いつものように起動して、いつものようにログインして、 いつものように自分のメインのキャラクターを選択した。 そして気がついたらこの世界にいた。 もしあの時別のキャラを選択していたら、 ボクは同じようにあの子に出会えただろうか? ボクらのような、このROの世界に元から存在しているいる、ゲームではNPCとして配置されてる住人や ゲーム内にはいない冒険者たちとは違う、現実世界のプレイヤーは自分らをリアハック組と便宜的に呼んでいる。 と言ってもこの名称は後発でこのRO世界に来た人たちから、一連の現象が リアルアカウントハックと呼ばれている事を知らされてから名づけられた物だ。 最近は少なくなってきたとはいえ、未だに現実世界からこの世界に迷い込んでくる 人間は後を絶たない。 リアハック組の集会場になっている酒場に着くと、早速入り口付近のテーブルで 数名の「来たばかり」とわかる落ち着かない挙動のノービスや剣士、クルセイダー、 アーチャーなどが「携帯」と通称で呼ばれている機器の説明を受けている。 この「携帯」は、外見こそ現実世界の携帯電話に酷似しており機種も様々(むしろ不統一感あり) ながら、機能は大きく異なっている。 主にLvやステータス、スキルの確認、WISやPT・ギルド会話の機能、 現在地を確認するMAP機能、周囲に話し声が聞こえないようにするフィールドを 発生させるチャットルーム機能、どんな大きさの物でも入れて持ち運び可能な4次元ポケット 的バッグ・ポーチの容量限界確認機能…ゲームの方で可能な機能をほぼそろえた 便利ツールが揃っている。 面白いのはショートカット機能。 ゲームでのF1〜F9とかに相当するのだが、 セットしておけば、「携帯」の対応キーを押すだけでバッグ内のアイテムが自動で使用される、 あるいは手に持っているものと交換される。 これを使えばいちいちポーションを取り出して栓をあけて飲んだりしなくても、自動的に 効能を発揮して空き瓶を捨てる所までやってくれる。 (実際にはポーション瓶はバッグの中で消滅しているわけだが、原理不明) あとは防塵防水、間違ってFWの中にくべてもゴーレムがふんづけても正常に動作する。 万が一失くしてもカプラサービスで再配布してくれるが、ものすごく高価だ。 失くした携帯の停止と新規登録、メモリのバックアップなど各種手続き料含め900Mz… 前にお金を持っていないキャラでこっちに来て、携帯を失くしてしまった人がいて 今にも死にそうな顔してたなあ… 「あとなー、死んだら気軽に生き返られないからな。 死んで一定時間が経つと死体が消滅するし、 あんまり死体の破損状態が酷いとリザレクションが効かない。 首はねられたぐらいなら 繋げれば復活できるけど、頭潰されたりして修復できないとそのまま死ぬしかない」 「新人」への説明役をしているのはリアハック組のなかでは古参の部類に入る… …名前は忘れた。 ローグさん。 当初、来たばかりの連中はそれを知らないで無茶をやって、蘇生不可能になった人が大勢いた。 例えば一人で探険気分で古城とかに挑んで、しかもそこへ行くことを誰にも告げてなかった 場合なんかは死んだことを誰も知らないし行き先を知らない以上救出にも行けないから そのまま死ぬしかない。 最悪のパターンのひとつだ。 死んでも自動で街に転送されて蘇生までしてもらえるサービスをカプラで行うことはできる。 が、携帯同様ものすごく高価な料金を要求されるのでまず手が出せない。 また、さらに注意しなくてはいけない事は、ゲームとはMOBの配置が微妙に違ったり ノンアクティブがアクティブになっていたりと大分仕様が異なる事。 プロンテラ周辺は穏やかな物だが、ゲフェンやフェイヨン、モロクなんかに行く街道は 危険が満ちている。 ゲームより都市間の行き来は困難な状態だ。 