「はぁ…」 彼女は、また ため息をつく。 さぞかし俺…というか、"ニーナ"に忘れられていたのがショックだったようだ。 「私、記憶喪失なんてお話の中だけのものかと思ってました、はい。」 彼女はひたすら信じられないような表情を浮かべ続けていた。 実際には ゲーム外の人間が中に入っているという、さらにとんでもないことに なっていたのだが、そこは触れないでおくことにした。 「何も思い出せなかったので、とりあえずポタのあった ここにきたんですけど…。」 言いながら この街にやってきたときを思い出す。 そういえば彼女が大声で俺を呼んでいたことを思い出した。 「あ、さっきは3階から呼んで頂いたのに、無視…しちゃったってことになるのかな…。」 俺が小さな声で言うと、彼女は手をぶんぶんと振って慌てふためいた。 「いえいえあれくらい!私の方こそクリスさんがこんなことになってるとは知らずに!」 必死に弁明する彼女。普通相手が記憶喪失になってるなんて想定はするものでは ないと思ったが、この台詞も彼女のキャラクターならではのものなのだろうか。 「あ、話は戻りましてですね。私の名前なんですがー…」 彼女が改まって言うと同時に、ドアがノックされる音がした。 「こんばんわー。」 彼女がドアを開けると、男の騎士が明るく挨拶をした。 「あ゛…」 その騎士を見るや、彼女の顔がみるみる曇っていく。 「あああ、すいませんすいません、まだ半分しかできてません!!」 そしてさらに急にペコペコ謝り始めた。 「ええ!?もう約束の時間過ぎてるよ!?」 騎士は驚いたように自分の懐中時計を見た。 「わわわ、すいません、代金半分でいいんで!すいません、1時間待って下さいっ!!」 彼女はそう言いながら俺の方を見た。 「クリスさん ごめんなさい、製薬するので支援下さいっっっ!!」 泣きそうな彼女と困り顔の騎士が俺を見る。断れるわけがなかった。 「ブレス!速度増加!グロリア!!」 支援を掛けると、彼女は驚くほどの手際で白ポーションを作成していった。 たまに高速で左側に置いたゴミ箱に諸々捨てていたが、失敗のタイムロスも ほぼ無く、かなり熟練しているように見えた。 「へぇ〜、鮮やかなもんですねぇ…」 俺の言葉に反応して、へへっという表情をこちらに向けてくる彼女だったが、 次の瞬間手元で何か砕け散る音がした。 それを見てあわあわと慌てる彼女。 終わるまで話しかけません…と、俺も少し反省。 支援を度々掛けつつ、そういや結局 名前は何だったんだろう…と思いつつも とりあえず頭の中では名前が判るまではケミ子(仮)さんと呼ぶことにした。 その後、鮮やかな手つきで、白ポーションが100本完成した。 ケミ子(仮)さんは奥の部屋から木箱をカートで運んできた。 「すいませんお待たせしました、白ポ200本ですーっ!」 今作った100本と作り置きの100本で合計200本。 ゲームでの200本は所詮アイテム欄1マスだが、実際に見るとかなりの量だった。 「うん、なんとかぎりぎり間に合いそうかな…。まぁ一応 今回は全額払うけど…次回は気をつけてね!」 お金を払い白ポを運び出す騎士さんに、ケミ子(仮)さんはひっきりなしに謝っていた。 「はぁ〜、大失敗でしたぁっ…」 納品が終わると ケミ子(仮)さんは床にごろんと寝転がった。 「あはは、お疲れ様です…。」 俺は苦笑しながら彼女を労った。 「あ!!」 ふいにまたケミ子(仮)さんが叫んだ。 「え?な、なにか!?」 慌ててケミ子(仮)さんを見ると、またしても泣き顔でこちらを見ていた。 「ああああのあの、明日の朝、まだ納品するものがあったんでした…っ!!」 陽はもう暮れていた。 「あはは…支援ですね……。」 何時に終わるか判らなかったが、俺はまた手伝わざるを得ないようだった。 結局全てが終わったのは深夜2時頃。 「むにゅむにゅ…クリスさん、本当っにありがとうございましたぁ〜…。」 ケミ子(仮)さんは本当に眠そうで、疲れでへろへろだった。 「あ、今から…ご、ご飯用意しますね…むにゅ……」 目はもう半分以上閉じていた。 