●山岳の都市フェイヨン   フェイヨンの洞窟より氾濫した魔物とその長である月夜花、そして犠牲となった人々の魂を鎮める為に執り行われる祭り、   鎮魂祭。   その当日に、僕は寝坊をしていた。   臨時医療所のとある一室。   所長のマリーさんより通された病室のベッドの上で、重い瞼を擦りながら壁に立て掛けられた古時計を見やる。   時刻は11時24分。   開催時刻より既に2時間半近くが経とうとしており、病室にいても祭りで賑わう声が聞こえてくる。   他のベッドに人の姿は見えず、今病室には僕しかいない。   当然か。多くの人々が期待していた大きな祭りだ。   そんな日に昼近くまで寝ているのは僕くらいなものなのだろう。   ベッドの下に置いていた荷物を引き出し、手早く身なりを整え、病室を飛び出して診療所を後にする。   そして外に広がった光景に僕は圧倒された。   前日の倍以上はいるんじゃないだろうか。   そう思わせるほどにフェイヨンは人で埋め尽くされ、プロンテラとはまた違った賑わいを見せていた。   食欲をそそる様な匂いを運ぶ飲食物中心で立ち並べられた露店や催し物には人々がごった返し、   昨日は組み上げの途中だった櫓も完全な姿を見せ、周りには耳に残る独特な音楽に合わせて   東洋的な文化を持つフェイヨンの伝統なのだろうか、どこか日本を思い起こすような踊りを舞う人たちが輪を形成している。   この世界に来てから初めて見る祭りの風景。   僕の住んでいた国、日本と似ている様で似ていない祭りの空気を肌で感じながらも、   非常に軽い財布の中身を確認して溜息を漏らす。   何度見ても申し訳程度にしか入っておらず、とてもじゃないがこの祭りで金を支払って楽しむことはできない。   でも、目や鼻で楽しむ祭りがあってもいいか、と自分自身を納得させて苦笑する。   さて、どこから見て回ろうか。   そう思った直後に突然、頭の中に聞き覚えのある声が響きだす。   『ノウン、聞こえる? おねえちゃんが……!』   これはWisか? それにこの声は如月さんか?   頭の中に響く声に戸惑いながらも、昨日会った如月さんの姿を思い浮かべ、言葉を思念に乗せるようイメージする。   『如月さんですか? ルーシエさんがどうかしたんですか?』   『それが、おねえちゃん大変なことになってて、もしかしたらダメかもしれない……!』   『なんだって! 場所はどこなんです!?』   初めてのWisが上手くいった感慨に耽る暇もなく、如月さんの動揺した言葉に危機感を覚え、   何とか現場に向かう為に場所を聞き出す。   『タナトスタワーって書いてある――』   『分かりました、直ぐ向かいます!』   急いで辺りを見渡し、タナトスタワーと書かれた垂れ幕を下げた露店を見つけると、   僕は脇目も振らず一直線に人込みを掻き分けて駆け出した。   ただ、僕はこの時気付くべきだった。そこは飽くまで祭りの為に設けられた一露店に過ぎないことに。   現場に辿り着いた時、僕は唖然とするばかりだった。   うん、ルーシエさんは大変なことになっていた。   彼女は樽ほどにもある巨大な器のパフェを食べていたから。   うん、もしかしたらダメかもしれない。   30人分のパフェなんて普通は食べきれないだろうし、もし食べきれたとしてもパフェの体積と胃の容量が合わず、   それはそれは恐ろしいことになるだろうから。   けど30人分って。一時間以内に食べきれなかったら500,000zeny自腹って。   いくらリンゴ・バナナ・ブドウ・イチゴ・オレンジ・マステラの実・ローヤルゼリー・イグドラシルの種や実・アイス・その他諸々を   ふんだんに使ってるとはいえ、ここがファンタジーな世界とはいえ冒険しすぎにも程があるだろう。   しかも挑戦者に利点が殆どないし、何より意味が分からない。   一体ここの店主は何を考えてこの企画を打ち出し、そしてルーシエさんは何を思って挑戦したんだろうか。   「あと五分〜。」   「お、おねえちゃんっ」   抑揚の全く感じない店員のコールと、如月さんの悲痛な声がほぼ同時に響く。   ルーシエさんの向き合っている器には少なく見積もってもまだ7〜8人分の量が残っている。   どう考えてもこれ無理だろう……。   「ルーシエさん、ふぁいとですっ」   しかし隣にいた、彼女たちの知り合いらしき幼い少女の商人は終始応援していた。   そうだ、僕は何を考えているんだ。   例え無理だとしても、目の前で危機に瀕している人を今応援しなくていつするんだ。   