「うまー」  ルフェウスの料理のレパードリーは洋風和風中華と呆れるほど多いが、朝食は基本的に和食をチ ョイスする。ミソだの醤油だのいわゆる日本食に欠かせないものはプロンテラでは購入出来ず、時 折アマツに行って大量に買い置きしている。  化学調味料だとかそういうものはこの世界にはないので、若干味に違いは出てくるが、それをも のともしないルフェウスの腕には本当に驚かされる。うん、お陰で食のホームシックに陥ることは 殆どない。  それにしてもなんだか本当に久しぶりにまともなご飯を食べたような気がするなあ。 「そう言えば、狩場でこれを生で食べてるのを見てさ。  あれは流石にドン引きしたな」  箸でつついているのはおいしい魚。本来は料理用として実装されたこの魚も、プレイヤーにとっ て見れば回復剤の一つであり、狩場ですれ違うその方々は大量の魚を本当に生で食べて回復してい るのを見かけていた。はっきり言ってちょっと怖い。 「実際これで刺身できるしね。生でも普通にいけるんじゃない?  それにしてもわた抜きしないでそのまま頭から、と言うのは実際見たことないけど、ちょっと怖 い光景だよねえ」 「回復剤が食べ物の時点でわかる話とは言え、こっちから見ればカオスの一言に尽きるな」 「そうそう、商人系がウサギクリップ持ったときの肉の消費量。  あれは思わず攻撃の手が止まるよ。凄まじすぎて」  カートにぎっちり詰まった肉がダメージ受けるたびにそれをものすごい勢いで消えていく様を見 て、オレはその光景に立ち尽くした事がある。からんからんと放り出される骨。お前の胃袋はどう なっているのだと心の中で突っ込みをしつつ、支援一式掛けた記憶がある。  昔、大食い王選手権とかテレビで見たことあるけど、あれがかわいいとさえ感じてしまう。 「じゃあ、今食べてるこのご飯もプレイヤーから見たら回復中に見えるんじゃないですか?」 「……どう、なんだろうなあ……」  食卓囲って皆で食事は普通にありえる光景とは言え、それをプレイヤーから見たら仲良く回復し ている風に見えたりするのだろうか。  そう考えたら、オレ達の行動もプレイヤーから見たらカオスなんだろうなあ…。  いつもの朝食の団欒もなんだか久しぶりに感じるのは、記憶が抜け落ちている所為だろうか。  食べ終わって、食後のお茶を飲みながら何気なく考える。そんな折、とん、と身体に何かが当た り――食器を片付けようとしていたルフェウスの手が当たったのだ――その衝撃で、熱いお茶が一 気に喉に入り込む。 「あぢっ!」 「あ、ごめ」  すぐに治る、大した事はない火傷。  なのに、その瞬間ぞわりと全身が粟立った。  どうしようもない恐怖が襲って、がちゃんとコップを取り落とし、オレは慌てて洗面台に駆け出 す。  やばい、はやく『吐き出さない』と…!  何故だか判らないがそれだけを思って洗面台に頭を突っ込むように入れると蛇口を捻ってげほげ ほと吐いた。  手の震えがなぜか止まらない。立つ足にも力が入らず今にも崩れ落ちそうだった。  ……何故?  理由はわからない。ただあるのは恐怖心。喉の焼ける感覚がオレの頭に危険信号の鐘を鳴らし続 けている。  ざー、と流れる水の音を聞きながら荒く息を吐いて、その場にへたり込む。 「リディック!!」  血相変えてやってくるルフェウスたちに気が付いて、座り込んだまま首をそちらに向けた。 「……あー、わりぃ。  何でもない、別に…拒食症って訳じゃないと思うんだけど……」  あまり心配を掛けさせたくなくて、へらっと笑う。心臓が早鐘のようにどくどくと脈を打ってい てなかなか収まりそうにない。やってきたみんなのその顔は不安と心配とが入り混じっている。ラ ルさえもそんな顔をしているのだ。それだけオレの顔色は悪いのだろうか。 「…ご、ごめん…」 「な、なに謝ってんだよ。