「すごいです!  ぜんぜん平気なんですよ!?」  帰ってきたフィーナの表情は興奮しているようで、帰ってくるなりうれしそうに今日の 出来事を話し出した。 「昨日あんなに怪我したのが嘘みたいです」 「装備もそうだけど、フィーナ自身もだいぶ強くなってるからね。  それでも、油断は禁物だよ?」  ルフェウスはフィーナの言葉にうんうんと頷きながらも注意することは忘れない。  ルフェウスの態度はいつものそれとは変わらない。改めてあいつの心の底の深さを目の 当たりにして、オレは舌を巻く。 「へえ、頑張ったじゃないか。もう16か」  フィーナの出した身分証を見て、ルフェウスはそのベースの上がりぶりに感嘆の声を上 げた。 「もうちょっとバッタで頑張って、それから別の場所を考えようと思ってます」 「ペース、ちょっと速くないかなあ。あんまり無理しちゃだめだよ?」 「わかってるます、大丈夫です」  まるで初めて学校に行った後の家族報告のようだ。まあそれも仕方ない。実質今日が初 めてひとり立ちした日なのだから、色々言いたいこともあるだろう。  オレはと言えば今日はずっと家にいて、ぼけっとすごしていただけで何もしていない。  ルフェウスがやっていたこと、フィーナがやろうとしていること。  オレの知らないところで色々と動いている二人。オレは一体何をしているのだろう? 「どうしたんですか?」 「お?」  ぼけっと宙を眺めて心ここに在らずな状態のオレに、フィーナが首を傾げながら問う。 「な、なんもないよ」 「本当ですか?」  いきなり声を掛けられたので若干上ずった所為か、とっさに出た言葉にやや怪訝な顔を するフィーナ。 「…まだ、怒って…」 「違う違う違う、ちょっと考えにふけってたんだよって。  もう気にしてないってさ!」  その表情にわずかの陰りを見せたフィーナにオレは慌てて否定する。オレの顔、そんな に怒ってるように見えたのだろうか…?   「行ってきまーす」  フィーナは狩場に行き、オレはそのフィーナを見送って。それが日常になっていく。  フィーナは順調にレベルを上げて行き、バッタ海岸、ポリン島、そしてアインブロック のメタリンを相手に余力があるまでに成長していった。  狩場のレベルが上がれば当然怪我も多くなる。たとえルフェウスが渡した装備があると しても、無傷で帰ることは少ない。しかし、フィーナは弱音を吐くことはなかった。帰る たびに今日のことを楽しそうに話すフィーナにオレは少し安心していたのかもしれない。  だが、それはある出来事で一変した。  現在フィーナはジュノーの真下、ラフレシアマップを狩場にしていた。  メタリンでもいいんじゃないかと言ったのだが、少しでもお金が入った方がいいという ことでそのマップを選んでいた。  確かにそのマップには青い草が短時間で生えてくるし、ホルンやラフレシアのカード、 ビートルのs付きガードが落ちるのでその関係もあるのだろう。  だが、あそこにはMOBの殆どがアクティブの上、アークエンジェリングが沸く。  高いDefとMdef、様々なスキルを使用する聖属性のボスは1次職であるフィーナにとって あまりにも脅威なMOBだ。見かけたらすぐ逃げろ、そう、いつも出掛けるフィーナに注意を 促していた。  そして今日、オレはジュノーに来ていた。  別にフィーナのことを追いかけて、というわけではない。  借りていた本の返却と新規に借りようとそこに来ていたのだ。  だから、本当に偶然だった。  ジュノーのマップにフィーナのマークが見えて、彼女もいったん帰ってきたのだろうと 思い、そこに向かっていって。  そこでオレは見てしまったのだ。  死に戻りで戻ってきた怪我だらけの彼女の姿を。  あわててオレはフィーナに近づこうとしたが、その彼女にヒールをかけるプレイヤーの プリーストを見てしまい、思わずその足を止めてしまう。 「いつもすいません」 「いえいえー」  ヒールを受けたフィーナはプリーストにお礼を言って…。  ……。  …待て、今フィーナはなんと言った?  ―――『いつも』すいません。  そう言ってなかったか?  いつも、ってどういうことだ?  フィーナは帰ってきても何も言わない。