その割にはイズルードからアルベルタへ行く定期航路は安定していて、奇妙ではある。 要するに、ゲームと違ってものすごくリスクが高い。 デスペナルティが痛すぎる。 後発で来た人たちの話によると、現実世界でまだ意識を取り戻したという人の話は聞かない。 つまり、死んでも現実に戻れるというわけではなさそうだ。 そしてこの事実が明るみに出ると、本格的にもう現実に戻れないかもしれないと絶望した リアハック組の何割かが暴動を起こした。 自暴自棄を起こしてその辺のNPC住人をPKしたり、犯罪行為に走る人の制止に多くの犠牲が出た。 実はRO世界に来た人間の1割くらいは、「どうせ現実ではない」と思って犯罪行為(程度の差はあれ)に手を出す。 リアハック組が現実世界に戻る目的でその方法の探索やこの世界で生活していくために相互に 扶助や情報交換を行うため自然と組織化されて行くに従って、そういう人間の制止・鎮圧や 同じリアハックされた人同士で被害者になる事の防止・保護は大分スムーズに行くようになった とはいえ、既に制止側・暴動側・被害側それぞれの犠牲者のトータルは無視できないものになっている。 聞くのも嫌になる話だけど、これまでに死んだリアハック組の人数の3分の1くらいを占めるらしい。 もちろん怖いのは犯罪に走る連中だけじゃなく、NPCの中にも犯罪に手を染める連中がいて、 RO世界に来たばかりで右往左往するプレイヤーを毒牙にかける事もある。 リアハック組で犯罪に手を染める「離反者」はそいつらと結託する事もあった。 そういう事もあって、現在は来たばかりの新人さんをいち早く発見して保護する体制が 一応ながら組まれている。 彼らがRO世界に来て最初に降り立つ場所や最初に向かう場所というのは大体判っているから、 プロンテラの広場だとかでそれっぽい挙動のキャラクターを見つけて話しかければいいのだ。 この世界、高Lvキャラでログインできたからといって安心はできない。 治安の悪そうな場所で一人で歩いていることは恐ろしい結果を招く。 早くからRO世界に取り込まれてここに長くいる人ほどその結末を多く見てきた。 仮にこの世界が現実でない、夢か幻覚のようなものだったとしても、感じる痛みも 恐ろしさも悲しみも孤独も、それは全て現実とまったく同じように突き刺さってくるのだ。 だから、人間らしい感情を少しでも持っている人なら誰でも、そんな物はもう見たくはない。 「と、まあ基本的なことは大体終わり。 あとはその辺にいる人たちに話しかけて、 わかんない事あれば訊けばいいから。 おーい、絹! そんなとこ立ってないでこっち来い」 呼ばれた。 ので彼らのテーブルに向かって歩いてゆく。 「こいつら今日入った仲間な。 白炎にフッケバインにユキヒロ、それと、めろ。 あー、最初にいっとくけど絹は中身男だから」 「はじめまして」 「よろー」 「こんちわー」 「ちょwネカマかよw」 いきなり男ってばらすなよw つーかボクはネカマのつもりはない。 むしろこのローグさんこそネナb(サーバーとの接続がキャンセルされました) 「んでよー、アレ、持ってきた?」 はいはいこの間約束してたアレですね。 ちゃんと調達してきましたよ。 材料集めるのとか大変だったんですから。 ボクはフレルベルゲルミルのお酒を数本取り出してテーブルの上に並べてゆく。 ローグさんの顔がぱっと輝く。 あんたリアルでは未成年でしょうが。 「よぉーし、酒も来た事だし、新人歓迎も兼ねて乾杯だ、おう、みんな集まれ!」 ローグさんが周りのテーブルにも声をかけ、人が集まってくる。 基本的にこの世界、食料にしろ嗜好品にしろ日用品にしろ、大部分がMOBからの ドロップアイテムを材料にしている。 リンゴとかミルクとか、農業や畜産を営むNPCもいてそちらは安定供給されているが MOBからしか手に入らないものは冒険者が狩りで集めて来ないことには店売り品すら 不足することがありえる。