遮るものの無い晴れ渡る青空。  清涼な風。  喧騒のないこの場所はオレのお気に入りの場所だった。  遠くに見える砦とその奥にある石の壁は、ミッドガルドの首都プロンテラの城壁だ。  数日に一度、ここは信じられないほどの喧騒に包まれるが、それ以外の日はいたって静 かで人もそう訪れない。カプラサービスの少女も、このあまりの静かな場所で暇そうにあ くびを漏らしているのが目に入った。 「変わらず今日も平和にすごせるか」  乱立する木々の一本に背を預け、俺は小さく呟いた。傍にある袋に手を伸ばしそこから 取り出したリンゴを一齧りする。  願わくば、いろいろと口やかましい同居人がやってこないことを祈りながら、小気味良 い音を鳴らしリンゴを食べる。  と、視界の端にノービスの少女の姿が目に入った。 「珍しい」  オレはふとそう呟く。こんなところに人が、しかもノービスが来るなんて。  プロンテラ南口ならともかく、ここはプロンテラ北口だ。城内を通り過ぎ、砦を超えな ければ来る事の無いこんな面倒くさいところに、ノービスがやってくるなんて。  好奇もあったのだろう、オレはそのノービスの少女を黙って見ていた。  茶色の髪のセミロング。特別美人というわけではないが愛嬌のある顔立ち。  しかし容姿に目が惹かれる前に、オレはある事に気が付いた。  そのノービスはしきりに辺りをうかがい、自分の姿を凝視して、ぽよんぽよんとのんき な音を立て移動するポリンに目を奪われて。そこでオレは理解した。  立ち上がり、ノービスの傍による。 「や、どうしたんだい?落し物でもしたのか?」 「…ラ…ラグナロクオンラインのプリースト…?」  確信した。 ――目が覚めたらROの世界だった。―― 「…で、お前はそいつを連れてきたって訳か」  同居人の黒髪で無愛想なウィザードは、呆れた視線でオレを見る。 「いいじゃん、部屋はまだ1室空いてるだろ?」 「厄介ごとが嫌いなくせに、いつもいつも厄介ごとに首突っ込むわな、お前は」 「そんなんいっても、オレらこっち来た時のことを考えたら放置するわけにもいかんだろ う」  口の悪い同居人はやれやれと小さく息を吐いた。 「…あ、あの…」  オレ達のやり取りにどうしたら良いか困ったのだろう、少女はおどおどしながらオレ達 を交互に見る。 「あー、わりいわりい」  はたはたと手を振って少女を見る。少女の目に浮かんでいるのは戸惑いと不安と、恐ら く恐怖。その感情は記憶にある。 「急なことで理解できないと思うが。  実を言うとオレ達もお前さんと同じ状況だったんだ。とは言っても既に半年以上経って はいるけどな」 「…え?」 「オレはリディック。で、こっちの口の悪いウィザードはラル。もうひとりいるんだが、 オレ達全員、お前さんと同じように突然この世界にやってきたわけだ」  そうなのだ。オレ達はもともとここ、ラグナロクオンラインの住人じゃない。半年前気 が付いたらここにいた。原因はわからない。現実世界といえば言いのだろうか、そっちに いる自分達は一体どうなっているのかもわからない。  オレとラル、もう一人の同居人はラグナの中で別に同ギルドだとか、知り合いだとかそ ういう関係ではなかった。たまたま同時期にやってきて、一人より二人、二人よりも三人 。という感じで共同生活をしている。  この世界にやってきた人間を見るのは珍しいことだが初めてではない。今ではその迷い 込んだ人たちを保護するギルドが秘密裏に(といえば大げさなのだろうが)結成されてい る。そのギルドの幹部らに事情なり話すつもりだったのだが、生憎と近くにはおらず、と りあえずは今回は近くにいたオレが状況の説明等するためにこうして連れてきたのだ。 「で、あんたの名前は?」 「…え?」 