図書館を出た頃にはちょうど正午を知らせる鐘の音が響いていた。プロンテラの街を南 端から北の端(までは行かないが)も、のんびり歩けばそのくらいの時間は掛かる。速度 増加でもかければもっと早く動けるだろうが、うっかりフィーナとはぐれてしまえばそれ はかなり問題だ。 「…姐さんとの待ち合わせには…まだもうちょっと時間はあるな」  朝起きてから、すぐに送ったWISはちゃんと彼女に届き、ここプロンテラで会おうとい う返事ももらっている。待ち合わせまで1時間くらい。  それまでのんびり過ごすもの良いだろう、と近くのベンチに腰掛けた。フィーナもオレ に釣られてか近くのベンチに座った。目の前には握手をする大きな手のオブジェクトがは げしく自己アピールするかのようにどっしりと構えてある。  ちらりと横目で見れば、フィーナは先ほど借りた本を大事そうに抱え俯いている。  さて、どう話しかけるべきかと思案したその時、南門の付近で大きな爆発音が響いた。 「…な!?何の音ですか!?」 「…ち、テロか」  爆発音は一つではない。南門からは離れたこの場所でも、その場の混乱の音が拾える。 「こんな真昼間の平日に何考えてんだ!」  確かに、街中ではデスペナルティの心配は無いのだが、それでも大量のMOBが冒険者を 襲うのだ。それを快く思わない者だって当然いる。…いや、それよりも… 「やべぇ、あいつ露店中か!?」  時間は正午、朝早くに出て行ったルフェウスが仕入れを終え露店を出しているはずだ。  基本的にルフェウスは南門カプラと中央カプラの中間くらいの位置で露店を開いている。 ものの見事にテロに巻き込まれているはずだ。 「…くっそ、フィーナ!わるいがちょっとここで待っていてくれ!」 「え!?」  フィーナの答えを待たずにオレは自身に速度増加を掛け、テレポを使う。少しでも距離 が縮まれば儲けものだ。  一瞬世界が暗転する。次の瞬間目の前には何が起こったのかわからないような顔のフィ ーナの姿。  …………え? 「…り、リディック…さん?」 「…あえてオレは黙秘権を行使する!!」  よりにもよって1セル移動とはっ!!!!  再び同じ事があってたまるかとオレは南門に向けて走り出した。  見た感じ中規模くらいのテロだ。どうやら触れただけで蒸発するようなMOBは召喚され ていないらしい。生体3や、オーディン神殿、アビスにタナトスなどなど、上級者でもて こずる面々が現れたら洒落にならない。 『ルフェウス!聞こえるか!?』  ルフェウスに向かってWISを飛ばす。 『…な、何とか!』  しばらくの間があって、ルフェウスからの返事があった。 『持ちそうか!?』 『ここら辺はまだMOB少ないけど、まだ新たに出てきているみたいだ。隠れているんだが、 動いたら見つかるかも知れない』  きっと建物の影に身を寄せているのだろう。製薬ケミのルフェウスに戦う手段はない。  合流して、ポタで安全なところに送らなければ。死なないとは言え『死ぬほど痛い』の だ。  オレ自身もMOBに見つからないように、AFKの商人たちの影を行き(体力の無いMEプリに 何が出来る!)やり過ごす。横たわる死体は主に商人系だ。こんな時間でも殲滅する戦闘 職もそれなりに現れており、この調子だと鎮圧にはそれほど時間を必要としないはずだ。  ルフェウスが定点で露店を出す場所に何とかたどり着き、辺りを見渡せば建物の影にあ いつの姿を見つけることが出来た。 「ルフェウス!無事か!?」 「…なんとか」  カートの影に隠れていたルフェウスは、オレの声に気がつき顔を出した。 「とにかく家ポタ出すぞ!?」  ポケットからブルージェムストーンを取り出し…。 「リディック!!後ろっ!」 「セイフティーウォール!!」  ルフェウスの声に半ば条件反射に唱えたセイフティウォール。次の瞬間、がぎんとSWに 弾かれただろう音が聞こえた。そこでようやくオレは振り返る。 「…って、オイ!エクスキューショナーかよ!!!?」  …あたってたら、嫌な感じの死体が出来上がっていたところだ。ナイスSW。ビバオレの 脊髄反射。 「とにかく乗れ!!」  SWの効果が切れないうちにオレはもう一個のジェムストーンを取り出してワープポータ ルを開く。慌ててそれに乗るルフェウス。追うオレ。たどり着いたのはオレ達が使ってい る家。わずか徒歩10分の距離だというのにひたすら安堵を憶えるのは当然だろう。中央 通から若干外れたところまでテロによるMOBは恐らく来ないだろうから。 「ロナやウィズいたから、すぐに鎮圧できるだろ」  テロの合間を縫って見てきたオレが、カートを背にして座り込んでるルフェウスに言う。  因みに『ロナ』とはロードナイトの略だ。