『いつも笑顔!クローバー商店街』 四つ葉のクローバーを持った不細工なニワトリが笑っている。 この緊張した光景と似合わないシュールな絵。 その絵が描かれたプレートをスナイパーは凝視している。 ここはテロ制圧直後のアルデバラン。 モンスターの死体が散らばり、まだ興奮の収まらない人間が何か大声で叫んでいる。 傷は癒えたものの、まだ焦点の定まらない目をし血まみれで横たわるエッジ。 顔に彼の血を浴びながら赤い髪のハイプリを見つめるあたし。 へたりこんだまま命を救ってくれた二人を見上げるクリス。 『いつも笑顔!クローバー商店街』 エッジの首からさがるその認識標を見たスナイパーは 笑いと困惑が入り交じったような複雑な表情をした。 「クローバー…商店街…?」 その困惑が嘲笑に変わるまでに、そう時間はかからなかった。 そして大爆笑に変わるまではもっと短かった。 ********** 「だーかーらー嫌だったのよ!」 そう言って何の肉だかわからない唐揚げに噛り付いたのはあたし―――石倉ミサキ15歳。 ちょっと前まではどこにでもいるゲーオタ女子高生。 今は訳あってアリスとしてそこに寝ているナイトのペットをやっている。 お世辞にも美少女とは言えないが、愛嬌のある顔(ただしペットとして)というのがクリスの評だ。 「まぁカッコイイとは言えないけどなぁ」 そのクリスは自分の胸元の同じプレートをいじった。 クリス―――街ですれ違ったら思わず振り返るくらいの美形プリ。 睫毛なんかあたしより全然長いんじゃないだろうか。 大きく開けた胸元もセクシーな、その王子様然とした首元に例のフザケたニワトリが笑っている。 「割引きくし結構便利なんだぞ、コレ」 血まみれの服を脱ぎ、上半身裸でベッドに力無く横たわっているのは当の本人エッジ。 体格はいいけど腕前は?マークがつく両手剣ナイトにしてあたしの飼い主。 さっきはカーリッツバーグと戦い、もう少しで命を落とす所だった。 ―――あー、思い出しただけで鳥肌が立つ。 その命の危機を救ってくれたのが『キサ』だったのだ。 『キサ』―――ゲームでのあたしの持ちキャラ。 枝毛ひとつない赤いロングストレートの髪に意思の強い切れ長の瞳。 女らしい細い腰に柔らかい大きな胸。 長い脚やほっそりした首は雪のように白い。 完璧なステと最適化されたスキル。 合理的で冷静な頭脳と一目置かれるカリスマ性。 ―――つまりは現実世界であたしがなれなかった“理想のあたし”。 「でもイイ女だったよなー」 思い出すように宙を見つめてクリスが溜め息をついた。 なんだか自分が褒められたみたいでつい頬が緩む。 「…でも、ヤな女」 クリスが付け足した。あたしも同意の頷きを返す。 ********** 「―――キサ!」 「あなたは…誰?」 「ミサキだよ。あんたを動かしてる」 「………?ペットに知り合いはいないわ」 キサの言葉は冷たかった。鈴のような澄んだ声だけに、それは残酷に響いた。 そして、追い打ちをかけるようにスナイパーが言い捨てた。 「なんたら商店街なんつーフザケたギルド、おれらの相手じゃねーよ」 ********** ―――そうなのだ。 『いつも笑顔!クローバー商店街』というのは れっきとしたエッジ達のギルド名だったりするのだ。 あ、『いつも笑顔!』まで含めてギルド名。信じられない事に。 このギルド、(彼らは略してクロ商と呼んでいる)食堂のフレアさんが提唱したもので。 あの通り一帯の商店街が団結してエンペリウムを買って作ったものらしい。 冒険者の名刺代わりのギルド名に商店街の名前を付ける事で、宣伝をしているらしい。 ぶっちゃけ子飼いの冒険者になるもんだから、お使いや護衛、お祭りの神輿担ぎなんかにも駆り出されるみたい。 見返りは商店街での買い物。 