そして、時間は経って今日この世界との決別の日がやってきた。  人の少ない過疎マップでこちらに来たリアル達が集まっていた。  皆思い思いの表情を浮かべているのはこの世界に色々な感情があるのだろう。 「一人ずつ送り出すことになるんですけど、それほど掛かりませんから」  フィーナはそのリアルたちに軽く説明をしていく。 「絶対、大丈夫なのかよ…」  不安そうな表情を浮かべる彼らに対し、フィーナははっきりと「大丈夫」と伝える。  ようやく戻れるとしても、やはりそれでも躊躇はするのだろう。 「誰から帰りますか?」  その言葉に皆が見たのは姐さんだった。初めにこの世界に来たリアル。この世界の事を調べ、自 分達を導いてくれたその人。 「やっぱ、マスターからだよね」 「今まで本当にありがとう」  RSのギルドメンバーは口々に姐さんに感謝の言葉を綴る。  姐さんはその皆を見て、とても優しい微笑を浮かべていた。 「…今まで、至らないところが多くあったと思う。  私は器用な人間じゃないから、皆を助けることも満足に出来なくて。  私がもっとしっかりしていればと思うこともたくさんあったわ。  今、私がここにいるのも皆のお陰よ。  元の世界に戻ったら…、こちらでもいい、現実でもいい。  必ず、……必ずまた会いましょう」  その声はとても優しげで、いつもの口調では無いその言葉に中には泣き出すものもいた。 「…では、いきますよ」 「ええ、お願い」  フィーナは手を翳す。その口から紡がれる言葉は理解は出来なかった。まるで異国の歌のように 流れるその音は小さいながらもよく響いて聞こえた。  青白い光が姐さんを包み、そして姐さんはまるで掻き消えるように姿を消した。まるでテレポー トしたかのようなそれ。 「……ログ、アウト」  誰かが呟いた。意識を失ったときに訪れるその状態は、今はそれではなく、このラグナロクオン ラインというゲームを終了した状態になっているようだった。  姐さんを最初に次々とログアウトしていく皆。  ソウルリンクには大量のSPが消費されるが、こちらには教授のダークがいる。  SPが少なくなった時にソウルチェンジが行なわれ、まるで儀式のようなそれは滞ることなく進ん でいく。 「向こうに戻っても友達だからねっ!」  フィーナの手をしっかり握りながらカイはぽろぽろと泣いて、その彼女もこの世界から消えてい く。 「……さて、これくらいならSPの余裕もあるでしょう。  フィーナさん、お願いしてもよろしいですか?」  そして今残っているのはオレ達だけ。SPの消費する量を把握しているらしくダークは一つ息を吐 いてフィーナを見た。 「今までお疲れ様でした。  出すぎたマネをした事、ご容赦願います」 「…あ、いえ、そんな」 「では、またいずれ」  微笑んだその表情のままダークは消えていった。 「随分寂しくなっちゃったねえ」 「もう残ってるの俺らだけだしな」  日は落ちかけているらしい。さして時間は掛からないとは言ってもやはり、最後の時思い思いの 感情があるのだろう、やはりそれなりに時間は過ぎていく。既に閑散としているその場所は更にも の哀しさを語るような雰囲気に包まれていた。 「よし、とっとと戻るとするか」  ラルはそう言って立ち上がる。その口調はとても軽い。 「とりあえず、憶えていたらまた会おうな。  記憶が抜け落ちているんだったら、通じないこともあるかも知れんけど」 「そう言って電波扱いするのは勘弁してくれよ?」 「さあ?どうだろ」 「じゃあ、またね」  ルフェウスの言葉にラルはそちらを見る。『またね』と言ったその言葉にラルは笑った。 「そうだな。  ……またな」  誰もさよならとは言わなかった。必ず会おうと帰る時そう言って行く者ばかりだった。  そしてソウルリンクは行なわれて、ラルも皆と同じように消えていく。 「…じゃあ次は僕の番かな」  残ったオレとフィーナを見てルフェウスが言う。 「この世界なら最後まで『ルフェウス』としてお礼を言っておこうかな。  今まで本当にありがとうね。  僕も結構上からもの見てるような事ばっかり言ってごめんね。  たくさんからかわせてもらったし、楽しかったよ」 「…ほんとにお前には言いたい事たくさんありすぎだぜ」 「あははー。だって判りやすすぎるんだもんリディックは。  裏が無いのは良いことだと思うけど、悪徳商法だけには引っかからないようにね」 「なんだよそれ」 「そのままの意味だけどね。  ……それから、フィーナ。  本当にお疲れ様。今まで辛いこととか多かったと思う。  君がここに来たから、僕たちはこうして現実に戻ることが出来るんだ。  