●山岳の都市フェイヨン   鎮魂祭の締め括りである点灯式の会場には、既に多くの参加者が詰めかけていた。   僕たちが移動を始めたのは点灯式開始三十分前のアナウンスを聞いてからになるが、   その混雑具合は留まるところを知らず、今の位置からでは櫓の天辺が申し訳程度に見えるだけだった。   できることなら間近で櫓を見たかったが、この状況ではそれも叶いそうにないようだ。   結局僕たちは近辺の露店で休みながら眺めることに妥協した。   フリージアさんは近くで見られないことに残念がって肩を落としている。   一方ミーティアさんは気落ちする様子はなく、人の多さに目を輝かせながら辺りを見回している。   彼女はこういった大きな祭りに参加することは初めてなのだろうか、そんな風に感じられる仕草とも取れる。   僕が女性二人の様子を気にかけている内にクラウスが空いている露店を探し当てていたようで、   多数のテーブル席がしつらえられた店を指差している。   対してルクスさんは指差された店がビアガーデンであることに思うところがあるようだ。   僕の知る限りではビアガーデンのテーブル及び椅子は、雨にかかることと設営の簡易さから、   アルミニウム製またはプラスチック製といった簡素なものであることが多く、   重厚さや雰囲気のよさは期待できない施設と言える。   だがこの付近で五人もの席を確保できそうな店は他になく、ビアガーデンでは提供される飲料はビール等の   アルコール類が多いが、烏龍茶・ジュースなどのソフトドリンク類も供されることが多いことも事実だ。   そのことをクラウスと共に伝えてもルクスさんは渋っている。   どうやら酒が中心となる場に未成年の女性二人を連れて行くことに不満があるようだった。   「仕方ないな、行くぞノウン。」   「え、おい、クラウス!」   「こうしてても埒が明かないだろ?」   何やら飲酒は良いだの悪いだの話し始めた三人を尻目に、   僕はクラウスに引っぱられるようにビアガーデンへ向かうことになった。   「でも、本当にいいのか? ルクスさんは未成年の彼女たちを同席させることに反対みたいだけど。」   「点灯式まで時間がないのにそんなこと言ってられるか? 折角の祭りなんだぞ。    だったら最後まで楽しまなきゃ損ってモンだろ。」   「そりゃあ、そうだけど。ちょっと強引じゃないか?」   「いいんだよ、こういうときは多少強引な方が。……それに、俺たちはいつまでこの世界にいられるか分からないんだ。    今後、こんな機会は二度とないかもしれない。だから、皆と一緒にいられる内に楽しまなきゃ後悔すると、俺は思う。」   クラウスの言葉に今更ながらに気付かされる。   この世界に生きる人たちにとっては、今の祭りの日々は過ぎ去ってもまたいつか訪れるものだと、   日常生活の内の一つだと思うのかもしれない。   だけど、現実世界から来た僕たちにとってこの世界の生活は非日常で、いつまでいられるのか分からない身では   またいつかこの日々を過ごせるなんてことは望めない。   いくら姿形がこの世界の人たちのものとはいえ、本質的な部分では僕たちは異邦人に過ぎないんだ。   改めて彼の言葉を反芻する。   確かに、こんな機会は二度とないかもしれない。楽しめる内に楽しまなきゃ後悔する、よな。   「そうだな。悔いだけは、残したくないな。」   「だろ? それじゃ今日という日を心ゆくまで楽しむために!」   「席確保の交渉といきますか!」   僕とクラウスは互いの拳を突き合わせた後、ビアガーデンのマスターに交渉を持ちかける。   「五人分の席? いいよ、空いてる場所で好きなところ選びな。」   折角意気込んで来たのに割りとあっさり済んでしまった。   肩透かしをくらった所為か、クラウスは前のめりに滑るようにおどけてみせる。   そのリアクションはちょっと古いんじゃないだろうか。   「まぁ、いいか。俺はルクスさんたち呼んでくるから、ノウンはそこで待っててくれ。」   促されるままに座って待つこと一分足らず。   クラウスに案内される形でルクスさん、フリージアさん、ミーティアさんがやって来る。   結局ルクスさんに飲酒を反対されたのか、フリージアさんとミーティアさんは少し頬を膨らませていた。   そんな二人を意に介した様子も見せずに、ルクスさんは席を確保していた僕に感謝を述べながら席に座る。   僕が苦笑しながら彼に気にしないよう返事をしている間に皆それぞれの席へ座ったようだ。   