「なんでっ!?なんで来てくれないの!!?」  リディックが使ったポータルは、家に帰るための玄関先。先に現われたリリアたちの存在の所為 か、家から飛び出したルフェウスは、そこで叫び続けるフィーナを目の当たりにした。 「…な、何が…」  血塗れた少女を抱え、呆然としているハイプリースト。ポータルの出現先を食い入るように見つ め肩から血を流しながらもそれに気づかないように叫んでいるフィーナ。  家の玄関先にメモを取っているのはリディックのワープポータルしかない。しかし、肝心の本人 がその場所にいない。…また、何かに捲き込まれた…? 「フィーナ、フィーナ一体何が…?」 「来てくれないの!!すぐに来るって言ってくれたのに、リディックさんが来てくれないの!!」  取り乱すフィーナの言葉に渋い顔をしながら状況を判断する。  傍にいるハイプリーストは見覚えの無い女性だった。彼女が抱えている、息も絶え絶えのアコラ イトの少女もルフェウスの記憶には存在していない。しかし、彼女らの態度は明らかにプレイヤー ではなく、リアルだと認識できる。  そして、そのアコライトにヒールすら掛けず、ただただその少女の名を呼ぶハイプリーストはこ ちらに来て間もない事を証明していた。  慌てて家に戻り、白ポーションを何本か掴み戻る。 「失礼」  ルフェウスは呆然としているハイプリーストの手からアコライトの少女の身体を取ると、手に持 ったポーションを傷口に流し、もう1本を飲ませようと口元にあてがう。  ナイフで抉られたような腹部の傷。内臓に到達しているためか、こじ開けた口元から逆流した血 液が零れ落ちる。かろうじて息はしているが、これではポーションを飲める状況ではない。  ルフェウスはポケットから小さな瓶を取り出し、それを地面に落とした。 「バイオプラント」  その声に反応し、瓶の中にあった種子は芽を吹き茎を伸ばし、1本のジオグラファーが咲く。  ジオグラファーは傷ついた少女を癒すべく、ヒールを使い出す。数度ヒールを繰り返せば、青白 かった少女の顔も赤味が差してきて、何とか一命を取り留める事が出来た。  次にフィーナの方を見れば彼女も自分の怪我に意識を向けることなくしきりに、なんで、と繰り 返している。ルフェウスはそのフィーナの肩口に白ポーションを掛け、傷を癒す。無論回復された ことすらフィーナは気が付かない。 「…何が、あったんですか?」  ゆっくりとハイプリーストのリリアの方を向き、説明を請うそのルフェウスの表情は、見知らぬ 者を見るような僅かな警戒心を含んでいた。かたかたと青褪めるそのハイプリーストはゆっくりと ルフェウスの方を見る。 「この少女はもう大丈夫です。  ヒールが使えないほど、何に怯えているのですか?」 「あ…あ、わたし、は…」  震える声に、ルフェウスは息を吐く。目を覚まさない少女を抱きかかえ、立ち上がった。 「家に入ってください。ここではあまり込み入った話も出来ませんから。  フィーナ、フィーナも早く」 「…でも、でも…!!」 「早く!」  珍しく厳しい顔で叱責したルフェウスを見て、フィーナはびくりと振るえそしてようやく立ち上 がった。 「…またトラブルかよ?」  扉を開ければそこにはラルがいて、ルフェウスの抱えたアコライトと後を追うようについてくる ハイプリーストの姿を見咎める。 「リディック、ログアウトしてるぜ?」 「……知ってる」  ログアウト。それはどういう意味か知らないものはいない。  たぶん、死んでいる。 「……全く、いい加減あの不幸体質もなくなれば良いのに」 「ハイプリのLUK補正は低いからな」  アコライトの少女をルフェウスは自分の部屋に運んでベッドに寝かせる。フィーリルのぱむに少 女を看るよう伝えれば、ぱむはぴぃと一声鳴いた。  リビングにはまるで葬式かのような重い沈黙が下りる。 「…まず、名前を教えてもらいましょうか。僕たちは貴女を知らない」 「あ、わたし…リリアと申します。あの、アコライトはカイ…。助けて、くれてありがとうござい ます」  俯きながも綴る言葉を聞きながら、ルフェウスは頷いて。やたら落ち着かなさげに扉の方を見て いるフィーナに目を向ける。 「フィーナ、しばらくリディックは戻ってこないよ。  あの子は今ログアウトしている」 「ログ、アウト…?  どういう、意味なんですか…?」 「僕たちがログアウトする理由は、フィーナももうわかっているだろ?」 「…そんな、そんなの嘘よっ!!  