赤ポはイチゴ味じゃなかった。 ―――これ、この世界に来て一番の驚きポイントなのかも。 コクン、とゆっくり赤ポを飲みながらあたしはそんな事を思っていた。 朝が来れば日も暮れるし、建物にはマップ上では省略されてたトイレもキチンとある。 肉商人のお店の周りは結構生臭いし、ホルンは自転車ぐらいの大きさがある。 どれもゲームをしてる間は思いもしなかった事だけど、味覚の刺激というのはそれらの驚きを軽く超えるものらしい。 甘苦い、というか植物の青臭い匂いと舌に残る引き攣るような感触に、小さい頃風邪をひいたときに飲んだ 子供向けシロップを思い出す。 「どうだ、良くなったか?」 エッジの声にあたしは軽く声を出してみる。 「あー…あー…… うん、だいぶ良くなったと思う」 さっきまでの掠れ声も出ない状態に比べれば、まだ喉に違和感はあるもののだいぶ良くなっている。 ホルンに脇腹刺された時にエッジもやってたけど、ポーション類は塗っても飲んでも効くらしい。 基本的に刺し傷や切り傷、打ち身には塗り、毒や疲労回復には飲んだほうがいいみたい。 あたしは首輪に圧迫されて喉を痛めたみたいだから、フタについた分を塗り、残りは飲んでみてる。 なんか歯痛に正露丸とかタイガーバーム詰めるみたいな話だけど、実際良くなってるのが不思議だ。 “ミサキちゃん…ゲームで何やってた?” クリスのこの問いかけに急に『キサ』のことを思い出してシリアスに叫んだはいいけれど、 一人で盛り上がり街中へ駆け出すあたしとは対照的にエッジはポカーンと口をあけて立ち尽くしてただけで。 当然音もなく現れた鎖に思いっきり首を引っ張られ、あたしはそのまま真後ろにひっくり返ってしまった。 当たり所が悪かったのかあたしはそのまま気を失い、気がついたらエッジのベッドの上だった。 その上今考えれば『キサ』のいそうな所に心当たりなんてまるでなかったんだよね。 ―――あー、カッコ悪ぅ… しょげつつ赤ポを飲み干したあたし―――石倉ミサキ、花のゲーオタ女子高生15歳。 ゲームでは『キサ』というハイプリをやっていた。 デビルチの卵(らしきもの)の中からラグナの世界に誕生し、そのままエッジのペットとなっている。 飼い主と離れると首輪と鎖があたしを拘束する仕組みになっているのがやっかいだ。 別に逃げ出そうとかしてるわけじゃないんだけどねー… 不自然に見えないようアリスの衣装を着てるけど、ぶっちゃけるとあんまり似合ってない。 女子高生らしく多少脱色はしてるものの黒いクセッ毛は肩のところで跳ねてるし、 未だに中学生と間違えられるメリハリのない体は女らしさの欠片もない。 これで華奢ならそーいう好みの人もいるだろうけど、あいにく骨太健康優良児。 これがリアルなら、痛いコスプレ女として絶対どこかに晒されるよ、うん。 「行き先もわかんないのに急に駆け出すなよなー」 呆れたように文句を言うのはあたしの飼い主、エッジ。 メチャクチャなステの両手剣ナイト。レベルは74。 茶色い髪に丸い目をした21歳、特徴はビンボーで弱いって事ぐらいしかない。 こういうファンタジー世界に出てくるには、言っちゃ悪いが普通すぎて失格だ。 性格は悪い奴ではないんだけどね。 普段は見えないがこいつの手首にあたしの首輪は繋がっている。 いくらあたしが骨太とは言え両手剣をブン回す男とは体格が違うわけで、大抵引っ張られ転ぶのはあたしの方なのだ。 その横で冷めてしまった日替わり定食を食べているのはプリーストのクリス。 本名クリスチャン。22歳。 プリでクリスチャンって!と思わずツッコミ入れたくなるけど、キリスト教じゃないんだよね、確か。 金髪碧眼の“ザ・王子様”なルックス。レベルは77。 エッジの話を総合すると、かなりの女ったらしみたい。 まぁこのルックスなら頷ける。 初対面のあたしを馬乗りでくすぐり倒すエゲツない性格だけど、INTあるだけ頭も回る。 この世界があたしのゲームなら、“ゲームの中のあたし”がどこかにいるはずだと気付いたのも彼なのだ。 