マーガレッタの作った食事は、正直美味かったのだが『どうだ?美味いか?美味いのなら作った 私へ感謝の言葉を伝えるべきじゃないか?』などとのたまうものだから、それは無視しておいてセ イレンへ感謝しておいた。  食事が終わり、カトリーヌとセシルが皿洗いに下がった頃セイレンからこの世界のこと、そして この世界へと入り込んでしまった俺たちのことを聞かされた。  「まず君に確認したいことがあるんだが、いいかな?」  「えぇ、なんでもどうぞ。」  「君は、自分の名前を覚えているかい?」  「・・はぁ、エレメス=ガイルですけど。」  食事前に自己紹介したばかりだというのに、もう忘れてしまったのだろうか。  「それはこのゲームのキャラクターの名前だ。ちょっと言葉が足りなかったかな、僕が聞いてる のは君の本名なんだ。」  「あぁ、なるほど。えーっとですね・・??」  自分の名前なのだ。考えるまでも無く自然と口からでるはずの名前は、おかしなことにさっぱり 思い出すことができなかった。  「自分の名前を忘れたのかい?」  「そ、そんなことないですよ。忘れるわけないじゃないですか。」  否定したが、まったく思い出すことができない。俺は慌てていた。ただ自分の名前を思い出すこ とができないということが、こんなにも不安になることだとは知らなかった。それは自己への疑惑 となり、ついには自己への否定と繋がるところだったが・・  「エレメス君、たとえ思い出せなくても気にすることはない。君だけではなく、ここにいる全員 が同じように思い出せないんだ。」  「え・・?」  「名前を忘れ、自分の存在が希薄に感じたかもしれないが心配しなくていい。それ以外のことは 確かに覚えているだろう?」  言われてみると、自分の家族や暮らしていた環境などははっきりと覚えていた。  「はい、それは大丈夫ですけどなんで名前だけ忘れてしまったのか・・。」  「はっきりしたことは分からないが、僕たちなりに仮説はたてているんだ。マーガレッタ、君か ら説明してくれ。」  真剣な表情で話を聞いていたマーガレッタがセイレンから引き継ぐ。  「この仮説については、あたしがリアルでオカルト好きだったってことで立てた説なんだけどね。 俗に魔法使いとか呼ばれる輩は自分の名前、真名を大切にする。それは、真名を知られるってこと は自分を知られることであり、そこから様々な術をかけられ支配されることを防ぐためだったんだ けど、あたしたちはこの名前をくくられてROの世界に引きずり込まれたんじゃないかって考えてる んだよねぇ。」  この世界でならともかく、現実世界で魔術とか言っちゃったかこいつ。アレ受信者ですかご愁傷 様です。  「ちょっと待ちな。なんだいその目はあたしのことをピーチガイだとでも思ってるのかい。」  「そりゃそうだろ、なんだよ魔術って。ゲームじゃなく現実でそんなこと言われても信じられる はずがない。」  「じゃぁ、お前はROの世界に入り込んだこの状態をどう説明するつもりだい?」  「急に言われても思いつかないが・・。夢を見てるってのが一番現実的じゃないか?」  俺の言葉にマーガレッタは馬鹿にしたような眼をする。  「ハッ!それこそありえないね、これが誰かの夢だとしたら本人以外のヤツは夢の産物だってん だろ?あたしはあたしの存在を確信してる。夢なんかで片付けられたくないね。」  「一人が見てる夢とは限らないだろ。全員が同じ夢を見てる可能性だって・・」  「同じ夢を見てたとして、共有されていることへの説明にはならないよ。人間はパソコンじゃな いんだ、簡単にリンクしたりはしない。」  「そいつは魂がどうだかで・・」  「あっはっはっは。エレメス、自分で言ってて変だとは思わないのかい?お前の理論は魔術と大 差ないよ。」  その通りだった。自分でも自分の馬鹿さ加減と論理の破綻に嫌気が差す。これ以上マーガレッタ に返す言葉がなかった。  沈んでいると思いっきり肩を引っ叩かれた。  「なっはっは。気にすんなよー、エレメス。お前等いいコンビになれそうだぜ。」  酒臭い息を吹きかけてきながらハワードが言う。  励ましてくれてるのだろうが、あいつとコンビになれそうだなんて真っ平ごめんだった。  「今お前等がしてた話だけどな、二ヶ月前に俺らが議論した話なんだよ。色んな説を論議した結 果だから、とっさに考えた理論じゃ論破できんと思うよ。ま、俺らも原因は魔術だって固執してる わけでもないんだ。一番可能性としてありそうかなってだけで、確かめる方法もないしな。」  「ハワードの言う通りだ。僕たちがなぜ名前を思い出せないかという点を、マーガレッタの理論 はうまく説明している。