「たぶん首にぶら下がってると思うのだが、身分証みたいのがあるはずだ。そこに名前が あると思うんだけど」  オレは少女の胸元を指差した。  少女は不安そうに首に手をかけ、細い紐状の鎖を探し当てる。  取り出したカード。免許証とかそんな感じのカードを見て、少女は驚いたように小さく 呟いた。 「…フィーナ…?これ、私がつけた名前…」 「しかしあんた、運が悪いな。ゲームやりだした瞬間にこっちに来たわけか」  ラルは無遠慮に少女――フィーナ――の身分証を覗き込んだ。 「オール5。マジで初心者なのな」  ラルの言葉にオレもそれを覗き込んだ。「ノービス.BLv1.JLv1」そして下に並ぶ ステータスは綺麗に並ぶ5の数字。それなりにやった事のある奴なら、こんな数字は並ば ない。 「…と、友達に誘われて…、それで登録だけ済ませて…。やりながら教えてくれるって友 達言ってくれたから…、私…わからなくて…」 「うわー、南無い」  言葉を選べよ、とオレは心で呟きながら腕を組んだ。 「その友達の名前とかわかる?」 「え?ゲームの、ですよね?」 「そ。本名出されてもちと困るわ」 「……ブログ見た事あるんです。たしか、リノエだったはず」 「リノエ、ね…」  フィーナの言葉にオレは、左の耳を手で押さえながら心の中で声を掛ける。 『あー、リノエさーん。聞こえたら返事してもらえるかな?』  そう、WISだ。別に耳を抑える必要は無いのだが、気持ち携帯電話をかけるときのクセ が残ったままなのか、ついそういった行動を取る。  しかし、返ってきた答えはここに来ていないというメッセージ。 「…ログインしてないのか、名前が違うのか、反応は無いな」 「…そ…そうですか…」  落胆の色を隠せないフィーナの姿にやれやれと肩を竦める。 「まぁ、なんにせよ来てしまったもんはしょうがねぇ。  滅多に出来る経験じゃないんだ。ちょっとは楽しむ気持ちでいないとな」 「でも…私…」 「ただいまー」  うつむくフィーナの声を遮るように響いたのは、もう一人の同居人だった。 「…早かったな」 「うん、持って行った物が全部売り切れてね…って」  アルケミストの同居人はオレとフィーナを交互に見やって目を丸くした。 「リディック!女の子連れ込んで!しかも、ノービス!?  仮にも聖職者なんだから、それなりの行動を…!」 「まて、お前はオレをどんな男だと思って…!?」 「…無自覚すけこまし」 「マテコラ」 「…あ、あの違うんです…!私、この人に助けられて…」 「いいんだよー、こいつのフォローなんてしなくても」 「ルフェウス!」 「…と、冗談はさておき」  散々人を小馬鹿にしたのち、同居人――ルフェウス――は真面目な顔をオレ達に向ける。 「この子、リアル?」  リアル。現実の世界からラグナロクオンラインに入り込んでしまった者の呼称。とは言 っても実際に入り込んだ人間達が便宜上そう言っているだけなのだが。 「…そうか、まだこの世界に紛れ込んでしまう人がいるんだ…」  ルフェウスは眉をひそめて目線を下に降ろす。 「…驚いた、…いや。怖いだろう?今までとは全然違う世界に投げ出されて」  ルフェウスは労わるようにフィーナの肩を叩く。 「頼る者の無い、こんなわけもわからない世界に一人ぼっちで放り出されて」  そうだ、このゲームをそれなりにやってきて、それなりにルールなり何なりを知ってい るオレ達とは立場が違う。フィーナは紛れも無い『初心者』なのだ。ゲームの時は全てが 新鮮に見えたとしても、それが急に現実になってしまったら…。それは恐怖以外の何物で もない。 「…でも、大丈夫。僕たちは君の味方だよ。いつか戻れるように、頑張ろう?」  その言葉にフィーナは大粒の涙をこぼし、大きな声で泣き出した。