最近のMMOはリアリティが重視されてるらしい。 ラグナが始まった頃に比べたら、今はパソコンのスペックもグングン上がってるしね。 キャラも背景も可愛らしくデフォルメされたラグナみたいなMMOは今じゃ珍しく、 3Dで八頭身の美男美女がグリグリ闊歩するゲームは掃いて捨てるほどある。 あたしもそんなMMOをいくつかかじってみたけれど。 やっぱラグナぐらいの優しくデフォルメされた世界観の方が好きだった。 ********** ―――うん、確かにゲームはデフォルメされまくってるわね プロンテラの宿を出てから一時間、あたしとエッジは険しいミョルニール山脈を登り続けている。 ゲームで言う所の“プロ←↑”マップあたりだろう。 ゲームならプロンテラ西門を出て2分程で到着するはずのそこは、実際に“リアルで”歩いてみるとそのぐらいかかる。 「バカみたいに非常識な世界なんだからスケールだけリアルにする必要ないじゃんか…」 汗だくの額を拭って毒づくと、先を歩いていたエッジが振り返った。 「あん?なんか言った?」 「ううん。―――ほら、結構敵いるからさ、ここらへんで戦おうよ」 ポポリンやコーコーの姿が見え隠れする藪の中を指差してあたしは背中の荷物を降ろした。 「あー、まぁ、そうだな」 エッジも荷物を下ろして剣を抜いた。 「そこに座っててもいいから離れんなよ?オレ手首青アザになってんだから」 「はいはい、ご主人様」 あたしだってその度に首根っこ引っ張られるんだからお互い様だ。 石の上に腰を下ろしながらも、あたしは彼が走ったらすぐ追いかけられるようにその後姿を見送った。 あたし―――石倉ミサキ。 ゲームオタクの女子高生…のハズだった。つい三日前までは。 今はなぜかラグナの世界でエッジというナイトのペットになっている。 彼の近くにいる時は目に見えないけれど、実はエッジの右手とあたしの首は鎖で繋がっている。 あまりに離れすぎると鎖が現れ、二人とも引っ張られてすっ転ぶという仕組み。 頭では理解しててもこの鎖はやっかいで、気を抜くとすぐに痛い目にあうハメになる。 幸いトイレやお風呂入れる程度には離れる事はできるけど、せいぜい十メートルがいいところ。 それ以上離れると―――ウグッ いきなり後ろに引っ張られ、開脚後転状態で地面に転がり落ちた。 「ミサキ、動け!」 エッジの声に反射的に逃げるように逆に走りかけてまた転ぶ。 「ばか、こっちだ!」 剣を握る手をあたし(というか鎖に)に引っ張られ、三匹のウルフに囲まれたエッジは防戦一方。 ―――いや、デザートウルフとかハティとかの間違いじゃないのよ。 レベル74にして、彼はウルフと真剣に戦ってるのだ。 彼―――エッジ。 苗字などないただの“エッジ”。レベル74の両手剣ナイト。 茶色のボサボサの髪に同じ色の丸い目。童顔だが21歳だそうだ。 この三日一緒に生活してみてわかったのは、彼がビンボーかつ弱い、という事。 あ、ちなみにマンガにあるような“一つのベッドでドキッ!”とか“意外な一面にクラッ”とかはナイ。 文化の違い、とでも言うんだろうか。 喋るペットや人型ペットが当たり前にいる世界のせいか、彼を含めみんなあたしを“ペット”としてしか認識してない。 あのテイミング商人のお姉さんが言ってたみたいに、ヘンな趣味の飼い主もいたりするらしいけど 普通に考えれば犬や猫やインコにそういう感情抱く人がいないってのと同じことなんだろう。 そう言うあたしも、初日の笑顔に一瞬ドキッとしたのは現実世界でオトコに免疫がないからってだけであって。 この世界に慣れる事と毎日の狩りの疲れでそんな浮ついた話どころではなかったのだ。 「あー、くそ!痛ってえ…」 三匹目のウルフに止めを刺したエッジが噛まれた左手をかばいながら、その爪をナイフで折り取る。 何度見てもこの光景には慣れない。 「大丈夫?赤ポいる?」 「いんや、もうちょいガマンする」 折り取ったウルフの爪をあたしの方に投げ、エッジはうっすらと血がにじむ引っかき傷に唾をつけた。 “リアル”なラグナの世界では、倒した敵はその場から消えないしドロップもその場に落ちることはない。 まだ暖かいその体から売れる部分をもぎ取り、自分で始末をするのだ。 ―――イヤになるほどリアル。 ぱっくりと太刀筋の残る皮は売り物にならないと判断したのか、エッジはウルフの死体をガケ側に寄せた。 あたしはあまり見ないようにまだ血糊の残る爪を袋に詰めエッジを見上げる。 三匹の攻撃をかわしていた為に息は乱れ、手袋や紋章の入ったサーコートのそこここに血痕が飛び散っている。 