じゃらと青色に鈍く光る石を握り締めながら、彼はそこに居た。  戦闘意欲高いオークが生活している通称西兄貴村、斧を片手に辺りを警邏しているのか青い肌の 一際大きいオーク、ハイオークが目の前を通り過ぎる。  櫓が組まれているその場所を見ると、オークアーチャーが弓を携え侵入者を探すべく注意深く辺 りを見回しているのが見えた。  時間を調べる。  時刻は午後3時を少し回ったくらいだ。前に確認してから約2時間、もう少しでこのMAPのM VP、オークヒーローが姿を現すはず。  前は対抗に先を越された。平日の昼間だというのに当たり前のようにボス狩りのPTは現われ、 思うようにMVPを狙う事は難しかった。 「そろそろか」  呟いてクリーミーカードの刺さったテレポートクリップをベルトの一端に挟み、彼は「テレポー ト」と小さく呟いた。  自分以外の移動の際見える光の残像。やはりボスが沸いたという事実がそこかしこに現われ出す。 自身も遅れまいと注意深くテレポートの先を見つめる。  別にボスレアが欲しいわけじゃない。ボスを狙うのは自身の力をどれだけ引き出せるかを調べた いのだ。…違う、力あるものを倒すことが出来るか確認したいのだ。  ……ぐおぉぉ…ぉ…  飛んだテレポートの先、聞きなれたオークの咆哮が聞こえた。だがその声はいつものそれよりも 興奮しているようで、恐らく現在交戦中なのだろうと推測される。 「……先越されたか」  やはりPTで動くのとソロで動くのとでは不利な事は多い。 「仕方ない、倒された時間を確認してまた来るか…」  声の聞こえた方向、オークヒーローが居るであろうその場所に向かい、途中襲い来るハイオーク を水属性の魔法で打ち倒す。 「……決壊?」  オークヒーローが現在もその場に立っていて、その足元には力尽き倒れたPTが横たわっていた。  見れば転生も済ませていない騎士とプリーストの姿。力試しで来たのが逆に返り討ちにあったの か、たまたまペアでハイオーク狩りに赴いていたところにオークヒーローが沸いたのか、それは判 断のつけようは無い。  しかし、この場には自分だけ。これは良いチャンスだとテレポートクリップを外し、イヤリング を身に着ける。  横たわっている騎士とプリーストはその場から移動する事は無く、新たに現われたウィザードの 姿に気づいた。 「ちょ、ソロWIZ?」 「むりっしょー」  オークヒーローの斬撃で千切れかけたその身体でも、プレイヤーである彼らにとってはただ『死 んだ』だけだ。おびただしい流血の中、事も無げに発言するその姿は自分から見て奇怪な物にしか 映らない。ヘタなホラー映画よりも気色が悪い。  不用意に足を踏み出せば、ファイヤーウォールによる足止めの効かないボスと火属性のハイオー ク相手に分が悪く、相手の間合いから離れたところにクァグマイアを何枚が敷き占める。泥沼と化 したその場所は、自分が足を踏み入れてもぬかる事は無く、敵対する者だけを絡み取る泥の沼地。  立ち位置を確認し、セイフティウォールも数箇所に設置し準備は整った。  後は運との勝負だ。 「ストーム…」  オークヒーローが彼の存在に気づいたらしく、取り巻きのハイオークを引きつれ彼の元に近寄る。  ぐちゃり、と濡れた音はオークヒーローとハイオークがクァグマイアの泥沼に足を踏み入れた所 為だろう。満足に動くことの出来ないオーク達は自分らにしか見えない、苛立ちのあるそのわずか な表情を浮かべた。 「…ガスト!」  泥沼のお陰で自分に接敵する前に荒れ狂う氷のつぶてがオークヒーロー達に襲い掛かる。  火属性であるハイオークは水属性の攻撃に極端に弱く、たとえオークヒーローの取り巻きだとは 言っても、ストームガストの冷気の前に成す術も無く倒れ伏した。  ただし、オークヒーローだけは何事も無いように彼のすぐ手前まで近寄り、その凶悪なまでに巨 大な斧を振り下ろす。…が、事前に張られたセイフティーウォールの壁の前に無力にも弾き返され た。 「ストームガスト!!」  