●山岳の都市フェイヨン   現在は最低限の人員だけが残っているという話だが特に慌しさは感じらず、臨時医療所は思っていたよりも静かだった。   収容されている患者達が概ね快方に向かっていることで余裕が生まれているという証拠なのだろう。   それでも祭りの日にも関わらずと言うべきか、祭りの日だからこそと言うべきか、   体調を崩したり怪我を負う人はいるもので、診察室の扉前に数人並んでいるのが見える。   今はマリーさんに会えない、か。   僕はここへ辿り着くまでに色々な人たちに迷惑をかけてきたことを考えていた。   その中にマリーさんも含まれているのだが、正直なところ彼女に顔を合わせられないことでホッとしている。   この後ろめたさを悟られないで済むと思う半面、そう考えている自分を疎ましく感じる。   廊下を歩いていたスタッフらしき人物に確認を取った後ケーキを渡し、礼ならルクスさんに言うよう伝えると   僕は逃げるように医療所を立ち去った。   外は夕焼けによって紅く染まり、宵闇が迫っていた。   どうやらエリーさんの露店からケーキを届けるまでに時間が掛かりすぎているようだ。   ここは急いで戻るべきなのだろうが、先程までの考え事の所為か足取りと気が重い。   いっそ逃げ出したい衝動に駆られるがルクスさんとの依頼のこともあるし、   何も言わずに皆の前から姿を消してはそれこそ迷惑をかけることになる。   戻ろう。そしてできるだけ自然に振舞おう。   そう考えていても足付きは心許なく気は晴れないままで、   未だに絶えることを知らない人込みに流されそうになったことも手伝い、結局戻った頃には夕日が沈もうとしていた。   「みなさん、ただ今戻りました。」   戻ったことを告げる僕にクラウスとルクスさんが揃って顔を向けている。   ミーティアさんとフリージアさんは話し疲れたのだろうか眠ってしまっていた。   でき得る限り後ろ暗い感情を表に出さないようしている積もりだが、体というものは正直らしい。   歩み寄る足は覚束なく、心臓の鼓動は速くなり、喉のつかえまで感じている。   そんな僕に対してルクスさんは依頼のことについて話し始める。   所持金不足の僕に施しをするのが目的だと思っていたが、本当の狙いは別にあったようだ。   人間が一人でできることは限界がある。恥や外聞を捨てて、一人で解決できないことは誰かに頼れ。   頼ったことで迷惑をかけたと考えること自体がその相手にとって失礼だ。   彼は依頼を通してこのことを気付かせたかったらしい。   同時にルクスさんは「人間は一人では生きていけない」ということを伝えたかったのだろう。   それはこの世界に来る前から身をもって知っている。   現実世界にしろこの世界にしろ同じことだと彼は言いたいのかもしれない。   だが現実で見知った人の繋がりはここにはなく、モニタ越しにゲームとして触れるだけだった世界での新しい繋がりに   引け目を感じて、僕は出会った人たちとはどこかで距離を置いている。   そして慣れ親しんだ繋がりの代わりに、新しい繋がりに頼って依存してしまうことを怖がっていた。   本当は分かっていたんだ。   そうやって距離を置いて支えられるのを怖がっていたら、ずっと皆と対等の立場になれやしないことは。   ルクスさんは僕に報酬を渡すとそれ以上は語らず、クラウスも黙ったまま様子を窺っている。   二人の言いたいことは分かっている。後は僕自身の問題だ。   作ってしまった借りは直ぐに返せなくてもいい、そうルクスさんは言っていた。   ケーキを届ける前に言ったとおり、後でこの恩は必ず返す積もりだ。   クラウスには鎮魂祭が終わったら稽古を頼んだ本当の理由を話そう。   この自分勝手な本音を話したら軽蔑されるかもしれない。   そのことは確かに怖くて嫌だが、自分自身を誤魔化して彼を騙し続けるのはもっと嫌なのだ。   そして皆と同じ場所に立つ一歩として、最後までこの祭りを楽しもう。   ルクスさんから受け取った報酬から代金を支払い、先に勘定を済ませた皆の背を追って、   僕は点灯式の会場へと向かった。