その日のケルビムの機嫌は非常に悪かった。  彼女にしては落ち着きなさげにイライラと机の端を指で叩きながら、先程呼んだ者の到着を待つ。 「どうかしましたか?」  ややあって扉が開かれたその場所にいるアルケミストの姿に、ケルビムは渋い顔で部屋の中に促 す。 「………お前に一つ、言いたいことがある」  静かな、と言うよりも何かを必死に耐えているようなその棘の含んだ声に、アルケミスト、ルフ ェウスは数度瞬きをして首をかしげた。 「何か?」 「今朝、WISが届いた」 「WIS?」 「お前も知っているだろう、チェスター、だ」  一言ずつ含むように発する言葉はイライラを通り越して爆発寸前だと、ケルビムは自覚している。 「奴曰く『先日の宣戦布告、承りました』との事だ。  ……どういう事か、聞きたいところだな」  チェスターからWISに返信しようとしたが、既に拒否されておりケルビムは真偽を確かめるこ とは出来なかった。  ならば、誰がそのような行為を行なったか、……考えるまでも無く、目の前にいるルフェウス以 外にそれを出来る者はいない。 「どういう事、と言われましても、そのままの意味ですけども?」  当然のようなその表情にケルビムの眉間の皺はさらに深くなる。 「…ナツキがどんな目にあったか、お前も見たはずだろう…?  なのに、何故そのような危険なことを、一人で、何の断りも無く……!」 「僕がケルビムさんに言っていたら、貴方は僕を送り出すことが出来ますか?」  ルフェウスの言葉にケルビムはがたん、と椅子から立ち上がり、不機嫌なその顔は怒りのそれに 変わる。 「これはお前だけの問題ではないのだぞ!?  私が、私がやるべき問題だ!!  お前にもしもの事があれば、ナツキや他の者になんと言える!?」 「同じ言葉を貴方にお返しします。ケルビムさん」 「……何…?」 「貴方は気づいてないのですか?  高レベル転生職のスナイパー。紛れ込んだリアル達を保護しているギルドのギルドマスター。  貴方の存在はこちらの世界に紛れ込んだリアルに取ってとても大きいものです。  貴方にもしもの事があれば、取り返しの付かないことになったら……どうなると思いますか?」  真っ直ぐとルフェウスはケルビムの目を見ながら聞く。 「その点僕は未転生製薬型のアルケミスト。  死んでも捕まってもそれ程問題は無いでしょうね。  だからこそ、僕が行った。  それに向こうも僕のスペックを知っている。『製薬ケミ如きが何を出来る』と思われているうち は相手も油断しているでしょう、手を出してこない。慢心の塊ですからね」 「それでも、私は……!」 「ケルビムさん、貴方は優しすぎるんですよ。  なっちゃんが探索に出ている間、貴方も自らの足で赴いているのでしょう。  知らない間にギルドメンバー増えてるようですが、ギルドレベルも上げているんじゃないですか ?」  ルフェウスがケルビムの宿舎に入ったその時、ルフェウスの知らないリアルを見た。  または、一度脱退したメンバーも数人見かける。ルフェウスたちが出て行った時よりも明らかに 多くの人がこの場所にいる。  最近多発するテロ、恐らくケルビムはリアル達をテロに捲き込まれないため探し、または呼び戻 しているのだろう。  ケルビムが拠点として使っている宿舎の周辺は閑散としたフェイヨンではあるものの、カプラに 近く、プレイヤーがよく滞在するような場所だ。テロに捲き込まれる心配は殆ど無い。そして例え 襲撃されたとしても、その異常な状況はプレイヤーの目に届くことになる。こちらさえ手を出さな ければ、プレイヤーは襲った者をバグ利用として通報するだろう。  この場所はリアル達にとって安全な場所なのだ。  その言葉にケルビムは椅子に座りなおす。力なく項垂れるように、そして悔しそうに。 「私は、力が無いから、こうすることしか出来ない…。  保身に走るしか能が無い。  ……わかっているのだ。このままではいけないことも」 「いいえ、貴方はそれで良いと思います。それが、正しい」 「………ルフェウス、ルフェウスお前はどうするつもりなのだ…?」  顔を上げ、弱ったその視線をルフェウスに向ける。宣戦布告したこのアルケミストは一体何を考 えている? 「それは、秘密です」  人差し指を口元に当てにっこりと笑ってみせる。 「これからやる事は僕個人の事。  お前一人の問題じゃないのだ、と言われても、僕はかなり腹を据えかねている。  貴方も知っているでしょう?  闇ポタされたプレイヤーの話。デスペナルティのあるフィールドに大量の枝MOB、その場所に 転移されると言う話を。  出所は今回も不明のまま、誰がポタを出したのか、誰が枝を折ったのか、プレイヤーは判らない。  ……でも、それが誰かであるか……、僕達は予想できる…」  ルフェウスのその瞳は酷く哀しげに、そして静かな怒りを宿す。 「ありえない!あれが、そんなマネをするわけが…」 「ありえなくても、実際に起こっている」  言ってルフェウスは席を立った。ケルビムですら背筋が寒くなるようなその気配に、まさか、と 彼女はルフェウスを見た。 