―――カーニバルのど真ん中でお通夜。 メイドさんと酔客でごった返す食堂の中で、シリアスなあたし達のテーブルはまるでそんな感じだった。 どだい、『愛す☆くりいむ』とか『お口が萌える!激辛華麗ライス』なんてフザケたメニューが並ぶお店で 自分の存在とかアイデンティティーに関わる話をしようってのが間違いなのだ。 …いや、メニュー考えたのはあたしなんだけどさ。 テーブルについているのは四人。 まずはあたし―――石倉ミサキ15歳。ミッドガルドにメイド喫茶ブームを起こしたキューペット。 リアルでは何のとりえもないオタク女子高生。そして元の世界に帰る方法は未だに見つからない。 一応アリスって事にしてるけど、デビルチを買ったんだというのが飼い主たるエッジの弁。 そのあたしの飼い主―――エッジ。LUKだけが高いヘタレナイト、21歳。 でもあたしが知ってる限りでは(というかあたしが来てから?)LUKが高いとは思えない不運続きの男だ。 まぁ…それでもあたしを全然疎んじないのは正直イイ奴なんだと思う。 それからエッジと同室のプリースト、クリス。半分ホストになりつつある22歳。 すこぶる付きの美男子でモテモテなのに決まった彼女がいないのが不思議だ。 お店みたいに『誰の物でもないですよ…あなた以外の』とか普段から言ってるんだろう、みんなに。 そしてキサ。―――ゲームの中の“あたし”。だが当人には自覚がない。 赤いロングヘアーのクールビューティ。 クールすぎて空気がストームガストが吹き荒れてるみたいに冷え切っていた。 「だから、あたしは元の世界であなただったの」 何度目になるだろう。 あたしは同じセリフを繰り返した。 「この世界は誰かが作ったゲームで、私達はあなたの操り人形だって言うの?」 キサは辛辣な調子であたしを見る。 パソコンとかインターネットの概念を説明するのは諦めて、あたしは人形を使った ロールプレイングゲームのセンでラグナロクを説明している。 『自分の分身を作り、仮想の世界を冒険する』 それがあたしにできる精一杯の説明だった。 「誰かが作ったゲームか…」 クリスが珍しくまじめな顔で呟いた。 あたしからある程度話はしていたものの、自分の世界が誰かの作り物と言われてちょっと複雑なようだ。 「そんな話が信じてもらえると本当に思ってるの?」 キサは冷たく言ってコクリと手元のカクテルを飲んだ。 キサが飲んでいるのは『子デザの涙』。ベースは何の変哲もないソルティードッグ。 ドッグって言っても犬とは関係ないみたいなんだけど、この方が語感カワイイし。 ―――そんな甘ったるいネーミングも凍るようなキサのオーラの前では意味がない。 「信じてもらうと言うかホントだし…」 “ねぇ?”と救いを求めるようにエッジを見ると彼はうーん、と唸った。 「確かに卵から出てきたの見てるし、ミサキはフツーの人間じゃないと思うけど…」 ―――おいおい、フツーの人間じゃないって何よ。 あたしの睨むような視線に気づいてエッジは慌てて言い訳する。。 「いや、だってオレも自分が誰かの人形だなんて思いたくないしなぁ…」 ―――そうか……… 突然気づいてしまった。 あたしの話を受け入れるということは、自分の人生や感情を否定すること。 自分が自分であるための根底が覆されるということ。 どんなに証拠があったとしても、人である限り認めることはできないんじゃないだろーか。 「あ、でもマットの手に入れたカード、何なのか最初から知ってたよね」 クリスが援護するようにあたしを見、それからキサに視線を移す。 「―――それから、例の裏切り者の話も本当だったんでしょう?」 キサは頷いた。 「ええ。確かにブルー・ハウンズから裏切り者が出たわ」 「でしょ?でしょ?でしょ?」 