いや、自分が怪我したことは何も、言わない。  オレは、彼女に声を掛けることは出来ずにただそこに立ち尽くしてしまっていた。  その日も、フィーナは楽しそうに狩場でのことを話していた。  恐らくマップのマーカーに気が付かなかったようで、オレがあの場にいたことなどまっ たく知らないように、普段とまったく変わらないそんな口調で。 「あのね、顔怖いよ?」  今日もいつもどおりフィーナは狩場に出かける。フィーナの今の位置セーブはジュノー だ。帰るときギルドチャットをもらい、オレが迎えにいくことになっていた。  ルフェウスはオレの前に茶を出しながら、そう言った。  そのルフェウスの言葉も今のオレにはほとんど聞こえていなかった。  いつもあんな怪我をしているフィーナがいるのに、オレはいったい何をしているんだろ う。フィーナが追いつくのを待っているつもりなんだろうか? 「…まーた、何か考え込んでるなあ」  ルフェウスのあきれた声はオレの耳には右から左で、それに対して何の返答もせずに席 を立つ。  そのまま自分の部屋に行き、クローゼットを開けた。  使い込まれていたはずの装備品は、持ち主がまともに職性能を生かした狩りをしていな いため使われておらず、わずかだが埃が掛かっていた。その中から一セットの装備品を手 に取る。  アコセットと呼ばれるそれは、MEにとってかなり高性能で昔よく使っていた。  ゲームではあまり気にしていなかったが、こっちの世界に入り込んでいる以上、頭装備 と言うのは身に着けるのに少々勇気のいるものもある。  つまり、アコセットの上段装備はかわいいリボンであり、中も外も男であるオレにとっ て着ける気がしなくなってくるのだが、正直そうも言ってられない。  適当につけたらあっさりとほつれてしまい、仕方なく鏡を見ながらリボンを縛る。  DEXカンストしているため、労せずとも綺麗に止めてしまえる辺り、なんとなく微妙な気 分になってしまうのは仕方のない話だ。  引き出しの中から財布を取り出し、残金の確認をする。…これだけあればしばらく大丈 夫そうだ。そう思ってオレはルフェウスのところにまで戻った。 「…何考えてるかはおおよそ予想できるけど、どうしたのさ?」 「ルフェウス、悪いがこれで青ジェム買ってきてくれないか?」 「…3M…。  いくら僕でもいっぺんには無理っぽい数だなあ」 「別に今すぐじゃなくてもいいんだ。数日中であれば問題ない」  倉庫の在庫は今1000個ほどある。一日二日でなくなる数ではないだろう。 「了解。じゃあ近いうちにでも買っておくよ」  そう言ってルフェウスはゼニーを受け取り、懐に入れた。 「それじゃあオレちょっと出かけてくるわ」  そう言ってオレはワープポータルを開く。いまだ残っていたのは偶然か意識してかはわ からないが、消えずに残っていたウンバラを選択した。  ポタの光柱が目の前に現れ、オレはその光に足を踏み入れようとして。 「…ほんとに無茶する人ばっかりだな」  ポツリと呟いたルフェウスの声が小さいながらもオレの耳に届いていた。  オレは一体何をしていたのだろう。  フィーナは傷つきながらも戦って、ルフェウスはオレの知らないところで、色々と手を 回し。  オレは黙ってただただ時を潰すだけ。  何も出来ない、いや、やろうとしない自分が嫌だった。何が出来るかはわからないが、 それでも少しでも前に進むために。  オレは転生する決意をした。  緑の生い茂るウンバラダンジョンを超えればイグドラシルの幹にたどり着く。いつもな ら草刈しながら進むのだが、今日はその気にすらならなかった。  ここにくるのは本当に半年振りだ。初めてきたときはその絶景に目も奪われはしたがそ んな気も今はしない。  奥へ進めば、空気が明らかに違う空間が映った。ニブルヘイム秘境の村。MEにとって不 死、悪魔以外のMOBのいない最終狩場のひとつ。  深呼吸をしてその空間を見つめ、オレはそこに飛び込んだ。  今までの幻想的なその景色が一転して辺りは瘴気の帯びた魔界のようなそんな雰囲気が あった。もちろん、魔界など実際見た事はないんだが雰囲気と言う奴だ。  