テロがあった。  いつものテロ。魔物が町をはびこり、人を殺していく。  憤る魔物は見境が無い。強かろうと、弱かろうと、その牙で、その爪で、その武器で殺していく。 「あはははははっ!  すっごいすっごい、見てよ、真っ赤、真っ赤だよっ!」  決してプレイヤーが入ることのないその場所で、赤毛のアルケミストの少女は楽しそうに笑ってい た。 「…でもねえ、悲鳴が聞こえないのって意外とつもらないものだね。  そう思わない?」  すぐ後ろにいる人物に声を掛ける。が、そちらからの反応は全く無い。 「ふふふ、あははは、うれしいなあ、たのしいなあ。  もうちょっと折っていこうか」  アルケミスト――アムリタは鞄から十数本の古木の枝を取り出して、後ろにいる人物に渡す。  そして、それはその場から姿を消した。 「ね、たくさん殺してこ?」 「こな、くそっ!!」  ウィザードとして、憶えたスキルは嫌と言うほど使い込んでいる。しかし、目の前にいるハイウィ ザードはその上を行き、ラルの魔法を軽く消し去る。ウィザードのスキルしか使ってこないにしても、 だ。 「アイスウォール!!」  きん、と空気の軋む音が響き、ラルとハイウィザードの間に氷の壁が出現した。  透き通る白い壁にハイウィザードが手を添えると、それは瞬時に砕け散る。 『ユピテル、サンダー…』  ハイウィザードの静かな言葉に巨大な雷球が姿を現し、ラルに向かう。 「セイフティ…」  慌ててセイフティウォールを唱えようとするが、それは完成には間に合わずユピテルサンダーの雷 球はラルを弾き飛ばした。  通算53回目。何を考えて数を数え始めたかは知らないが、ラルはリヒタルゼンの町の中で寝転がっ たまま空を見上げる。  今は生体工学研究所3階に通い詰める毎日。死ぬ恐怖は今はもう殆ど無い。最早プレイヤーのよう に振舞うのと全く変わらない自分に疑問すら出てこなくなっていた。痛いのは痛い。しかし瞬殺、と 言う状況では痛いと頭が思う前に、既に死んでいる。 「よ、と」  起き上がり、ぎしぎしと痛みを訴えるその身体にヒールクリップを身に着けて回復する。  HPが回復し、さてどうするかと貧民街の方に視線を向けた。  もう一度挑戦しようか。  まだ倉庫には回復剤が残っている。日もまだ高い。  ラルは立ち上がって、倉庫に向かい白スリムポーションを取り出した。 『また来たの』  ハイプリーストがラルの存在に気が付いてか首をかしげる。 『変わった人だと思っていけど、本当に変わった人』 「放っておいてくれ」  初めて生体に入ったとき、その力の前に僅かな時間すら稼げずその四肢は引き裂かれた。  それでも何度か入ってみれば、いきなり生体のMOBから声を掛けられたことにラルは驚いた。  まさか、話が通じるとは思わなかった。 『他に冒険者がいなければ、ね』 『異質な存在なのは、我らにとっても同義』  驚きを隠せないラルに、その無表情な顔のまま生体のMOBは言う。  彼らは戦い、倒されるためにいる。なのに、同じ冒険者であるラルに何故声を掛けるか。  攻撃され、倒され、なぜ話そうと思うのか。憎くは無いのか。  問いた事があった。  その時彼らは、ラルの方をただ見つめて手を前に出した。 『見ての通り我らは思念体。痛みも無い、消える事も無い。ただそこにあるだけ。  思考などと言うのは肉体を伴って初めて行なえること。  憎しみ、恨み、それらは我々には無い。戦えとこの身体が言っているだけ』 『だけど、それは『本来あるべきものに対する命令』。違うのは貴方。  貴方の存在は、肉体の無い我々に初めて疑問を抱かせる。  ならば、何故と問うのはおかしな話ではない』 『他と違う異端者。なぜそうしてまで我々と戦おうとする。  我が一撃でその脆い肉体は砕け散り、魂が悲鳴を上げてもなお、何故戦おうとする。  理解が出来ない』 「…魂の悲鳴?そんなのとうになくなって…」 『嘘。何度も何度も狂おしいほどの悲鳴を聞いた。何故?』 「理由なんかあるか。俺は強くなりたいだけだ。どんな状況でも、負けないくらい強く」 『………嘘』  無表情な彼らのその思考を読む事は出来ない。理由を言っても嘘だと言われ、今では既に呆れられ たようなその口調をその口で紡ぐ。 『次は誰に殺されるの?』 「死ぬこと前提か」 『だって、まだ一度も我らに勝ってない』 「次は勝ってみせる」  ハイプリーストは緩やかに踵を返す。