皆が席に着いたことを確認するとクラウスが手早く全員分の注文を済ませる。   少しくらいメニューを吟味する時間が欲しかったが、   櫓に火が入るまでの残り時間が僅か数分とあってはそのような猶予もないようだ。   間もなくして注文した品々が運ばれテーブルを埋め尽くし、   満天の星空の元で遠くより聞こえる鐘の音が辺りを支配するように響き渡る。   それに呼応するように四方から放たれた火が櫓を赤く染め上げ、   一際大きく輝く月と、星々が浮かぶ夜空に向かって火の粉が舞い上がっては、闇に飲み込まれるように消えていく。   あの立ち上る炎と舞い上がる火の粉は、フェイヨン襲撃事件によって亡くなった人たちの命の灯火なのだろう。   その燃え盛った命の火が、魂が天へ昇って還ろうとしている。   そういった思いとは別に、もう一つの思考が浮かぶ。   昇天してゆく魂の中に、魔物の魂は含まれてはいないのだろうと。   ゲームの世界では魔物は直ぐに復活する。この世界も同じだ。   討伐された魔物と同じ命ではないにしろ、たった一度きりしか生きられない人間とは違い、   やがて魔物はその命を吹き返して再び人を襲う。   いつでも、大きな力と現実の非情さによって苦しめられ犠牲となるのは、人間だ。   そんな言い知れぬ理不尽さが込み上がったところで、視線を感じて現実に引き戻される。   乾杯の音頭を執る為に立ち上がったクラウスがこちらに目を向けている。   分かっているよ、今は皆と楽しむときだってことくらい。   僕が小さく頷くと、クラウスはそれに満足したようで大きく頷き、声を上げた。   「みんなグラスを手にとって……、乾杯!」   「「「「「乾杯〜!!!」」」」」   一口飲んだビールはよく冷えていて、元の世界のビールと遜色ない味が伝わってくる。   独特の苦味とシュワシュワと音を立てる泡が口内と喉を潤していく。   久しぶりに飲んだとはいえ、やっぱり冷えたビールは旨く格別に感じる。   とはいえあまり羽目を外すわけにもいかないし、二日酔いになるといけないからほどほどに飲むとしよう。   皆は燃え上がる櫓を見て、思い思いの言葉を口にしている。   魔物の襲撃からたった数日、街や人の心身に癒えきらない傷を残しながらも、   街の復興や鎮魂祭の準備にどれだけの思いを込めて励んできたのだろうか。   理不尽な力や非情さに振り回されながらも、ただでは起き上がらない。   そんな強い気持ちがこの街と人々にあって、今日という日を迎えたんだろうか。   襲撃された現場を直接目にしたわけではない僕には、この街の人々の思いの深さは分からない。   それでも今日という日を忘れず無駄にしないことで、また新しい一歩を踏み出すことができるんじゃないだろうか。   そう僕は信じたい。   「しっかし、ルーシエと如月には驚いたよな。まさかあのパフェを完食するなんてさ。」   人が感慨に耽っている間にクラウスの言葉を皮切りにして、皆の話題が超巨大パフェ・タナトスタワーへと切り替わる。   確かに驚いた。三十人分もの大きさを誇るパフェを二人が完食するとは思ってもみなかったからだ。   それに今になってみてもおかしいと思う。パフェと人間の胃の容積がどう考えても合わない。   完食した二人の胃袋は甘いものは別腹とかファンタジーとかいうレベルじゃない。もっと別の何かだろう。   そしてこの世の絶望を一身に背負ったような顔をした店主の姿が忘れられなかった。   彼には気の毒だが、力と非情さに振り回された敗者の末路としか言えない。   願わくばこの街の人々同様、今日という日を境に新しい一歩を踏み出してほしい。   続いてタナトスタワーを食べてみたかったと言うフリージアさんとミーティアさんをルクスさんが諌める。   当然だ。普通ならまず食べきれないし、何より罰金500,000zenyって割りと在り得ないし。   それにしてもさっきからルクスさんが二人のお兄さん的存在というか、引率の先生みたいに感じるのは何故だろう。   僕たちが話していると唐突に隣のテーブルから声を掛けられる。   この祭りに参加しに来た冒険者だろうか、逆立てた髪が印象的な騎士と男性プリースト、女性ハンターが座っている。   何でもタナトスタワーを完食したのは三人しか居らず、内二人が細身の女性ということが話題を呼んでいるらしく、   丁度その話をしていた僕たちの知り合いとあっては声を掛けずにはいられなかったようだ。   