「フィーナ、後ろ飛べ!」  とあるダンジョン、沸きの激しいその場所でオレはフィーナに声を放つ。  四方から囲まれている状態、範囲攻撃手段の弱いオレ達にとって囲まれることは窮地に立たされ ることを意味し、取り返しの付かない状況に陥る前に切り開く必要があった。  フィーナもその言葉の意味をすぐに理解し、そのテコン系のもつスキルノピティギでMOBの頭上 を飛び越える。 「ファイアーウォール!」  もちろんハイプリーストであるオレがファイアウォールのスキルを持てるわけはない。今のは大 半の人が使った事があるだろうスクロールを使用している。効果範囲はフィーナが飛んだ逆の方向 だ。一時の足止め、INTが高いわけじゃない、FWのレベルも5と壁としては些か不安定でもあるが それでもないよりはずっとマシだった。  元々マジ系を扱った事のないオレにとって、縦置きといったマジスキルには苦労させられたが、 何度かラルに使い方を教えてもらいながら、今では何とかある程度使えるようになっていた。 「こっちから先に落とすぞ!」  背後はFWで時間を稼いでいる。乗り越えられる前に退路の道を切り開く。 「マグナムブレイク!」  状態異常を促すためのMBをフィーナと挟み込んだMOBの中心に打ちつける。爆風が舞い、その風 に飲まれたMOBは崩れ落ちるように倒れる。  催眠効果もそれほど長くは続かない。背後のFWももう間もなく食い破られるだろう。  いくらMOBであれ、無抵抗の敵に武器を振るうのは抵抗があるが、下手に手を緩めるとこっちが 逆にやられてしまう。  幾度の攻撃に地に消えるMOB。挟み撃ちの前に一角を切り崩し、オレはフィーナと合流をした。 「…ちょっと、厳しいかも、ですね」 「これだけ湧くのは予想外だった」  日曜日の午後それなりに人は多く、効率から言えばここはそれなりに人気はある。横脇が頻繁に 起こり、殲滅に時間を食えばそれだけ囲まれる状況に追い込まれる。 「…戻って、場所変えるか?」 「いえ、行きましょう」  下がる事も無くフィーナは武器を構える。強い意志を持つその横顔に、オレは小さく頷いて特化 のチェインを持ち直した。  どっ!  鈍い衝撃をその手に感じ、最後に残っていたMOBはようやく地に伏せる。 「…ちょっと、無茶したよな…」  満身創痍の体たらく、SPも殆ど使い果たして地面に座り込む。 「これだけの数、避け切れませんものね…」  傷を受ければカアヒが発動する。SPを使用しHPに変換するそのスキルは万能にも見えるが、被弾 が増えれば簡単にSPは枯渇する。  マグニフィカートを掛け僅かの休憩をとるその傍でMOBが沸いた。 「また横湧きか!」  慌てて立ち上がる。1体だけなら何とかなる。二人掛かりで現れた直後のMOBを打ち倒したとき、 天使が舞い降りた。 「……え?」 「あ」  驚いてその天使を見て、そしてオレはフィーナを見た。 「……もう、レベル上がる頃だったのか…?」 「みたいですね」  その顔に僅かの苦笑を貼り付けてフィーナは言う。オレはそのフィーナの足元、光り輝くそのオ ーラを見て気の抜けたように座り込んだ。 「発光式とかちょっと考えてたんだけどなあ」 「……考えてみればオレも自分の経験値で計っとけば良かったと思うよ、経験値テーブルの確認怠 ってたわ」 「ご、ごめんなさい…?」  家に戻ってみれば、オーラを見てルフェウスが驚いて迎えてくれた。 「全くリディックといいフィーナといい、初めてのオーラだと言うのに、なんと言うか淡白すぎだ よほんとに」  深くため息を吐いてルフェウスはソファに座り込む。 「でもだからと言ってオレ、枝発光なんて恐ろしいマネはしたくないなあ」  何が出るか判らない古木の枝で召喚したMOBを倒して発光、と言うのはゲーム中ならよくある光 景だが、自分で処理できる相手ならともかく、うっかりとんでもないものを引き当ててしまったら、 それはもう阿鼻叫喚だ。 「あの、この光ってずっと出っ放しなんですか?」  フィーナは足元を指差しながら首を傾げる。そう言えばこの光がずっと出ているのはやはり色々 と弊害が出てきそうではあるが、消し方など判るはずが無い。 「オーラ消すコマンドあったよね、やってみた?」 「いや。でもあれって他人のオーラ消すコマンドじゃなかったっけ?」 「ものは試しだし、やってみたら?」  ルフェウスの言葉にフィーナは頷いてそのコマンドを実行する。すると今まで眩しい位に光って いたオーラはフェードアウトするように消えていく。 「…消えた?」  