「はぁ…」 俺は、また ため息をつく。 この三日間というもの、俺はベッドに転がってため息ばかり付いていた。 ため息をつくことで 悲観的にしている自分を確認し、自己陶酔していた だけなのかもしれない。 あの夜のことは当然忘れられるわけもなかったが、どこか一線を引けた気がする。 そもそも俺の住んでいた世界とこの世界は違うのだから、ユキさんたちのような選択も ありなんじゃないかなぁ…と、今ではもう客観的にというか、他人事的に 受け止めようとする自分がいた。 「……よし、そろそろ何かするかー…。」 この世界にやってきて 昨日で丸一週間が経過していた。 そろそろ気持ちを新たに…俺はやる気なく意を決し ベッドから起き上がった。 とりあえず化粧をし、ハイプリの衣装を身に纏う。 ここらへんの動きは 随分慣れてきた感じだ。 「プロンテラにいる必要もないんだよな…。」 そもそもプロンテラに滞在していたのは 偶然プロンテラでユキさんたちと出会い、 そのまま流れで一緒に滞在していた、というだけの理由だっだ。 しかし今やユキさんたちとは別れているわけで、ここにいる必要も理由も何も無い。 きっと彼女たちがここに戻ってくることもないだろう。 「まずは街を変えるか…。」 俺はチェックアウトを済ませ、宿屋の横でワープポータルを唱えた。 おなじみの4つの景色が頭に浮かぶ。 プロンテラ、ゲフェン、アルデバラン、リヒタルゼンの4都市だ。 その内 リヒタルゼンはアインベフ鉱山の行きに、 プロンテラはアインベフ鉱山の帰りに、 ゲフェンはローグとの戦いに向かうときに使っていた。 行ったことがないのはアルデバランだけだった。 「うん、しばらく時計に行ってみようかな。」 アルデバランの景色を強くイメージすると、目の前に光の柱の扉が開いた。 軽い浮遊感の後、そこはアルデバランだった。 どうやら街の中心からは随分離れているようで、かなり遠くに時計塔が見えた。 時計塔に身体を向けると ちょうど左右に大きな建物が見える。 太陽の方向から察するに 右手がアルケミストギルド、左手がカプラ本社と いったところだろうか、どちらかと言えばアルケミストギルドに近い場所だった。 「あれ、随分微妙な場所に出ちゃったなぁ…。」 時計塔のあたりに出るものかと思い込んでいたので 俺はつい不審者のように あたりをきょろきょろと見回してしまった。 近くの建物を仰いで見ると、どうやらそこは集合住宅…アパートのような建物が 固まっている区域のようだった。 「もしかしたら この娘、ここらへんに住んでたのかな…?」 ワープポータルでたどり着いた路地をくるくると、あても無くまわってみることにした。 「クリスさ〜〜〜〜〜ん!!」 …ふと、上の方から声がした。 視線を向けると、建物の3階からこちらに手をぶんぶんと振っている女の子がいた。 まわりを見ると、みんなが彼女を見ている。 うわー、呼ばれてる人かわいそ〜…と心の中で苦笑し、俺はまたふらふらと歩く。 「ク〜リ〜ス〜さぁああぁあああああん!!!」 しばらくすると、また女の子の大きな声が響いた。まわりを見ると、またみんなが 彼女を見ていた。 あちゃ〜、むっちゃ目立ってるよ〜…と笑いを堪えていると、いつの間にか 女の子の姿は見えなくなっていた。 またしばらくふらふらしたが、それだけで何が分かることも無い。 「とりあえず時計塔の方に行ってみようかな〜。」 誰に言うともなく、俺は時計塔を目指すことにした。 時計塔前にはプロンテラ程ではないが露店が並び、冒険者たちが集まっていた。 WIZ系やプリ系がよく目に付き、ひっそりとアサシンも散見された。 「そういやアサシンって、暗殺者だもんなぁ…。」 とつぶいやいてしまったのは、実はこの一週間 アサシンや忍者といった、 いわゆる闇の職業はほとんど見たことが無かったからだ。 ゲームだとそこら中に見るのだけれど、やはりこの世界とは違うらしい。 露店をまわってみたが、時計塔必需品の鍵や消耗品などの販売が目に付いて めぼしいものはなかった。 気が付くと、陽が随分西に傾いている。 正直、時計にきたはいいけど何もやっていない…そんな状態だ。 仕方ないから宿屋でも探すかな…。 そう思い ふと後ろを向くと、アルケミストの女の子がこちらを、息を切らして見ていた。 