って、ちょっと待とうか。完食したのは三人? 他にも完食した人がいるのか。誰なんだ一体。   次にパフェの店主の安否を考えだした僕をよそに話は進んでいく。   その後、ルーシエさんと如月さんは蕎麦屋でエプロンを着けて給仕をしていたという。   二人とも給仕をしていたということは、その露店主は知人なのだろう。   ルーシエさんが去り、如月さんもいつの間にかいなくなっていたのはこういうことか。   そこへ給仕という単語に反応したクラウスが二人の格好について聞きだそうとする。   逆毛騎士によるとルーシエさんは赤いリボン+妖精の耳+プリーストの法衣の上にエプロン、   如月さんは忍者の装束の上にエプロンを着けていたそうだ。   しかし分からない。何故ルーシエさんは赤いリボンと妖精の耳を着けていたんだろう。   僕がリボンと妖精の耳からなるプリーストの給仕による因果性を考察し、結論が出ないことから思考を中断したときには   隣のテーブルにいた三人が席を立って会計所へと向かうところだった。   『聞いてただろ、ノウン。』   何の前触れもなくクラウスは僕に向かってWisを送ってきた。   『何を? それに何で態々Wisで話すんだ。』   『フッ、お互いの嗜好がどれくらい似通っているのか、やはり確認してみたくなってな。』   『言ってる意味が分からないぞ、クラウス。』   彼の言葉は気にしないことにして、然程減っていないビールに口を付けたとき、   『ルーシエと如月の給仕姿を聞いて、想像して、どう思った?』   僕は盛大に咽込んだ。   それに構わずクラウスはニヤニヤと笑いながら会話を続けようとする。   『大丈夫かー? その様子だとやっぱり想像していたみたいだなー。』   『大丈夫じゃないよ! ていうか、やっぱりって何だ? 僕が想像していたのはそういうことじゃない!』   『そうかそうか、想像してたかー。で、どう思った?』   『だ・か・ら! 僕はルーシエさんがどうして赤いリボンと妖精の耳を着けていたのか――』   『んンー、プリーストの法衣の上にエプロンを着け、更には狩り用装備であるミストレスの王冠+悪魔の羽耳から    赤いリボン+妖精の耳に付け替えて、甲斐甲斐しく給仕するルーシエの姿を想像して悶えていたということか!    分かる、分かるぞ、その気持ち! 何故なら俺も男だからなァ!!』   そこまで言われると、改めて想像せざるを得ないのが悲しい男の性というもの。   自分の顔が赤くなっていくのが分かるが、それでも僕は断固拒否を続ける。   『違うって言ってるだろ!? 人の話聞けよ!』   『否定し続ける辺りが益々怪しいなー。顔、真っ赤だぜー?』   『ぐっ……! 誰の所為だと思ってるんだよ、ったく。』   赤くなった顔を押さえて溜息を一つ吐いたとき、追加で注文された品々がテーブルに並ぶ。   その中に誰も頼んでいないはずのチョコレートが置かれていることに全員が首を傾げていると、   カウンターにいるマスターが酒を提供できないフリージアさんとミーティアさんの為に出した   特製チョコレートだと話してくれた。   嬉々としてチョコレートを頬張る二人を横目に、テーブルに並んだつまみに手を伸ばす。   ビールも美味しいけど、マルスの下足やスルメも結構イケる。   「二人とも酒が進んでないぞ?」   僕とクラウスに声を掛けるルクスさんの目はどこか据わっているように見えた。   「えっ、ああ。ノウンとこの料理うまいな〜と話してたからかな。」   そう言ってクラウスは僕にアイコンタクトを取ってくる。   分かる、分かるぞ、ここは話を合わせればいいんだろう?   まかり間違っても「給仕姿について話してました」なんてことは言えない。   そんなことを言ったらどんな責め苦が待ち受けているか分かったモンじゃない。   「そっ、そうそう。このフェンの刺身なんて美味しいですよ。」   テーブルに並んだつまみを口に放り込んだ僕たちを見て、ルクスさんは長い溜息を吐いた後、   「こいつらは分かってねぇ」と呟きを漏らす。   そんな彼の様子から嫌な予感がし、程無くして的中することになった。   ルクス先生による「酒についての講義」が始まったのだ。   酒とアルコール、酒の分類と原料、酒の古代〜中世における歴史、料理や宗教上においての利用法、   主な酒の種類と法律、「酒」を含む慣用句など、十五分かけて行われることとなった。   