だって、だって!!」 「厳しい事言うけど、僕たちはなぜこのような状況になったのか判断は付かない。  教えて、くれるね?」 「……わたしの、所為なんです。いきなり襲ってきたあの二人は、わたしを狙っていたようで…、 リディックさんはその巻き添えに…」  両の手を固く結び合わせ蒼白いその顔でリリアは言う。リリアとて詳しい事はわからない。いき なり襲われそれをリディックに助けられた、ただそれだけだ。 「どんな奴?」 「名前は…わかりません。女性のアサシンと男性のローグとしか…」 「特徴は?」 「アサシンの方は金髪の肩にかかるか位の長さで、ローグは…」 「…リディックさん、アサシンの人を見て『エレナ』って言ってた…。リディックさんの事知って るみたいで…」  リリアたちが飛んだ後のやり取りを見ていたフィーナは、アサシンの姿を見てリディックがその 名を呟いたことを思い出す。 「エレナだって!?」  フィーナの言葉にラルが叫んだ。ルフェウスはそのラルを見て、落ち着きなよ、と一声かけた。 「知ってるんですか…?」 「昔のギルドメンバー。そっか、あれもあっちの道に走ったのか…」  言ってルフェウスは時計を見る。時刻は10時30分。フィーナ達が現われてから30分近く時 間が過ぎていた。 「…どうしたよ?」 「妙だな…」  時計を黙って見ていたルフェウスにラルが問いかければ、ルフェウスは小さく首を振る。 「なんでログインしないんだ?」 「……そういや…。  いくらなんでも遅すぎるな」  ラルは身分証を取り出し、ギルド一覧を開く。ギルドメンバー表の2段目は白く、それはリディ ックがログインしてないという証明。 「死に戻りなら、そのまま眠っちまうことなんぞ無いはずだが」 「うん。必ず一度目を覚ます。だいたい20分以内にはセーブポイントに戻るはずなのに」 「…な、何を…言って…」  ルフェウスとラルの会話に信じられないようなものを見るリリアに、ルフェウスは皮肉めいた笑 みを浮かべた。 「死んだこと、無い?」 「…あ、ありません…」 「死んでも生き返るのはROやってたらわかると思うんだけど、僕たちも例外なく生き返る。  もちろん、デスペナルティ1%は当然引かれる。  ま、それだけ安い命だって事。それでも死の恐怖は本物だけどね」 「…カイは…」  今はまだ眠ったままのアコライトの少女を思い出し、リリアはカイがいるであろう部屋の扉を見 る。 「あのアコライトの子は、『普通』に気を失っているだけ。死んでないよ」  それはあまりにも酷薄な笑みだった。そのルフェウスを見てフィーナは心の奥底で恐怖を感じる。 黒い笑みとかそう言った表情を浮かべる事はあっても、今みたい心の芯からぞくりとくるような笑 みを今まで見た事があっただろうか。 「おい、ルフェウス」 「…………何?」 「頭冷やせ。お前変だぞ」 「…………。  ごめん、ちょっと外に出る」  ラルの言葉に、ルフェウスは席を立つ。チラリとリリアの方を向き、アコライトを看ておいでと 扉の方を指差した。  まだ安息させていないぱむを迎えに自分も部屋に戻り、主人の表情にぱむは心配そうに小さく鳴 く。 「今日は、もうお休み」  ぱむに向かい手をかざし「安息」と呟けばぱむの姿はふしゅりと消え、ルフェウスの手にエンブ リオが収まっていた。 「じゃあ、いつ戻るか判らないけど」 「ああ」  そう言い残し、ルフェウスは外に出る。気まずい沈黙が部屋を満たした。 「アンタはあのアコん所に行ってな。フィーナはもう寝とけ」 「でも…」 「でも、もへったくれもねえよ。戻ってくるときゃ勝手に戻ってくる。  お前さんだって何度か死に戻り経験しているんだろ?  とっとと部屋に戻ってろ」  リリアは小さく頭を下げ、カイが眠っている部屋に向かう。その後姿を見ながらフィーナはまご ついていたが、ラルはその彼女を追い払うように上に上がれと手で払う。  渋々フィーナはゆっくりと立ち上がって自分お部屋に上がっていった。 「あの馬鹿、毎度毎度厄介ごとを持ってきやがる…」  テーブルに肘を掛け小さく悪態をつくラルの表情は重い。 「しかし、エレナ…か。  なんでアンタが…………」  呟くその名に顔を顰めラルは深い息を吐いた。  闇夜の風はとても冷たかった。 「馬鹿だな、僕は」  人の比較的少ないプロンテラ西門から出てその城壁に身をもたれかけながらルフェウスは暗い空 を見上げた。  ラルの言うとおり、自分は気がおかしくなってしまっていた。  