セイフティウォールはあらゆる攻撃に対して絶対防御だが、消滅するのには時間と攻撃を受けた 回数とがあり、緊張を抜く事は出来ない。  凍らずストームガストの冷気をその全身に浴びながらも、オークヒーローは緩めることの無い攻 撃を彼に向かって放つ。  1枚目に張ったセイフティウォールはその攻撃の前にひび割れ、後1撃受ければセイフティウォールの壁ごと彼を叩き切るだろう。  その前に数歩下がり、前もって設置していたもう一つのセイフティーウォールに乗る。  そして唱えるストームガスト。  唱えれば、また消え去りそうなクァグマイアの泥沼を敷き、背後にもう一つセイフティウォール を設置する。  もしも、タイミングを損ないストームガストの詠唱中にセイフティーウォールが破れれば、あの 凶器に自身を切り裂かれるだろう。  取り巻きを召喚されれば、タイミングは大きくずれる。どの判断でどのスキルを使うかは瞬時の 判断に任せられる。  時折聞こえる死体からの声は耳に入れる気はない。それで集中力を欠いてしまえば耐久性の無い ウィザードの事、あっさりと胴体は2つに分断される事になるだろう。…いや、間違いなく切り落 とされる。現に幾度も首と胴を離れ離れにされた事があるのだから。  しかし、それを怖いと思う事はなくなっていた。何度も死に慣れれば、死の恐怖はあまりに希薄 なものとなって、その感覚が麻痺してきてしまっているのだ。  強大な敵と戦う時、自分の神経はどこか別のところにあり、それは機械的にスキルを放っている だけで、おおよそ人間らしい感覚は薄くなっているのかもしれない。 「ストームガスト!」  なんとかの一つ覚えのように、荒れ狂う氷雪の魔法を唱え続ける。  対抗は来ない。クァグマイアもセイフティウォールも途切れない。順調だった。  もはや何度唱えたか判らないストームガストを使い続け、気が付けばオークヒーローのその足は 鈍くなり、がらんと大きな斧を取り落とした。地を震わすその声は断末魔か、最後の力を振り絞る 為の気迫の声か。  ぐわん、と目の前に設置したセイフティウォールがたわんだ。拳でセイフティウォールを破ろう としたのだ。  攻撃回数による耐久力はまだ残っていたにもかかわらず、その一撃で破壊されるのではないかと 思われる最後の一撃も彼の身体を捕らえる事は無く、オークヒーローは地面に伏した。  オーク族勇者の証のバッヂが倒れたオークヒーローの脇に落ちており、その傍には斧も転がって いる。 「ライトエプシロンか」  取れるとは思わなかったレアの武器を拾い上げ、倒れたオークヒーローを一瞥した。  今日は運が良かったのだろう。  準備も万端に、横槍も入らず、オークアーチャーも近くにいなかった。  小さく息を吐いて、集中していた気持ちを全部吐き出す。 「おつかれー」 「すげー、素WIZで超兄貴やってるよ」  観戦するためにセーブポイントに戻らなかったのか、倒れたままの騎士とプリーストに視線を移 す。  叩き潰された肢体、飛び散ったままの臓物。なのに何事も無いように喋る。  別にこのまま立ち去っても構わないのだが、下手に事を荒立てるのは今後の活動に支障もきたす ため、仕方無しに懐から1枚のイグドラシルの葉を取り出す。  葉をプリーストの身体の上に置き、「リザレクション」と一言発すると、葉はその言葉に反応し プリーストが使うスキル、『リザレクション』を発動する。  気色の悪い回復の過程は見る気はなかった。  プリーストが礼を言うその前に彼は蝶の羽を空に放りその場から消え去った。  取れた収集品は全てカプラの倉庫に突っ込み、出た装備も鑑定後倉庫に収める。  倉庫の一角に溜めていた空瓶を無造作に袋に積めて外に出た。  同居人にはもしかしたら、ばれているのかもしれない。勘が鋭く、聡いあの人の事だ。知らない と言う事は無いだろう。しかし、課せられたノルマさえ果たしていれば、詮索するような事は言う こともない。渋い顔をして、何か言いたそうな視線を送るだけだ。 「手順通りに行なえば、後は運任せ、か」  面白くなさそうに彼は呟く。本当にやりたいのはそんなことじゃない。