思わず口を挟んだあたしを二人は少し―――うーん、かなり冷たい目で見た。 ………はいはい、黙ってます。 INTの高い美男美女に凄まれると、あたしも黙るしかない。 なんつーか、シリアス度が一気に上がるのだ。当人を差し置いて。 「ミサキちゃんの言ったとおりだった………それなのに信じない理由は?」 クリスの問いにキサは唇の端だけで微かに笑った。―――目は笑っていない。 「あなたはそれで信じるの?………自分が人形だって」 クリスは肩をすくめる。 「ズルい女は嫌いじゃないけど、質問を質問で返すのはルール違反じゃないか?」 「そうね」 キサは軽く頷いてまたカクテルに手を伸ばした。 「私でさえ気が付かなかった裏切りをあの子が知ってた事は認めるわ」 それからあたしをちらりと見る。 「でもそれはあなたがケインの―――その裏切り者の仲間なら知っていて当然よね」 「―――はい?」 あたしは思わず声を出した。 さすがに今度は誰も止めようとしなかった。 「あなた、アリスなんかじゃないわね」 目でエッジに確認した後、あたしはゆっくり頷く。 キサには隠しても仕方ない。 「…そうだよ」 「一度しか聞かないわ。―――カラー・ハウンズを敵に回すってわかってやってるのね?」 「―――はいぃ?」 頭のてっぺんから出たようなあたしの声にキサはため息をついた。 「…それがあなたの答えなのね」 いや、あの、答えって。 口を開こうとして射抜くようなキサの瞳に射竦められる。 ―――怖い。 どういう意味か聞き直したかったが、 迂闊に口を開くと墓穴を掘りそうで何も言えない。 クリスも表情を強張らせる。 あたしもキサを動かしてる時は何度か強引な交渉をしたけれど、 実際やられてみると何も言えなくなる。 一瞬の緊張を破ったのは、ここまで影の薄いエッジだった。 「なぁ、ちょっと話が読めないんだけどオレだけか?」 だあぁ。 一気にあたしとクリスは脱力する。 さすがのキサも少し眉を動かした。 「あなた…この子の責任者だったわね?」 エッジは少し困ったような顔をしながらも頷いた。 「まぁ…飼い主という意味では」 「―――それなら」 キサは彼の胸元の例のニワトリを一瞥した。 「この瞬間からカラー・ハウンズ連合はあなたのギルドを敵対関係と見做します」 「へ?」 「目的は理解できないけれど、あたしを…カラー・ハウンズを陥れようとしているのは理解したわ」 「ち…ちょっと待ってよ!」 慌ててあたしは割り込んだ。 「なんでそうなるの?スパイがいるって教えてあげたんだよ!?」 「なぜあなたがそれを知ってるのか…彼らの仲間だという以外に合理的な説明ができるの?」 「だからあたしはゲームの中ではキサで…。  キサの事なんでも知ってるんだよ?装備はみんな+9で揃ってるとか、  自分にだけ速度増加9にする癖も…」 「混乱させたいならもっとマシな嘘をつくのね。調べればわかる事を並べても意味がないわ」 そう言ってキサは静かにカクテルを飲み干した。 「確かにケインの寝返りは響いたわ。だけど…あなたの小芝居は意味がわからない」 「キサ!」 お金を置いて立ち上がったキサをあたしは思わず呼び止めた。 「なんで信じてくれないの…」 振り返ったキサの目は氷のように冷たかった。 「私は私よ…あなたなんかじゃない」 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 彼女の後姿が店から消えても、あたしは動けなかった。 キサは絶対にあたしに協力してくれないだろう。―――もし、何か知っていても。 「さぁて、どうするかね」 大げさにため息をついてクリスは頭の後ろで手を組みあたしを見た。 「カラー・ハウンズが敵対するって…大変なことだぞ」 「だよね…やっぱ」 あたしもため息をつく。 