疲れて帰って来て寝てるところにあたしの足の治療、続けて鎖を切るためのホーリーライト、 オマケに倒れて打ったあたしの頭にヒールをかけた所でSPが切れてしまったらしい。 「その『キサ』ってのがどこにいるのか、マジでわからないの?」 冷たくなったお肉をモグモグ食べながらクリスはあたしを見た。 「―――うん。敵対ギルドに会議してる所とかクロークで見られるのイヤだったから 決まった溜まり場って作ってなかったんだよね」 「…お前らアサシン集団かい」 呆れたようにエッジが突っ込む。 「ハイプリだってば!―――あ、強いて言えば砦ぐらいだね、定期的に行く所ってのは」 「砦…って言ってもなぁ」 エッジはうーん、と腕を組んだ。なんとなく信じてないような表情。 「…もしかしてあたしの話信じてない?」 「いや、そういう訳じゃないけど砦なんて話がオレには大きすぎてさぁ…」 そう言ってエッジは助けを求めるようにクリスを見た。 「―――なんて言ったっけ、そのギルド」 「レッド・ハウンズ」 あたしが答えるとクリスは軽く眉根を寄せた。 「…知ってるのか?」 「知ってるには知ってるけどさ」 話しにくそうにクリスはわざとゆっくりお茶を飲んでから続けた。 「―――カラー・ハウンズはあんまいい噂聞かないぜ」 「…まぁ、そう思う人もいるかもしれないけどね」 あたしは不承不承認める。 カラー・ハウンズ。 猛獣の牙がエンブレムのGvギルド。 アルデバランのルイーナ砦の常連にして不沈艦と称される同盟だ。 ギルドの生命線、アルケミやBSを擁する経済集団『ホワイト・ハウンズ』。 ただ強さを求め戦い続ける戦闘集団『ブラック・ハウンズ』。 砦を保持し敵を寄せ付けない守りのスペシャリスト『ブルー・ハウンズ』。 ―――そしてカラー・ハウンズの頂点に立つトップ集団、『レッド・ハウンズ』。 レッド・ハウンズが動く時、落ちない砦はなかった。 その赤い牙のエンブレムはカラー・ハウンズの憧れであり、他のギルドの憎悪の標的だった。 やってもいない不正行為で鯖板に晒される事もあったし、その報復もやってきた。 でも、あたしはその赤いエンブレムを誇りに思っていた。 「でも、レッド・ハウンズに接触しようと思ったらルイーナ砦まで行かなきゃなんないぜ」 クリスは“どうするよ”とエッジを見た。 「あー、遠いなぁ…ステムワームとアルギオペか…ソロじゃ絶対ムリだわ」 「―――ち、ちょっ…歩いていくつもり!?」 「そのつもりだけど?」 「だって…転送は?」 「イズルードまで歩いて一時間、そこから転送で1800z」 「…う」 エッジのお財布事情を知ってるだけにそれで行こうなんて気軽には言えない。 あたしが入ってた卵を買う為に全財産はたいたらしく、さっき今日の宿代払ったら 5000zちょいまで減ってるのを見てるのだ。 「行ったら日帰りできないだろうしなぁ…。クリス、明日から予定入ってるか?」 「いや。いろいろ誘われてはいるけどね。―――ま、俺に会いたいなら女の方から来るだろうしな」 ニヤッと笑ったクリスは悔しいがカッコ良かった。 「よーし、んじゃしばらくアルデバランに宿移すか」 エッジが言うとクリスも頷いた。 「―――ありがとね。エッジ、クリス」 それしか手がかりないとは言え、二人がすぐに行動してくれるのが嬉しくてあたしは素直に頭を下げた。 「女のコに優しくするのは俺のモットーですから」 クリスはカッコつけてウインクしてみせる。 「…オレが飼い主だしなー」 ―――エッジのセリフは締まらないが。 それでもその優しい目に、あたしは何より安心するのだ。 ********** 次の日朝早く宿を出たあたしたちは一路北へと向かった。 歩くだけなら(と言ってもあたしにはかなりキツいんだけど)半日もあれば到着するけど 途中アクティブの敵がいるマップをいくつも通らなければいけないから歩みは遅くなる。 なんとかアルデバランの門が見えてきたときには、すでに辺りは暗くなってきていた。 