●山岳の都市フェイヨン   鎮魂祭がいよいよ明日に迫り、祭りに向けての準備と高まる期待に人々が賑わいを見せる中、   僕は一匹のグランドペコペコに頭をくわえられていた。   何が起こったのか理解した時には、目の前は真っ暗で何も見えず、何も聞こえなかった。   どうにかして抜け出せないかと体を動かしてみようとするが、ペコの力は思った以上に強く、   もがけばもがくほど息苦しくなり、更には手足の感覚が麻痺し始めているのか、   本当に自分の体が動いているのかどうかさえ分からなくなってきていた。   ジーザス……。   唐突にそんな言葉が頭をよぎった。   僕は聖職者ではないし、家に飾ってあるのも十字架ではなく仏壇だったが、   そんなことはお構いなしに、僕の心はジーザスだった。   次に神様宛ての問いかけや恨み言が頭を巡りかけた時、不意にペコの嘴が開き、   ようやく解放された僕はよろめきながら地面に尻餅をついた。   鼻をつく様な臭いがする唾液で塗れた僕の前に一枚のハンカチが差し出される。   前髪をクリップで纏め上げた男性プリーストが、こちらの安否を問いながらハンカチを使うよう促している。   「君、大丈夫ですか? 良かったら使って。」   「は……はい、大丈夫……です、すみません。」   時々むせ込んで言葉が詰まりそうになりながらも、何とか搾り出すように返事をした後、   受け取ったハンカチで顔を拭く。スベスベした感触が顔に行き渡って心地よい。   一通り拭き終わった後、このハンカチが上質なシルク製だと気付く。後でしっかり洗って返さないと。   「さて、説明してもらおうか?」   底冷えする様な声に思わず顔を上げると、何故か黒焦げた姿の男性クルセイダーの胸倉を掴んでいる   女性プリーストと、その傍にいる女性忍者が、僕と男性プリーストの方を向いている。   いずれの4人とも、外見の上では僕とそう年齢に違いはないように見える。   周りの喧騒に耳を貸し、辺りを見渡すと、僕らに視線を向けていたのは彼女達だけではなかった。   祭りの準備に追われていた人や観光目的に訪れた人の多くが、人垣を形成して好奇の眼差しを送っている。   中には何故か賞賛するように拍手を送る人や口笛を鳴らす人はおろか、   「もっとやれー!」「アンコール!」等と声を上げている人もいた。   目の前の状況に再び頭が理解できなくなった僕は、ただ宙の一点を見つめていた。   その様子を察したのか、男性プリーストが僕に向き直って声を掛ける。   「状況を説明する前に軽く自己紹介でも。俺はエルミド、見ての通りプリーストだよ。    で、あっちのこんがり焼き上がってるのがクルセイダーのクラウスさん。」   その黒焦げたクラウスさんの胸倉を掴んだまま、口をへの字に曲げながら女性プリーストが後に続く。   「私はルーシエ。エルミドと同じくプリーストだ。そしてこっちが――」   ルーシエさんは隣に立つ女性忍者にアイコンタクトをし、自分の後に続くよう促す。   「忍者の如月朔夜。如月でいいよ。」   かけた赤いメガネの真ん中を押さえながら如月さんが言い終えると、   クラウスさんを除く三人の視線が僕の方へと注がれる。   僕は咳払いを一つし、大きく息を吸ってから彼らに倣って自己紹介し、状況の説明を求める。   「僕は剣士のノウンと言います。それで、あの、何がどうしてこうなったのか説明してもらいたいんですが。」   「そうだ、説明しろ! 私やノウンは勿論、この場にいる全員が納得する説明をな!    さあ言え! 吐け! 答えろクラウス!!」   ルーシエさんは声を荒げて、クラウスさんの胸倉を掴んだまま前後に揺さぶり説明するよう問い詰めるが、   どうやら気絶しているらしい彼は答えることなく、頭と四肢が力なく揺らされている。   「まぁまぁ、ルーシエさん。俺の方から掻い摘んで説明するから。」   そう宥める様に言ったエルミドさんの口から状況が説明された。   とある冒険者を付け狙う怪しい二人組に、クラウスさんと同じ髪形をした人相の悪い剣士がいること。   人込みに紛れる中でその剣士を見つけたが、何やら錯乱していたクラウスさんとペコは目標を見誤り、   偶々すぐ隣にいた僕がペコに頭をくわえられたこと。   