苦しい時はツケもきくし、フレアさんとこはお弁当が100z引き。 他にも“スタンプ集めて赤ポもらおうキャンペーン”とか、とにかく商魂逞しい商店街なのだ。 「とにかく、なんでそれはずしてこなかったのよ?」 前からカッコ悪いと言い続けていたあたしはバカにされた事が悔しくて仕方なかった。 「宿移すって言っても一時的だし…それに、死んだときコレが身元調べる手がかりになるんだぜ」 ―――死んだとき。 エッジのこの言葉にまた血が凍った。 このギルドエンブレムが軍隊で言うドッグタグのような役割を果たすことは理解できる。 他に身分証明を持たない冒険者が戦いに倒れたとき、それが誰なのかを知る手段はギルドエンブレムの他にない。 それはわかってる、でも… エッジの口から“死”という言葉を聞くたび、あの生暖かい血の雨と目の前で消えていく瞳の輝きを思い出す。 「お前なー」 クリスがあたしの表情を見て食事の手を止めた。 「ミサキちゃん引いてるだろが。お前のあんな姿見たんだぜ?」 「―――あー、もしかして結構気にしてる?」 「あったり前でしょうっ!」 初めてそれに気づいたエッジに叫ぶように答えてあたしは黙り込んだ。 口を開けば暴言か涙が出てきそうで。 「いや、別にお前かばったわけじゃないんだよ?」 気まずそうにエッジが続ける。 「カウンターきれいに決まったから、イケると思って油断しただけなんだって」 「………弱いくせに何考えてんのよ」 やっとのことであたしが言葉を搾り出すと、エッジはいつもの笑みを見せた。 「アハハ…それ言われるとなー」 ―――バカ、ほんとーにバカ。死ぬな、ゼッタイ。 ********** 「で、彼女はミサキちゃんの事知らないって言ってたけど」 食事が終わり、やっとクリスが本題に入った。 「うん…」 元の世界に返る手段をキサが知ってるかどうかはわからないとは思っていたけれど まさかあたしの事を知らないと言われるとは思ってもみなかった。 「なぁ、本当に彼女がお前なの?」 エッジは核心を突いた。 クリスも口には出さずともそう思っていたようで、あたしの答えを待つ。 ―――うぅ、わかってるよ。 あたしとキサは共通点が何もないし…というか、キサのスペックが高すぎる。 リアルでは何もイイトコロのない女子高生。 ううん、逆にゲームやネットが好きなマイナスポイントしかないオタク女。 顔だってカワイくないしミニスカだって似合わない。 ゲームくらい、自分のなりたい自分になったっていいじゃない。 「…そうよ、信じらんないでしょーけど、あれがあたしよ」 「あのスナイパーは?」 「―――あれはマット。あたしの旦那」 「旦那ぁ!?」 二人が目を丸くする。 「いや、あたしじゃなくてキサの!」 「ミサキちゃんってああいうのがタイプなんだ」 クリスがニヤニヤ笑う。 「タイプって…だからあたしじゃなくてキサのなんだってば!」 「だってキサってミサキなんだろ?」 「キサは顔とか性格じゃなくて強さで相手選んでるの」 そう答えるとエッジは丸い目を更に丸くした。 「お前っつー奴は…」 「だからあたしの好みじゃないんだって…」 ああ、リアルにこの世界で生きている人になんて説明すればいいんだろう。 ゲームでの結婚なんて、狩りの有利さとかで決めるのもアリなのだ。 本当に好きになった相手なんて、まだアコの時に組んでたあの人ぐらいしか… 「んじゃ、ミサキちゃんのタイプってどんな?」 「うへぁ?」 急に聞かれて潰れたロッダフロッグみたいな声をあげてしまった。 「アハハ、子供に聞くだけアホだわな」 その声にエッジが笑う。 「だなー」 クリスにも笑われあたしはぷいっとベランダに出た。 夜も眠らないのか、町の中心の時計塔から妖しい光が漏れている。 