『なぁ、今の話分かったか?』   講義終了後、クラウスは僕にWisで尋ねてくる。   『ある程度は理解してたことも含まれてたから、なんとかね。しかしルクスさん、絶対酔ってるな。』   『だろうな。目、据わってるしな。』   「そもそも酒場を指定した以上、飲まないでどうするんだ。」   ルクスさんの言葉に怒気が混ざってきている。   これ以上は不味い気がして酒を控えるよう進言するが、   何を思ったのか某海軍では水の代わりにビールを使っているという話まで始まった。   だが、そこで口答えしたのが不味かったようだ。   「つまり、こうした方が飲みやすいか?」   彼は左手で銃を抜き銃口を僕に向けたのだ。   当然僕はうろたえるがその様がよほど可笑しかったのか、ひとしきり腹を抱えて笑った後空に向けて引き金を引く。   弾丸が入っていないのか空砲の音が小さく響くだけだった。   しかし、いくら弾が入っていないとしても銃口を向けられることで決していい気分はしない。   ガンスリンガーならそのくらいは分かるだろうが、今の彼には無理な話だろうか。   そんな僕の気持ちを汲み取る様子もなく、ルクス先生による二時限目の講義「銃の歴史と社会」が始まった。   講義の三十分間にも僕らはどんどんビールを飲み、飲まされる。   結果、かなりのハイペースで飲まされていたクラウスがいい感じに酔っ払ってしまった。   「おいクラウス、四〜五杯は飲まされてるけど大丈夫か?」   「何を言う、まだ四〜五杯だぞ? 俺なんて既に七杯は飲んでるわあ。」   ああ、ダメだこりゃ。完全に酒に飲まれてる。   何杯飲んだともしれないビールによる頭痛とは別の意味で頭が痛くなってきた。   そこへルクスさんが容赦なく追い討ちをかける。   「いいかノウンさん、酒は飲んでも飲まれるな。この言葉の意味するところは、酒を飲むのは結構だが    それによって理性を失ってはいけないということだ。理性を失った人間は獣と変わらないからな。    そもそも理性というのは人間存在に本来的に備わるとされる知的能力の一つであり、平たく言えば推論能力に当たる。    知性と理性の区別はギリシア哲学におけるヌース(知・叡智)とディアノイア(間接知・推論知)の区別に基本的に――」   ルクス先生による三時限目の講義「酒と理性、理性と知性の区別」が始まった。   それも二時限目の講義以降、ずっと銃口を向けられたままでだ。   こんな銃を突きつけられた状態では幾らビールを飲んでも酔えやしない。   もし誤って引き金を引いてしまったらどうするつもりなんだよ。   あ、弾丸入ってないんだっけ? いや、入ってると言っていたような気もするけど曖昧でよく覚えていない。   この状況いつまで続くんだよ。正直誰か助けてほしい。   何杯目かも忘れたビールを飲み干したとき、視界がぼやけてよく見えなかったがフリージアさんだろうか、   彼女らしき人物が振り回していた空き瓶がルクスさんに当たり、僅かに残っていたビールがかかって頭から滴り落ちる。   「何じゃこりゃあぁッ!?」   頭から滴る何かを手に受け、ルクスさんはそれっきりテーブルに突っ伏す。   何じゃも何も、さっきから飲みに飲んでたビールでしょうが。   ともあれ、これで向けられていた銃と講義から解放された。   ようやく安心して酔うことができるってもんだ。   手にしたビールを飲み干して目を凝らそうとする。   結果的に僕を救ってくれたフリージアさんらしき人物は誰かと言い争っているように見えた。   顔は分からないが背格好からして男性だろうか、少なくともミーティアさんではないようだし。   うーん。   この際細かいことはいいか。   それよりマスター、ビールおかわり。   え、何? 飲みすぎ?   いやいや、僕全然飲んでないでしょ。   何? これで十三杯目だって?   全く、マスターは冗談が上手いね。   まー、これ以上飲んで酔っ払うわけにはいかないからここまでにしようかな。   うん? 既に酔ってる?   またまたご冗談を……。   ああ、何だか眠くなってきたな……。   んー? ここで寝たら風邪引くって?   寝ないよ、少し休むだけだって……。   まどろむ意識の中で最後に見上げた月は、まるで僕らを嘲笑っているような、そんな月明かりで照らしていた。 ※日本では未成年者飲酒禁止法により、20歳未満の飲酒と、20歳未満への販売・提供(購入ではない)は禁止されています。