それを言うなら今朝のオレの方がひどいっての。大丈夫だって。ちょっ と驚いただけだし、たいしたこと、ないって」  ぶつかった事を言っているのだろうルフェウスにオレは大丈夫というように手を振って笑ってみ せるが、心なしか引き攣ったようになるのはまだ収まらない動悸の所為なのだろう。  震えの止まらない手で胸を押さえ、無理やりその動悸を抑えようとしても無駄だとはわかってい るのに、そうでもしないと落ち着かない気がして。  怖い。なんだかわからないけどとても怖い。  気を抜いたら、暗い淵にすとんと落ちてしまいそうな錯覚に陥ってしまう。  そんな折だ、ふわりとやわらかくて温かい包み込むような感触が訪れた。そしたらさっきまでの 恐怖心が薄れ動悸も落ち着いてきた。  安らぐその感覚に目を開けてみれば、次の瞬間さっきまでとは質の違う動悸に見舞われる。  ……何故ってねフィーナに抱きつかれてました。  わたわたと慌てているオレに気がついたのか、上目遣いでこちらを見るフィーナの顔は安堵の色 があり。  ぼん、と急激に頭に血が上り真っ赤になったオレを見て、 「……心配して損した…」  と言うラルの言葉が耳に入った。 「…おかしいよなあ…、今までこんなことなかったんだけど…」  部屋に戻って、身支度をしながら先程の事を思い浮かべる。  熱い物飲んだだけで吐くって何処の『よう、ゲロ吐き大将軍』なのやら。  部屋に戻る際、何気なしに聞いてみても、誰も何も言ってくれなかった。知らないのか、知らな くて良いことなのか、『知らない方が良い事』なのか、そこまではわからない。  いつもの法衣を身に纏って、鞄の中のアイテムを確認しているその時、コンコンとノック音が聞 こえた。 「どした?」  当然ノックをするのは誰かはわかる。扉越しに問いかけてみれば、そっと開くその扉。 「あの、リディックさん。  ……今日何処か行きませんか?」  躊躇いがちに言うその言葉にオレは数度瞬きをする。 「…何処かって……?」 「前に言ってくれたじゃないですか。この世界を見せてくれるって。  私、ここに来て結構経ちますけど、自分が必要とするマップしか行った事がないんです。  だから、この目でいろんなところに行って見たい。  でも、一人じゃ寂しいから、その、リディックさんも一緒に、と……」 「…え……」  こ、これっていわゆるデートの誘いと言うものでしょうか!?  いやまて、落ち着け。  フィーナはリアルで彼氏持ちだ。  つまりだ、これは純粋にこの世界を見て見たいという事でしかないはずだ。  落ち着けリディック。下手な手出しは状況を悪化させるぞ? 「…戦うわけじゃなくて、ただ見たいだけって、やっぱりそんな暇ないのはわかっているんです。  私のレベルを上げることが、みんなの帰る手段になると知ってるのに…、そんな事言うのって私 我侭だなって思うんですけど…」 「そ、そんなことないって。  今までフィーナがやってきた事を考えたら誰もなんも言えないよ。  …惰性で半年間レベルも上げないで来てたオレが、なんでフィーナに我侭だと言える?  一人で頑張ってきて、それだけ強くなって。  普通だったら痛みの伴うその攻撃を受けてたら、戦うことを躊躇すると思う。  オレもそうだったしな。  道草食っても良いと思うよ。  ……なんていってもこの世界は普段体験できるものじゃない。  遊び尽くす感じじゃないと、もったいないだろ?」  フィーナはオレの言葉に顔を伏せる。 「…私……、…………った…」  ぽそっと漏らしたフィーナの言葉は最後まで聞き取れなかった。伏目がちの彼女の顔を見てオレ は首を傾げた。 「そ、そうだ、リディックさん。  これ、受け取ってもらえますか?」  何かに気が付いたようにぱっと顔をあげ、差し出されるその手にオレはそれを受け取った。  見ればそれはパーティ加入の要請バッヂ。 