であろう。 これからの日々のためには我は重要だぞ』 他に選択肢はなかった。少女は仕方なく首を縦に振る。 「……ああ、よろしく頼むよ、『名も無き国王』さん」 『ああ、よろしく頼んだ、主殿』 その時彼女は、ふと気になったことを尋ねる事にした。 「なぁ、一つ聞いてもいいか」 『なんだ、可能な限りは返答しよう』 「……さっきの奴ら、本当に放置していると碌なことにならないか?その……殺されたり、な」 『……赤服はともかく、片割れはすぐに気がつくだろう。先のはただの意地悪だ、許せ』 「……そうか」 こうして、奇妙な共同生活が始まった。