ラルは当然のようにその後ろを付いていく。それは奇妙な光 景だった。 『では私が』  とある室内、プレイヤーが踏み込めないその領域に黒衣のアサシンクロスが佇んでいる。 「…アサクロ、か」 『不満か?』 「いや、願っても無い」 『そうか』  アサシンクロスはその手にカタールを携え、その場に立つ。ゆっくりとしたその動作に音は無い。  アサシンゆえか、それとも思念体ゆえかは判断しかねる。 「クァグマイア!」  初手を出したのはラルの方。アサシンクロスの中心に泥の沼地を召喚し、機動力を殺ぐ。  それでも、アサシンクロスは怯まずに緩慢な動きでラルに近づいた。 「ファイアーウォール!!」  前衛職であるアサシンクロスに、近接で戦おうなど自殺願望にも近い。接敵を許さずに炎の壁を作 り出し、その間合いを計る。 「ストーム…」  氷雪の大魔法は詠唱に時間がかかる。ファイアーウォールを越えられる前に発動すれば良いのだが。 『ダメ』 『気づいたの』  いつの間にかハイプリーストの後ろにはハイウィザードの姿があった。  ハイウィザードは気づく。あの冒険者はまた死ぬのだと。  数度の攻防、そして通算54回目の帰還。  果たしてあのウィザードは何度ここで死ぬのだろう? 「また、テロだ」  2階の窓から外を見れば、阿鼻叫喚の地獄絵図。最近頻度が激しい。回覧板と言う名の現実でいう と鯖板となるのだろうが、それによると枝を追ったギルドやキャラは不明だと記されている。  つまり、何にも気づかれず、誰が折ったのかもわからない。しかも、それはあちこちで広まってい る。  リディックがいなくなってから1週間過ぎていた。初めの3日で彼がギルドを脱退した。脱退の間 際まで確認していたが、ログインの気配はまるで無かった。  フィーナは数日部屋に引きこもり、そして4日後に家を出て行った。必ず戻ります、と出て行く折 ルフェウスに伝え、そして姿を消した。  これじゃあまるで、あの時のようだ。  姿を消したレン、その後追ったリア。まさか自分の身にもこんなことが起きてしまった事実に唇を 噛み締める。  ばらばらになってしまったこの生活は、いつ修復するのだろう?  どうして、こんな事になったのだろう?  何が原因?何が悪い?  がん、と窓枠を叩き、唇をまた強く噛む。切れて、血が伝っても構わなかった。  そんな折だ、憔悴しきった声のWISがルフェウスの耳に聞こえたのは。 『マスター』  ルフェウスをそう呼ぶのはナツキしかいない。 『見つけたよ、アジト。見つけたんだ』 『なっちゃん!?』 『今戻るから、だからお姉ちゃんのところで待ってて』  それだけ言うと、WISは途切れる。  見つけた?アジトを?  その事実にルフェウスは取るものも取らずにカプラに向かって走り出した。 「ケルビムさん!なっちゃんは!?」 「ルフェウス!良いところに!!」  慌ててケルビムの住んでいるギルドの宿舎の扉を開けば、そこにはまるでこぼした墨を引き摺った ような血の痕が玄関に広がっていた。 「これは…!?」  あまりの状態にルフェウスは目を剥く。 「プリーストが今不在なのだ!  ヒールクリップでは間に合わん!!」 「…なっ!?」  ケルビムが抱えているのは赤い衣装の小柄なローグ。そしてケルビムもその白い肌に赤の装いを纏 っている。  まさか、まさか…! 「なっちゃん!!?」  慌てて近づけばナツキのその姿にルフェウスは血の気が引いた。  引きちぎられた腕、抉られた脇腹、潰された、片目。  ひゅーひゅーと息が洩れるその姿に、ルフェウスの足はがくがくと震える。 「あ、あぁ…あ、あ……」  悲鳴を上げてしまいたかった。何で…なんでこんな酷いことを…!!  否、いまはそれどころじゃない!! 「バイオプラントっ!!」  ジオグラファーを召喚し、持っている白ポーションを全てまるで浴びせるように掛ける。  予備の分しか持ってこなかったのが悔やまれた。ルフェウスもヒールクリップを取り出して気力が 続く限りヒールを使う。  かろうじて再生が崩壊を上回り、ナツキの身体は徐々に回復していく。  ルフェウスのINTはそれほど高くは無い。製薬に間に合う程度の僅かなものだ。故にSPも少な く、その回復量も微々たるもの。  ケルビムも狩りステの若干高めのINTを持っているがそれでもプリーストの回復には到底及ばな い。