「身内の不始末は身内でつけるべきです。  あ、そうだ。ケルビムさん。  なっちゃん、ちょっと借ります。大丈夫、危険な目にあわせないし、フィールドにも出ません。  もうあの子には辛いことをさせたくない」  踵を返し、退出するルフェウスをケルビムは止めなかった、いや止めることが出来なかった。  恐怖、だったのだろうか?  ルフェウスの発する気配に気圧され立ち上がることすら出来なかった。  自身が酷く青褪めていることに気づく。 「ルフェウス……、お前は………。  ………………まさか…」  出たその言葉は、酷く震えていた。  リリアは目の前にある扉を見ながら一つ、大きく深呼吸をする。  あの日、自分が力無いばかりに関係のないものを危険な目にあわせ、あまつさえ一人の人間を犠 牲にした。  それがリリアの心を酷く苛んだ。  自分は支援プリーストだ。なのにカイを死の淵に追いやり、ヒールすらも使わないなど支援とし ての何なのだと今まで自分を甘やかしていたことに自責する。  どんな状況であれ、支援はパーティを護らねばならない。仲間を先に逃がさなくてはいけないの に、自分が率先して逃げるとは何事だろうか。  的確な支援、それがリリアに課せられた役目。ならばそれを出来るようにならなければ、ハイプ リーストとしていることは出来ない。  カイも同様にこのままではいけないのだと悟り、自分はモンクになるとリリアに伝えた。転職す るために一時期二人は別れ、リリアは臨時の門を叩く。  プレイヤーと共に戦うその狩りは非常に恐ろしいものだった。  考えてみれば、リリアは90代半ばの純支援ハイプリースト。いわゆる上級ダンジョンに繰り出 されるそのレベルだ。  モンスターの攻撃は一撃で前衛を吹き飛ばせるほどの威力を持ち、自分もどれだけ死の淵に立っ ただろうか。それでもリリアは諦めなかった。何度かプレイヤーに罵倒されたこともある。  1日に何度も臨時パーティを訪れ、そして今リリアはここにいる。そしてその後ろにはモンクに 転職したカイの姿があった。  目の前の扉は、自分の所為で犠牲にしてしまった人と同居している人たちが住んでいる家。  あの冷たい目を思い出しながらも、自身を奮い立たせリリアは扉を叩いた。 「……誰?」  その音に気が付いた様で、さほど時間も掛けずに扉が開いた。目の前にいる、赤毛のアルケミス トの姿にリリアは覚悟を決めると、 「お願いがあります」  一言そう伝えた。 「話はわかったけど、君達を連れて行く道理は無いよ」  ルフェウスの言葉にリリアは何度も食い下がる。 「貴方がなんと言おうとも、わたしは貴方の元を通います。  連れて行ってください。わたしの責任です」  断っても決して引き返さないリリアの姿にルフェウスは小さく眉を寄せる。  この調子だと本当に何度もここに来るだろう。  リリアの実力は先程試し、そして理解した。レベルに見合う、洗練された力。  敵の拠点に乗り込むつもりで居たルフェウスにとって確かにリリアの存在はとてもありがたい。 が、どうあっても連れて行く気はルフェウスには無かった。  ならば、とルフェウスは考える。 「知っていると思うけど、僕は製薬型。  実力とかそんなのは無いし、自分の事だけで手一杯になる。  フォローとか全く出来ないし、倒れても助けることは出来ない。  そして、容赦の無い殺人狂だと思ってくれても構わない程の相手だ。  それでも?」 「勘違いしないで下さい。  『その為』にプリーストがいるのです。  もし、わたしが足を引っ張るようでしたら、捨て置いても構いません。  わたしは、その為にここに来ているのです」  リリアの覚悟は充分すぎるものだった。あの恐怖に怯えていたハイプリーストはここには居ない。 半ば脅しのつもりで発した台詞は逆にリリアに決心を固める結果に終わってしまう。  あれから僅かの時しか経っていないのに、何故ここまで変わる事が出来たのか。  自分が彼女らを責めたのが原因なのだろうか。ルフェウスは息を吐いた。  ―――やっぱり、これは自分の責任なんだ。  目の前にいるハイプリーストの存在は、ルフェウスにとって目にしたくない現実。 「……わかった」  ややあってルフェウスは口を開く。 「君達の力、貸してもらうよ。  乗り込む日は、5日後の金曜日。  朝にここに来て」  その言葉にリリアの表情は、明るくなる。安心したかのように微笑むと、 「わかりました。必ず、向かわせていただきます」  そう言って、カイを連れ自分達が寝泊りしている宿に帰っていった。  その後姿を見て、ルフェウスは自嘲じみた笑みを浮かべる。  ―――これで、いい。  と。 「あんたらも人が悪いよな」 『気づかぬ貴方が悪い』  リヒタルゼン、生体工学研究所。  その身体の半分を消失したアサシンクロスは何事も無いように立ったまま、座り込み自分自身に ヒールを使って回復するラルを見下ろしながら無感情なその声を出す。 『3桁に届く前にようやく理解したようだな』  数えて78回目。