「……クリスさん─…?いえ…あなたは一体……誰?」 その問いが発せられてから どれくらいの時間が経っただろうか。 スーさんはじっと俺を見下ろし、視線をそらす気配がない。 俺も、その視線からどうしても逃げることができなかった。 「私は…」 何とか言葉を出した。 その後に続ける言葉なんてもちろん考えていない。 待て。そもそもスーさんは何を言っているんだろう? 確かに俺はこの世界の住人でも、この身体の主のニーナでもない。 しかし、何故それが彼女に判るのか? そう思い込もうとしても、スーさんの視線には全てを見透かしているような…そんな気配があった。 今まで誰にも話したことはないし、話していたとしてもそんな話を誰が信じるだろう。 しかし今、突然彼女はその秘密に迫ってきた。俺はとにかく恐怖に駆られた。 「あ…」 突然スーさんがびくっとして声を漏らした。 「すっ、すいませんっ…。あの、急に変なこと言ってすいません…っ!」 急におどおどとし始めるスーさん。そのまま身体を起こして顔を背ける。 俺はようやく彼女の視線から解放された。 身体に力が入らず、天井を眺めたまま一息つくと涙が溢れてきた。 腕で顔を覆いながら止まるのを待ったが、何の涙かよく判らなかった。 「あの…怖がらせてしまって…すいません……。」 俺がどうにか身体を起こすと、スーさんはそう言いながらハンカチを差し出した。 恐怖したのが顔に出てしまっていたようだった。 そのハンカチを受け取り一応目元を拭くが、俺はこれから何を言って良いのか到底判らない。 また沈黙が流れる。 最初は思考が駆け巡っていたが、窓の外が徐々に暗くなる様を眺めていると不思議とそれも収まってきた。 「……あなたの中に、魂が2つ見えました…。」 長い沈黙を破ったのはスーさんの、そんな台詞だった。 「え…?」 予想外の台詞に俺はスーさんを振り向く。押し倒されて以来、初めてまともにその姿を見た。 「隣の部屋であなたを見たときから、魂が少しおかしいな…って思ってたんです…。 間近で見て、はっきりしました…。」 スーさんは顔を背けながら小さな声で言った。 魂が見える…? ソウルリンカーとはそんなこともできるのだろうか。 いや、それよりも気になるところは別だった。 「魂が…2つ?」 俺は聞き返す。 1つは当然俺のだろうが…。 「あの…はい。根をしっかり張っている魂と、それを守るように取り巻いている魂…。」 そう言いながらスーさんは俺の方をようやく向いた。 「その身体の…最初の持ち主の魂。それと、あなたの魂が見えました…。」 視線が一瞬合ったが、俺はとっさに目を伏せた。 「……そう。」 下を向きながら、俺は何とかそう言った。 …いや?いまいち状況が飲み込めない。 そうすると、何で俺がこの身体を100%支配してしまっているのか? 「あなたじゃない方の魂は…うぅん、何と言うのかな…、心を閉ざしている…?」 スーさんはそこまで言って黙り込んだ。 不思議な感じだった。 俺は魂と言われてもよく判らないし、そもそもそんな概念を信じているか?と聞かれれば 怪しいところだ。 しかし、この身体に俺以外の誰かが一緒にいる…そう考えると何かむずがゆい気がした。 既に恐怖などの負の感情ではなく、何かこの身体が愛しく思えた。 「あはははははっ♪」 俺は唐突に大笑いした。スーさんを見ると、俺を呆然と見ていた。 「スーさん、ありがとうございます!」 俺はにまーっと笑い、彼女を見る。 本当に俺の状況が判る人が現れ、何か心の中で吹っ切れたのが自分で判った。 「えっ…?あ、あの…?」 おどおどと戸惑うスーさん。 「うん、私、確かにクリスじゃないです。いつの間にか、この娘の身体に入ってたんです。」 あっけらかんという俺を、彼女はまだ戸惑って見ている。 「まだ二週間くらいですけどね、うん、色々あったなぁ…。」 そこまで言うと、今までのことが色々と思い浮かんできた。 楽しいこともあり、悲しいこともあり、怖かったこともある。全てが懐かしかった。 「そっか…、ニーナ、いたんだね…。」 俺は目を閉じ、右手を胸にあて、まだ知らぬニーナを思い描いた。 