「あ、いいからいいから、今日はこれで休んで?」 慌てて彼女をベッドに誘導する。 「す、すいません〜…。…あ、あのクリスさん…」 ほとんど寝かけている状態で俺に言う。 「…今日は……」 台詞が最後まで終わらない内に、ケミ子(仮)さんは寝てしまった。 「う…これ、朝も心配だな……。」 壁にあったカレンダーを見ると、赤い文字で"6時納品!(時計前)"と書いてあった。 準備するのに1時間くらい掛かると考えると、眠れる時間は3時間ほどしかなかった。 ケミ子(仮)さんの寝顔を見る限り、後3時間では絶対に起きそうにない。 もちろん俺も、3時間で起きる自信はなかった。 「選択肢が徹夜しかありません!」 誰にともなく言いながら、ベッドの横に丸めてあった毛布をケミ子(仮)さんに掛ける。 「…お母さん、ありがと〜…」 と眠りながら言うケミ子(仮)さんだったが、そういえば以前にもこんなことあったなぁ…と 笑いがこみ上げてきた。 「朝ですよ〜。起きてくださーい。」 5時になるのを確認し、ケミ子(仮)さんを起こす。 「むにゃ…」 ケミ子(仮)さんは上半身を起こした。 時計を見て、俺の顔を見る。 「あ…、時間ですね!?」 ケミ子(仮)さんは急にあわあわして納品する荷物に向かう。 「クリスさん、今日もすいません!ポタお願いします!!」 起き掛けなのによく動くなぁ…と思いつつもワープポータルを唱える。 アルデバランの街並みを強く意識すると光の柱が出現した。 「前の路地行き、開きました〜。」 「じゃ、この荷物お願いしますっ!」 ケミ子(仮)さんはそう言い残して光の柱に消えていった。 「えっと…荷物をポタに入れていくんだよね…?」 とりあえず荷物を一つ入れてから窓まで走り、外を見てみる。 路地でケミ子(仮)さんが、今入れた荷物を引きずっているのが見えた。 問題無さそうだったので 残りの5箱もポタに入れ、その後 俺も光の柱をくぐった。 時計前に6時、無事納品することができた。 「あーもう本当に!クリスさんありがとうございました!」 またもやペコペコするケミ子(仮)さんに、俺は少し困って笑いかけた。 「いえいえ…。でも とりあえず昨日は眠ってないんで… 荷物取ってきてから、どこか宿取って寝てきますね〜。」 歩きながら言う俺を、ケミ子(仮)さんはじーっと見つめていた。 「……あ、そうですね、記憶喪失だったんですよね…。」 ケミ子(仮)さんは一瞬寂しそうにしたが、俺の十歩ほど先まで急に走って足を止めた。 んーっと両手背筋を伸ばし、深呼吸をした。 「いえ、正直いじわるされてたんじゃないかなって思ってたんです。 …嫌われちゃったかなって♪」 くるりとケミ子(仮)さんは身を翻し、俺を見て微笑んだ。 「えっとですねぇ、クリスさん住んでたの、私の部屋の隣なんですよ!」 てへっというケミ子(仮)さん。 「え…本当?」 それは本当に予想外の展開だった。 「もう、本当に忘れちゃって…。」 ケミ子(仮)さんは寂しげに微笑んだ。 ケミ子(仮)さんの部屋に自分の荷物を取りにいく。 彼女もかなり眠そうなので、お互いおやすみの挨拶で別れた。 そして俺はニーナの部屋の前に立った。 幸運なことに、一人暮らし。ここで家族と一緒だ〜とか言うオチだったらまた 大変な展開になっただろうから、その点だけは救われたことになる。 カバンの中から鍵が3本付いた束を取り出す。適当に鍵穴に入れていくと、3本目の鍵がはまった。 差し込まれた鍵をゆっくり回すと、がちゃりと鍵が開く。 ゆっくりとドアを開ける。 少し篭った空気が外に流れたが、気になるほどではなかった。 他人の部屋だが自分の部屋。本来 在り得ない奇妙な場所に、不思議な恐怖を感じた。 鍵を開けてから20秒ぼどで 俺はようやく部屋に入る決心ができた。 深呼吸して部屋に入る。ドアを閉める。一歩二歩とゆっくり入っていく。 数歩入ったところで、部屋の全体を確認することができた。 「これは…」 俺は思わずつぶやいてしまった。そこには─…… -------------------- 2007/07/01 H.N