カラー・ハウンズの組織力は言われなくてもあたしが一番良く知っている。 ゲームじゃ狩りの時にわざと近くで陣取って敵を掠めてったり、Gvでネチっこく狙われるだけだけど こっちの世界じゃ買い物とか日常生活にも影響しそうだなぁ… ―――っつーか、敵対するって考えたらかなりヤなギルドだなぁ。 「うーん、やっぱ、怒らせたのオレの責任…か?」 エッジも考え込むように首を傾ける。 「―――いや、彼女最初からそのつもりだったんだろ、あの調子じゃ」 「ゴメンね…また今回も」 またしても問題を背負い込ませた二人に頭を下げる。 「今回ばっかはなぁ…オレ達じゃなくギルマスに頭下げないとな」 「―――ギルマス?」 そういえば“クロ商”こと『いつも笑顔!クローバー商店街』のギルマスって会った事ないなぁ。 キサみたいなタイプじゃないといいけど。 「そうだね。できれば早いうちにギルマスさんとこへ連れてってくれる?」 そう言うと、エッジは肩をすくめて指差した。 「いや、そこにいるし」 「へ?」 意外な言葉にエッジの示した店の奥を見る。 でたらめなハミングをしながらキュウリを刻んでいる見慣れた姿。 なぜか猫耳のヘアバンドをしているチャーミングな35歳。 「―――フレア…さん!?」 だってだって。 フレアさんってここの女主人じゃない。“元”冒険者だって本人も言ってたし。 あたしの頭のハテナを見透かしたようにクリスが説明した。 「この店、フレアさんのお母さんの店だったんだよね」 エッジも頷く。 「亡くなってお店継ぐんで戻ってきたんだけど、冒険者登録は抹消してないからさ  まだギルドマスターやれるんだよ」 「ギルマスっつーか『姐さん』って感じだけどね」 アハハッとクリスは笑った。 お店やりつつギルドマスターか… いやまぁ、商店街ギルドなんだから商店主がギルマスやってても不思議はないけどさ。 なんかこう冒険慣れしたナイスミドルがリーダーみたいなイメージあったからちょっと意外。 ましてや“ナチュラル・ボーン・女将さん”みたいなフレアさんがねぇ。 あたしが驚いたような顔で見ているのに気付いた彼女が厨房から顔を出す。 「―――お客さんは帰ったの?」 「あ、はい」 「そしたら悪いけど早いとこ手伝ってー」 頷きかけ、さっきの話を思い出す。ちゃんと話してケジメつけなきゃ。 「あ、あの…それなんですが…」 恐る恐るキサの敵対ギルド宣言を告げようとした矢先、奇妙な叫びがそれを遮った。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 『きょー!』というか『きゅわー!』というか。 とにかく表現しづらい奇声が背後から上がった。 ミョーに甲高い男の声。 驚きなのか感激なのか恐怖なのかわからないが、とにかその声に店内の人間が一斉に入り口を見る。 フレアさんも思わず厨房から出てくる。 「なに…あれ?」 「今日ご予約の団体さんみたいなんですが…」 エッジの代わりに会計を担当していたアルバイトさんがフレアさんの問いに答える。 その間にも奇声を上げた男性を筆頭に四、五人の男性がキョロキョロしながら店内に入ってくる。 アルバイトの美人メイドさんや内装に大興奮してるらしい。 えーっと、今日の団体さんは。 あたしは頭の中に予約表を思い浮かべる。 確か“AMALA”ってグループが一件……… ええぃ、今日はこれ以上話をややこしくされたくない。 あたしは異様な雰囲気の団体に近寄って笑顔で接客する。 「お帰りなさいませ、ご主人様。お帰りをお待ち申し上げておりました」 サッと席を示すように片手を上げ、一番奥のボックス席に案内する。 こういう客は店の端に隔離するに限る。 実は、こういう客は初めてじゃない。 綺麗なおねーさんの接客やご主人様扱いに舞い上がるお客さんは何人かいたんだよね。 