その騒ぎに乗じて逃げていった剣士を見失い、中々僕を離そうとしないペコに手を焼いていたクラウスさんは、   ルーシエさんの跳び蹴りで宙を舞い、地に落ちる寸前に如月さんの放った紅炎華で黒焦げになったこと。   そしてペコが主人の滑稽な様を見て笑った拍子に、僕を嘴から離して現在に至る、という訳だった。   なるほど。それだけの騒ぎが起これば物珍しそうな目で見る人垣ができても不思議じゃない。   そして賞賛するような声・拍手・口笛が送られたのは、その大道芸の様な一連の流れにもあっただろうが、   魔物の襲撃によって荒んだ人々の心に一種の安らぎを見出したのではないだろうか。   その騒ぎの被害者であるにも関わらず、まるで他人事のようにそう考えている自分と、   聞かされた一連の情景を思い浮かべると可笑しくなるが、何とか笑いを堪える。        そんな僕を尻目に、三人は騒ぎに対してそれぞれの言葉を口にする。   ただ、その殆どがクラウスさんのことだった。   「しかし、クラウスのことだろうからそんなところだと思っていたが、案の定とはな。    渾身の跳び蹴りを披露した甲斐があったよ。」   「いやー、ルーシエさんと如月さんの見事な連携にはスカッとしたねー。クラウスさんには悪いけどさ。」   「うんうん。タイミングもぴったりで、ブランクを感じさせない連携が決まったよね。    それにしても会うの久しぶりなのに、そんなこと感じさせないくらいクラウスって相変わらずなんだねー。    そこに安心したというか、がっかりしたというか。」   もしかして、彼らはいつもこんな感じで冒険をしているのか?   それにここまで言われるクラウスさんって一体……。   彼には悪いと思いつつも、僕は遂に堪えきれず吹き出していた。   掴んだままにしていたクラウスさんの体を、それまで地面に落ちている食べ物に夢中だったペコの背に預けると、   ルーシエさんは僕に尋ねてくる。   「ノウン、君にとっては笑い事じゃないと思うんだが。このクラウスの騒動に巻き込まれた被害者である訳だし。    体は大丈夫なのか? クラウスに対して何か恨み言はないか? もしあったら私が代弁しておくぞ。」   今は息苦しさも、手足の痺れもなくなっていた。   僕は自分の胸を一つ叩いて答える。   「いや、もう体の方は平気ですよ。それに恨み言とかはともかくとして、僕よりも彼の方が余程重傷なんじゃ。」   「あー、まぁ、確かにそうだね。」   僕の言葉に納得するように、エルミドさんは未だに気絶しているクラウスさんを見て頷く。   その後ろで如月さんが「ちょっとやりすぎたかな」と呟きを漏らしていた。   ルーシエさんはエルミドさんの肩に手を置き、気軽そうに頼みごとをする。   「じゃあ、そういうことだから。エルミド、ノウンとクラウスを頼んだぞ。」   「えー!? 何だって俺がまた…… っていうか、そういうことってどういうことなんですか!?」   「跳び蹴りかました挙句、黒焦げにまでした人間を看病できると思うか? いや、断じてできない!」   「何ですか、その屁理屈…… あー、はいはい、分かりましたよ。俺が行けばいいんでしょ、俺が。」   ルーシエさんの言葉にエルミドさんが非難の声を上げるが、不貞腐れるような台詞と共に渋々了承すると、   気絶したままのクラウスさんを乗せたペコの手綱を引きながら、僕の方へと手を差し伸べる。   「さてと、医療所まで行くとしますか。ノウンさん、立てる?」   「大丈夫です。ありがとう、エルミドさん。」   僕は差し伸べられた手を掴んで立ち上がり、臨時医療所のある方へと踵を返す。   「それじゃあ、私は資材運びに戻るね。」   「おねえちゃん、それって私でも手伝えるかなぁ?」   「もちろん!」   後ろからルーシエさんと如月さんの仲の良さが窺える会話が聞こえてくる。   そのやり取りを聞いてか、エルミドさんがぽつりと呟く。   「ま、折角だから二人にさせてあげるのも悪くないよね。」   その横顔からは優しさと嬉しさが混じった微笑みが浮かんでいた。   仲睦まじく笑い合う彼女らを背に、僕とエルミドさんは黒焦げのまま気絶しているクラウスさんをペコに乗せ、   臨時医療所へと歩いていった。 ●山岳の都市フェイヨン・臨時医療所   「ペコペコに頭を飲まれかけて窒息寸前、それに伴う手足の痺れがあったにも関わらず、    今では体のどこにも異常が見られないなんて…… ノウン君、君の体はどういう仕組みになってるのかしらね?」   臨時医療所内の診察室にて、所長であるマリーさんから診察を受けた僕だが、   彼女にとっては呆れ声が出るほど診察し甲斐がない結果だったようだ。   「念の為、体のどこかに障害が残るとも限らないから、今日一日医療所で安静にすること。いいわね?」   自分自身のことなのに実感が湧かなく、僕は一つ生返事をする。   そんな僕の様子にますます呆れたのか、マリーさんは短く溜息を吐く。   「あの、クラウスさんの方はどうなんですか?」   僕は自分よりも重傷に見えた人物の容態を尋ねる。   「黒焦げだったクルセイダーの彼のこと? 彼なら見た目ほど酷い火傷を負ってはいないわ。    熱傷深度が表皮までに留まったお陰で、数日もすれば瘢痕も残らず治るわよ。    その間、火傷を負った皮膚は発赤と充血を起こして、痛みと熱感の症状が生じるけどね。」   クラウスさんの容態を聞いて安心する僕を見て、マリーさんは心底呆れたようで半眼になる。   「自分がどれだけ危険な目に遭ったか理解してないみたいね。全く、君はどこまでお人好しなのかしら。    ――ああ、もう、とにかく君もさっさと休んだ休んだ。」   突然立ち上がったマリーさんに体を押され、言い訳をする暇も与えてもらえずに診察室から追い出されてしまった。   「ノウンさん、どうだって?」   直後に後ろから声を掛けられる。   振り返るとエルミドさんがもたれていた壁から離れて尋ねてくるところだった。   「僕の方は今、体のどこにも異常はないけど、念の為今日一日安静にするようにと言われました。    クラウスさんの方は見た目ほど酷い火傷ではないみたいで、数日もすれば痕も残らず治るそうです。」   「そっか、二人とも大事に至らなくて何よりだよ。」   その言葉を聞いて安心したのか、エルミドさんはホッと安堵の息を漏らす。   「それじゃあ、お大事に。クラウスさんによろしく言っておいて。」   踵を返してそう言い残すと、彼は医療所の外へと去っていった。   臨時医療所はフェイヨンで一番大きい宿を利用しているだけに、全ての階を合わせるとかなりの部屋数があるようだ。   フェイヨン襲撃事件直後は収容された患者の数があまりにも多く、一部屋辺り十人ほどに上ることもあったらしいが、   医師や聖職者たちの懸命な治療と、所長であるマリーさんの的確な手腕によって、   現在では一部屋辺り二〜四人ほどにまで減少しているという。   僕は一階にあるいくつかの部屋の前を横切り、クラウスさんの名前が書かれた部屋を見つけると、扉に軽くノックする。   一瞬だけ間を置いて扉の奥から「どうぞー」と声が聞こえてくる。どうやら目を覚ましたみたいだ。   扉を開けて中に入るとベッドから身を起こしていたクラウスさんは、僕の姿を見るなり血の気の引いた顔で   目を大きく見開き、金魚のように口をパクパクさせていた。   「君は、あの時の!」   「どうも、ノウンと言います。それで体の方は大丈夫――」   僕がクラウスさんに対して言い終える前に、彼は火傷によって所々包帯で巻かれた体をベッドから跳躍させ、   床に着地すると同時に土下座を始めた。   「ごめん、すまない、申し訳ない! 幾ら謝っても許されないことだって分かってる! 言い訳するつもりはない、    あれは全部俺の責任だ!!」   クラウスさんはそう言いながら、何度も土下座を繰り返して頭を床に打ち付けている。   彼の額からは血が滲み、床はギチギチと音を立て始めていたが、それにも構わず頭突きのような土下座が続く。   そんな彼の様子を見るに見兼ねて、僕はエルミドさんから状況の説明を聞いたことを話す。   それを聞いたクラウスさんは、血の滲む額で床をグリグリと擦り始めた。   「そうか、聞いたのか、俺の間抜けっぷりを…… ああ、穴があったら入りたいくらいだ……。」   どうやら逆効果だったらしく、彼の態度が底なしに卑屈になっていく様が見て取れる。   