一般的にLKと略表記されるのだろうが、声に 出す時に『エルケー』というより『ロナ』の方が言い易いからとそう使っている。 「テロなんか久しぶりだったから、流石に身体が動かなかったよ」  基本的に街から出ないルフェウスはMOBを間近で見る機会が少ないから余計そうなのだ ろう。 「なんとか無事だったし…。  …って…リディック、フィーナは?」 「ああ、ちょっと北のオブジェんところで待っててもらった」  くいっとそちらの方に指を指す。次の瞬間オレの頭に赤ポーションの瓶がクリーンヒッ トしていた。 「アホか!!テロがあったってのに屋外で待たせているとは何考えてんだ!!  それに、僕のことよりフィーナを優先しろよ!!!」 「た、助けてやったのにその言い方はなんだよ!!?」 「右も左もわからない女の子を一人ぼっちで放置させて、それこそ『その言い方はなんだ』 って奴だ!!  とっとと行かないと、ィェァ用のイクラぶつけるよ!?」  ルフェウスはマインボトルを取り出し、振りかぶるポーズをとる。  いかんマジだ…!現在テロ中、イクラボムの音に今更驚く人はいないだろう…!  オレは慌ててルフェウスに背を向け走り出した。  テロは終焉に向けてはいるが、まだ終わりを迎えていない。数は少なくなったものの未 だに冒険者達に襲い掛かるMOBもいる。今までスキルや多数いたMOBの所為でよく見えなか ったが、それも数が少なくなると地面には商人たちが累々と横たわっていた。  オレは極力目をそらす。なぜなら、それは3流ホラーよりも恐ろしい光景だからだ。  露店道を濡らすのは真っ赤な血。それは時間がたてば消えていく。さながら時間がたて ば消えるドロップ品のように。  横たわった死体に献身的にかけるプリーストのリザレクション。どんな状態の死体も正 常に復活を果たすのだが、その過程があまり見ていて気持ちのいいものではない。考えて みれば、大型MOBのいるテロ。『綺麗な死体』を見つける方が難しいだろう。  そんな道をひた走り、中央噴水を越えたところに握手をしている大きなオブジェがある。 そこにフィーナがいるはずだった。  間違いなく、フィーナはそこにいた。しかし、その傍には見覚えのあるスナイパーの姿 もあった。  後姿ではあるが、長い銀髪のスナイパーの女性。近寄るオレの気配に気が付いたのだろ う、ゆっくりと振り向き… 「シャープシューティング!!」  すさまじい勢いで迫り来る一条の光。それはオレの肩口の紙一重を轟音と共に駆け抜け る。遠くできらりと光を残し、その矢は遠くの空に消えていった。 「………け…けけけケル姐さん…」 「お前は阿呆か?」  その場に立っていたのは、呆れ顔の姐さんだった。 「MOBに襲われていたノービスを見てな。様子もおかしかったゆえ、もしやと思ったら、 お前から聞いた娘に間違いないとな。  全く、私がいなかったらこの娘はどうなっていたか…」  姐さんはぽんとオレに何かをよこした。慌てて受け取ってみるとそれは鈍い光沢を放つ 赤い宝石ブリガン。 「…えー…っと…、もしかして…」 「レイドリックだ」 「………あ、えーっと…  す、すまんフィーナ!!ここまで来るとは思わなかったんだ!!」  ベンチで硬直しているフィーナに向き直り、必死に謝る。かたかたと震えているのはま だ先ほどの恐怖が過ぎていない所為だろう。決して姐さんを恐れているという事は無いは ずだ。…多分。  テロも終わったのだろう、今は街の喧騒だけで戦闘の音は聞こえなかった。 「…大丈夫か?」  いまだ青い顔をしているフィーナの顔を覗き込む。怪我は、無い。いやレイドリック相 手ならノービスなど怪我をする暇もなく一撃で倒されてしまうだろう。  本当に姐さんがいなかったらどうなっていたことやら。オレは自分の迂闊さに自身を呪 った。 「…この人に…助けてもらったから…、大丈夫です…」  フィーナの声はまだ震えている。 「本当にすまなかった。姐さんもフィーナを助けてくれてありがとうな」 「礼には及ばん。私とて純戦闘職。テロの鎮圧に手を貸すのも当然だ」  姐さんが左腕を地面に水平にすると、そこに赤いマフラーをつけた鷹がとまった。バッ クパックから干し肉をだし、それを鷹に与える。 「さて、落ち着いたところで自己紹介とするか。  私はケルビム。この『Real Sky』のギルドマスターを勤めている」  そう言うと姐さんは自分の胸につけているエンブレムを指差した。 「は、初めまして。フィーナです」 「どういう経緯でこの世界に来てしまったかは知らないが、ラグナロクの世界にようこそ、 と言うべきなのだろうな」  姐さんは右手をフィーナに差し出す。フィーナもおずおずとその手を握った。