キャバクラかなんかと勘違いしてる人とか接客を真に受けてやたらエラソーに振舞う人とか。 そういう時、あたしが出て行くとだいたいがおとなしくなる。 ―――悲しいかな、平凡な容姿のあたしが行くと大抵は我に返るのだ。 『あ、そういうカッコした人演じてるだけなんだ』と。 美人で従順なメイドさんなんてのは演技、自分だけに尽くしてくれるように見えるのも演技。 ………あー、自分で言ってて悲しくなってきた。 「ほあぁー!」 「ア…アリス!店員さん全員アリスですぞみなさん!」 「ここがアリスの店!」 ところがこの団体さん、席についても全然興奮冷めやらず。 つーか、『ほあぁー!』って発音初めて聞いた。 たぶん驚きの声なんだろう、うん。 あたしを上から下まで舐めまわすように見る人、何をだかわからないけどメモを取る人、 メニューを音読してニヤニヤしている人、なんだか様々だ。 身なりはいたって普通。――普通というか、多分かなりのお金持ちだ。 着ているシャツやズボンは他のお客さんみたいなフランネルじゃなく絹だし、 メガネや装飾品もかなり精巧で値が張りそう。 黙ってればきっと上品な紳士という部類に入るんじゃなかろーか。 ―――『ほあぁー!』とか言ってるとそうは見えないけど。 驚いたように見ているあたしの視線に気付いたのか、『ほあぁー!』の人が軽く咳払いをした。 「…失礼。メニューに書いてあるもの、全て用意してもらうことはできるかね?」 「全て…ですか?」 お金は持ってそうだけど、なんでまた全メニュー? あたしが思わず聞き返すと、彼は小さな四角い紙をあたしに渡した。 白い紙に上品な金の装飾文字が書かれている。名刺のようだ。 『A.M.A.L.A  会長 ビンス・マクフィ−』 それをもらっても、サッパリ事情がわからないあたしにビンスさんは説明した。 「我々はアマラ、というグループでね。正式には『All Midgard Alice-Lover's Association』。  『ミッドガルドアリス同好会』というグループのメンバーなんだ」 ―――世界は広い。 ミッドガルドにも既にアリス萌の団体があったなんて。 コクコクと頷くだけのあたしにビンスさんは続ける。 「我々はアリスの愛らしさ、いじらしさを愛でる同好の士でね。だけどペットとしてのアリスは希少で  高価になってしまうからどうしても金持ちだけの狭い趣味で止まってしまっている」 ………まぁ、そうだろう。子デザやベベならともかく、アリスなんてゲームでもメガ単位の高級ペットだ。 「そういうわけで細々と活動している所に、アリスを模したウエイトレスのいる店がオープンしたと聞いてね。  居ても立ってもいられずにこうして視察に来たというわけなんだ」 「そう…なんですか………」 あたしは曖昧に相槌を打つ。 「いや、本当にすばらしいね!」 メニューを見ていた男性が話に加わる。 「会長、このメニューをご覧ください!アリスの仕事や愛らしさを巧みに盛り込んだ内容、絶妙な値段設定!」 「衣装もなかなかですぞ、これは本物の生地を使っている」 「見てください、会長!昨日は“猫耳Day”だったらしいですぞ!」 他の会員(?)も我も我もと興奮しながら割り込んでくる。 ああ、どこの世界もオタクのパワーはスゴイ。 普通にしてれば上品な紳士が、目をキラキラさせてメイド喫茶に興奮している。 「か…かしこまりました、ご主人様。すぐご用意いたしますのでお待ちください」 ペコリとお辞儀をしてそそくさとカウンターへ戻る。 背後でお辞儀の角度とか衣装のスカート丈について熱く議論を続ける声が聞こえる。 何だったのかと集まるアルバイトやフレアさんに、あたしは頭を掻きつつ告げた。 