(材料が不足する) まあ、野生動物さえ凶暴化して危険な生物がフィールドにうようよしている状態では 安全な街の周辺にしか耕作地を確保できないのだから、農作物も本来はもっと 打撃を受けていて当然ではあるんだよな。 経済や産業が狩猟主体になって、冒険者と言う職業が成立するわけだわそりゃあ。 そんなわけで、お酒も手に入りにくい嗜好品の一種になっていると言うわけだ。 ああ、そういえば煙草を強奪するためにオーク村を襲撃しに行く人たちもいたなあ… ヘビースモーカーは大変だね。 「絹ちーん、ちょっとこっち来てくれない?」 また呼ばれたので別のテーブルに行く。 「探索班」を担当しているパラディンのハイネさんと「情報班」ハイプリのねここさんだ。 さっきも言ったようにこの世界はMOBの配置などが少し違っている。 どこにどんな敵が沸いているのかを実際に歩いて情報収集し、危険地帯のガイドラインを 作成するのが彼らの役目だ。 もちろんそれには元の世界に帰れる方法の手がかりを探すことも含まれる。 ちなみにローグさん(まだ名前思い出せない)が所属しているのは「捜索班」で RO世界に来た人の保護や、ダンジョンなどに行って帰りが遅くなった人たち(死んでいる 事がある)を蘇生可能なうちに救出に行く役目を担っている。 その他に「治安班」「資金収集班」「支援班」… どこにも所属していない人もいる。 現実に帰ることを諦めたり、あるいは望まなかったりでこの世界で冒険者として 生きてゆくことを選んだ人たちだ。 ようするに、現実を放棄しちゃったダメな人たち。 ただし、耳にした情報だとか入手・作成したアイテムを提供したりダンジョン救出PTに 臨時に参加したりという貢献は行っている。 「ちょっと妙な事が起こっている」 テーブルにつくとハイネさんが切り出した。 どうも、最近行方不明者が多いのだと言う。 といってもリアルハック組の失踪者ではなく、元からRO世界にいるNPC住人が、だ。 「冒険者だけじゃなく街の住人も行方知れずになっているのが増えてる。 最近と言っても、行方不明自体は俺たちがここに来る少し前から始まってたみたいだがな。 この世界にも冤罪BANみたいなのはあるらしい。 が、妙に増加傾向にある」 まーね、禁呪って呼ばれてるなにか不正な行為らしきもの…詳細がよくわかんないんだけど チートとかBOTなのかな? それを見つかると白い服の人にどこかに連れて行かれるという噂は結構聞くよね。 その現場を見たっていう話も。 都市伝説の域を出ないレベルだけど。 このRO世界にもGMさんがいるのかなあ…にしてはボクらの事野放しだよね。 結構な異分子的存在にあると思うんだけどなあ。 で、冒険者だったら人知れずダンジョンの奥で死んで帰ってこないとかは 普通にあるだろうけど街の住人が消えるというのは不可解だね。 「そう、私たちも半信半疑だったのだけれど…ホルグレンが消えてたのを実際に確認した。 捜索願が出されてたの」 …それってボクらの誰かが拉致ったか殺したんじゃなくて? 一時期追い回されてたじゃないか。 主にゲームで恨み骨髄な人たちに。 でもねここさんは首を左右に振る。 「騎士団も行方不明者の捜索に動き始めてるの。 私たちが把握したのよりも、 実際にはもっと多くの人たちが失踪したり帰らなかったりしているみたい。 街の中に人知れず人間を殺して死体を隠すような性質のMOBが召喚されたような形跡もないし、 大規模犯罪ギルドが人身売買目的の大量誘拐という様子も無い」 「近々騎士団が正式に俺たちに合同の捜索体制を要請するという話もある」 へえそれはまた大きな話に…というか何で騎士団がボクらに? 「規模こそ300人未満、組織としては小規模だが冒険者によるギルドとみなすなら俺たちは 十分巨大な勢力だ。 