決してゲームじゃ想像できなかった生々しい戦いの跡。 ウルフなんかと、なんて口が裂けても言えない彼の姿にあたしは黙るしかなかった。 ********** 「うっわ、なにそのステ!」 初日、部屋に入って落ち着いてエッジのステータスウインドウを見たあたしはそう叫んだ。 「ステ?」 ブーツについているゴテゴテした防具をはずし彼は首をかしげた。 「ちょい、頭動かさないでってば」 不自然な高さに浮く薄いエッジのステータスウインドウは、水銀の体温計のように角度で見え隠れする。 もう一度しげしげとウインドウを見て、あたしは深いため息をついた。 「…なんだよ」 「やっちゃったステなのね…」 ―――そうなのだ。 見た目からして強くはなさそうだとは思っていたけれど、そのステを見て更に驚く。INTだけが低い見事なフラットステ。 ううん、フラットならまだいい、よりによって一番高いステがLUKなのだ。 「なんでLUKなんかに振ってるかなぁ…」 「LUKって?」 「レベルアップした時にもうちょい考えなかったの?」 「レベルアップ…?」 エッジはあたしの言う一言一言の意味がまったくわかっていないようだった。 その時のエッジの話を総合すると、だ。 どうやらこの“リアルな”ラグナの世界じゃレベルとかステという概念がないらしい。 そもそも自分の頭の上にあるステータスウインドウが見えてないらしいから嘘ではないんだろう。 つまりこの効率悪いステは、生来のものか鍛えた結果なのかはわからないけど、どーしようもないって事らしい。 確かにこの3日間、街を歩く冒険者を見ても量産型とか二極なんてステの人はいなかった。 冷静に考えてみれば、野山を駆けずり回って敵と戦うのにVITのないウィズは足手まといだし STRのないハンターが大量の矢や罠を持って歩けるわけがない。 ―――あたし達の世界と同じように、特化した天才などそうそういるもんじゃないって事か。 ああ、どこまでいっても余計な部分だけ妙にリアル… ********** 「ミサキ、あれ行くぞ」 エッジの声で我に返ったあたしはエッジの剣が示す先を見た。 そこにいたのは巨大なクワガタ、ホルン。コーカサスとかギラファとか、もうそういうレベルではない。 ハサミの先まで入れたら自転車ぐらいの大きさはあるんじゃないだろうか。 ゲームではアコ時代散々叩いたハズなのに、本能的な恐怖に思わずブルッと震えた。 「…怖いのか?」 エッジが意外、とでも言いたそうに目を丸くする。 「お前最初はソヒー倒せとかスケワカ狩りに行けとか無茶言ってたのになぁ」 剣を握りなおしたエッジは距離を目測すると一気に飛び出した。 今度こそ鎖が邪魔しないようにあたしも一緒に近づいていく。あんなの相手にヘマをしたら大変だ。 ―――二日目の朝、狩りに行くというエッジに行き先を聞いてあたしは絶句した。 このレベルになってホルンを狩りにアコ捨て山に行くと言うのだ。 同室のクリスというプリさんは昨晩帰ってこなかったから(よくあるんだそうだ)ソロだとしても、 なんてヌルい所で狩ってるんだと驚いたのだ。 白ポを湯水のように使うお金はないけど、紅ポぐらいあれば休憩がてらフェイヨンぐらいなんでもないはずだった。 それを聞いたエッジはあたし以上に驚いた。 「お前…ソヒーに斬りつけられたらどんな大怪我するか知ってんの?」 ザシュッ! ホルンの隙を突いた初太刀が固い殻の隙間に突き刺さる。 「うしっ!」 その手ごたえにエッジは気合をいれ、足をかけて剣を引き抜いた。 返す刀で暴れるホルンのハサミを横に薙ぐ。―――浅い! ダメージを与えられなかったハサミで膝を打たれ、エッジは横様に倒れこんだ。 「あぶな…!」 叫ぶようなあたしの声に、彼は反射でそのまま横へ避ける。 ズンッ… 間髪いれずにその場所へ硬いハサミが突き刺さる。 飛び起きたエッジはもう一度殻の隙間に斬りかかった。 今度は深く決まり、そのまま力任せにホルンをひっくり返す。 足でその体を押さえたまま、エッジはやわらかい場所を探して深く剣を突きたて止めを刺す。 反射なのか最後の抵抗なのか、ホルンの固い体が折りたたまれるようにくの字に曲がり、ハサミが脇腹を突いた。 「……!!」 声にならない叫び声を上げ、エッジが膝をつく。 あたしは慌てて駆け寄り、初めて見る深い傷に息を飲んだ。一瞬、体が動かない。 四つんばいになり脇腹を押さえるエッジの手の下から、ジワジワと血が滲んでいく。 「あ…あ…」 「―――悪い…赤ポを…」 顔をしかめながら言うエッジの声に飛び上がるように反応していそいで荷物を探る。 