オレの目からは消えているが、フィーナの目からはどうなのか尋ねてみる。 「消えてます」 「それで見えなくなるのかー」  オレは即転生したわけだし、オーラを消すという必要は無かったのでその状態に感嘆の声を上げ た。 「……これで、土台は完成したと言うことかな」  小さく笑いながらルフェウスは言う。土台。オレ達が戻る為のその手段。 「長かったね」 「ああ、長かった」  こちらの世界に紛れ込んで1年とちょっと。初めて来た時はまさかこんなに長くいることになる とは思わなかった。  現実の世界にはありえない力を持って、現実の世界にはありえない生き物と戦って、そして現実 の世界ではなかなか味わうことの出来ない辛い出来事や感動することもあった。 「……わかっちゃいるけど、結構くるものあるな」 「慣れすぎたんだろうね、この世界に。  だけど、このままで良いなんて僕は思わない。  本来はこの状態こそが異常なのだと再認識しなくちゃいけないんだから」 「…現実すぎる夢だと思って、か。  オレ、こっちのクセついて帰ってから馬鹿やりそうだよ」  苦笑交えて手を動かす。ヒールの動きやブレッシングの動きは最早無意識に出てくる。特に無詠 唱のスキルは便利なものほど使う頻度は高く、それが現実でうっかりやってしまうと頭のかわいそ うな人に認識されてしまいそうだ。 「……望むなら、この世界の記憶をなくすことも出来ますけど」 「フィーナ…?」  控えめにフィーナはオレ達に向かってそう言った。 「記憶が無ければきっとそのような事することも無いでしょうし、無いものに感傷することは無い ですから」 「どうしたんだよ、そんなこと言って。  オレはこの世界の記憶を消すなんて思いたくは無いな。  辛い事や苦しい事は沢山あったけど、それ以上に得たものは大きかったし。  壮大な映画に出演していたと後で思い返すことも出来るし。  そりゃ、こっちの事を知らない人に話したら電波だと思われるだろうけど。  現実の世界とこっちの世界は接点は無くても、この世界の記憶は絶対無駄じゃないと思う。  消したいと思う人っているのかな…?」 「いるだろ、中にはさ」 「…ラル?」  いつからそこにいたのか、玄関から戻ってきたらしいラルはこちらの方を向かずに羽織っていた マントを外す。 「絵空事で片付けるには大きすぎる代価払っている連中だっている。  この世界で何をしたか、何を思っていたか。  例えば死ぬ事に馴れた奴とか、例えば殺す事に馴れた奴とか。  MOBであれ人であれ何かを消す事を知っちまった奴はそれを日常に当てはめてしまうこともある だろうさ。  良心と言うものが残っているなら消したいと思う奴もいるんじゃねえの?」  すたすたとオレ達の前を横切り二階に上がる階段へ向かっていく。 「…ラル、お前…」  その動きを追いながら声を掛ければ、ラルは壁に手を着いて何かを考えるように俯いた。 「……俺は、そうだな。消せるなら消してもらいたいと思っている。  そりゃお前らとのやり取りは楽しいと思っていたさ。  だけどよ、俺は現実に戻って普通にいられる自信なんて無いな。  WIZとしての戦い方に慣れちまったし、何よりも死ぬことに対してなんの感情も沸いてこねえんだ。  よく言うだろ、『死ぬ勇気があるなら何でも出来る』ってさ。  俺、死ぬのに勇気だの躊躇だのもう無いからさ。  そんな人間が現実の世界に戻って……、先考えたら少し怖くもなるわな」 「…な、なあ、そういうのだけ消すとかそんな都合の良い話ってある…かな?」  ラルの言うその言葉にオレは戸惑いながらフィーナに聞いた。  憶えていては都合の悪いもの。  ラルほどにではないけれど、オレだって怪我をすることに馴れてしまい、かつヒールと言う瞬時 に回復できるスキルを常時使ってきた。うっかりその感覚を現実の世界に持ってきてしまったら…。  いや、現実で今まで見たいな戦いがあるわけが無い。今は平和な御時世だ、そりゃ犯罪とかある だろうけど、遭遇する頻度は明らかに低いけど…。 「…さあ、どうでしょう?  決められた単語…というのか、一つの固体を塗りつぶすことは出来るでしょうけど、戦いの記憶 となると他の記憶との接点が複雑に絡んでくるから……。  やってしまってダメでしたとなってしまった場合、やり直しは効かないからリスクはとても高い かと…」  フィーナは残念そうにこちらを見る。  オレにしてもラルにしても戦いは日常だったから、そんな曖昧な条件では消すことは無理なのだ ろう。 「…そっか…」 「俺はここで何をしてきたか、と言う記憶のリセットには未練はないな。  …ま、その片隅にでもお前らに会ったと言う事が残ってたら……。もしそれが出来るなら望みた いとは思う。  無理は言わない。出来る範囲で良い」  そう言ってラルは二階に上がっていく。 「…色々難しいよね。こういうのって」  ラルを見送ったままルフェウスはポツリと呟いた。  翌日、オレは姐さんと連絡を取り、今ジュノーにいる。  ヴァルキリーに会うためにここに来ていた。 「ヴァルキリー…か」  ユミルの心臓への道すがら、姐さんは独り言のように呟いた。姐さんは1年半以上、オレは数ヶ 月ぶりにヴァルハラに向かう事になる。 「初めてこの道を進む時はこれで終わると思っていた。  そして今この道を進むこととなるとは、つくづく数奇なものだと思えるな」 「ごめん、姐さん」  どんな思いでここを歩いたのだろう。姐さんの心情はオレにはわからない。姐さんとの立場が逆 だったら…オレは多分ここに近づくこうとは思いたくない。  そう思うと呼んだ事は姐さんにとって辛い過去を引き出すようなものになる気がしてオレは下を 向く。 「何故お前が謝る?  私は感謝しているのだぞ?  お前がここに来なければ私達はどうなっていたのかすらわからない。  お前がいて、フィーナがいて、そして今こうして戻る手筈も揃った。  ……私はな、初めこそこの世界で朽ち果てても良いと思っていた時がある。  だが、レンに会って皆に会って…、このままじゃいけないと、戻らなければいけないのだとそう 強く思った」  姐さんは言葉を切って両手を広げると、オレとフィーナの首に手を回し自身に引き寄せた。 「現実の世界でお前達に会うのがとても楽しみだ。  嫌だと言っても私は会いに行くつもりではあるがな。  無論、レンとだ。見せ付けてやるから覚悟しろ」 「えっ!?」 「…ちょ、姐さん、それはいじめか!?」  オレとフィーナの関係は姐さんだって知ってるはずなのに、知ってるはずなのにー! 「あっはっは、世の中には略奪愛と言うものもあってだな」 「姐さんっ!!」  可笑しそうに笑いながら姐さんは手を放し、心臓部まで歩き出す。 「……え、…えっと…」 「…そ、その…」  姐さんの言葉がリフレインしてオレはフィーナの方を見る事が出来ない。フィーナもその様子で もあった。 「と、とりあえず、今はヴァルキリーに会うことを念頭に…」 「そ、そうだよな。これからの事はこれからと言うことで……」  あえて何も聞かなかった事にしよう。うん、そうしよう。  先へ行く姐さんの後を追ってオレ達は歩き出した。 「良くここまで参りましたね」  ヴァルハラの奥、翼を持つ金髪のオッドアイの女神ヴァルキリーはオレ達を向かえ静かに口を開 いた。 「貴方には辛い思いをさせてしまいました」 「いや、私はただ運が悪かっただけ。今がある以上、もう終わったこと。  今は後悔などしてはいない」 「貴方は本当に強い方ですね」 「皆がいたから私は今を生きている。そうでなければとっくに潰れていたはずだ。  強くなどは無い。皆に支えられていただけだ」 「そうですか…」  ヴァルキリーは優しく微笑み、姐さんもそれに返す。 「では少々時間をいただけますか?  彼女に力を与える時間を」 「…つまり、オレ達は席を外せということか?」 「ええ。これは本来あってはならないこと。不用意に他者の耳に入れるべき事ではないのです」 「ならば仕方が無いな。向こうの部屋で待てば良いのか?」  視線を奥の部屋に移せばヴァルキリーは頷く。 「ええ。終わりましたら呼びましょう」 「じゃあフィーナ。何をするのか判らないけど、頑張ってな」 「……はい」  オレ達は示された部屋に向かう。入り間際フィーナの方を見れば、彼女は何故か酷く思いつめた ような顔をしていた。  大変なことなのだろうか?ヴァルキリーも先程まで浮かべていた穏やかな表情では無いようで、 その様子を遠めに眺めながらオレは部屋に入って行った。 「…で、本当に関係を断ち切る気か?」 「…えー…と、姐さん?」  部屋の中は作りの良い調度品が並んでいる。華美、とまでは行かないけれど高級感漂うその室内 のソファに座った直後、姐さんはオレの顔を見てそう言った。 「姐さんも知っているだろ。  フィーナには現実の世界に彼氏がいるって。  オレがフィーナに干渉できるのはこの世界だけなんだって」 「それにしても解せないのが、挙式しておきながら誓いのキス無しとはどういうことだと聞いてお きたい」  腕を組み少し呆れの混ざった視線をオレの方に投げかけて、姐さんはため息と共に言葉を紡ぐ。 