コンコンと扉をノックする音が聞こえた。  その音にルフェウスは眉を顰める。今日の来訪の予定は何も無かったはずなのに、と首をかしげ ながら扉の方に向かう。 「ただいま、戻りました」  扉を開けて、そこに居たのは1週間前家を出たフィーナの姿。  その姿にルフェウスは珍しくも、その顔に驚きの色を見せてフィーナを見つめていた。 「…フィー…ナ?」  戻ってきた彼女の姿は、出て行ったときと何も変わらない。  しかしその表情は全く違っていた。  何かを克服したような、真っ直ぐ前を向くそんな顔。  この1週間で何をしてきたのかはわからないが、それでも1週間前の憔悴したその表情は陰も見 せていない。  戻ってきてくれた事の嬉しさと、なぜ今戻ってきたしまったのかという悲しさの二つの葛藤が心 に渦巻く。 「今までごめんなさい」  ぺこりと頭を下げ、謝るフィーナにルフェウスは首を振った。 「……ううん、戻ってきてくれて、本当にありがとう…」  フィーナはリアのようにはならなかった。それだけで嬉しかった。  家の中にはラルが居て、ソファにもたれながらも新聞らしいそういう紙面を読んでいる。 「よーし、フィーナも戻ってきたことだし、ケーキを焼こう」 「…なんだそりゃ」  いきなり発言するルフェウスの言葉に、ラルは横目で突っ込みを入れる。 「ルフェウスさん」 「何?」  キッチンに向かいながらいそいそとエプロンを身につけるルフェウスにフィーナは声を掛けた。 「明日、何処に行くつもりなんですか?」  フィーナのその言葉に、ルフェウスの動きが止まる。 「…ルフェウスさんは、私たちを置いて、何処に行くつもりなのですか?」 「………な、…なんの……こと…?」  明らかに動揺を隠し切れないその言葉は肯定の意味。ラルは黙って紙面に目を向けているが意識 は恐らくルフェウスの方に向いているだろう。 「叫んでいるんです。つらいって。苦しいって。  そんな心で、何をしようとしているんですか?」 「何を……言って…」 「ルフェウスさんから悲しみの声しか聞こえない。  なんでですか?教えてください」  フィーナはルフェウスの前に回りこみ、その顔を見た。  いつもの穏やかな飄々としたそれは、今はどこかに感情を置き忘れてしまったかのような、それ。 「……ソウル…リンカー……、か…」  紡いだその言葉を発すれば、なぜフィーナがそんなことを言ってきたのか理解が出来た。 「お願いします!私も、私も連れて行って下さい!」 「……ダメだよ…。それはダメだ。  フィーナはそんな事、しちゃ、いけない」  ふるふると首を振り、震える声も弱々しく、ルフェウスはフィーナを見る。 「なあルフェウス、お前殴りこみ行くつもりだったのな」  目は紙面から放さず、ラルは言った。 「どうせお前のことだから、一人で何とかしようとか思ってるんだろ。  馬鹿なこと考えんじゃねえよ。それじゃあ何のために俺が生体通ってたのか、意味ねえじゃん」 「ラル…、生体って…」  信じられないものを見るように首だけラルの方を見ればラルは今だルフェウスの方を見ようとも せず、軽い口調で続ける。 「ああ、死んだ死んだ。  もうカード出るんじゃねえかっつうくらい死んだね。  お陰様で色々学んだけどな」  そこで初めてラルはルフェウスの方を向き、に、と意地の悪い笑みを浮かべる。 「…なんで、何でそんな無茶なマネを…!?」 「なんだ、知らなかったのか?お前らしくもねー。  俺のレベルの上がり、ログアウトの回数、それだけで充分理解できると思ったんだけどな」  事も無げにラルは言ってのける。初めてルフェウスに一本取ったというどうでも良い勝利感を掴 めれば、ラル的にはそれで満足だったりもする。 「僕は、君達を巻き添えになんかしたくない」 「なーにが巻き添えだ。俺だってなあ充分どっぷり浸かってるっての。  リディック居なくなってから、お前の様子異常だしよ。  それともなにか?傷心の俺様置いてお前は消えるのか?  そりゃ、どうかと思うけどな」 「私、力を身につけました。大きなものじゃないけど…、でも、足手まといにはなりません!  お願いします、私を連れて行って下さい!」  ルフェウスのその両腕を捕まえて、フィーナは必死になって懇願する。 「……どうして?  どうしてそんな事を……。  僕は、疑っているんだよ?リディックの事を。  それだけ、僕は酷い人間なんだよ?」 「嘘です!  