それじゃ元気でやれよ、と握手を交わして俺は浮き輪と一緒に海へ飛び込んだ。 駆除船団での仕事中に海に落ちたらオットーやらシーオッターに喰い散らかされる事になるが 追い込み作業も中盤となれば、次は囲んで他のグループとの合流ポイントまで追い立てる段階。つまり網のこっち側に奴らはいない。 そのまま俺は潮の流れに乗って近くの小島まで泳いで行った。こっちに居る間に随分泳ぎが達者になったもんだ。 俺も少しは海の男になれたんだと、そう思いたい。ありがとう大将、また帰ってくるぜ。 予行練習の時についでに隠しておいた荷物を回収し、浜辺で服を乾かしつつダラダラする事2時間ほど。 沖の方から貿易船がやってきた。ワルターの船だ。初めて見るが言うだけあって頑丈そうなしっかりした船だ。 それでもさすがに奴らも外洋まで一直線に行く訳ではなく、何度か途中の島に寄港してからアマツを目指すらしい。 俺は今、そうした島の1つにいた。ファロス近辺の漁民が漁の拠点としてたまに使う島なので 街からの定期船などはないが集落のようなものはある、そんな島だ。 島の漁師と同じような格好で同じように日焼けした今の俺はとてもセージには見えない。 その島で乗り降りする人間や品物に紛れ込むように、俺は船に乗った。 とは言ったものの、乗客としてここの港から乗り込んだのは俺だけのようだ。 他に乗ってきたのは船員と食糧だけ。とりあえず、一応これでも元指名手配犯なので 周りに紛れて乗船した後は船室でおとなしくしている事にした。 途中で波の荒い難所も通るらしいし、船酔いで寝込んでるって事にしとけば誰も怪しまないだろう。 それにしても、乗客は俺以外にいないようだ。聞こえてきた話によると アマツの観光協会が何やらイベントをやってるらしく、何と無料ポータルをやっているそうなのだ。 そりゃまぁ、わざわざ高い金払って船旅なんかする奴いねぇよなぁ。 -------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 俺がアマツに着いたのは宵の口の頃だった。 南国ファロスからやってきた俺には少し肌寒い春の夜。空には靄に抱かれた朧月、足元には海風に舞う桜の花びら。 遠くを見ると桜並木が提灯に照らされて揺れている。電球の提灯じゃない、蝋燭の入った本当の提灯だ。 炎の色に照らされた桜はどこか艶っぽく見える。そして、ひたすら懐かしかった。 こんなイベントがやってるって事は、日本も今頃そんな時期なんだろうな。 思えばこっちに来てから随分―― 「大丈夫ですか?どうかされました?」 突然横から聞こえた声に俺は我に帰る。いかんいかん、思わず郷愁に耽ってしまった。 呆けたように突っ立って遠い目をして桜を見ていたであろう俺の顔を、涼しげな浴衣の女性が覗き込んでいる。 よく見ると彼女は「アマツ観光協会」と書かれた腕章を身につけていた。 話を聞くとどうやら今、観光協会主催の宴会が行われているらしく、彼女はそのイベントの案内員なんだそうだ。 宴会が行われている場所は何となく予想できたが、案内してもらう事にした。 ああそうだ、単に浴衣の女の子と一緒に歩きたかっただけさ。 案の定、宴会は例の丘の上の大きな桜の木の下で行われていた。 少し傾斜のきつい小高い丘の上に立つその桜は、丘の上を覆うように枝を伸ばし花を咲かせている。 モニター越しに見ていたこの桜は、こんな立派な木だったのか。 思わずため息を漏らす俺の表情に案内員の彼女は満足そうに微笑み、ごゆっくり、と言って持ち場に戻っていった。 さて、丘の様子はと言うと2人のバーテンが店を出し、その周りで呑めや歌えやの大騒ぎだ。 花見客だけじゃねぇ、ジュース売りの姉ちゃんまで酔っ払ってる。おいおい、売り物のジュース飲むなよ… しかしよく見ると冒険者だけじゃなく割と世界各地から人が来てるように見える。つーかmobまでいる。 酔っ払って惚気てる緑色の夫婦は見なかった事にしよう。いろんな意味で張り倒したくなってくる。 うぉ、あのピエロすげぇ。