リリアも巻き添えになった被害者ではないか。  それに元はといえばリディックを送り出したのは自分で、リリアを恨むのは責任転嫁の他ならな い。 「僕……、私は、馬鹿だ…」  ずるずると座り込み、膝を抱えて、その膝に顔を埋まらせ、ルフェウスは小さく肩を振るわせた。  朝になっても変化は無かった。今だログインしていないリディックにルフェウスは頭を抱える。  どうしようもない嫌な予感がしていた。大抵そういうものほど良く当たる。 「ラル、ごめん。  今日は家にいて。僕はケルビムさんの所に行って来る」  最初にリビングにやってきたラルにルフェウスはそう言うとマントを羽織る。 「俺にこの収拾付かせられるわけ無いだろ」 「そこをなんとか」 「あー、わかったわかった。とっとと行って来いよ」  観念したようにラルは肩を竦めて見せると、ルフェウスは外に出る。 「あー、そうだ。  ご飯はテーブル、おやつは戸棚にあるから」 「俺はガキかよ!?」  去り際に発するルフェウスの声にラルは怒鳴る。いつもと変わらないその様子にラルはやれやれ と息を吐く。  いつも張り付いているルフェウスの鉄仮面、その内側はどれだけの感情は渦巻いているだろう。  自分も正直平常でいられる自身は無かった。自分はそんなに激情家じゃないと自覚していたつも りだが、それだけリディックの存在と、そして昨日聞いたエレナの名は大きかった。 「……憎たらしいくらいに、晴れてるな」  窓の外、雲ひとつ無い青空にラルは悪態をついた。 「あれ?ここは?」  目を覚ましたカイは、見慣れない天井に首をかしげる。カイにとって全てが見慣れないものでは あるが、ここは宿屋でもないし、外でもない。  言わば、個人宅。  何で自分がここにいるのか理解が出来ず、ベッドに横になったまま自分がここにいる経過を思い 出す。  昨日、アルデバランで自分と同じ境遇のソウルリンカーに会った。ついつい長話をしてご飯を一 緒に食べて、ああ、そういえばハイプリーストも来たなあ。  で、その後……。 「……っ!!!  そうだ!!リリアは!?」  慌てて飛び起きればそこには自分が寝ていたベッドを枕にして微かな寝息を立てている、ハイプ リースト、リリアの姿があった。 「…リリア…、良かった、無事だったんだ…」  傍で寝ているリリアの様子に安堵の表情を浮かべてカイは改めて辺りを見回す。整然とされた室 内。戸棚には様々な薬品が詰められている瓶、沢山の蔵書。机の上には器材が並べられ、ハーブの 独特の香が部屋に込められている。  こちらの世界はあまり詳しくないが、現実の世界で言うならば理科実験室のような部屋だった。 「…ってことは、ここアルケミストの部屋…?」  何で自分はここにいるんだろう?  寝ているリリアを起さないようにそっと起き上がる。 「…そう言えば、昨日お腹刺されなかったっけ…?」  カイは腹部にそっと手を当てると、小さく唸った。痛みは全くないし、服も破れてはいない。  昨日の出来事がまるで夢のようだと驚いた。  とりあえず、部屋から出てみよう。  元々好奇心の強いカイの事、ただじっと待っている事はできずにそっと外へ続く扉を開いた。 「誰だ!あんたは!!」 「出てくるなり、その物言いか」  扉を開けばそこには目つきの悪いウィザードの男がいる。さてはリリアを攫った連中の仲間かと 指でウィザードを指し、では自分達は捕まってしまったのかと頭を抱え出す。 「悪役め!!ボクたちをどうするつもりなんだ!?」  その様子にラルは心底呆れた表情を浮かべて、ポケットから赤ジェムを取り出した。 「フロストダイバーが良いか、ストーンカースが良いか好きなほうを選べ」  要するに黙れと言っているその言葉に、カイは慌てて扉の影に身を隠す。 「どうもしねえよ。平たく言やああんたらは助かったんだと言っておく。  後は好きにしたら良いさ」  つっけんどんな物言いにカイはむっとした表情を浮かべ、のしのしとラルに向かって歩き出した。 「ねえ、助かったってどういうこと?  昨日のは夢じゃなかったの?  何でボクは刺された痕が何処にも無いの?  ここは、何処?」  捲くし立てるようにラルに詰め寄れば、彼はめんどくさいといった表情で息を吐く。 「傷は白ポーションなりジオのヒールなりで治ってる。  あんたらはリディックのワープポータルでやってきたからここにいる。  俺達の家だからな」 「じゃあ、フィーナもリディックも無事なんだね!?」 