本当にそうだとしたら、なんで、なんで泣いてるんですか!?」 「泣いてなんか…」 「私はソウルリンカーです!ルフェウスさんの心がどうしようもないくらい泣き叫んでるのが聞こ えるんです!  ルフェウスさん、みんなで迎えにいきましょう?  一人で行くなんて言わないで下さい」 「……最悪ケル姐に告げ口する手もあるしな」  二人の言葉に、ルフェウスは力を無くした様に床に座り込む。 「…どうして……、  馬鹿だよ、皆」 「ああ、お前も馬鹿だよな」  ルフェウスの言葉にラルは一言そう言って、再び紙面の方に目を向けた。  翌日、日もまだ昇りきらない頃、ルフェウスはカートを持ってその場所に向かっていた。  後ろにはラルとフィーナの姿がある。  あの後、ルフェウスはフィーナをつれて倉庫に向かい、彼女が装備できる防具を受け渡した。  彼女が今着ている装備は脆弱で、それではとても対処できないと思っての行動だ。  乾いた風が吹き、辺りの空気が変わる気がした。  ケルビムが言っていたデッドマップ。確かに確認すれば自分らのデータはログアウトされている ようだ。 「でも、ギルドチャットは通用するのな」  試しに使ってみれば、どういうわけか話が通じ、その状況に首をかしげる。 「……同じマップ内だから?」  流石にその原理はルフェウスにも理解は出来ないが、なんとかそうこじつけることにする。 「…あれ、なんですか?」  フィーナが指差したそれは、平べったい茶色の板…というか箱。 「………トーキー?」  まだ洋館までの距離は離れている。なのに、なぜかポツリとそれが置いてあり、罠にしては妙な ものだった。  警戒心を持ったルフェウスとラルはそれには近づかないのだが、興味を持ったフィーナがそれに 近づいてぽんと叩いてみる。あまりにも普通に振舞うものだから、その行動を止める間が無かった。 「ちょ、!?」 『馬鹿者め』  トーキーから発せられた音は一言それ。何のことだかさっぱり判らず、互いの顔を見合わせる二 人。 「つまりは、そういうことだ」  声はすぐ傍から聞こえてきた。慌ててそちらの方を向けば、そこには4人の人影。 「………え?」 「酷い話だと思いますわ」 「全く」  それらは思い思いに嘆息し、やや軽蔑掛かった目線で3人、いやルフェウスを見る。 「………なんで…?」  姿を確認したルフェウスは、現われた4人の姿に絶句した。  ケルビムとナツキとリリアとカイ。  なぜ、このタイミングでこの4人がいる? 「1日間違った日程を伝えるのは大変失礼だと思いますわ」 「…どうして?」 「………マスター、ごめんなさい…」  しょんぼりと項垂れた表情のナツキにルフェウスも気が付いた。  つまりは、ナツキに監視されていたと思って間違いない。 「ケルビムさん!?」 「今朝、エンペリウムを部屋に置いてきた。  古参の信用できる者に話を済ませている。  まだRealSkyのエンブレムを掲げているが、1週間戻らなければギルドを解体し、新たな ギルドを作れと伝えてある。  つまりは、今の私は一冒険者だ」  ケルビムはふと微笑みルフェウスを見る。 「なんで、そんなマネを」 「それをお前に言われたくない。  仲間を危地に赴くのを黙って見ていろと言うのか?」 「それにリリアさん達は…」 「先日、この方に声を掛けてもらいましたの。  聞けば、あなた方とも交流があると聞いておりまして。  話をさせていただいましたわ」  ルフェウスとのやり取りの後、偶然ケルビムと会い、ルフェウスが何をしようというのかを伝え たため、ケルビムはナツキを使い出る時期を確認させていた。  リリアが居ればワープポータルは取れる。出た頃を見計らい、先回り。つまりはそういう事だろ う。 「どうして、みんな揃いも揃って……」  一人でやるつもりだったのに、気が付けばそこには6人増えてしまっている。  嬉しかったのだろうか、それとも悲しかったのだろうか、ルフェウスはどんな顔をするべきなの かもわからず自身の顔を覆って呟いた。  眼下には古びた洋館がひっそりと建っている。前もってWISを飛ばしているため、ある程度の 罠を覚悟しなければならない、とケルビムが警戒の言葉を発すれば、ルフェウスは小さく首を振っ た。 「…館の外はともかくとして、館内には罠は無いでしょうね」 「何故、そう言える?」  疑問の顔で問いかければ、ルフェウスは小さく笑みを浮かべて「楽しみたいからですよ」と答え た。 「楽しむ?」 