先頭を歩くエッジはさっきから無言。 その剣は常に抜き身。 できるだけ戦いは隠れたり逃げたりで避けてきたけれど、これまでにアルギオペ三匹と戦った。 明らかに強敵であるアルギオペとの戦いは剣で斬り裂く、なんてスマートなものじゃなくて。 斬りかかっているように見えるのは最初だけ、後は泥臭い殺し合いが続く。 飛び散る蟲の体液は悪臭を放ちながら剣を握る手を滑らせ、脂の多い肉は刃をただの金属の棒へと変えてしまう。 クリスもヒールやホーリーライトだけではなく、時には自ら囮となってエッジの体勢を立て直す時間を稼いだけど それでも戦いが終わるときにはエッジは立ち上がるのも困難なほど疲れ果てていた。 一度、エッジは不自然な形に倒れた所をその巨体にのしかかられ、腕がミシリと嫌な音を立てた。 怪我そのものはクリスのヒールの連発でほとんど治るものの、体に残る痛みはすぐに消えないらしく 左腕はだらりと力を抜いたままだった。 ―――こういうシリアス展開、苦手なんだよな… あたしは並んで歩くクリスを横目で見た。 彼も汗だくで歩きながらこまめにヒールを相棒にかけているが、その光はだんだん弱まってきている。 情けない話だが、あたしにできる事はほとんどなかった。 アルデバランの門をくぐると、二人は運河の脇のベンチにへたりこんだ。 「やべ、俺もう限界…」 情けない声を出したのはクリス。元々エッジの半分ぐらいしかVITがない。 一度も自分にヒールをかけてない事をあたしは気づいていた。 「あー、オレもちょっと立てないわ」 エッジも力なく笑う。その頬は血と汗と土ぼこりでグチャグチャで、ヒールしきれない細かい傷からは 未だに血がにじんでいる。 「………」 そんな二人の姿を見てたら、なんか自分が情けないのと申し訳ないので不覚にも涙が出てしまった。 「ミ…ミサキちゃん!?」 驚いたクリスが思わず腰を浮かせた。 「あ…はは、ゴメン。なんか無理させちゃって…こんなに大変な道のりだと思わなくって」 大丈夫、とブンブン両手を振って笑ってみせる。 「今更気にするな、ちっこい悪魔のクセして」 エッジは憎まれ口を叩くが、その目は怒っていない。 「昨日までの臨時PTに比べりゃラクなもんさ。俺をめぐる女の争いもないしなー」 アハハとクリスは笑う。―――冗談じゃなさそうなのが怖いところだ。 あたしもぐしぐしっと袖口で涙を拭ってクリスの笑いに応えた。 「―――それじゃ、収集品売ってくるよ」 少し先の商人のテントを指差し、あたしは荷物を担ぎなおした。 そのくらいの距離なら、鎖が邪魔をすることもないだろう。 実は戦い終わり彼らが息を整えている間、あたしはその短い足とか道端に生えている緑ハーブを集めていた。 二人の必死の戦いを間近で見てたもんだから、もう肉の塊に手を突っ込んでジャルゴンを摘み上げるのにも 抵抗がなくなってる。 「おう、よろしく頼むなー」 エッジの言葉を背に、収集品の鑑定を待つ冒険者の輪に加わる。 そんなに混んではいなかったはずが、後ろにいた誰かに押された拍子に足元の枯れ枝を踏みつけた。 パキッ 枝が砕ける小さな乾いた音が足元で聞こえた。 ―――小さな音なのに、ゾクッと全身に鳥肌が立つ。 そう感じたのはあたしだけではないようで、何人もの視線があたしの足元に集まった。 「あ…!」 慌ててあたしの横から飛びのいたウィザードの足が、別の枝を踏み折る。 パキッ そして周囲から、驚きの声と怒号が一斉にあがった。 「―――テロだ!」 「逃げろ、一体じゃないぞ…!」 その声にパニックは広がり、町の住民も一斉に動き出した。 それがまた別の枝を踏むという連鎖に広がる。 「ひゃっ…!」 足元から地を割るように現れたモンスターに、あたしは文字通り飛び上がった。 ガリガリガリガリ…ジャキンッ! 石畳を金属がゆっくりこする不快な音。 細い錆色の骨だけの下半身に不釣合いなプレートメイル。 古いヘルムの奥に宿るのは虚ろな二つの黄色い瞳。 ―――カーリッツバーグ! 