左右に身を捻り後ろを確認したが、後ろには特に誰もいなかった。 はて、何だろう…とは思ったが、軽く会釈をして横を通り過ぎようとすると、 その女の子は俺に声を掛けてきた。 「クリスさんっ!!」 えぇっと…、と思い後ろをまた振り返ったが やはり誰もいなかった。 あれ、本当に俺なのだろうか…、そう察して右手で自分を指差すと、女の子はうんうんと頷いた。 「あのー…人違いじゃ…?」 恐る恐る声を掛けると、女の子は大きく驚いた。 一瞬後ろに「ガーン!」という漫画の描き文字が見えた…のは気のせいだろう。 「え…あれ、クリスさんじゃない…?」 呆気に俺を見る女の子だったが、俺のカバンを指差してまた大きな声で叫んだ。 「ああぁーーーーーー!!」 その声に俺はびくっとした。 「え、何?」 おどおどとカバンを見たが、特にいつもと変わりない。 「やっぱりクリスさんじゃないですかー、何で知らん振りするんですかー!?」 近くによってきた女の子は 俺のカバンに付いていたネームホルダーを右手でつかんだ。 「ほらこれ…私が作ったやつ……」 ぐすん…と鼻をすすりながら言う女の子は、嘘を付いているようには見えなかった。 まさか本当に知り合いなのかな…とは思うものの、ネームホルダーには"ニーナ"と 刻まれている。 「あのー、私の名前、ニーナって言うんですけども…」 恐る恐る言う私に、女の子は涙を浮かべながら答えた。 「知ってますよクリスさん!…ニーナ=クリスティアさんでしょ?」 あー、クリスってファミリーネームの方だったのかー…と今更に知った俺はかなり切なくなった。 「えっと…あの、うん、こんにちは…?」 しばらくの沈黙の後、やっと出た俺の言葉はそんなものだった。 「う〜、こんにちは〜…!」 女の子は俺を恨めしそうに見ていた。確かに知人に知らん振りされたらへこむが、 実際俺の場合は仕方ないだろう…と心の中で誰かに許しを乞う。 そして次の言葉が出なかった。切り出す話題が無いし、正直どうして良いのか分からなかった。 「えっと…最近どう?」 どうにか振り出した台詞はまたおかしなものだった。…まるで思春期の子供に親が言うような。 「どうしたんですかクリスさん!…なんか、おかしいですよ…?」 俺の渾身の振りを華麗にスルーした彼女は、実に単純明快なその質問を発してしまった。 俺は正直どうしようもなく、漫画に出てくるようなあの展開に救いを求めた。 「あの、実は…記憶喪失になっちゃいまして><;」 そう言う俺の台詞に、その女の子は目を丸くしていた。 「クリスさん、どうぞどうぞ!」 そう言って女の子が案内したのは彼女の部屋だった。 部屋に通され、窓から外をぼーっと眺めていると 夕陽がじりじりと地平線に 近寄っていくのが分かった。 「はい、お待たせしました!」 トレイに紅茶を乗せて、明るい声で運んできた。 はいどうぞ、と言った感じで俺の前にティーカップを置く。 「あ、ありがとうございます。」 軽く頭を下げ、ティーカップを両手に取る。手に伝わる温もりが気持ちよかった。 「さてクリスさん!何でまた記憶喪失になったんですか?」 俺の向かいに座った彼女は極普通に、最も気になる質問をしてきた。 「さぁ…全然覚えてないもので…。」 ふぅ、と外に目を移す。それを見た女の子は急に申し訳なさそうに黙り込んでしまった。 「…うん、あの、ごめんなさい。」 また静かな妙な間があった後、俺は真剣な調子で女の子の方に 身体を改めた。 「え、はい!」 改まった俺に、彼女もびくっとなりつつ姿勢を改めた。 「あなたにこんなこと、聞きたくないんだけど…。」 俺はまず、とても申し訳ない気持ちでいっぱいになった。 「いえ、私に答えられるものなら!何でも聞いて下さい!」 女の子は俺を心配そうな、元気付けるような目で答えた。 「うん…、とっても聞きにくいんだけど…」 俺はつい目を下にそらしてしまう。声が小さくなったのが自分でも分かった。 「はい、なんでも!」 女の子は目を輝かす。何でも答えてくれそうな雰囲気だったが、俺の質問は極単純なものだった。 「あの…あなたのお名前、何でしたっけ…?」 もじもじ言う俺を前に、女の子は豪快にずっこけた。 -------------------- 2007/06/28 H.N