真名をくくられ、奪われたからこそ名前を思い出せず術をかけられこの世 界に引き込まれた。確かに荒唐無稽な話かもしれないが、ROの世界に入り込むことも十分におかし な話だからね、レベル的には変わらないと思うよ。」  「そうですか・・。すいません、ちょっとトイレ借りてもいいですか?」  「あぁ、構わないよ。そこの通路を曲がって突き当たりにあるから、遠慮せずに使ってくれ。」  あまりに急なセイレンたちの話に俺は混乱していた。  俺はこの世界に入り込んだのは、掲示板に書かれたことのどれかがアタリだったためだと思って いた。マーガレッタに知られるとオカルトを信じながらROに入り込もうとしたのに、オカルトを否 定していて、論理が破綻していると言われそうだが、俺だってまったくオカルトを信じてないわけ じゃない。ありえないと思いながら、もしかしたらと期待する。誰にだってあるんじゃないだろう か?  トイレへと入った俺は、食べたばかりの夕飯を全て戻してしまった。  混乱していたせいもあるのだが、なにより彼等の話が真実だとした場合俺の名前を奪い、この世 界へと引きずり込み、この状況を仕組んだ何者かが存在するということだ。  その何者かは何が目的なのか、引きずり込むだけで終わりなのだろうか、そんなことを考えると 寒気を覚えた。  「お前は、アレかい?吐くのがクセなのかい?」  水で顔を洗い、幾分落ち着きを取り戻してトイレから出るとマーガレッタが立っていた。  「中で何してるか聞き耳でもたててたのか、悪趣味なことで。」  「・・ヒール。」  マーガレッタが呪文を唱えると、俺の身体が光に包まれた。その暖かい光に気分が和らぐ。  「少しは落ち着いたかい。あんな青い顔して駆け込まれちゃ、心配にもなるだろうよ。嫌がらせ なんかじゃないよ。」  「・・。」  これまでと違うマーガレッタに驚きを隠せなかった。  「お前が不安になっているのは、あたしたちを引きずり込んだ何者かが、これで終わるとは思え ないってことかい?」  ズバリ言い当てられてしまった。もしかしたらこいつらも同じ事を考え話し合ったのだろうか。  「その不安はいつ起こるか分からない地震を常に怯えている状態だ。それも大切なんだが、それ よりも元の世界にどう帰るかを考える方が建設的じゃないか?」  「そう、だな。ありがとう。」  「フフ。素直じゃないか。さ、落ち着いたならリビングに戻ろうか、時間をかけ過ぎると怪しま れるからねぇ。」  「な、何言ってやがる!どんだけ時間かかろうが俺とお前にナニかあるわけないだろうが!」  「直ぐムキになる。そんな性格キライじゃないよ。」  「馬鹿言ってねぇで、さっさと戻るぞ。」  ギャーギャー言い合いながら戻ると、ハワードに止めを刺された。  「やーっぱお前等お似合いだわ。」  マーガレッタとセシルが戻ってきても話は続けられた。  「次はこの世界について話そうか、と言っても基本はROの世界だ。通常のプレイヤーができる事 は僕たちもできる。中に入ってるだけあって自由度は格段に高い。匂いも味も痛みも感じるからね。 死に戻りに関しては僕たちも確認はしていない。万が一があっては大変だからだ。それとコレは重 要なことだと思われるが、僕たちから通常プレイヤーに対して、自分たちがこの世界に入り込んで しまっている事に関する話は届かないんだ。」  「そーそー、その話をすると空白発言になるみたいでさ、最初の頃はどうにか伝えようとと思っ て一生懸命喋ってたから、ログ流しBotだーとか言われちゃって晒されるわ枝折られるわで大変だっ たんだからー。それにさ!」  その頃に何か腹に据えかねることでもあったのか、頬を膨らませながらまくしたてるマーガレッ タだったが、隣に座るセシルに頭を撫でられ静かになる。  「通常プレイヤーには届かないがNPCには聞こえているようでね、僕たちが話しているのをおかし そうに見ていたよ。知っていることがあるのか問い詰めたこともあるが、結局何も聞き出すことは できなかった。」  「NPCが何か知っていそうですか・・。」  この世界に引き込まれて見たNPCが生き生きと動いてはいたが、結局はゲームの一プログラムであ るはずだ。それがこの状態に何か関わっているのだろうか。  その時、玄関の扉が外側から勢いよく開かれた。  唐突ではあったが、全員の反応は早かった。それぞれの得物を握り、向かった視線の先には両脇 にアリスを従えた少女が一人立っていた。  「急な訪問失礼いたします。ようやっと皆様がお揃いになられたものですから、ご主人様がお会 いになりたいそうです。つきましてはプロンテラ城までお越しいただけますでしょうか。」