「おはよう、気分はどう?」 澄んだ声に振り向くと、そこには長い青髪をなびかせた女プリーストが立っていた。手には二つのカップを持っている。 板張りの床を鳴らしながら近づく。 「……っ」 俺は一歩、引く。 異常な世界が、警戒心を掻き立てる。 「――あら」 プリーストは小さな野良猫に逃げられてしまったかのように、少し寂しげに微笑んだ。 状況からして彼女は敵である可能性は低い。それどころかこの『現実』は夢である可能性すらある。 だが、これが夢だと断じて心を溶かすには薄ら寒い程の異常が彼女を拒ませた。 「少し、お話しましょうか」 彼女はテーブルセットにカップを置き、椅子に腰掛ける。俺は立ったまま。 思考は警戒心という本能から現状分析の理性へ移る。 こちらは徒手空拳のハンター。しかし最初の夢の続きであるならば、プリースト相手にこの距離で負ける気はしない。 左足は少し後ろに。扉まで3歩弱か。 「ほんとにおかしな世界よね」 「――」 そんな俺の様子を気にするでもなく、話を続ける。 「ラグラナロクオンラインと現実の狭間、というべきかしらね。私も昨日『ここ』で目が覚めたのだけれども」 カップの一つを手に取り、口につけた。 病的なまでに白い彼女の肌が白いカップと混合する錯覚。 「酷い有様だったわ、その窓からの風景は。あちこちで火の手が上がっていて、私はたくさんの悲鳴に震えるしかできなかった。  それでも私は幸運な方よ、オークダンジョンやグラストヘイム最下層で目覚めた人もいたようだから」 俺と同じように『現実』から『ここ』に……? 「最初はただ皆困惑したそうよ。でも……一部の人は気づいた。『ここ』が酷く自分たちにとって魅力的な世界であると。  自分の持つスキルという力――死んでも死なない不可思議」 ――死んでも、死なない? 「Return to last save point」 彼女のその一言で理解する。経験地1%という安い命のコスト。これが『ここ』でが再現されている――? 街から血や屍が見当たらなかったのはそれが原因か。 そして、その状況が一部の人間には何を呼び込んだか。 恐怖、歓喜……そして、欲望の開放。 ほぼ無価値なものならば、どうしようが勝手であると考えた人間がいたのだ。 それは最初は一人だったかもしれないし、複数だったかもしれない。 狂気は、伝染した。 「人の多いプロンテラは酷い有様になったわ。街の外で目覚めて、蝶の羽や『死に戻り』でここに戻ってきた人もたくさんいたしね。  特に『死に戻り』の人は体力の低下で弱っていて、格好の餌食だった」 殺戮者が飽きるまで繰り返される死の苦痛。 本来ならば一度だけで済まされる恐怖を、彼らは一体何度味わったのか。 「それでもやはり、明けない夜はなかったわ。日を昇らせたのは『Striker』」 「――『女帝』か」 『女帝』の『Striker』。 女ギルドマスター、リンクスをトップにした、伝説的なGvGギルドの名だった。