「えっと…8番テーブルさん…メニュー全てだそうです」 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ それからはものすごかった。 料理ができるたびケチャップやらマヨネーズやらでメイドさんを代わる代わる指名、 メモを取ったり盛り付けのファンシーさについて語り合ったりと本当に楽しそう。 こっちも忙しいけれど、何か頼むたびにチップを弾んでくれるもんだからメイドさんも喜んでるみたい。 「世の中にはすごいヒマな金持ちもいるもんだなぁ」 奥のテーブルを見ながらエッジがため息をついた。 「だなぁ。こっちはいくら狩りに行っても金貯まらないのに。」 クリスも肩をすくめる。 「それじゃいっそのこと、こっちを本業にしちゃう?」 あたしが聞くと二人は首を横に振った。 「いやー、これはこれで儲かるけどやっぱオレはモンスターと戦うほうが性に合ってる」 「俺も。ナンパが仕事になるとやっぱ違うわー」 ―――ふーん。やっぱ二人とも冒険者が好きなんだね。 儲からなくても、いつ命を落とすかわからなくても、自分が選んだ道があるってなんだかスゴイ。 二人とも、リアルの世界の年齢で言えば大学生ぐらい。 ゲームにのめりこんで勉強も部活も疎かになってるあたしも、その頃には自分の道見つかるのかな。 ………見つけられるのかな。 久々にリアル世界の悩みを思い出して軽く鬱モードに入る。 いつまでもゲーム中心の生活してられないのもわかっている。 お山の大将気取ってても、一旦ゲームから離れれば可愛くもないし頭も良くないオタク女子。 いつか、現実に還る日が――― 「エッジ、ミサキっち」 ポン、と肩を叩いてあたしの鬱モードを解除したのはアルバイトウエイトレスのトリー。 あたしと歳は近いけど胸とかお尻のあたりの発育は驚異的。さすがクリスの『オトモダチ』。 「例の8番のお客さんが二人を呼んでるよ」 あたし達は顔を見合わせた。 「なんだろね?」 「知らね。―――でもおまえ絡みだからまたいい話じゃないんだろうけどな」 エッジは諦めきったような顔をした。 「あのねぇ…」 いくらあたしが“ちっこい悪魔”だからって毎回悪い話なんかないって。 ―――いや………待って、ちょっと自信ナイかも。 「ホント、卵のうちにお前売っちゃえばよかったよ」 エッジはニヤッと笑った。 イヤミな奴! ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 「単刀直入に言わせてもらえば、ミサキを売ってほしい」 会長のビンスさんが言った言葉に、あたし達はポカーンと口をあけた。 売ってくれって? あたしを? 「まさか君が噂の本物のアリスだとは思わなかったが、さっき話したようにアリスは希少なんだ」 あたしは頷いた。 「我々も喉から手が出るくらい欲しいんだよ。ウチには二人アリスがいるが、君みたいなタイプは初めてだ」 彼の言葉に会員達もそれを認める。 「普通アリスは自発的な感情を表現する事はほとんどない。事務的に主人に仕えるだけだ」 「その盲目的な献身がいい、と私は思いますね」 「いやいや、その中で見せる微かな感情の起伏に私は…」 「おや、無表情アリス派のあなたの意見とは思えない言葉ですねぇ」 「それが最近目覚めてしまいましてねぇ…我が家のアリスのことなんですがね、最近…」 ゴホン、とビンスさんが咳払いをする。 ―――放っておくと彼らはどこまでも脱線していきそうだ。 「ミサキのように感情を露にしたり自主的に主人を助けるためにこんな店を企画するなんて前代未聞だ」 「はぁ…」 エッジはまだあまり事情を飲み込めていないようだ。 どうも彼、最近あたしが“アリスを演じてる”という事を忘れてるような気がする。 あたしもだけどさ。 