ジオグラファーが等間隔にヒールを使い続け、ルフェウスは何度も息切れを起しながらもヒール を使い続ける。その甲斐あってかナツキの身体は元のように再生を果たした。  不規則に洩れていたその息は今では穏やかになり、静かに眠るナツキの姿にルフェウスもケルビム も安堵の表情を浮かべる。 「ああ、すまない、すまないナツキ…!」  小柄なローグの姿をきつく抱きしめてケルビムは呻くように呟いた。    ―――コロシテヤル…。  その姿にルフェウスは自身の中のどす黒い感情がわきあがるのを必死に抑えていた。  目を覚ましたナツキは激しくケルビムに叱られ、そして再び抱きしめられる。「ごめんなさい」と ナツキは泣きながら謝っていた。  落ち着いて、ナツキが見つけたという『レッドエンジェル』のギルド場所を聞いたルフェウスは、 その付近まで足を伸ばしていた。  製薬ケミが1ギルドに乗り込むのは馬鹿げているのは知っている。状況の確認、それだけだ。  そこは町の中ではなかった。枯れた土地、乾いた風、まるでこれから死に行く大地のようなその場 所。目線はその大地に相応しい古びた洋館。当初の持ち主は既に去り、空き家となったその場所に彼 らが住んでいるのだろう。 「なーんだ。もう来ちゃったわけ」 「なっちゃんをやったのは、君?」  後ろから聞こえるその声はおどけた口調。聞き覚えのあるその陽気な声にルフェウスは静かに聞い た。 「なっちゃん?」 「ローグの女の子だよ」 「ああ、あの。  別に良いじゃないか。死んだって生き返るんだろ?」 「ああ、そうさ。  町の中ではそのペナルティすらない。  だけどさ、死ぬ瞬間ってどれだけ怖いか君は知ってるの?チェスター」  後ろを振りむかない。声だけでのやり取りに、声の主チェスターは小さく笑った。 「ゲームだろ?  アンタだって一度味わっちゃえば病みつきになるぜ?  そんな偽善の面貼り付けてさ、アンタの心の奥底はどれだけ破壊衝動に惑わされているか知ってる のかい?  ええ?お優しいルフェウスさんはよ?」 「たかだか君如きに僕の心情を理解できると思ってるの?  偽善?結構じゃないか。人間だもの。理性があるだけマシって奴だよ。  だったら君らは一体なんなんだい?」  口調は全く変わらない。言葉が違えばそれは街中で雑談するような響き。 「転生スキル、アローバルカン。凄いよね。何度それでプレイヤーを殺してきたの?」 「…憶えてないね」  チェスターは肩をすくめて、くくっと小さく笑う。 「で、アンタは今殺されに来たのかい?」 「冗談。自殺願望なんか持っちゃいないよ。  交渉、確認。そして布告。その為に来ただけ」 「ま、いいか。こちらはお目当てのもん手に入れたから、アンタを見逃しても構わないよ。  製薬ケミなんざ、殺っても面白くも無いしな。  それに今の俺は上機嫌なんだ。話だけ聞いてやっても良いな」 「そう、助かるよ。  じゃあ最初の交渉。  リディックを返して」 「残念、あれはアムリタのお気に入りだ。受諾できないね」 「……そう。  じゃあ次の確認。  君のギルド、何人いるの?」 「さてね。10人くらいかな?」 「そうしたら最後の布告」  そう言ってルフェウスは初めてチェスターの方を向いた。無表情のその顔。 「初めてだよ?本当に初めてなんだ。  ……ここまで人を憎いと思ったのはね。  君達を止める、なんてそんな甘っちょろい事は言わない。  僕は人としての仮面を全部捨てよう。  …………君達を潰す」  まるでその顔は冷徹な氷の王。静かな口調のその瞳に宿るのは間違えようの無い氷のように冷たい 殺意。  今まで沢山のプレイヤーを殺してきたチェスターもその瞳に飲まれかける。 「…へ…へへ……。  良い目つきじゃねえか。なよい坊ちゃんかと思いきや、はっ。  アンタもこっち側の人間じゃないか!  ええ?この偽善者め!!」 「『家族』を傷つけられて、黙っていられるほどお人よしな性分じゃないからね。  アムリタに伝えろ。必ずお前を潰す、とね」  ルフェウスはそれだけ言うと蝶の羽を取り出し宙に放った。瞬時に羽は光り、ルフェウスはその場 から消える。 「………製薬ケミ如き…何が出来るって言うんだ……」  呟くチェスターのその声は、自分でもわかるほど…否、理解はしたくはないが震えていた。