死者の町といわれているニブルヘイムだから魔界と言うよりも冥府といった方が正しい か。  辺りをうかがえば怨嗟に似た声が聞こえているが、MOBの姿は見当たらない。入り口辺り は他のMEプリによって浄化されたのだろう。 「っし、気合入れてくか」  ぱしんと手を叩き、気合を入れる。  す、っと息を吸いオレはテレポートを使った。  常に暗いこの地では今がどの時間か判断は付かないが、激痛に耐えながら、デュラハン やディスガイズを焼いていくオレの耳にフィーナからのチャットが届いた。 「…っ、時間、か」  流石にこの状態では返答する余裕も無く、MOBを焼ききった後とりあえず安全なところ (というのはあまりないのだが)に移動する。  崖と木に挟まれた一角に身を預け、自らにヒールを使えば、赤く腫れた体中の傷跡が消 え、痛みもなくなっていった。 「…ふぅ」  一息つけ、今から迎えに行くとフィーナに伝えた。 「なんとか、なるもんだな」  事実本気狩りはこちらの世界に来て初めてだが、何とかできない事もない。これを繰り 返していくのはつらいが、転生すると決めた以上これに耐えていくしかない。  オレはジュノー行きのポータルを開いた。 「あ、どうしたんですか。そのリボン」  迎えに行った先、フィーナはカプラ前にいた。会うなりオレの頭の方を見て笑ったのを 見て、そういえば装備品はそのままだったことに気が付いた。  普段こういうかわいい系の頭装備はほとんどつけてない、と言うか正直頭装備はつけて いないので、フィーナには珍しく映ったのだろう。 「なんか女の子みたいですよ?」 「いやいやいや、別に趣味でつけてるわけでなくって、今日はそんな気分?というか」  くすくすと笑うフィーナにオレは必死に取り繕う…って全然取り繕えていない。  そんな時は伝家の宝刀、話題完全変更だ! 「ところで、フィーナはジョブどのくらいになった?」 「ジョブですか?えっと…」  話の方向転換完了。そう言ってフィーナは首元の探り身分証を取り出した。 「…41になってますね」 「いくつで転職するつもりなんだ?」 「えーっと、落法をとってからノピティギを5まで上げて46転職のつもりです」  リンカーになれば使えなくなるテコンのスキルもあるので、リンカーを目指すとなると 46転職がテンプレでの基本となる。人によっては落法を切ったり、タイリギを7までに したりと好きなようにジョブを取っているようだから、一概にそれしか駄目だと言う事は ないのだが、殊更フィーナはテンプレ通りにスキルを取っていくようだった。 「そか。もうちょっとかかるか」  オレは頭の中でそれとなく計算する。  とりあえず今日の時給からすると98までには最速3日、オーラまで2週間から3週間 といったところだろうか。  できればフィーナの転職前にはとか思ったが、どう考えても無理な相談だ。 「じゃあ戻ろうか」  そう言ってオレはワープポータルを開いた。  人間というのは不思議なもので、正直あんなマネ冗談じゃないとは思っていたのだが、 何度か繰り返すうちに、慣れるまでは行かないが耐えることはできるようになっているみ たいだ。順応しているのだろうか。  マゾっ気など全くない。ないはずだ。FWやアンクルスネアのような接敵回避スキルのな いプリーストでいる以上これは仕方のない事なのだ。SWは初め使ってたけど、瞬間で破ら れて、使う意味がない事に気が付いたのは、初日半ばのことだ。  身体の方が慣れていったのか、最初の頃と比べると幾分効率も上がっているようで、自 分の身分証の経験値バーを見て小さく唸る。  予想より早くレベルを上げれそうだ。  何度目かの補充のため、ニブルの町の幽霊カプラから青ジェムを引き出した。  後1回補充して、そうしたらフィーナから連絡も来るだろう。  傍から見ればどう見ても必死狩りで効率優先に見えるかもしれない。  だけど、オレにはそれほどのんびり出来る余裕などなかった。  転生して、フィーナに追いついて…。  あまり遅すぎてはダメなのだ。傷ついているのは今なのだ。出来れば手を出したいが、 フィーナはそれを望まない。  早く、早く転生しなくてはいけない。  それだけが頭にあり、多分オレは相当焦っていた。