「頑張って、あと4分の1ですよ!」   僕たちの応援が火をつけたのか、ルーシエさんの中で何かのタガが外れたのか、彼女はここに来て勢いを増した。   アイスを啜った先に見えた大量のチョコバナナを、スプーンからフォークに持ち替えた彼女は   次々と串刺しにしては目まぐるしい速さで口へと運んでいく。   最後の一切れが口内へ消え、喉を伝う音に遅れる形で終了を告げるアラームが鳴り響く。   同時にいつの間にか集まっていた観衆の歓声が沸き上がる中、   消え入りそうな呻きと共に膝を折って店主が力なく項垂れる。   この事態を予想してなかったのは何も店主だけではあるまい。   恐らく僕を含めた、この場に居合わせた者の多くが想定外だっただろう。   そんな考えを巡らせている僕をよそに、ルーシエさんは話し掛けてきたアルケミストの女性に   落ち着いたらチーズケーキを買いに行ってもいいか、と聞いていた。   どれだけ食べる気なんだ、この人。   半ば呆れた様子で眺めていると、女性の名乗った名前を聞いてルーシエさんは何故か驚きを隠せないようだった。   あー、マリーさんに続いてエリーさんだもんなー。1作目と2作目の主役揃い踏み。   しかもこっちは正真正銘の錬金術師ときたもんだ。   それ何てザールブルグと考えていた僕の横を、見覚えのあるクルセイダーの青年がペコに騎乗しながら駆け抜ける。   間違いない、クラウスだ。   「ルーシエ! 助けにきt……」   「だからなんで『イ』じゃないんだっっっ!」   一瞬の交錯の後、ルーシエさんのラリアットというべきか、彼女とペコによるダブルインパクトというべきかにより、   クラウスはペコの鞍から引き離され、程無くして地に落ちた。   それを見たペコと人々は大笑いしていたが、初めて目の当たりにしたクラウスの車田ぶっ飛びぶりに、   僕はうろたえながらも彼の傍に駆け寄った。   「クラウス! 大丈夫か!?」   「なに、もう慣れっこさ…… へへ、助けを求められた友から逆ギレされてこのザマさ、情けないだろ?」   「そんなことないよ、クラウス。それに――」   それに、もし君の名前がクライスだったら、マリーさんにツンデレな態度を取らなくちゃいけないところだったんだぞ。   「それに、何だ?」   「いや、何でもない。」   クラウスは頭に疑問符を浮かべるような顔で僕を見つめる。   いいんだよ、世の中には分からない方がいいことも沢山ある。   僕が生暖かい目でクラウスを見つめ返すと、彼は頭の中の疑問符を増やしたような顔をしていた。   そうこうしているとルクスさんとアコライトの少女が如月さんと話している。   如月さんの口から「デート」という単語が聞こえたかと思うと、ルクスさんと少女は顔を赤くして否定している。   どう見てもお互い意識し合ってるよね、何て分かりやすい。   次にルクスさんは話題を逸らす為に強引にパフェの話に切り替える。素直じゃないな。   そして先程のパフェを完食したルーシエさんを、自慢の姉だと胸を張る如月さん。   いや、ちょっと待って、そこは自慢するところなんだろうか。   少し呆気に取られていると、そんな彼女たちの様子に気付いたのか、   今度は近づいてきたルーシエさんの口から「デート」の単語が飛び出す。   ルクスさんと少女は先程と同じく否定しながら、更に顔を真っ赤にしている。   いつの間にか起き上がっていたクラウスは、そんな二人を見てぼそっと呟く。   「全く、見ててまどろっこしいというか、爆破したくなるというか。」   「僕は見てて微笑ましいけどね。」   僕が二人を見て笑っているのにつられてかクラウスも苦笑を漏らした。その時、   「もうだめ、私もあれ食べる!」   「本気なの、朔!? 私だから何とかなったけど、朔にはとても――」   「大丈夫大丈夫! きっと食べきれるって。」   そんな如月さんとルーシエさんのやり取りが聞こえたかと思うと、   とてつもない威圧感をを放つ超巨大パフェ:タナトスタワーが全貌をあらわにした。   それはパフェと呼ぶにはあまりに歪で、タワーと形容しながらも限りなく垂直にそびえ、   人一人の身長に達するその固体は明らかにあらゆる物理法則を無視していた。   そしてそれを「甘い物は別腹」という次元を超越し完食してみせたルーシエさん。   僕と僕以上に驚いて言葉を失っているクラウスは、開いた口を閉じることも瞬きをすることも忘れて   呆然と彼女を見つめる。   