●山岳の都市フェイヨン   アーチャーの街として知られるフェイヨンは、その東洋の様式を思わせる伝統的文化と居住区を、   険しい山岳と深い森の中に置くことで、長い間外部勢力からの侵略を防いできた。   その体制を守ってきたフェイヨンが、内側に擁するダンジョンの魔物の氾濫を許し、   重大な被害を被ることとなった今回の事件は、あまりにも皮肉なものであった。   今も尚、事件の爪跡を深く残す居住区を走り抜け、現在臨時の医療所として指定されている   フェイヨンの中で最も大きな宿を見つけ出す。   僕は流れ出る汗や乱れた息をそのままに宿の扉を開け放ち、奥の診察室の扉をノックする。   扉の奥から「どうぞ」と一言だけ声が掛かる。   僕は大きな深呼吸を一つした後、扉を開けて診察室の中へ入る。   診察室の奥には理知的で、どこか妖艶な雰囲気を漂わせる女性のプロフェッサーが一人、机に向かって座っていた。   女性は向かっていた机から扉付近に立つ僕へ視線を移すと、椅子から立ち上がり慇懃そうに挨拶を始めた。   「フェイヨン臨時医療所へようこそ。私は所長のローズマリー。マリーと呼んで下さって結構です。」   僕は額の汗を袖で拭い、軽く呼吸を整えた後、マリーと名乗った女性に倣うようにして挨拶をする。   「イズルードの剣士ギルドより派遣されました、ノウンと申します。    この度はフェイヨンの救済、及び鎮魂祭準備に向けての補助・警護の命を受け馳せ参じました。    マリーさん、何か、僕に何かできることはありませんか!? 僕は――!」   「ノウン君、ね。私相手にそんなに畏まる必要はないのよ? それに、少し落ち着いたらどうかしら。」   挨拶の途中から平静を失った僕は、捲くし立てるようにマリーさんに詰め寄る。   取り乱す僕とは対称に、彼女は落ち着いた様子を見せている。   そんな彼女の姿が僕の焦りをますます加速させる。   「落ち着けって…… ダンジョンの魔物が氾濫して! 街が危険に曝されて! 被害が深刻だって聞いて!    それで落ち着けと言われたって――!」   「同じ事は二度言わないわ。よく聞きなさい、ノウン君!」   マリーさんは捲くし立てる僕の両肩を掴み、よく通る凛とした声で告げる。   「厳しいことを言うようだけれど、今の君が手を貸そうとしても場を混乱させるだけ、邪魔なだけよ。    だから君にできることは何もないわ。取り乱している今の君には、ね。」   ふと、我に返る。   両肩を掴んだマリーさんの両手が、僕の顔を正面から見据える双眸が、何より僕を諭す為に発せられた言葉が、   自身を見失って取り乱した心を徐々に落ち着かせていった。   平静を取り戻しつつある頭で思考を巡らせる。   マリーさんの言う通りだ。   我を失ったまま手を貸していてもその場の和を乱し、被災者の不安を募らせていたに違いない。   僕は何をしているんだろう。   僕一人が焦っても何も変わらない。   それは分かっていたはずじゃないか。   なのに、勝手に不安になって、被災者の不安を煽りかねない程に勝手に取り乱して……。   これじゃ僕は――   「これじゃ僕は、馬鹿みたいじゃないか……!」   僕は膝をついて項垂れ、嗚咽を漏らす。   「それでも、自分の間違いに気付いた君は立派よ。」   項垂れる僕の背中を、マリーさんがゆっくりとさする。   「さっきは偉そうなことを言ってしまったわね。ごめんなさい、ノウン君。」   謝罪を口にしながら背中をさすり続けるマリーさんに返す言葉もなく、僕はただ被りを振った。   僕は立派なんかじゃない。   彼女の言葉がなければ、自分の間違いにも気付けない程に馬鹿なんだ。   僕は自分の浅ましさに、そしてそれに自身が気付けなかった悔しさに、声を殺して涙を流し続けた。   マリーさんに紹介された一室で夜を明かし、鎮魂祭を翌日に控えたその日の朝。   僕は昨日醜態を曝したことと、宿泊場所を手配してくれたことにお詫びを入れる為、再び診察室を訪れた。   「そんなこと別にいいのに。男がそんな細かいこと気にしてちゃモテないわよ?」   マリーさんは口元を押さえ、クスクスと笑いながらそう言ってくれたが、   それに対して僕は「性分ですから」と苦笑しながら返事をする。   