「…え?」  ルフェウスからギルド加入を受けた時、PTも抜けていることに気が付いていた。  抜けていることには別に驚きはない。だけど、いまフィーナから受け取ったそのPT名にオレは 小さく声を漏らす。  見覚えがあるとかじゃない。オレ自身が作った記憶のあるその名前。  フィーナとのレベルが下限公平に入ったとき、いつか渡そうと思って作っておいたそのPTを、 何故彼女から受け取る事になったのかそれが判らない。 「……なんで、フィーナが…?」  聞いてみても彼女から返ってくるのは少し寂しそうな微笑だけだった。  答えは返ってこない。だからと言ってそれを不審に思うことはしない。  隠している、ということは相手の事を思っての事だろうとオレはそう考えている。  心配を掛けさせないため、後悔させないため。みんなのする隠し事はそればかりだったから。  優しすぎるとか、もうちょっと信用してくれよとか、言いたい事はあるけれど、それをオレが口 出しする必要はないのだろうと思う。  めちゃくちゃなポタメモに首をかしげながらも、とりあえず近場のゲフェンにオレ達はカプラを 使って飛んだ。 「町から近いんだけどさ、通過マップで人はあまり留まらないんだ」  ゲフェン西、大きな橋を越えていく。  川幅は広く、向こう岸は霞んで見えるほどだ。  橋にはポリンやファブル、チョンチョンなどもいるが全部非アクティブ。そちらから襲ってこな いし、敵でもない。 「…そういえばゲフェンは来た事なかった」  橋を渡りながらフィーナは辺りを見ながら呟いた。  狩りを優先にしていた為、フィーナが知っているマップと言うのはこの世界の極僅かなのだろう。 送り出したり、迎えに行ったりで、フィーナの行った事のあるマップは大体オレも把握していた。  長い橋を渡りきり北へ進む。グラストヘイムに程近いゲフェンの地は下手に移動すると厄介なM OBも出てくるが、その場所に足を踏み入れないように注意していればそれで充分だ。  ここに来て数ヶ月、この世界の風景に慣れはじめてはいるフィーナは、それでも辺りを伺いなが らオレの後を付いてくる。  どういう風に連なっているのかわからないその場所は、階段のような段差があり上の方には小屋 が見えた。 「到着、と」  たどり着いた場所。ゲフェン西の見晴台。大きな橋と川、そして遠くのゲフェンの塔の見えるそ の場所。 「近場の良いところというと、やっぱりここかな」  高い位置から見下ろすその風景は壮大で綺麗な場所だとオレは思う。ゲフェン北の方にある見晴 台もいい場所ではあるが、若干遠く、とりあえず的な意味でここに連れてきた。  フィーナの方を見たら彼女は言葉を失くした様に呆然とその風景に目を奪われているようだった。  その表情にオレは連れてきた甲斐があったと顔を綻ばせる。  切り株のベンチに腰を下ろし、傍に生えている輝く草をなんとなく毟ってみて。そうしているう ちもフィーナはただただそこに立ち尽くしているだけ。 「…フィーナ?」  その様子にオレはフィーナの顔を覗き込んで、びくっと身体が強張った。  ぽろぽろと大粒の涙を零しているその姿。  …お、オレ、なんかまずいことした!? 「フィ、フィーナ…?」 「…え?あ…」  恐る恐る声を掛けてみればフィーナは自分が泣いていたことに気が付いて、慌てて目をこすりだ す。 「…ち、違うんです。凄く、綺麗なところだったから…、私ったらつい…」 「……大丈夫?」 「ほんとに何でもないんですよ?  ごめんなさい、驚かしちゃって」  慌てて取り繕うその様子にオレは数度瞬きをして、小さく笑った。 「やばいなあ。オレ、フィーナを泣かして帰る事になるのか…?」  その言葉にまだまだ見所はこれだけじゃない、と言う意味を含ませれば、 「大丈夫、大丈夫ですって」  フィーナも抗議する様に手を振って笑って答えた。