砦の2つや3つくらい簡単に落とせるぞ。 弊害も出てきたが…」 まあね、これだけ人数いれば人間関係で反りの合う合わない、方針の違いとか色々あるからね。 今でさえ現実帰還組と不帰還組で溝のようなものあるし。 現実に帰る事を望む人たちは、暴動を起こしたり離反したりした人たちと同じ絶望と向き合って、 しかしそれに飲まれずに現実へ帰る道を模索し続けている。 彼らの「いつまでたっても手がかりが見つからない」焦燥感と、「死んだら現実でも死ぬかもしれない」 恐怖は、苛立ちとなって、帰還を諦めたり望まない分だけは気楽な不帰還組に向けられる。 何でもいいから八つ当たりの対象が欲しいんだ。  確か、一番古くRO世界にいる人は半年以上前から帰りたいのに帰れないんだっけか。 「…俺も嫁が現実の世界で、俺が目覚めるのをきっと待ってる」 ハイネさん既婚者だったな、そういえば。 帰りたい人はほぼ全員現実世界に家族や友人がいる。 意識不明の彼らをどんな思いで、目が覚める日を待ちわびているんだろう。 自分のためだけに帰るんじゃない。 帰る場所のためにこそ帰りたいんだ。 「…でね、絹ちんはこっちの世界の友達と一緒に暮らしてるんでしょ? だから、その…気をつけて、というか」 なんかこのテーブルの範囲だけ空気の流れが微妙。 ローグさん(もう思い出せなくていいや)の方のテーブルの賑わいとは対照的だ。 微妙な気まずさにいたたまれなくなって、ねここさんにお気遣いどうも、と言って席を立つ。 さっさと用事を済ませて帰ることにしよう。 調達を頼まれていた消耗品や装備品なんかを担当の人に渡して、あと少し雑談交じりに 情報交換を軽く済ませる。 んじゃ、お先に失礼します。 よく見れば酒場の中の雰囲気はテーブルごとに違う。 この酒場の中にリアハック組の全員がいるわけじゃない(入れないし)けど、 リアハック組のそれぞれの色分けと言うものは大体はっきり分かれている。 ローグさんたちのテーブルとその周辺の賑わいは、一種の逃避だ。 いつ現実に帰れるか判らない、もしかしたら永遠に帰れないかも知れないという不安を 楽しく笑うことでその一瞬だけ遠ざけようとしている。 ローグさん自身は兄貴分っぽく、先輩風吹かして余裕持ったところを見せようとしているけど、 内心ではみんなを励まそう前向きに考えさせようと無理をしているのが傍目にもわかる。 それにしてもローグさん、飲みすぎだよ。 現実に帰れたときに10代でアル中とかならないでね、くれぐれも。 そしてその賑やかな雰囲気に加われないで冷ややかな視線を向けている人たちのテーブル、 あるいは不愉快そうな表情で席をたち、ボクを追い越して早足で酒場を出て行く人たち。 現実へ戻るというひとつの目的で繋がり助け合うための集まりも、実際には一枚岩とは行かない。 どうやったって楽観視できない人もいるし、彼らを不真面目すぎるって怒る人もいる。 そして…ボクも彼らの色の中の何処にも加われない。 RO世界に取り込まれてから日が浅いほうだとはいえ、見たくないものも美しいものも その多くを見てきた。 仮にこの世界が現実でない、夢か幻覚のようなものだったとしても、感じる痛みも 恐ろしさも悲しみも孤独も、それは全て現実とまったく同じように突き刺さってくる。 だからボクは、あの子の手をとった。 後悔はしていない。 少なくともボクには、「どうせゲームの中のキャラクターなんだ」とか 「この世界は自分たちの現実世界じゃないから」と見捨てることなんかできなかった。 もうボクは簡単にあの子を置いて現実世界に帰るなんて事はできなくなってしまった。 そして毎朝のように、現実に戻れていなかった事を知って絶望するのはもう辛くなって来ている。 ボクは、決断を迫られる時期に来ていると自覚していた。