しばらく目を閉じていると、スーさんが声を掛けてきた。 「あの…なかなか信じ難い話ですが…、あの、悪い人じゃなくて、クリスさんも良かった…と思います…。」 何と言って良いのか判らない様子だったが、スーさんはおどおどとそう言った。 「ありがとうございます♪」 悪い人に認定されなかったので俺はお礼を言っておく。 俺はおもむろに立ち上がり、タンスの上に乗せられた写真立てを手に取った。 写真に写るニーナをじっと見つめた。 この娘が心を閉ざしている。 俺は何か無性に心苦しくなった。心が、痛かった。 「……ねぇ、スーさん。」 写真立てをしばらく眺めた後、俺は背中越しにスーさんに声を掛けた。 「あ、は、はいっ。」 彼女はおどおどと返事をする。 俺はそれを聞き、写真立てを置いてから彼女の方を振り向いた。 「私…実は、男だったんですよ?…信じられますか?」 にまーっといたずらっぽく言う俺。 そんな俺を見ながらスーさんは屈託の無い笑顔を返してくれた。 その後、とりあえずスーさんには帰ってもらった。 少し一人でいたい、そう言うと彼女は黙って頷き、部屋から出て行ってくれたのだ。 帰り際に 他言はしないでおく という旨を本人からしてくれた。 誰も信じるような話ではないが、その心遣いが嬉しかった。 一人でぼーっと過ごす。 何もする気が起きなかった。 ニーナのことを聞いたからか、彼女に見られているような気分がしないでもなかった。 「…ケミ子さんとこ行こうかな…。」 ぼそっと独り言を残し、俺は部屋を出て行った。 ケミ子(仮)さんは今日も大忙し。 「わーんっ!納期がっ!納期がっ!!」 大忙しというか、明らかにスケジュールミスのような気もしなくもないところだ。 「いやぁ、無理して身体壊さないようにして下さいよ…?」 俺は支援を掛けながら言う。 「体調崩しちゃったけどちゃんと休みましたっ!…だからもう大丈夫ですっ!」 どうやら今までの無理が祟って、昨日から今日の夕方まで寝ていたらしい。 病み上がりでこのハードな製薬…、この山が終わったらまた倒れるのではないかと思ってしまう。 さすがにずっと喋り続けるわけにもいかないので、その姿を眺めることにする。 他のアルケミストがどうかは知らないが、こんなに一生懸命なら その目標はいつか 達せられるだろう…そんなしんみりとした気持ちになる。 「あ、そういえば…。」 ケミ子(仮)さんが急に話し掛けてきた。 「この前 クリスさん、私に目標聞いてましたでしょ?クリスさんは何か目標ってあるんですか?」 その声はどこか嬉しそうだった。 「私の目標?」 聞いて俺は天井を見上げた。 「そうですねぇ…。」 今まであったことを振り返る。 自分の部屋でも振り返ったばかりだが、さっきよりも落ち着いているのが自分でも判った。 「…クリスさん?」 しばらく後、ケミ子(仮)さんは製薬を中断して、俺を心配そうに見た。 俺は物思いに耽っていた自分に気付き、考えがまとまりきる前に返事をした。 「私の目標は……。友達を、助けること…かな……。」 言った瞬間、俺の中でもやもやしていたものがすっきりと晴れていくような感じがした。 俺でしか叶えられないことがこの世界にあり、そしてそれはやらなければいけないことだと 純粋に思えた。 「…友達、ですか?」 ケミ子(仮)さんは不思議そうな顔で俺を眺める。 説明しようにもどこから説明していいのか判らず、説明したところで信じてはくれないだろう。 誰でも話せることでもないし、ここは特に言わないでおくことにした。 「ほら!今日はケミ子さん助けますよ〜!!♪」 いたすらっぽく俺はブレスを掛けまくった。 「えええっ!わ、私のことですかっ!?と、いうか!私ケミ子なんて名前じゃ…っ!!」 あわあわという彼女をよそに、俺はけしかけた。 「ほらほら!無駄口を叩かず頑張れ〜!!」 速度増加をいたずらっぽく掛けまくる俺。 「わ〜んっ!今日のクリスさん意地悪です〜〜〜〜っ><;」 泣きながら製薬を続けざるを得ないケミ子(仮)さん。 夜は平和に更けていった。 -------------------- 2007/07/22 H.N