「外では窓から見ることも出来ますけど、館内は閉塞空間。  ここは監視カメラも、マジックミラーも無い。  そして、ここに来る事の出来るのはリアルでしかありえない。  つまり、本当の人の苦しむ姿を見ることが出来る」  そう言って、ルフェウスはカートからマインボトルを取り出した。 「そうだろう!?」  勢い良くそれを投げ飛ばす。その行動は誰もが理解できなかった。つまり、そこに隠れていたロ ーグですらも。  どむ、と鈍い破壊音が響き、突然の出来事に皆の視線は集中する。  爆風に巻かれ、ぱらぱらと小石が地面に当たる。 「トンネルドライブだ、ダメージは少ないと思うけど?」  本来の仕様であれば地属性攻撃でないとトンネルドライブで隠れたローグに攻撃を与えることは 出来ない。  しかし、僅かでも地面を削ることが可能であれば、リアルのとって若干なりともダメージは出て くる。 「…なんで判った…」  もうもうと出る煙が晴れれば僅かに怪我を負ったローグの姿。その姿にルフェウスは小さく笑っ た。 「下手な小細工はやめなよ。どうせ、君は連絡係なのだろう?じゃあ伝えてくれ。今から潰しに行 くと」  酷薄な笑みを浮かべたまま、ルフェウスはローグを見る。ローグは忌々しげに舌打ちすると蝶の 羽を取り出して、転移した。 「…なんでわかったの!?」  信じられないようにカイはルフェウスを見る。 「…陽光の箱……、いえ、マヤパープル…!?」  ルフェウスが陽光の箱を開けた素振りは無い。となると、ボスカード、マヤパープルでしかあり えない。 「……お前は、そんなものまで持ち出したのか…」  呆然とケルビムはルフェウスを見た。それに対し、ルフェウスも微笑む。 「ま、色々です」  とだけ言った。  ルフェウスの事はケルビムとナツキしか知らない。ラルにとっては高額な装備品を大量に持って いたルフェウスの事だ、そんな事もあるかと自分にとりあえず納得させている。フィーナにとって はカードそのものを知らない為、何故皆が驚いていることすらわからない。 「さ、行こっか」  あっさりと言い、ルフェウスはそのまま洋館に向かって歩き出した。 「ふむ、総出のようだな」  洋館のその前、枝で召喚されたMOBがまるで陣営を成すように広がっている。  こちらの人数の数倍のMOBの前に、覚悟を決めたつもりでいたカイがあんぐりと口を開けっ放 しにしていた。 「消耗させようって腹かね」  ラルはロッドを取り出し、少々面倒臭げに呟いてみれば、そうなのかも知れんな、とケルビムも 言う。 「じゃあ、僕がMOBを引き付けようかな」  ちゃき、と一振りの短剣を片手にルフェウスが前に出ようとすれば、それをフィーナが制する。 「ルフェウスさん、バイオプラント、フェアリーフをお願いします」 「……、もしかして」  フィーナが使用とした事を理解し、彼女を見れば小さく頷き微笑んだ。 「そうか」  ルフェウスは2本の小瓶を取り出し、地面に落とす。 「バイオプラント、フェアリーフ」  その声に反応し、発芽する。  するすると伸びる蔦、大きな葉の上に一人の幼女。それが二つ。 「エスク」  フェアリーフにフィーナが手をかざし、唱えれば淡くフェアリーフが光り、そしてフェアリーフ は鋭く尖った葉を打ち出す。  エスクの掛かったその攻撃はいわば砲弾。通常の4倍の攻撃力で体力の無いMOBは次々と消滅 していく。 「…すげ」  傍観するようにその光景を目にしながら、ラルは杖を掲げストームガストの詠唱に入った。 「弓職としてバイオプラントに負けるわけにはいかぬな」  ケルビムも矢を弦がえ、そしてシャープシューティングを放つ。  数十匹のMOBを蹴散らすのにどれくらいの時間を要しただろうか。  打ち漏らしの接近してきたMOBもカイが捌き、MOBの放つ遠距離攻撃もリリアのニューマで 弾き飛ばす。  リリアは常に状況を動かずに見つめ、的確に支援を飛ばす。  最後の1匹がケルビムのダブルストレイファングで散らせば、辺りには累々と横たわるMOBの 数々が残される。それも時間が経てば消え去るだろう。 「そこで何をやってるです?」  後ろからナツキの声が聞こえた。振り向けば、後ろから一人の女ローグの喉元にグラディウスを 押し付けているナツキの姿。  ローグの手には枝が握られ、これがどういう意味を示すか気づかない者は居ない。 「見抜くものがいるというのに、大胆だよね?」  