千鳥足でフラフラしながらもお手玉完全キャッチだと!? 何やらピポパポ言いながら完全にラリってるのに倒れそうで倒れない。…おお、地味にギャラリーが集まってきてるぞ。 それをちらちら気にしながらカニと戯れてんのはレッケンベルの社員か?なんか横で凍ってる奴もいる。一体奴ら何やってんだ? あっちでゴワスゴワス言ってるアレは何なんだろう。なんか地面と水平に滑空しながらものすごい頭突きをしてきそうな感じだ。 しかしそれらにも増して凄いのは冒険者たち。バーテンが出してる屋台に集まっては競うように酒を飲み、 あるものはブッ倒れある者は爆裂しある者は焦点の定まらない目をしてどこかにフラフラと去っていく。 原因は桜の木の根元にある看板らしい。観光協会の主催なのか、酒豪ランキングを集計してやがる。 地元の人間も参加してるみたいだけど、やっぱり目立つのは冒険者だ。 観光地に人口以上の数の観光客が集中するのは何処の世界でも同じらしい。 …まぁ、とりあえずこっちはスルーで。酒は競って呑むもんじゃない、楽しんで呑むもんだ。 ほら、見てみろあっちの酒天狗を。こっちの騒ぎなんて気にも留めず旨そうに呑んでるじゃないか。 折角だから俺も一杯貰ってくか。そう思って辺りを見回し、まず目に留まったのは無駄に渋いバーテンの親父。 周りじゃもう、ごちそうさまが聞こえない!もう一杯!!もう一杯!!なんて激しいコールが巻き起こってるのに その親父ときたらタキシードを着こんで正装し、落ち着いた物腰で接客したりグラスを磨いたりしている。 でも出してる酒は小さな湯のみに入った清酒一杯10z。いやどんなキャラだよお前それ。グラスも使えよ。 ともかく俺はそのウォッカとか名乗る似非バーテンから酒を受け取って一口呑んでみた。 …なんだ、意外と旨いじゃないか。つまみが欲しくなるような少し濃厚な味わいだが、こんな時代背景?のためか 糖類やら何やら余計な混ぜ物で作り出した味じゃない。特別旨い訳じゃあないが、十分に合格点だ。 いい気分になって呑んでたら、飲みっぷりがいいと言われた。ありがとよ。 ああそうだ、いい気分ついでにあの酒天狗と呑んでこようか。 「ギギ?誰ダオマエ?…マァイイ、オレサマ、酒豪以外ノニンゲンニ興味ナイ。」 何だ、取り付く島もないなコイツ。…ああ、ひょっとしてあっちで必死に飲み競ってるのってこいつのせいもあるのか? 酒豪になってコイツと仲良くなれば、何かまたいい事でもあるのかもしれない。まぁ今の俺には関係ないか。 ともかく酒天狗は俺に構ってはくれないようなので酒を片手にその辺をぶらぶら。 バーテンが出してる酒の店以外にも縁日のようなものは沢山あったが、メニューが意外と面白い。 割と濃い味付けというか味噌味の食べ物が多く、辛子味噌をつけて食べる寿司なんてものもあったりする。 みたらし団子や飴細工なんて懐かしいものを並べてる縁日もあれば、唐突に果物屋が出てたりも。 辛子味噌の寿司を食べながら、いい感じにカヲスな会場を眺め歩いてると肴より先に酒がなくなった。 辺りを見回し1つの店に目を留める。次はあの色っぽい女バーテンの方に行ってみよう。 いかにもな女バーテンダーの屋台には、いかにもな感じのグラスやらシェイカーが並んでいた。 どう見てもカクテルとか作りそうな感じなのに、やっぱり出てくるのは小さな茶碗酒一杯10z。 さっきの親父といい、なんなんだこいつら。一体どういうコンセプトなんだここの観光協会の連中は。 …まぁ、いいか。桜を肴に呑むならポン酒が一番。カクテルなんざ目じゃねえぜ。 肴を片手に調子が出てきた俺はいい気分でくいくい呑む。するとその綺麗な女バーテンダーは微笑を浮かべてこう言った。 「いい飲みっぷりね…惚れ惚れするわ。」 はっはっは、いやいや。俺をおだてたって別になんにもいい事なんかないんだぜ?照れるじゃねーかコノヤロー。 まぁ飲みっぷりがいいとは、言われたことあるけどね?中の人リアルで酒飲みだしね? でもな、そんな事関係なく、俺の呑みっぷりがいいのは酒が旨いからさ。 あんたみたいな美人がついでくれる酒が不味い訳がねぇ。