その日は、引越しの手続きをしに市役所を訪れていた。 受付嬢から渡された書類に黙々と書きこんでいると、ふと受付嬢が話し掛けてきた。 「ご職業は何をなさっているのですか?」 「大学生です。」 俺は顔を上げず、書く手も止めずに返答した。 「大…学生。あ、もしかして魔術学校の生徒さん?」 「いえ、違います。」 「あら、じゃあ剣士の方? …としたら、訓練生ですものね。」 …さっきから受付嬢は何を言っているんだろうか? 大学生と言えば大学生しかないだろう。それに魔術だの剣士だの… 「あらこのコート、よく見れば教会のものですわ。  貴方はプリーストなのですね。」 「え?」 「最近は割といらっしゃるのですよ。アコライトの修行を終えたり、  ミッドガルツ各地の巡礼から戻ってきてプロンテラに滞在するプリーストの方が。」 「ちょっと何を言って…」 あまりに聞きなれない単語の続出に思わず顔を上げた。 そこは、ついさっきまでいた市役所とはまるで違う場所。 石の壁に掛けられた赤い旗の隣では、燭台に火が灯りゆらゆらと揺れている。 その明りの前に立った受付嬢は革の軍服を着て縦長の帽子を被っており、 不思議がりながらも微笑んでこちらを見ている。 「…!?」 慌てて辺りをキョロキョロと見渡す。 そこにはマントを羽織った鎧の男や、毛皮のコートを羽織った女など どう見ても異国の格好をした人達が歩き回っていた。 「どうかなされたんですか?」 「え、あ、い、いや…」 かなり気が動転してどうにかなりそうだったが、受付嬢の声が掛かると慌てて振り返った。 さて、どうしたものか。というか何が起こったのか。 書類を受け取って、書き始める前までは確かに日本の市役所だったはずだ。 何がどうしてこういったことに…… 「あの、書類出来ました?」 「いや、ま、まだです。」 ともかくカウンターに視線を戻すと、紙の材質が変わりボールペンが羽ペンになっていた。 書かれた内容を見てみる。……いつ英語が出来るようになったんだ、俺? 綺麗ではないがさらさらと書かれたアルファベットに似た文字。 それを、まるで日本語を読むように理解する事ができた。 職業 プリースト プロンテラ大聖堂でアコライト、プリーストに転職。 両親とは死別しており、家族は姉・弟・妹の3人。 今回プロンテラに来る前はモロクに滞在していた。 俺の履歴とは似ても似つかない。両親は健在だし、一人っ子だからな。 しかし俺は何故プリーストという職業になっているのか、見当はついていた。 周りの様子を見る限りここは『ラグナロクオンライン』というゲームの世界観に限りなく近い。 俺はそのゲームをやっていて、メインのキャラがプリーストであったわけだ。 家族構成の姉・弟・妹についてもなんとなく心当たりはある。 何がどうして、というのはとりあえず置いておこう。ともかく俺はROの世界に来てしまったらしい。 メインのプリーストの姿になって、それで… 「…何してたんだ?俺」 「…プロンテラに滞在する手続き、ですが…。」 受付嬢が怪訝そうな顔をしながら答える。 そうか、こっちの世界でも引越ししようとしてたんだな。 「書類は…書けてますね。お預かりします。」 「それで、俺の引越し先は…」 「ええと…『プロンテラ住宅街第二区』ですね。」 「住宅街?」 「プロンテラの住民や滞在する冒険者の方が住む住宅が集まった区域です。  町の中央広場から北東にあるのが第一区、北西にあるのが第二区、  南東にあるのが第三区、南西にあるのが第四区です。」 「なるほど。」 「プリーストさんは第二区だから、北西の辺りですね。  町内地図をお渡しします。分からなくなったら、各所に立っている案内要員をお尋ねください。」 「はい、ありがとうございます。」 「それでは、今日もよい一日を。」 そう言うと受付嬢は笑顔で手を振った。 案内要員に何度も何度も道を聞きながら歩くこと数時間。 やっと目的の建物に着くことができた、…と信じたい。 持っていた荷物を抱えなおして中に入ろうとする…と、突然建物の中から人が飛び出してきた。 やたら慌てた様子のちょび髭を生やした中年の男。男は俺の姿を見るや全速力で近寄ってきた。 「き、君っ! ここの入居者!?」 「そ、そうですけど…」 「だったらっ、はい、これっ!」 男は脇に抱えた膨大な量の書類を俺に押し付ける。 「うおっ!?」 「よろしく! じゃあっ!」 