「失礼な話だが、エッジさんはアリスを飼うような状況には見えないのだが」 あたしもエッジの方をちらっと見る。 手入れもせずに伸び放題の髪や、現役ナイトの傷だらけの体ではアリスを飼うなんて高尚な趣味を 持ってなさそうに見えるのは仕方ない。 あたしの鉤裂きを繕った縫い目や落ちないしみのある制服を見てビンスさんは続ける。 「我が家ではアリスにも個室を与えている。いらないと言われても公休日も与えている。  食事や服も満足に与えるし、同好会では尊厳を傷つける行為は禁止している」 会員さん達もウンウンと頷いている。 お金持ちそーな彼らだし、その話に嘘はないんだろう。 「―――そこで、どうだろう?ミサキをこの私に譲ってはもらえないだろうか?  もちろん、大事にするし君が会いたい時は好きに来てもらってかまわない。  ジュノー付近で戦うときは私の家を宿代わりにしてくれてもいい」 ビンスさんの申し出はさらに続く。 「対価は―――そうだな、2Mでどうだろう?」 に………にめがぁ!? 2Mって……… あたしが絶句していると横でゴクリと唾をのむ音が聞こえた。 ―――ちょっ…エッジ!? 確か属性剣が欲しいって。 Sマントやレイドカードが欲しいとも言ってた。 うわわ、ヤバいよエッジ流される! 思わずあたしは叫ぶ。 同時にエッジも口を開いた。 「絶対に売られません!」 「絶対に売りません」 ………あれっ? あたし達の発言のシンクロにビンスさんは『ほあぁー!』とか『きょー!』を連発した。 会員さん達はスタンディングオベーション。 な…なんだなんだ? ―――っつーか、エッジ、今“絶対に売らない”って…? 嬉しいやら脱力やらのパニックの真っ只中にいるあたしの手をビンスさんが握る。 「素晴らしい!素晴らしいよ!アリスと人間の信頼関係……!」 握った手をブンブン振る彼の目はウルウルと潤んでいる。 会員さん達からは拍手、拍手、拍手。 想像してみてほしい。 メイド喫茶の一角で四、五十台のオシャレな紳士達が目を潤ませてスタンディングオベーション。 ビンスさんは思いっきり固まってるあたしの手を離し、今度はエッジの手を握った。 「君とこのアリスの間にはまだ我々が到達していない絆があるようだ…  売ってくれなどと不遜な申し出、いやはやお恥ずかしい!」 ポカンとしているエッジをよそに同好会メンバーは興奮してしゃべり続ける。 ―――いや、しゃべり倒すという表現の方が適切かもしれない。 「我々はまだアリスに飼い主としてしか認められてないのかもしれない…」 「我らのアリスは他の人に権利が移れば、無条件にその相手をご主人様だと受け入れてしまう」 「ペットとしての枠を超えた忠義、本当の絆がなければ真のアリス愛好家にはなれん!」 「何が………我々に何が足りないのか?」 「やはりペットや愛でる対象としてではなく、家族や友人と同じように接する必要が…」 「しかし、メイドとして創られし命に対しては逆に苦痛となり虐待に近いのでは…」 「確かに、それは自然の摂理に反する事なのかもしれん…しかしこの絆を前に反論できようか?」 「あの…もう少し落ち着いて………」 エッジに言われてようやく我に返った集団は席に着いた。 「も…申し訳ない。とにかく、先ほどの申し出は撤回させていただきたい。」 ビンスさんはお水をゴクリと飲むと、今度は会員のオジサマ達に向き直った。 「―――どうだろう、諸君。私はエッジ君と彼のアリス、ミサキをAMALAの名誉会員に推薦したい」 「おお、異議なし!」 「異議なし!」 「異議なしですぞ、会長」 口々に賛成した会員はそこでまたスタンディングオベーション。 ………なんなんだ、このテンション。 さっきのキサとの話し合いと同じく(雰囲気は真逆だけどさ)口を挟む事ができないあたし達。 