最高だぜ。 って訳でもう一杯。まだまだ飲むぜヒャッホゥ!! -------------------------------------------------------------------------------------------------------------- ……男ってのは馬鹿だ。いや俺が馬鹿なだけかもしれないが男ってのは馬鹿だ。 あの姉ちゃんにノせられて飲みすぎた。もう金がねぇ。つーか明日絶対二日酔いだろこれは。 もう何杯飲んだかなんて覚えてねぇ。視界はぼやけて足はフラフラ。何か桜見ながら牛乳飲んでる変な医者が 俺に向かって何やら言ってたけど、何言ってんのか全く理解できなかった。 一杯の酒を片手に、俺は揺れる視界に映る桜に誘われるように、ふらふら、ふらふらと喧騒から遠ざかっていった。 どのくらい歩いただろうか。俺の視界にふと、桜の枝が映った。 それは城の堀の脇に立つ桜の枝だった。花を咲かせ水面に触れそうな程垂れ下がった枝が、凪いだ水面に映りこんでいた。 風が吹くと僅かに波立ちゆらめく水面の桜。はらはらと散った花びらが、向き合う桜の境目にゆらゆらと漂っていた。 何故か思い出したのは、地元の公園の桜だった。珍しく他所の人間にも自慢できる、それなりに名の知れた故郷の桜。 足を止め、俺はその桜の根元に寄りかかって座った。手に持った茶碗酒に、丸い月が浮かんでいた。 今年も見に行きてぇな、あの桜。 何となく、そこにあの桜があるような気がして、俺は盃を掲げてみた。 何に乾杯したのかは俺にもよく分からない。でも、乾杯してみたい気分だった。 盃を引き戻す。すると桜の花びらが1枚、その中に浮かんでいた。 ――何だ、応えてくれたのか。ありがとよ。 折角だから、俺を迎えにきてくれよ。戻ったら必ず見に行くから―― その一杯を飲み干して俺は目を閉じた。 最後に見上げた桜が、まどろんでいく意識の中でぼんやりと浮かんでいた。 -------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 目が覚めたら――真っ白な部屋に居た。 ここはどこだろう?全く見覚えのない場所だ。こんな所で俺は一体何をしてるんだ? ぼんやりした頭を叩き起こすため、俺は意を決して起き上がろうとする。…が、体が恐ろしく重い。 ――まずい。 逃亡生活で神経を尖らせてきた俺は、不測の事態に敏感になっていた。一気に頭が冴えていく。 俺は何をしていた?……そうだ、確かアマツでバーテンの姉ちゃんに乗せられて飲みまくって…… 不思議と頭痛や吐き気はしない。だが恐ろしく体が重かった。この真っ白な部屋は一体何だ?どこなんだ? 横たわったまま思考を巡らせ、俺は消毒液のような薬臭い匂いに気がついた。 (まさか!) あのカニと戯れてた、レッケンベル警備員の制服を着た男。あいつ、まさか――! そこまで思い至って、俺は飛び起きた。立ちくらみも体の重さも気にしてる場合じゃない。 最悪だ。最悪のシナリオだ。実験体なんぞになってたまるものか。監視されてる可能性はあるが気にするだけ無駄だ。 今すぐこの部屋を突破して逃げなければ。ふらつく体をどうにか起き上がらせて立つ。そして―― 「なっ…嘘だろ!?」 そして自分の腕を見た俺は愕然とした。…何だ、この病人みたいな痩せ細った腕は!? 元々STR寄りのサマル型、更に逃亡生活と駆除船団の仕事で鍛えられた俺の腕はもっと日焼けしてがっちりした腕だったはずだ。 まるで自分の体じゃないみたいだ。リアルだってこんなに痩せちゃいないんだ。一体俺は何をされたんだ!? ――いや、落ち着け。落ち着くんだ。俺にはまだ魔法がある。あんな薄そうな扉くらい一発で吹っ飛ばせるはずだ。 心を落ち着け、息を整え呪文を唱える。まずはエナジーコート、それからオートスペル――FBで行くか。 だが妙だ。魔力の流れが感じられない。ケツと脚と地面で描く五芒星に力が集まらない。 そしてエナジーコートは――発動、しなかった。 