言うなり、男は瞬く間に去っていった。 俺は何が起こったのか分からず、呆然とその場に立っていた。 …そうだ、いきなり渡されたこの書類はなんだ? 一旦荷物を足元に下ろして、書類を見てみることにした。 『プロンテラ住宅街集合住居の管理について』…… 集合住居というのは、複数の住民が一戸の建物に住まうアパートみたいなもののことだろう。 …それの管理について、ってどういうことだ? 書類を捲ってみると…段々その意味も分かってきた。と同時に嫌な予感も漂ってきた。 この書類には集合住居の管理人の仕事をするにあたっての決まりごとなどが書かれている。 推測するにさっきの男はこの建物の管理人なのだろう。そこから逃げ出すように出ていったから すぐに戻ってくるとは思わない。そしてこの押し付けられた書類…。 ちょっと待て。…やれっていうのか? ここの管理人を。 この町どころかこの世界に来たばっかりの俺にか? 何故こうとんでもないことが度重なって起こるのか…。 今日は厄日か確認したかったが今はカレンダーも何もなかった。やれやれ。 こうなってしまっては仕方が無い。管理人のことはまず入ってから考えよう。 正面の扉を開いてみるとそこには広い空間にカウンターとソファがある部屋があった。 カウンターの隣には上へ続く階段があり、部屋の奥には管理人室に続くと思われる扉がある。 どうやら一階がロビーで、住む部屋は二階と三階にあるらしい。 部屋に入ってみると物音が全く聞こえない。今この建物は無人のようだ。 住民は家を空けることがほとんど無いそうだから、ここに住んでいるのは冒険者達なのだろうか。 何にしろ、戻ってきたときにどう説明するか考えないと… 「たっだいまー!」 突然大きな音と声が背後から聞こえて心臓が止まりそうになった。 「あれ、誰かいる。」 恐る恐る振り返ってみると、扉からぞろぞろと冒険者が入ってきていた。 多分さっきの大声を出したのが今キョトンとした顔で俺を見る金髪ショートの女ハンター。 その後ろ、無表情で俺を睨む緑髪おさげの女マジシャンに、 並んで入ってきた温和そうなナイト・プリーストカップルもニコニコしながら俺の方を向いている。 あああ、なにもパーティで帰ってこなくても…。 ますます混乱する俺にハンタ子が話し掛けてきた。 「プリーストさん、ここに何か用?」 「あ、ああ。ここに引っ越してきたんだけど…」 「ああ、そうなんだ。部屋はどこなの?」 「え? …えーと…そこ、かな。」 「へ?」 俺が指したのは管理人室だった。 「なるほど。管理人が突然ねえ…」 ロビーのソファに座って、管理人についての事情を説明した。 最初は皆驚いていたが話を聞いているうちに納得していく様子だった。 ハンタ子はうんうんと頷くと、ナイトに話し掛けた。 「っていうか、管理人帰ってたんだね。」 「そうだね。…ここの管理人はあまり仕事をしない人でね。  住居にもほとんどいなかったんだ。」 「国への家賃の納金は一応してたから、辞めさせられはしなかったけれど…」 「突然帰ってきて、新規入居者のプリさんにその仕事を押し付けて逃げるなんて…  余程のことがあったんだろうねぇ。」 「…お姉ちゃん、楽しそうだね。」 ハンタ子がけたけた笑うと、隣でマジ子が呆れた溜め息をついた。 「それで、俺はどうすれば?」 「この書類を受け取ったからには管理人の仕事をしなければならないんだけど。  なに、心配はないよ。僕達も手伝うし分からないことがあれば教えるから。」 「遠慮無く、頼ってね。」 「…ありがとうございます。」 一通り話がつくと、ハンタ子が大きく伸びをした。 「ふああ…。それにしても久々の遠征狩りで疲れちゃった。」 「私も。部屋に戻ろう。」 「それじゃプリさん。また明日ね。」 ハンタ子とマジ子はこちらに手を振って、階段を上がっていった。 それを手を振って見送ると、ナイトとプリ子もゆっくりと立ち上がる。 「さて、僕達も戻ろうか。」 「ええ。…あ、プリさん。荷物運びは手伝わなくていいかしら?」 「あー、それは自分でやりますんで。どうも。」 「そうか。それじゃまた明日。」 荷物の整理が終わる頃にはすっかり夜になっていた。 俺が住むことになったのは管理人室の中にある部屋だ。 部屋にあったベッドに横たわると、やっぱり元いた世界のものとは違う感覚がした。 なんとなく寝心地が悪かったが、今日の疲れが手伝って割とすぐに眠りについた。