汗とエッジの血で汚れた服は洗濯し、体も拭いたから風が気持ちいい。 冗談で話を終わらせたものの、アルデバランまで来て手がかりもなくなった。 ―――この先、あたしはどうしたらいいんだろう。  元の世界に戻るにはどうしたらいいんだろう……… ********** 「そんなカッコで外にいると風邪ひくぞー」 どのくらいそうしていただろう、クリスが隣に来た気配であたしは我に返った。 洗濯中だしフレアさんにもらった薄手のシャツとショートパンツを着ていたけれど 腕や足が冷たく冷えてしまっていた。 「―――あいつアホでごめんなー」 「え?」 夜風に金髪をサラサラと揺らしながらクリスが言った。 「死にかけて心配させたのに全然気にしてなくてさ」 「ああ…」 あたしは振り返って部屋の中を覗いた。 傷口は塞がってはいるが、あの出血でエッジは見かけより弱っているようだった。 目を閉じてじっと動かない。 「でも、もしあの時ダメだったとしても俺リザ持ってるしエッジなら…」 あたしは少し明るい顔をして頷いた…つもりだけどどう映ったかはわからない。 ―――この世界に“死”は二種類ある。 復活できる望みのある“肉体の死”、そしてもう戻れない“精神の死”。 生きたいと願いながらも戦っている最中に訪れる死は、リザで生き返る可能性がある。 反対に病気などで生きようとする精神力を削られた後に訪れる死や 生死について考える暇のない突然の事故の場合は、もう戻れないことが多いらしい。 冒険者は初心者修練場で何より第一に“生き続けたい”と強く願う事を叩き込まれるようで 戦闘中の死はほとんどリザで戻れるとクリスは説明してくれた。 「ま、生き返るとしばらくの間の記憶がなくなっちゃうんだけどなー。 ………痛いのもあるけど、だから死ぬのは嫌なんだよな」 あたしはそれがゲームでは“デスペナ”という形で表されている事に気づいた。 強さを表す数字でのペナルティではなく、記憶というペナルティ。 「―――それでも死なないでよ」 掠れた声であたしは呟いた。 「ん?」 「―――クリスもエッジも死なないでよ、絶対」 二人と出会ってから、きっとまだ1%も経験値は増えていない。 出血が止まらないエッジ、SPのないクリス。 もし、あの時サンクがなかったら… 瞬きをしたら涙があふれそうで、あたしは時計塔を見つめ続けた。 この広いラグナロクの世界、頼れるのは二人だけ。 クリスは優しく笑ってあたしの頭をなでた。 「………死なないよ。―――ミサキちゃんの事忘れたりなんかしない」 あー、この女ったらし。 普通の状態だったら惚れてるぞ、こんなことされたら。 あたしは鼻水をズビズビッっとすすり上げて頷いた。 「―――こら、なんでミサキ泣かせてる」 いきなり聞こえた声に驚いたあたしたちは振り返った。 寝ていたはずのエッジがそこに立っていた。 「あら、エッジ起きれるのか」 軽く言ったクリスをエッジは睨み付ける。 「…泣かされてたんじゃないって」 あたしは笑って部屋に戻った。体が冷え切ってしまった。 「おーい、さっきのセリフこいつにも言ってやらんの?」 ベランダからクリスがニヤニヤ笑って言う。 ―――言ってやんないよ、死ぬほど心配させた奴なんかに。 ********** その夜、あたしは夢を見た。 こっちの世界に来てから初めての夢。 自分の部屋、パジャマのままパソコンに向かって泣いている。 その画面に映るのはラグナロクの世界。 ―――なんで、泣いてるんだろう……… 大好きで、楽しくて、いつまでも遊んでいたいラグナロクの世界。 泣くような事がどこにある? きっと、今日の背筋が凍った瞬間がそんな夢を見せたんだろう。 