手順など自分がこれから やろうとする事に対して意味はないのだ。  ふと自分のレベルを確認してみれば、それは94を指している。95までは後十数%。 「……生体、行ってみるか…?」  レベルを上げるのは厳しいわけでもない。監獄に数日繰り出せば多分上がる。  生体工学研究所の3階へ続く扉はレベル95にならなければ開く事は無い。  人型の強大な力を持つ生体の敵。  それぞれの驚異的な実力をもつあの敵ならば、セオリーというものはあって無いが如しだ。  もしも、その敵相手に充分に立ち回れるようになれば……、もしかしたら――― 「おかえりー」  家に戻れば赤毛のアルケミスト、同居人のルフェウスがそこに居た。  いつもより早い帰宅の彼を見て、ほら、と袋に押し込んだ空瓶を渡す。 「いつもより早いんだな」 「ん?ああー、今日はお祝いしようとしてねー」  視線をキッチンの方に向け、それに習ってラルもキッチンの方をみた。テーブルの上にはいつも よりも多い食材が並んでいる。 「お祝い?」 「ほれ」  尋ねてみればルフェウスは自分の身分証からギルドの一覧を表示させた。  今は4人しか居ないギルドメンバー。その2段目のギルドメンバー…というよりも同じ同居人と いうべきか、その場所を指を差す。 「ハイプリーストか」 「うん。さっき見たとき転職したみたい」 「そうか」 「いやあ、ほんとに転生しちゃうとは思わなかったなあ。出来るんなら今から転職するよって言っ てくれれば良いのに、うちの連中ときたらほんとに秘密主義で困るよ」 「お前さんがそれ言う資格あるのかよ?」  ふ、と鼻で笑って見せればルフェウスはとぼけた顔をして、なんのこと?と言ってのける。  ラルもルフェウスも感情をそのまま表情に移す事は少ない。ラルは極端に感情の変化に乏しく、 ルフェウスは大抵作っている事が多いのだ。腹の探り合いも平行線を辿る事が多い…いや、ルフェ ウスの方が上手であるだろうが。 「飯出来たら呼んでくれ。部屋に戻ってる」  ラルはそう言い残し二階に消えた。詮索のし合いはラルの方が分が悪く、ボロを出さないよう退 散する。  その後姿を見送りながら、ルフェウスも小さくため息を吐いた。 「ねえ、気づいてる?僕が本当に言いたいこと」  ギルドメンバー一覧を見て目を細める。呟いた言葉はあまりにも小さく、それは当人にしか耳に する事はなった。 「おめっとさんーーーっ!!」  ぱひゅ。  小さな炸裂音。扉が開いたその先にはまたか、と呆れた顔のリディックと、可笑しそうに笑って いるフィーナの姿があった。  今、リディックの姿は白い法衣に幾重の紋様を描いた衣装に身を包んでいる。プリーストの転生 職、ハイプリーストの姿だ。 「家ん中で花火はやめろって言ったじゃんか」 「はっはっは。引火しなければどうという事は無い。  ま、小火出してもその時はラルに頼むから実に問題ないよ」  ぐっと親指を突き立ててルフェウスは笑う。その言葉に盛大なため息を吐いたリディックは彼の クセらしい頭をかりかりと掻きながら「あいつは便利屋かよ」と呟いた。 「うんうん見違えた見違えた。  アコハイってジャージっぽいもんねえ」 「ジャージ言うなっつうの」 「町とかでハイプリーストの方を見るけれど、素敵だなあって思ってたんです。  リディックさん、良くお似合いですよ」  にこやかに微笑みながらリディックの方を身ながら言うフィーナに彼はぽ、と頬を赤らめながら どうも、と言った。 「ういのー、うぶいのーー」  にやにやとその様子を見ながらルフェウスはからかう。当然そのルフェウスにリディックが慌て ふためきながらルフェウスを黙らせようと必死に追いすがる。  リディックに追われながらもルフェウスは笑っていた。計算も探りあいも無いやり取りが本当に 楽しかった。  そんな騒ぎに気づかないはずもなく、階下に下りてきたラルはその光景に呆れた視線を向けてな がらも、口元は綻ばせ小さく笑っていた。  これは、この空間だけは壊させるわけにはいかなかった。  この時だけは心から笑える安らぎの時――――