そして79回目の挑戦で、ようやくラルはアサシンクロスに勝利を収める。  別にラルが弱いわけじゃない。戦い方を間違えていただけだ。 『基本戦術はこの我々には通用しない。  障害に自ら入り込む者など居はしない』 「……セオリーがないって判ってたつもりだが、今までの戦闘で普通にWIZの戦い方が身に染み ちまってたんだな」 『我々を倒すためにここに来たわけではない。私との戦いにおいて鍵が欲しかった。  そうなのだろう』  アサシンクロスのその身体はゆっくりと再生を開始する。肉体を持たないゆえ、それは凄惨なも のではなく、まるで立ち込める霧が集まるように影を作り出す。 「お見通しって奴か?」 『そうでなくては、何故貴方が私を相手にするのかが理解できない。  ハワード=アルトアイゼンの方が組みしやすかろう?』  遠距離の攻撃を持たないホワイトスミスの名を上げれば、ラルは首を振る。 「相手は猪突猛進タイプじゃないんだ。ほんとにアンタみたいな奴さ」 『そうか』 「なんとか理解した。あんたらのお陰だ。助かった」 『成すべき事を済ませたらまた来るがいい。  貴方との戦いは本来感情を持ちえぬ我々にある感情をもたらせる。  次は皆も呼ぶ』 「………そう言ってくれるのはありがたいが、それ俺死ぬ事前提で話してないか…?」  淡々と話すアサシンクロスにラルは顔を引き攣らせ、透けている彼を睨みつける。  ようやく自分の足りない何かを見つけ、ラルは自宅に戻れば、すれ違うように通り過ぎるローグ の少女が居た。間違いなくあのローグは家から出てきている。  ノックも挨拶も何も無くラルが扉を開ければ、驚いたようにこちらを見るルフェウスの姿。 「あれ?早いじゃないか」 「まあな」  言って、ラルはルフェウスの持っている大きな箱に目を向ける。 「…また、随分買い込んだな、お前は」  呆れの伴う視線で聞けば、ルフェウスはあはは、と笑って見せた。 「仕入れにしては少ない方だと思わない?」 「確かにな」  それを持って部屋に戻るルフェウスを見送り、ラルはソファに座り込む。 「……また、なんか企んでるのな」  最近のルフェウスの様子のおかしさにラルは気が付いていた。時折綻びが見え隠れするのは、何 かに追い詰められたかのように見える。  あれだけ、他者に自分の内面を見せないあのルフェウスにしては珍しいというより異常だ。 「…全く、何を考えているのやら……」  人の事は言えないが、と心の中で付け足してラルは自分の手を見た。 「行くのか」 「はい。ようやく、判ったから」 「判っていながら、行くのか」 「判ったからこそ、行かなきゃいけないんです」  部屋の外から喧騒が聞こえる。モロクの酒場、目の前にいるのはマイア。 「その為に、私はここに来たんだと思うから」  フィーナは言う。  自分はまだ未熟だから、途絶えた消息のあの人を見つけるために、マイアに師事を仰いだ。  首から下げた細い鎖につながれた小さなバッヂ。あの時手渡されたのはPT要請のそれ。  今はもうそれからリディックの名とPT名は消えてしまったが、そのバッヂを見るたびに思い出 す。  そのPT名と一緒に色々行こうと言ってくれたあの言葉。  ―――リディックさん、必ず迎えに行きます。  そのバッヂを握り締めてフィーナは静かに目を閉じた。  闇が支配する深夜。部屋の明かりを点けないままルフェウスは目の前に置いた箱に手を触れる。  戦うための装備品。たかだか製薬アルケミストがどれだけの力を持っているか、それくらいルフ ェウスも自覚している。  だからこそ、この装備品を手に取った。  自分は愚かな存在だと理解する。  アクトの変化を見つけたとき、すぐにでも止めるべきだったのか。  エレナとチェスターの中の闇は何故見つけられなかったのか。  自分がプレイヤーだった時代、自分のギルドを保身することだけに集中し、何故アムリタを放置 していたのか。  リディックを送り出し、リリアを責め、ナツキに酷い怪我を負わせてしまった。 「終わらせれるだろうか…。  ううん、終わらせて、見せる」  箱に額を着け、それはまるで懺悔する様にルフェウスは跪く。 『聞こえる?チェスター。  3日後の木曜日、そこを潰しに行くから』 ---------------------------------------------------------------------------------------- 117:ゲームによくある決戦前夜のノリで失礼します。 改めてみるとぶちぶち切れてて読みにくくて申し訳ありません。 実は3回ほど書き直し書き直しの連続で難産に難産を重ねてしまった模様。 生体の方々は極力名前と性格を出さないように書いてみました。生体萌えスレの性格設定大好 きですけどね!それしちゃったらシリアス無理じゃんかと。 闇ポタ云々は前スレの最後のあのネタが非常に美味しく見えたため、使わせていただきました。 前スレ641様この場を借りてお詫び申し上げます。 「毎日決まった時間に同じ内容のwisがとんできたり(某あぷろだよりコピペ)」って、あれ… …?もしかしてw