「……い、いや、そ、それはっ、指輪の交換だけでって話で…。  そ、それに、その、キスは、その、ね、改めて、意識すると、ねぇ?」 「情け無い!初心な乙女か貴様は。  そもそも公衆の面前で己の世界を作った者の言葉とは思えぬぞ!?」 「………。  ちょ、え!?ちょっと待って。姐さん、それ、何処から…!!?」 「この間、声を掛けそびれてしまったのだが、アコライトがマリンスフィアの特大版らしきものを 持って走っていったのを見てな。そこから推測してみた」 「…しっと団!?と言うか、どうやってそこから推測できるんだよ!?」 「そんな事はどうでも良い。  数いる娘のアプローチにも無関心だったお前の…恐らく初恋だろう?  ……きっかけは私だったか?いやそれは関係ないな。  とにかくこのままで終わらせて良いはずも無いだろう」  いや、よくないし。  と言うか、あー、初恋、だったんだ。うん、そんな感じかなあ。  だったら少しは納得できるかなー、初恋は実らないって言うし。大丈夫、心の整理はつけている …はずだし。 「このまま終わらせるってのが一番良いんじゃないかなって思ってる。  下手におかしな事をしてぐだぐだになるのは嫌だし、フィーナとは向こうであっても友人関係で いたいんだ。多くは望まないよ」 「…潔すぎはしないか?  猛る欲望とか無いのか。  男など皆ケモノだと言っていたぞ。  それくらいの甲斐性もあって良いだろうに。  まったくもって嘆かわしい」 「やめて、姐さん。なんか姐さんからそんな台詞聞くのは何か間違っている気がするんだけど」 「私が言うのは変か?  どういう目で私を見ているのかは知らないが、私とて一人の女だ。  他人の色恋沙汰に多少は興味もある。  強引に押し倒して事に運ぶ展開も場合によっては有りかと…」 「まっ!?ちょ、まっ!!!  押し倒して事運ぶってそれって…!」 「……あ、あの…?」  へ?  声は斜め後ろの方から聞こえてきた。若干控えめ、というか引いた様な響きが込められているの 感じるのは気のせいじゃないと思う。 「ああ、終わったのか?」 「…え、ええ…」  今までの事はなかったかのように涼しげな顔で姐さんは言う。その姐さんが声を掛けた方向にぎ ぎぎと音を鳴らしながら振り向けば、そこには何やら気まずげなフィーナの姿が…。 「……い、いつから…?」 「だ、大丈夫ですっ!私は何も聞いてませんっ!」  いや、聞いてるだろ!?その言い方は絶対聞こえているはずだっ! 「では戻るとするか。  確かここから各町に飛ぶことが出来たはずだな」  そう言って姐さんは立ち上がる。  あの姐さん、地雷撒いて立ち去るってどうかと思うんだけど。 「リディックさんっ、私は何も聞こえてないので問題なく帰りましょう!」  何故か力説しながらオレの背中を押すフィーナ。 「………」  結局家に着くまでフィーナの方を見る事は出来ずに、オレは姐さんの言葉を頭の中から撤去しよ うと必死になっていた。   「準備は整いました。後はいつでも…帰ろうと思えばいつでも大丈夫です」  家に戻りフィーナはオレ達を見てそう言った。 「いつでも、か。  だったらすぐに、と言いたいところだけどこっちもある程度身の回り片付けておかないと」  ルフェウスは顎に手を置き考える。何かを思案している時のクセだ。 「そういや戻ったらこの家使えなくなるってことだよな」 「うん。そりゃゲームに関係ないものはどうしようもないけど、装備とか消耗品とかそう言うのの 片付けもして置かないといけないし、戻ってそれでおしまいなのだろうけど、この世界の人を知っ た今、いきなり消えるというのもいい加減だしね。  とりあえずこの家は引き払う方向で持って行っても大丈夫だよね」  ルフェウスはぐるりと自分が購入したこの家を眺めながら言う。  この家に住みだして大体9ヶ月くらいだろうか。期間としては決して長い方では無いけれど、そ れなりに思い出もあったりする。 「そうだなあ、一応手続きとか処分とか…1週間くらい見ておかないと厳しいかな。  それよりもケルビムさんの方がもっと大変だと思うけど」  ルフェウスは指折り数えながらそう言った。  確かに個人宅とは違って姐さんの所は宿舎でありそこを処分するとなると、こちらの比では無い だろう。それを考えたら1週間でも足りるだろうか? 「ま、四の五の言っても仕方ないし。  カプラの倉庫あけも必要だろうから、余分なもの早めに持ってきてよ。  売ってくるからね」 「そうだな。うん、なるべく早めに処理しとく」  ルフェウスの言葉にオレ達は頷いた。