『ミッドガルドアリス同好会』の面々は乾杯し、代わる代わるあたし達に握手を求め、 笑い、飲み、肩を抱き合い、なんだかよくわからないアリスの歌を熱唱し。 目の飛び出るようなお会計を現金で支払い。 嵐のように去っていったのだ。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ そんな事があったもんだから、フレアさんに話をすることができたのはお店を閉めた後だった。 半分忘れかけてたんだけど敵対ギルド宣言なんて大問題を抱えてたわけで。 初日以上の売り上げを記録したけどフレアさんの顔から笑みはやっぱり消えてしまった。 「カラー・ハウンズが、ねぇ………」 フレアさんはため息をついた。 「ごめんなさい…」 あたしはションボリとうなだれる。 「まぁ、ホワイト・ハウンズから仕入れしてるものはないしお店には直接響かないとは思うけどね」 さすがに冒険者だっただけに、彼女はカラー・ハウンズの組織についても知っているようだった。 BSやアルケミ揃いの経済担当ギルドとの繋がりがないというのは不幸中の幸いだ。 「だけどね」 フレアさんはいつになく厳しい顔であたしを見た。 「店はよくても、クロ商に所属してるギルメン全体に迷惑がかかるんだよ」 「すみません………」 エッジとクリスも神妙な顔で頭を下げる。 「自分がどうすればいいかわかるかい、ミサキちゃん」 フレアさんに問われ、あたしはぎゅっと唇を噛みしめた。 何のとりえもないあたしには償う方法が見つからない。 「あたし―――明日からもっと働きます!お給料もいりません。今までもらったのも………」 「ミサキちゃん」 怖い顔でフレアさんが遮った。 「お金じゃないよ。そんな事で償えるなんて考えるもんじゃない」 「………」 黙って俯いてしまったあたしに、フレアさんは静かに続けた。 「そのスパイ容疑ってのは濡れ衣なんだね?」 「はい………」 「カラー・ハウンズに迷惑かけるような事してないってあたしに誓えるね?」 「はい………」 「それなら」 そう言ってフレアさんはあたしの肩を叩いた。 「どれだけかかっても誤解を解いておいで。―――ミサキちゃんにできるのはそれだろう?」 あたしが顔をあげると、いつもの優しい表情のフレアさんがそこにいた。 「ギルメンへの説明はあたしがしておくよ。ミサキちゃんはキチンと誤解を解く。いいね?」 ―――ああ。 責任を取るってそういう事なんだ。 何かを差し出して償いに換えようなんて。 お金で解決しようなんて。 あたしはなんてバカなんだろう。 なんて子供なんだろう。 何も言葉が出ずにただ頷くあたしを見て、フレアさんは立ち上がった。 「まぁ、ミサキちゃんが問題持ってきたんだからギルドとしての責任は取ってもらうよ」 そう言って厨房の奥から何かを持ってくる。 「ペットに正式な加入要請はできないけどね」 ふわり。 まだ洗剤の匂いのする手から首にかけられたのはあのブサイクなニワトリのプレート。 「解決するまで連帯責任だよ。あんたもクロ商の一員だ」 その言葉を聞いた瞬間、涙腺がとうとう崩壊した。 「フレア…さぁんっ………!」 泣きついたあたしを優しく受け止め、彼女はトントン、とあやすように背中を叩いてくれる。 あたしに居場所ができた。 一方的に守ってくれる人だけじゃなく、守らなければならないものができた。 自分の目的だけじゃなく、この世界でやらなければいけない事ができた。 ―――この世界が、あたしをしっかりと受け入れた。 あたしは涙をぬぐい、そっと胸のプレートに触れる。 ブサイクな絵、ヘンテコな名前。 ―――だけど愛しいあたしの居場所。 「よしっ!」 あたしは声に出して気合を入れた。 ―――絶対に誤解を解いて、キサにあたしの事を認めさせる!