だが、これから目にした光景は僕らを更に驚嘆させるには充分過ぎるほど凄惨なものだった。   それは、あまりに無謀な挑戦に思われていた。   しかし、無謀だったはずの行為は直ぐにその形を変えたのである。   見るもの全てを圧倒させる、一方的な暴虐へと……。   大げさな表現かもしれないが、少なくとも僕にはそうとしか映らなかった。   結果として、如月さんは終了時間の3分前に完食し、周りから少しのどよめきと大半を占める歓声が沸き起こった。   全て食べ終え満足そうな如月さんと、細身の女性2人に連続で完食され絶望に打ちひしがれる店主。   両者の間に、勝者と敗者という名の光と闇が見えるようだった。   その後、互いを心配しあうルーシエさんと如月さんに、クラウス、ルクスさん、アコライトの少女、幼い少女の商人、   そして僕はそれぞれの口から大丈夫なのかと問いかける。   そんな僕らの疑念を知ってか知らずか、二人は「大丈夫」と満面の笑みで答えたのだった。   対照的にパフェの店主はブツブツとうわ言を繰り返し、泣きながら何かを書いていたが僕は敢えて目を逸らすことにした。   「少し休んでくるから。」   そう言い残して人込みへ紛れるように去ったルーシエさんを見送ると、   僕たちは件のパフェの店を離れて、エリーさんの露店にて小休憩を取ることにした。   クラウスとルクスさん、フリージアと呼ばれたアコライトの少女と、ミーティアという幼い少女の商人は   エリーさんの作ったチーズケーキを食べている。   よほど素晴らしい出来だったのか、ルクスさんは口に含むなり美○しんぼばりの長文説明を始め、   クラウスはミスター○っ子の登場人物のような咆哮を上げる。   そんなに美味しいのか。   僕の目の前にも一切れのチーズケーキが置かれている。   そそられる食欲と好奇心に負けて頬張ると、僕を満たしたのはそのチーズケーキの味ではなく、   生まれて初めてチーズケーキを食べた時の記憶と、日本への思い。   日本へ戻りたい。   次に僕の心へ去来したのはその一念だった。   けど、どうしたら戻ることができる? そもそも本当に戻ることができるのか?   それらは、はっきりとは分かっていない。   だが一つだけ確かなことがある。   戻る方法を探るにしろ、この世界で一生を終えるにしろ、力が必要だということは。   力といっても権力や財力でも、ましてや人脈のようなものでもない。   自分自身を守り、立ち塞がるものを屈服させる為の、云わば暴力。   今僕が最も欲している、冒険者として必要な力はそれなのだ。   そしてその暴力を得る為に、僕は稽古という名目でクラウスを利用しようとしている。   その為にこの先一日や二日では済まない、何ヶ月・何年と彼を騙し続けることになるだろうか。   僕は――   「えっとノウンさんだっけ? さっきからずっと無言みたいだけど……」   その声を聞いて我に返る。   向かい合って座っていたルクスさんが僕の顔を覗き込んでいる。   「えっ、あ、はい。こんなに美味しいケーキなんて食べた事が無くて、言葉では表現できなくて……」   物思いに耽って味など分かっていなかったにも関わらず、でたらめな言い訳が口をついて出た。   その言葉をどう受け取ったのか、ルクスさんは悟ったように一つ呟く。   「ふっ、こんな所で教えられるとはな……」   「は?」   「ああいや、気にしないでくれ。」   彼の言葉の意味が分からず、思わず聞き返してしまったが一蹴されてしまった。   まぁ、いいか。   それより、彼らの前でさっきのようなことは考えないようにしよう。   何故か、そのことが彼らに酷く失礼に当たると思ったからだ。   気が付いたら如月さんの姿は見えず、僕は頬張っていたチーズケーキを完食してしまったようで、   代わりにチーズタルトが目の前に置かれている。   ん? 完食?   額に手を当て、暫し思案する。   しまった! 完全に忘れていた!   結果、一つの結論を導き出した時、僕は頭の中に電流が流れ込んだような錯覚を覚え、   自分の顔から血の気が引くと同時に、どんどん引きつっていくのがよく分かる。   そんな僕を見たルクスさんが再び顔を覗き込む。   「ノウンさん、どうした? 顔色が優れないようだけど?」   「ルクスさん、僕の所持金を見てくれ。こいつをどう思う?」   僕は財布代わりにしていた革袋の紐を緩めると、テーブルの上に中身をばら撒く。   テーブルに転がった金は僅か45zeny。それが僕の所持金の全てだった。