多分…そう… ********** 次の日になっても、さすがに貧血気味のエッジはまともに戦うの難しそうだったし 街を北に出た国境検問所でポポリンを狩ったり草刈りをして過ごした。 何もしないでいいほどお財布に余裕もないのよね。 あたしが石や小枝を投げてタゲを取り、そこへクリスがホーリーライトを打ち込む。 例のカーリッツバーグで気づいたのだけど。 普段はアクティブの敵でもあたしを素通りするけど、一度攻撃を加えると あたしも敵とみなして襲ってくる。 生体の敵が仲間割れしたりする所から考えると、あたしは敵にとってもモンスター扱いのようだ。 うう、やっぱモンスター扱いって事はペットなんだなぁ。 そんな事を考えながらも順調にクリスと狩ってると、あんまり聞きたくない声が聞こえた。 「おーおー、誰かと思えばなんたら商店街のご一行さんじゃねーか」  ポポリンにやられても今度は助けてやらんぜ?」 その声はマット。 面白がる声に振り返ったエッジはペコリと頭を下げた。 「昨日はお世話になりましたー。ポポリンならオレらでも大丈夫ですよ」 昨日はほとんど気絶してたエッジは、皮肉も通じずお礼を言う。 めげずにマットはニヤニヤ笑った。 「…オレらはこれからノーグロードだよ。連れてって欲しいか?」 ―――あー、わかってたけどホントにこいつ性格悪い。 ゲームじゃなかったら絶対に結婚なんてしなかったんだけどなぁ… 「こんなに暑いのに火山?あたしだったらラヘルの氷の洞窟に行くけどね」 思わず言い返す。 「は?ラヘル?なんだそれ」 マットは初めて聞く言葉のように首をかしげて門の方を振り返った。 「キサ、知ってるか?」 あたし達もマットの視線を辿る。 ゆっくり門を出てきたキサは、変わらない冷たい瞳であたしを見た。 「…また変な事言ってるの、その子。放っておきなさいよ」 “ねぇ?”とキサが視線を向けた先を見て、あたしは思わず叫んだ。 「ジェフ!?」 キサの後に付いて門を出てきたのは青い髪のアサシンクロスだった。 「なんで、ジェフ!引退したんじゃないの?」 アリスという立場はもうすっかり忘れたあたしはアサシンクロスに駆け寄った。 BOTの多さに嫌気がさし、ラヘル実装前に引退した元相方がそこにいた。 ―――元相方で、マットの前の結婚相手。 「誰だ、お前…?なぜおれの名前を知ってる」 ジェフはキサとまるっきり同じ反応をした。 「だって…ジェフが引退したからマットと結婚して…」 ―――ちょっとタンマ、タンマ。 何かがおかしい。 あたしはマットの顔を見た。 「今、キサと結婚してるのよね?」 「してねーよ!」 アホか、と悪態をつきながらマットは少し赤くなった。 「ラヘルは?フレイヤ神殿は?ギルド予算でゴスリンc買ったよね?」 あたしはある予感を抱きながら矢継ぎ早に質問した。 それにはマットだけでなく、ジェフやクリスまでも首をかしげた。 「…行きましょう、ペットと喋っても時間のムダだわ」 キサだけが冷たくあたしを見据え、歩き出す。 「…待って」 あたしはキサを呼び止めた。赤い髪が振り返る。 「―――近いうちにブルー・ハウンズでスパイが見つかるよ」 その言葉に初めてキサの顔色が変わる。 「何でわかるの?」 「あたしがキサだから」 「…ばかばかしい」 「―――キサ」 あたしはもう一度歩き始めたキサを呼び止めた。 「もしあたしの言う通りになったら、話を聞いてくれる?」 「―――いいでしょう」 顔だけ振り返ってそう言うと、キサは歩き出した。 ジェフとマットがその後を追う。 ********** 見えなくなるまで三人を見送った後、ようやくエッジが口を開いた。 「どういう…ことなんだ?」 ここはあたしがゲームをしていたラグナロクの世界。 でもまだジェフは引退してないしラヘルは実装されていない。 あたしは首を振った。 「…少し過去の世界みたい、ココ」