「まだ影があるようだけど、昨日よりはいい顔になったわね。それで? 今日来たのはそれだけじゃないんでしょ?」   分かってはいたけど、やっぱり見透かされていたようだ。   僕は大きな息を一つついてから言葉を口にする。   「マリーさん、改めてお願いします。僕に何かお手伝いできることはありませんか?」   「それなんだけどね……。」   僕の問いかけに対し、彼女は僅かに考えるような仕草をした後、ゆっくりと口を開いた。   「この臨時医療所に収容されている被災者全員分の手当ても一通り済んで、今は快方に向かっているわ。    深刻だった街の被害も王国から派遣されてきた人たちの補給物資や、    各地から訪れた有志の冒険者たちのお陰で復旧の目処もついているし、    ダンジョンを含めた街周辺の警護も充分な人数で当たっているから、    ノウン君は何も心配しないで鎮魂祭当日までゆっくりしているといいわ。」   「でも、何もしないでいるのは、何だか落ち着かなくて……。」   「それなら鎮魂祭の準備の方を手伝ってくれないかしら。大きな櫓を組む為に多くの資材が必要だし、    多くの露店が開けるように広い場所を確保する為の舗装も必要だし……    他にも退屈しないくらいやることが沢山あるわね。ノウン君さえよければ、手伝ってもらえる?    男手は喉から手が出るほど欲しいだろうから、歓迎されるわよ。」   言うが早いか、僕は彼女の提案に即座に頷き、二つ返事で了承する。   その様子に彼女は「ありがとう」と一言感謝を口にし、にっこりと笑ってみせた。   「それじゃ、早速行ってきます。」   「ええ、頑張ってきなさい少年。」   少年って…… これでも僕は二十歳なんだけどなぁ。   僕は再び苦笑しながら、マリーさんに向け一礼をしながら診察室を後にしようとする。   診察室の扉を閉める寸前に、彼女が一枚のカルテを神妙な面持ちで眺めているのをみたが、   僕はこの時、さして気にも留めなかった。   臨時医療所から外に出ると、昨日訪れたばかりの時とは打って変わるように、   人々は盛り上がりを見せていた。   商人ギルドの組合員や一般の人たちが、様々な催し物や露店を設ける為の準備をし、   各グループ毎の長らしき人物たちが矢継ぎ早に指示と檄を飛ばしている。   弓手村の練習場にあった的が撤去された為か、祭りの会場としては充分な広さが確保され、   中央に一際大きな櫓が組み始められていた。深刻だった被害に比例するように大きな櫓を組む為に、   冒険者と一般の人々が入り乱れ、大量の資材を共同で運んでいる。   夕方の時は気付かなかったが、祭りに参加しようと他の街からやって来たらしい、   冒険者や一般の人々の姿が多く見受けられ、中には待ちきれずに興奮を抑えられない様子の人たちもいた。   鎮魂祭まで残すところ僅か一日。   フェイヨン全体を包む熱気と興奮が、僕にも伝わってくるような感じがした。   資材運びを手伝おうと櫓に近づく僕の周囲に、急に大きな影が落ちた。   振り返ると一匹のグランドペコペコが僕の傍に立って見下ろしている。   街中でも見掛ける機会はあったが、こうして間近でグランドペコペコを見るのは初めてだった。   ペコペコと比べて太く大きく、力強さを見せつける脚。   喉元から腹部にかけて伸びる白い羽毛と、橙を基調としながらも青く染まった羽先が派手な印象を残す。   頭部を覆う革製の装具と鞍がいかにも騎兵としての訓練を受けたグランドペコペコとしての風格を漂わせ――   突如、目の前のグランドペコペコが僕の顔を大きな舌で一舐めし、思考を中断させられる。   何が起こったのか、理解できなかった。   突然のことに呆然と立ち尽くす僕をよそに、グランドペコペコはお構いなしに舐め回し始める。   心なしか、グランドペコペコの目が笑っているようにも見えた。   「ちょっとおおおぉぉぉ! ペコ何やってんのおおおぉぉぉ!?」   主人と思しきクルセイダーの男性が、雄叫びを上げながら駆け寄ってくるのが見えたが、   その姿をはっきりと確認することはできなかった。   舐め回すのに飽きたのか、グランドペコペコは頭をしゃぶりだし、未だに事態を飲み込めずにいる僕の視界は   グランドペコペコの大きなくちばしで覆われていた。