コルクを抜くのももどかしく赤い液体をエッジに渡すと、慣れた手つきで傷の上にかけていく。 薬自体が赤いから、傷口からポタポタと垂れる赤いものがどちらなのかわからない。 それでも痛みにギュッと寄った眉が緩み、きつく閉じた目を開いた所を見ると効いているらしい。 「…大丈夫、なの?」 恐る恐る聞くと茶色い頭がコクンと頷いた。 「薬が効くまで、ちょっと休む」 エッジはそう言ってそのまま座り込む。あたしはオロオロとエプロンで彼を扇いでみる。 しばらくすると彼は顔を上げ、ふうっと大きく息をついた。 「ホントに…大丈夫?」 残った赤ポをぐいっと飲み干してエッジはシャツをめくり上げて見せた。 「どお?傷塞がってるだろ?」 シャツにはかぎ裂きと赤い染みがついているものの、肌には古い傷のような白い引き攣れが残っているだけになっている。 「ホントだ…」 赤ポで治る所を見ると、酷く見えたダメージもきっとHPの一割にも満たないのだろう。 ―――でもこれが赤ポレベルの怪我だとすると。 ソヒーやスケワカに立ち向かう事を考えて背筋が寒くなった。 回復剤使用前提の“効率の良い適性狩場”は毎回どんなダメージを負う事になるのか想像もつかない。 ましてやゲームみたいに白ポを叩きながらのトレインや背伸び狩りなどトンでもない。 できるだけ怪我をしないで敵を倒す、言われて見ればリアルな戦いだとしたらそれが当然なのだ。 これはゲームじゃない。 エッジは―――冒険者は命をかけて戦ってるんだ。 「なーに深刻な顔してるんだか」 当の本人のエッジは肩をすくめるとナイフで皮と角の切り離しにかかる。 これがリアルな生活、リアルなラグナロクの世界。 あたしはヨシッ、と覚悟を決めるとホルンのハサミを固定しエッジを手伝う。 「お前、グロいのに触るのイヤなんじゃなかったっけ?」 「あったり前でしょ!」 誰が好き好んでデロデロに体液流してる巨大昆虫の死骸に触るってのよ。 「ふーん」 “ま、いいけどね”と呟いてエッジは作業を続ける。 「―――これからは手伝うよ。自分の食い扶持ぐらいは返したいからね」 「おー、殊勝な発言だな」 「…悪い?狩りってこんな大変な仕事だと思わなかったのよ。二人でやれば早いでしょ?」 「…お前、そこまで便利になるとペットっつーかホムンクルスみてーだな」 アハハと笑うエッジに、思わず手が出て脇腹を叩いてしまった。 「ってー!」 「失礼な事言うのが悪いんでしょー。ペットってだけでも失礼なのにホムよばわり…」 「あー、何?女扱いして欲しいの?」 ん?と意地悪な笑みを浮かべてエッジはグイッと顔を寄せてきた。 「うっ…へぇ…?」 いきなりの接近に音を立てるほど赤面してマヌケな声を上げたあたしを見てエッジは噴き出した。 「ジョークジョーク!ペットに迫るほどオレ変態じゃないしなっ」 ―――あのねぇ。 「こーいうのはクリスの役割だわな」 エッジはまだあたしがあった事のない同室のプリを引き合いに出してクスクス笑っている。 うーん、会ってみたいようなみたくないような… ********** 夕日が山の稜線にかかる頃、ようやく山を降りたあたし達はプロンテラに戻ってきた。 街中に入ったので、ペットのようにエッジの後をおとなしくついて歩く。 汗と泥で薄汚れているけれど、収集品商人の前に集まる冒険者達はみんな似たような姿だった。 エッジの番が来て、しばらくそろばんを弾いていた商人が顔を上げた。 「うーん、全部で4986zかな」 「一日苦労してそれだけっ!?」 思わず叫んでしまい、ギョッとした商人と目が合ってしまった。 「…ずいぶんご主人様思いのペットだね」 苦笑した商人にエッジも調子を合わせて笑った。 「アリスなんて高価なペットつれるようなナリには見えないが…親密度は高そうだね」 商人はニッコリあたしに笑いかけてエッジに向き直った。 「―――オマケして5000zにしておくか」 「うわ、ありがとうございます!」 エッジは嬉しそうにお礼を言って、お金を受け取った。 店を出てもその恵比寿顔は続く。 「いやー、思わぬ所でペット効果が出たな!」 「…オマケって言ってもたった14zなんだけど…」 「よーし、今日は夕飯にデザートも付けようぜ!」 あたしの声は彼には届かないようだ。 ―――生きていくのも大変なんだなぁ… あたしは天を仰いだ。 空には、一番星。 現在の所持金は9821z。 エッジのレベルは74のまま。 ビンボーかつ弱いけど。 こんなリアルも悪くない、と思うあたしがいた。