「いや、だから僕はもう何ともないし、気にもしてないし。それよりクラウスさんの方がよっぽど酷い目に遭ってる訳だし。    そちらも気にしないでください。後、いい加減顔を上げてください。」   クラウスさんは半泣きになった目で僕を見上げて、絞り出すような声で言った。   「許してくれるのというか? この醜く薄汚れた、腹の調子が悪い、    自業自得でホムーラン&バーベキューを受けたこの俺を!?」   途中から言葉の意味が分からなくなったが、僕は元々彼を許す気でいた。   のだが、とある考えが頭をよぎった。   「許すよ。ただし、これから提示する二つの条件を飲もらうけど。」   彼には悪いが、ここは僕の言葉に従ってもらおう。   「ああ、飲む、何でも言うことを聞く! 条件は何だ、ノウンさん!」   一つ目の条件を口にする。これは僕にとっては最重要と言ってもいい。   「まず一つ目。今すぐとは言わない。鎮魂祭が終わった後でも、そちらの都合のつく時でも構わない。    僕の稽古の相手をしてもらいたいんだ。」   この世界に来てからというもの、僕は未だに魔物との戦闘経験がない。   それ以前に剣の扱い方すら知らない。   本来なら剣士の基本を学ぶ為にイズルードへ向かうつもりだったが、   こうしてここで剣士の同門と繋がりを持てたのは、正に怪我の功名だ。   この世界に生きる冒険者から直に学べば、これから先を生き残る為に不自由しないだろう。   そしてもう一つの条件は至ってシンプルなものだ。   「そして二つ目。僕の名前を口にする時は呼び捨てにして、話すときは敬語を使わないで欲しい。    その代わり、僕もクラウスと呼ばせてもらうことにするけど。」   稽古をしてもらう相手に一々敬語を使い、使われるのは肩苦しい。   名を呼び合うには呼び捨ての方が気兼ねしなくていい。   ただ、それだけの為の条件だった。   僕の言った条件が意外なものだったのか、彼は僕の顔を見上げたまま目をパチクリとさせている。   確認の為に僕は再度問いかける。   「どうかな? この条件、飲んでくれるかな?」   「ああ、勿論だ! その条件、喜んで飲ませてもらう!」   言うが早いか、彼は僕の条件に快諾してくれた。   そして僕は彼に向けて挨拶と、握手を求めて手を伸ばす。   「じゃあ、改めて。僕は剣士のノウン。よろしく、クラウス。」   「ああ! 俺はクルセイダーのクラウスだ。よろしく、ノウン!」   立ち上がったクラウスは、僕の伸ばした手を両手で握ると軽く上下に振る。   僕よりも一回りは大きな、ごつごつとした手。   この手は今までどれだけ剣を振るい、どれだけの魔物を倒し、どれだけの人を救ってきたのだろう。   そう考えていると突然部屋の扉が開き、同時に女性の声が部屋に響く。   「君たちのことだろうから休んでないだろうと思ってきてみれば、やっぱりね。    そんな暑苦しいことやってる暇があったら、今は少しでも体調を戻す為に寝てなさい!」   マリーさんに叱られ、僕とクラウスは同時に肩を竦める。   それから間もなくして、ウェスタングレイスを被った男性ガンスリンガーとアコライトの少女がやってきて、   マリーさんの後ろから部屋の様子を窺っている。   体を包帯で巻かれたクラウスの姿を見て、男性ガンスリンガーは呆れたような声を出す。   「クラウスさん、また何かやったんですか?」   クラウスはその言葉に答えることなく、ただ目を逸らした。   しかし、そんな彼をマリーさんが許さなかった。   「それがね、ルクス君。この二人ったら剣士系よりもバードやクラウンが似合いそうなことを仕出かしたのよ。」   ルクスと呼ばれた男性ガンスリンガーは「あー」と納得したように一声だけ発する。   「何でそこで納得するんだ……。」   「何でも何も、事実じゃないの。」   がっくりと項垂れるクラウスにマリーさんが更に追い討ちをかける。   というか、マリーさん。それは僕らが寒いと、道化だと言いたいんですか?   そして何故、僕まで含められた言い方なんですか?   僕とクラウスは暫く目を合わせた後、部屋の隅々まで行き渡るくらいの、深い深い溜息を吐いた。