「ああ、フィーナは無事だ。上で寝ている」 「…………え……?」  ラルの言葉にカイは言葉を失った。フィーナ『は』無事って、じゃあ…。 「リディックは死んでるんじゃないかって話だ」 「……嘘…」  事も無げにあっさりと死んでいる等と言われて、カイは目の前が暗くなった。 「嘘でしょう!?死んだって、死んだってそんなの嘘でしょう!!?  ねえ、嘘だと言ってよ!!どうしよう!ボクの所為だ、どうしよう!!」  ラルに詰め寄り襟首を捕まえてがっくんがっくん揺さぶる。 「ちょ、お、おち、おちつけっ!!」  元来非力なウィザード。Str特化のアコライトの揺さぶりに意識が落ちかける。  何とかカイの手を払いのけ、眩んだ頭を押さえ込み胡乱な目線で彼女を見る。 「死んでも生き返る。ROやってたんならそれくらい理解しろ」 「…え、あ…」  カイはようやく気が付いて、安心したかのように床に座り込んだ。 「良かった…、大丈夫、なんだね?  …え、でも……?」  だったら何故先程のような言い方をしたのか、カイには判らなかった。何故フィーナだけを強調 する? 「おいおい説明する」  ぶっきらぼうにカイから目線をそらし、ラルは冷めてしまった紅茶を飲みだした。 「…なんと言うことだ」  その室内には訪れたルフェウスと部屋主であるケルビム、そしてナツキの姿があった。 「さっきから嫌な予感がしているんです。  襲った者はただの殺人狂じゃない」 「捕まった、と考えて良いかも知れんな」 「ええ」 「なんと言うことだ。なぜ、こんなことが…」 「それに今だログインしてない状態というのも異常ですし」 「その事だが」  ルフェウスの言葉にケルビムは僅かに瞳を伏せる。 「アクトが以前、時折ログオフをしていた。  寝ているとか、死んだとかそういうのにしては妙なほど頻度は高かったな」 「どういうことですか?」 「デッドマップも考えられる。  いや、私はプログラマーでもなんでもないのだが、そういうバグも存在するのではないか?」 「ステルス、の逆バージョンみたいなもの…」 「そうだな。あれはマップ上に存在していないのにデータは存在している状態だからな。  つまり逆だ」 「……だとしたら、厄介ですね…。  それでは見つけられない……」  ルフェウスは拳を握る。ログインしていなければWISもギルドチャットも通じない。ケルビム も辛そうに瞳を閉じた。 「エレナが混ざっている事実にも頭を悩ませるな」 「…もしかしたら、チェスターもついている可能性がありますね」  ルフェウスは過去を振り返る。  エレナとチェスターは相方だった。  アサシンのエレナとクラウンのチェスター。狩り相性はともかくとして二人が一緒に行動するこ とが多く、「自立してみたい」と言ったエレナと一緒にチェスターもついていった。  急に連絡は途絶えたが、それでもギルドにいたうちはいわば新人と呼ばれるリアルたちに優しく 接していて元気にしているだろうと思っていたのだが。 「アムリタ、がらみだろうな…」 「あいつならやりかねませんね」  ナツキは心配そうにその二人を交互に見て、自分の力の無さに項垂れる。  まだ、『レッドエンジェル』の所在地を確認できていないのだ。  恐らく蝶で戻っているのだろうが、位置セーブできるところは全部調べたつもりなのに、それら しきギルドを今だ見つけられていない。  助けてくれた自分のために恩を返したいのにそれが出来ない歯がゆさがあった。 「なあルフェウス、教えてくれまいか?  お前はアムリタの事を知っているようだが…」 「思い出すだけでも虫唾が走ります」 「珍しいな、温厚なお前らしくも無い」 「………何度同盟の皆をむちゃくちゃにしていったか…。  泣きながら引退していった仲間だってたくさんいたんです。僕も自分のギルドを護るだけでも精 一杯だった。  いなくなった、と聞いたときはあれほど安堵した事はありませんよ」  忌々しげに吐き捨てて、ルフェウスは首を振る。今は憤ってる時じゃない。感情を心の奥にしま わないと。 「『クロニクルのマスター、ルディ』ですらも?」 「アムリタが色々やっていた時、僕の方も現実でいろいろありましたから。  ゲームだって回りは言うでしょうけど、どちらもその先には人がいるんです。  引退まで追い詰められてしまった仲間を僕は助けることが出来なかった……。  悔しいですよ、本当に」  呟くように言葉を吐くルフェウスの表情は悔恨に満ちていた。