「くそっ…!」 魔法も使えない。俺は…完全に無力化されたのか?そんなバカな! 焦燥に駆られ、何度も何度も魔法を試みるが魔力の流れが一向に感じられない。 体がおかしいせいなのか、どうもケツの五芒星もうまく描けていないようだ。まだだ、もう一度だ。もう一度! そして焦っていた俺は迂闊にも、その扉の向こうに誰かが来ている事に直前まで気づかなかった。 がちゃりと扉が開く。硬直したまま慌てて振り返った俺の視線の先には白衣の―― ――白衣の、十字のついてない看護帽をかぶったおばちゃんが、驚愕しつつもドン引きした目で俺を見ていた。 時間が止まる。凍りつく。混乱、焦燥、絶望、疑問。そして俺は気づいてしまった。 おばちゃんのネームプレートに、"婦長"と書いてあることに。 「ちょっと、待て。」 油の切れたからくり人形のような動きで、窓の外を見た。というか、窓の存在に今更気づいた。 そこには桜の木が立っていて、その向こうにはアスファルトの道と公園があった。 そしてそのガラス窓に映っていたのは―― シーバではなく、"俺"だった。 -------------------------------------------------------------------------------------------------------------- どうやら俺は3ヶ月以上も眠っていたらしい。俺がガリガリにやせ細っていたのはそのせいだ。 3ヶ月もベッドの上で動かず眠り続け、点滴だけで生きてたらそりゃ筋肉も何もかも落ちていくってもんだ。 それでも何とか生きてるのは、同僚のお陰だ。いきなりの無断欠勤で全く連絡も取れず、 不審に思って俺の部屋まで来てくれたらしい。PCの前に突っ伏して気を失ってたそうだ。 とりあえず落ち着いてから実家に連絡したら泣かれちまった。…今度久しぶりに顔見せに行くか。 さて、一度目を覚ましてしまえばガリガリな事を除けば意外とそこそこ元気な俺。 絶対安静と言われても言う事を聞くはずがない。どうしても気になる事があったので、 その夜俺は病院を抜け出して部屋に戻り、ROを起動した。 シーバは、一体どうなってる? ログインすると、シーバはプロンテラの宿にいた。無論、俺がシーバとしてROの世界に行く前にこいつを置いていた場所じゃない。 しかもLvが81まで上がっていた。中の人がリアルにオットーやシーオッターと戦って上げたLvだ。 あの日々を感慨深く思い返す俺の脳裏に、大将はじめ漁協の気のいい漁師たちや、豪快な浜辺のおばちゃんの顔が思い浮かぶ。 ……柄にもなく、目頭が熱くなった。あんたらの事、俺は一生忘れねぇよ。絶対だ。 だが、俺はいつまでも感傷に浸っている訳には行かなかった。 俺があの世界に行って知ったのは、あの世界は全くゲームの通りの世界なんかじゃないって事だ。 目に見えなかった街の人々がいて、NPCにもPCにもそれ以外の住人にも、それぞれの人生がありそれぞれの人間関係がある。 勿論、シーバにもだ。俺のキャラの一人に過ぎないあいつも、あの世界では一人の人間なんだ。 成り行きとは言え、俺はその人生を大きく狂わせた事になる。少なくとも今こうして堂々と首都に居られる状態ではなくなってしまった。 しかも、どうやらそこにいる狐面のNPCの話によれば酔っ払って記憶をなくし、首都まで夢遊病のように歩いてきたようなのだ。 俺はすぐNPCに話しかけてアマツに送ってもらった。そして――ログアウトした。 これ以降、俺は衝動的に何か思いつかない限りシーバには触れない事にした。 後は下手に手を加えずに、シーバに任せることにしたのだ。きっと俺の代わりにあの日記がシーバを導いてくれるはずだ。 俺が唐突に帰るチャンスに巡り合った時のために、ファロスで生活する間書き溜めた日記が。 あの日記帳には、俺がROの世界で目覚めてからアマツに向けて出発するまでの全ての出来事が書かれている。 だから頼む、生き延びてくれ。それを読んでうまく立ち回ってくれ。 俺はそう祈りながら、パソコンの電源を切った。