ルフェウスのその言葉に、忌々しげに睨み付けるローグ。 「………殺して、しまおうか?」  冷たく微笑めば、その言葉にローグはひっ、と息を詰まらせる。しかし、次の瞬間そのローグは 力無く地面に横たわった。  後ろからケルビムが急所への一撃、気絶させたのだ。 「止めろ、お前がやると洒落にならん」  呆れた声でケルビムが言えば、ルフェウスはそうですか?ととぼけた顔をする。 「……ほんとにお前はどんだけ演技派なんだよ」  ラルは小さくため息をついてルフェウスを見た。 「…だけど、まさかフィーナがエスクを取っているとは思わなかった」  魂型としてレベルを重ねていったはずだと聞けば、フィーナは困ったような顔をして気まずそう に笑う。 「マイアさんが言ってたの。  魂はレベル1でも5でも構わないんだって。  …だったらエスマ型でも良かったはずなんですけど……。  でも、お陰でこうして支援することが出来るんです」  マイアの言葉に酷く驚いたのを思い出す。それならば先にそれを知っていればよかったのに、と 思うこともあったのだが、まさかこのような状況で役に立つとは、世の中と言うのはわからないも のである。  洋館の入り口までその後は何も無かった。隠れて居る者もおらずに、入り口の扉目の前にたどり 着く。 「……このギルドの人数は大体15人くらい。実戦に対応できるのは8人くらいだと思って良いはず です」  入る手前、ルフェウスはケルビムにそう伝えた。なぜそんなことも知っているのかと聞いてみよ うかと思ったが、どうせルフェウスの事だ。判っていて当然ではないか、とすら思ってくる。 「……リリア…、ボク、この人だけには逆らっちゃダメだと思う…」  そのルフェウスの様子に非常に困った顔をしてカイはリリアの方を見た。彼女もそうかもしれま せんと小さく頷く。一人で潰す、と言うことも可能なのではないか、とカイはまるでモンスターを 見るような目でルフェウスを見た。    重い音がした。開くたびに軋む音がするのは、金具が錆びているのか、扉がたわんでいるのか、 そこまでは判断は出来ないが。  暗い館内、真っ直ぐと進む廊下。その先に男が居た。  道化師の姿、ピエロの帽子、スマイルマスク。 「ようこそ、レッドエンジェルへ。  歓迎しますよ、皆様」  優雅に一礼をするその男に、ケルビムは渋い顔を隠しもせず声を出す。 「随分手厚い歓迎だな、チェスター」 「ひさしいねえ、ケルビム。  全く変わらない。少しは女らしくしたらどうだい?」 「戯言を抜かすのはお前も昔と変わらぬな。  それで、お前が案内役と言うわけか?」  チェスターはゆっくりとスマイルマスクを外しながら、後ろを向いた。 「そうとも、あんた達をエスコートする役はこの俺。  他の連中は優雅さに欠けるからねえ」  ゆっくりと通路の奥に向かっていく。 「安心して良いよ、罠なんか張っちゃ居ない。  そこにいるルフェウスの言うとおりさ。  まさかマヤパー持ってるとは思いもしなかったけど」 「余裕だな」 「当然。碌な支援も出来ないハイプリースト、転職直後のモンク、製薬型のアルケミスト、レベル の低いウィザード、大した実力もないローグ、対人に何の力も発揮しないソウルリンカー。  こん中で注意すべきは、ケルビム、あんただけさ。  それも、俺達にはもう通用しない」  くすくすと笑いながらチェスターは進む。  通路には確かに何も起こらなかった。それだけの自信の現れと言うのだろうか。  数度角を曲がり、大きな扉が目の前に鎮座する。 「パーティ会場へようこそ、主賓の皆様方」  チェスターは扉を開く。重く、軋んだ音を奏で開いた先は、充分な広さを持った室内。ダンスホ ール等使用するための部屋なのだろう。  その場所に、彼女は居た。 「ようこそ。  はじめましての人ばかりだよね?  私がこのギルドのマスターアムリタです。  よろしくね」  鮮やかな赤毛はゆるくウェーブ掛かり、大きめの瞳、豊満な胸の整った肢体。  そこに居たのは愛らしい姿の女性。 「今日は素敵な申し出にアムリタは感謝をしております。  最近ちょっとつまらなくなっちゃったからね」  チェスターはそのままアムリタの傍に歩み寄れば、アムリタの後ろの扉が開き十人ほどの人影が 現われた。 「……!?」  その中に見知った顔があるのに気が付き、ケルビムたちは息を飲む。  見知った顔。そう、そこには白い法衣を身にまとう金髪のハイプリースト、リディックの姿があ った。