真っ暗、真っ暗な世界。この暗い世界は明ける事はないのでしょうか。  いえこのまま明けないで欲しいと切に願います。  このままずっと真っ暗な世界に居たいのです。  明かりは欲しくありません。  だって、明かりがあれば私の闇が見えてしまうのです。  逃げていると罵るでしょう。  でも、私はそれ程強くありません。  現実を見てしまったら、私はどうなってしまうのでしょう。  暗い闇の中で無に戻れるのならばそのままでいい。  だけど、もし、…もし戻れたら私は――――――    窓から差し込む光は優しくて、『私』はゆっくりと目を覚ます。  なかなか焦点が合わず、見える景色はぼやけたまま。鼻腔をくすぐるミントの香。  あれから随分時間は経ってしまったけど、自室で育てていたハーブは枯れなかったようで、世話 をしてくれていた人に感謝をしなければ…。  そこまで考えてはたと気づく。  ミントに混じって付いてくる香は、ごく最近嗅いだもの。  ―――まさか…。  過ぎる不安は心を酷く乱し、慌てて起き上がる。  見覚えのある部屋、だけどそれは『私』の部屋ではない。 「……な、…なんで…」  呟いたその言葉に項垂れる。  『私』の部屋ではない。だけど『自分』の部屋。まるで薬品の実験にでも使ったのかと言う器材 に戸棚に仕舞われたハーブ類、そして『自分』で作った薬。  そう、ここは『ルフェウス』の部屋。 「なんで、『僕』でここにいる……?」  あの時間違いなく自分は自分の手でその喉を掻っ切った。  『自殺』はバグだと知っている。死んでしまったあのプリーストの少女はあれ以来会うことはな い。もしも目が覚めて、セーブポイントに戻ったとしたらそのまま姿をくらますということはない だろう。リアは、あの子はとても寂しがり屋なのだから。  だと言うのに何故『僕』は目を覚ますことが出来たのか?  性別が逆転している以上、自分の身体がこの世界のものだとすぐにわかった。  長身で細身の男性の身体。ステータス上筋肉等は殆ど付いていない細く白い腕。10ヶ月もの間 付き合ってきたこの身体。 「…何故」 「…!  マスターーーーーっ!!!」  紡がれた独り言のような呟きを、後から響く声が消し去った。  『僕』の事をマスターと呼ぶのは彼女しか居ない。彼女がいるということは、『ルフェウス』が ここで生きていることを確定させている。 「よかったっ!  目が覚めたんだ、マスターっ!!」  その小さな訪問者はベッドの上でこの状況を整理しようとしている僕目掛けて勢い良く駆け寄る と、その体を翻し僕に飛びついた。 「な…なっちゃん…?」  非力な腕でも小柄な少女を抱きとめることは出来る。  僕の首に腕を回ししきりに良かったと繰り返すなっちゃんに、僕はどう返したら良いか判断に悩 み視線を上げれば、そこには肩口まで切り揃えられた銀髪のスナイパーが立っている。 「良く、目を覚ました」  静かな声色で僕を見たまま、しかしその瞳には安堵のそれは薄く、そして口元はきつく結ばれて いる。 「……ケルビム、さん」  僕がその名を口に出せば、彼女はその表情を変えないまま、かつかつと僕の傍に歩み寄る。 「お姉ちゃん?」  ケルビムさんに漂うその気配になっちゃんは首を稼げ、するりとその腕を僕から離す。  ケルビムさんはなっちゃんの横に立ち涼しげな瞳で僕を見下ろした。  いくら長身の身体とは言えベッドに座ったまま、そして女性にしては長身のケルビムさんとの差 は見下ろすという高さまでに及んでいる。 「ルフェウス」  ケルビムさんが僕の名を呼ぶ。  パァンっ!!  その瞬間だ。大きな乾いた音が室内に響く。一瞬何をされたのか理解できなかったが、ややあっ てジンジンと頬が痛み出し、そうして自分の横っ面を叩かれた事にようやく気がついた。 「この、大馬鹿者!!!」  怒声は鼓膜を振るわせる。 「何故あのようなマネをした!!?  お前も私を置いて逃げると言うのか!!?  私に再び失った哀しみを見せたいと言うのか!!!?」  怒りに満ちたその声でも、ケルビムさんのその表情はとても哀しげで僕はそのケルビムさんを見 る事が出来ない。 「……なんで、助けたりしたんですか?  …僕は…、僕は人殺しです。  ううん、人殺しなんて生易しいものではありません。追い詰めて、追い詰めて…そして死ぬより も恐ろしい事を平気でしている。  殺人快楽者…、人を容赦なく陥れる。自分の、その醜悪な姿を見せて今まで通りどうやって振舞 えますか?  わかっているんです、みんなに迷惑を掛けていることは。  だけど、だけど僕が悪いんです。こんな結果になったのは僕の責任だ」  首を振って自分の両手を固く結ぶ。  責任、なんてそんな簡単なことじゃない。僕がしっかりしていれば、こんなことにはならなかっ たはずだ。元凶、と言うものがあるならばそれは僕自身。 「…ばーか」  冷めたその言葉は部屋の外から聞こえる。顔を上げればそこには冷めた口調と同じ冷めた目付き のウィザード。 「なにが責任だ。  お前は預言者か?それともエスパーかよ。  先の事はわからねえ、他人の心の奥底に何が潜んでいるのか、そんなものわかっている人間なん ぞいるわけがねえ。  なにが人殺しだ。  それなら俺達も同じ。崖っぷちに突き落とすまで追い詰める。上等じゃないか。ケル姐はしらね えけど俺はそうだった。止めようなんてそんな事思わなかった。  …だけどよ、何が平気で出来る、だって?  そんな奴はあんな真似したりしねえよ」 「ルフェウス、私達は共犯だ。  一人で悩むなと言ったのは、他ならないお前ではないか。  この罪を背負うのはお前だけじゃない。私達も背負わなければならない。  元の世界に戻る、と言うことでその罪を償おうじゃないか」 「……」  二人の言葉は何故こうも優しいのだろう。僕は逃げ出した卑怯者だと言うのに。 「許すとか許さないとか、そんな言葉で括られるようなもんじゃねえよな、俺達は。  全くドル服まで着て、お前を生き返らせるのにどんだけ苦労したことか。  そんだけお前を死なせたくないって思ってる奴らばかりだってなんで気がつかねえかな」  ラルはこれ見よがしに深く深くため息を吐く。 「それだけの手を煩わせたんだ、だからお前にゃあペナくらいつけなきゃ気がすまん」 「ペナルティ…?」 「ああ。俺達が現実の世界に戻れるまでの間、『今まで通り生きて行こう』ってな」  ラルの言葉に僕は手で自分の顔を覆う。肩が小さく震える。 「……できる…かな、そんな、器用な事…」 「できるだろ、お前なら」  指の隙間から、ぽたりと水滴がベッドに落ちた。