石畳をこすりつつ掲げたサーベルの切っ先は、その瞳と同じく真っ直ぐにあたしを示していた。 射竦められる、とはこういう状態を言うんだろう。 “死”という原始的な恐怖の匂いを感じながらも、あたしは一歩も動くことができなかった。 「ミサキ!」 エッジの裏返った叫び声が聞こえる。 振り返るとすぐそこにエッジの伸ばした腕があった。 まだ声も出せないまま、その腕に体を絡め取られ頭から地面に引き倒される。 その瞬間頭の上をカーリッツバーグのサーベルが無造作に薙ぐ。 ―――ッキィン! エッジは次に襲った一撃をリカッソで受け、そのままカウンター攻撃に移る。 クリティカル! その一撃は鉄の亡霊の左腕を砕き飛ばした。 ―――ヒュッ だが体勢を崩した所を追撃に動いたエッジを、痛みを感じないカーリッツバーグの右腕が襲う。 今まで戦ってきた生物敵と違う相手だという事を、エッジはわかっていなかった。 それは痛みや恐怖を感じることのない―――ただ殺戮のためだけの体。 躊躇いのない一撃に左肩から袈裟懸けに斬り付けられた。 「エ…エッジ!」 倒れたまま顔をあげたあたしに生暖かい血飛沫が降り注ぐ。 さらにそこへカーリッツバーグは追い討ちをかけ――― 「…動け動けっ!」 横から割り込むように叫び、カーリッツバーグに体当たりしたのはクリスだった。 その声に動かされ、我に返った冒険者達が暴れるモンスターに向かい始める。 レベルはカーリッツバーグほど高くないものの、その数ざっと二十。 乱戦の中こちらに加勢する者はまだいない。 「クリス!―――クリスクリスクリスッ!!!」 倒れたエッジの肩を押さえクリスの名を呼ぶ。 力いっぱい傷口を押さえても、流れ出る血の勢いは止まらない。 「クリス!助けてクリス!」 震える片手で荷物の袋を逆さにし、ありったけの赤ポを傷口にふりかける。 「止まらない…止まらない…」 絶望的な出血に意識を失ったエッジ。 目の前にはSPが尽きてなおカーリッツバーグと対峙するクリス。 ―――そして何もできないあたし。 あたしは…本当に何もできない… 「そこのプリ、どけ!―――シャープシューティング!」 突然後ろで太い声が響き、クリスが避けた瞬間にすぐ後ろでストリングが弾けるような音を立てた。 ―――バシュッ 空気を切り裂き、矢がカーリッツバーグの虚ろな兜を吹き飛ばした。 「…サンクチュアリ!」 次は小さいながら凛とした女性の声。 それに呼応しエッジを中心にした光の絨毯が現れる。 それが何を意味するかすぐに悟ったクリスはもう一度体当たりし、 サンクの中に頭を失ったカーリッツバーグを押し込んだ。 …それで終わりだった。 不死の者のあっけない最期。 エッジの体を癒す光は、そのまま生きざる者を滅す刃となった。 サンクの中でエッジの頬に赤みがさし、そのハシバミ色の瞳に光が戻る。 「…ありがとうございました」 エッジの傷口が徐々に閉じていくのを見て、クリスが乾いた唇からやっと言葉を紡ぎだした。 あたしはまだ震える体を制御できず、無言で救ってくれた二人を見上げる。 エッジよりさらに上背のあるスナイパーは、ぐるっと周囲を見回して弓を納めた。 あたし達の事も、感情の読めない視線でちらっと見る。 「…あらかた終わったみたいだな」 その声はあたし達ではなく、サンクチュアリを唱えた隣の女性へ向けたものだった。 「―――どいつの仕業だか調べるか?」 女性は首を振った。 「―――行きましょう」 足元のあたし達を気にする様子もなく踵を返したその女性にあたしは見覚えがあった。 ********** 燃えるような赤い髪。ゆったりと背に流れたそれはクセのないきれいなストレート。 髪よりなお赤い真紅の僧服は、華奢な彼女の体を凛とした空気で包む。 血生臭い戦いとは無縁に思える白い肌に細い腰。 何事にも動じない冷静な判断と正確な技術でギルドを導く女神。 ―――あたしがなりたかった“あたし”。 「キサ…」 その呟きに彼女が振り返る。 その冷たい瞳には驚きはなかった。 「―――あなた、誰?」