感謝してもしきれないよ。  …だけどね最後に一つ言いたい事があるんだけど」  ルフェウスは困ったように息を一つ吐く。 「フィーナ、自分の心に嘘ついちゃだめだよ?  僕はそんな君を見ているのがとても悲しいんだ。  だからまた会った時もそんな感じだったら、説教してやるからね?」 「……え」 「じゃあ、あとは若い者に任せて年寄りは去りますかねー」 「いや、お前その台詞ってどうよ!?」  まるでお見合い時の保護者(?)的台詞に突っ込みを入れればルフェウスは笑って返す。 「じゃあ、また今度。  次は『私』と会いましょうね」  軽く手を振って、まるでそれを合図にするようにフィーナはルフェウスを現実の世界に帰した。 「行っちゃったな」  消えたその先を見ながらオレは呟いた。  今この場に残っているのはオレとフィーナの二人だけ。日は既に暮れて、夜に程近い。 「…それじゃあ、リディックさん、また…」 「…うん」  頷く。きっとまた会える。これは一時的な別れ。そう思いながら、ふとオレはある疑問を憶えた。 「その前に、一つ聞きたい事があるんだけど」 「……なんでしょう?」 「オレ達を送り出してフィーナはどうやって戻るつもりなんだ?」  何故今までその事に気が付かなかったのかは判らない。この最後の時、ふと思い立ったその疑問 をフィーナに尋ねる。  誰もその事に触れなかった。姐さんもルフェウスさえも何も聞かずに元の世界に戻っていった。 それはまるでフィーナの戻る手段を知っているかのように。 「……え!?」  驚いたその顔にオレは眉を寄せる。何故驚く?そんな意外な質問じゃないだろう? 「…な、なんでリディックさんはその事を『聞いて来るのですか』…!?」  聞いて、来る…? 「ちょ、ちょっとまて、どういう意味だそれは!?」 「…あ、いえ、私はちゃんと…帰れますよ、大丈夫…」 「帰る帰らないを聞きたいんじゃないんだ。『どうやって戻る』のか聞きたいんだけど…」  嫌な予感がした。何故フィーナはそんなに動揺している?聞かれることがおかしいかのように、 何故青い顔をしている? 「…なんで、暗示、かかってないの…?」  酷く動揺しているのか、それは恐らく独り言。消え入りそうなその声は微かなものだとしても間 違いなくオレはその言葉を聞いた。 「………フィー…ナ?…暗示、って…なんだよ…?」 「い、いえ!?何でも無いんですよ。気にするようなことは何も…」 「何でも無いわけ無いだろ!?なんだよ、それ!?」  今日のフィーナの様子はおかしいとオレは思っていた。多分、失敗をしないよう細心の注意を払 っているとか、こちらの記憶を消す事を望んでいる人の操作とかそういう事で、フィーナはあまり 話さないのだと思っていたのだが、彼女の口ぶりからそれとはまた違う意味もあるような気がして くる。 「何か隠しているのか!?暗示ってなんだよ!?  答えてくれよ、答えろよフィーナ!!」  フィーナの肩を掴み、オレは叫ぶように訴える。  困惑のその顔、掴んだ肩から感じ取れる僅かな振るえ。  例え怯えられようとも、例え嫌われてもこの問題をうやむやにするわけには行かない。  膠着状態が続き沈黙が支配する。どれくらい時間が経ったろう、長い時間の果てフィーナは諦め たように息を吐いた。  その顔に浮かんだのは自嘲じみた悲しい笑み。 「……私は帰る必要はないのです。  いいえ、帰る場所はもう、ないんです。  だって、…だって私……」  言葉を切る。言いよどむ様に俯いて、そして僅かな沈黙が降りる。  オレはフィーナを急かす事はしなかった。  何を考えて、何を言うのか。帰る場所が無いというその言葉に、言い知れない不安が胸中に渦巻 いてくる。 「だって私……」  フィーナは意を決したように顔を上げた。その目に浮かんでいるのは底知れない悲しみの色。 「もう、死んでいるんです」 「……………………………え?」  『モウ、シンデイル』…?  意味が、わからない。  何を、言って、いる? 「……う、嘘だろ…?  何言ってんだ?  フィーナは、ここに、いるだろ?  悪い冗談は、やめろよ…」  言葉の意味が判らなくて、だけど身体はその言葉を理解したかのように小さく震えだす。  オレの言葉にフィーナは首を横に振った。 「以前リディックさんが言っていたじゃないですか。  作り物の身体に入った精神が私たちなんだと。  現実の世界の私の身体はもうなくなっているんです」 「……な、なんで、そんな事を知って…」 「こちらに来る直前の出来事を思い出しました。  私、自殺したんです。  あの日、私は彼に呼ばれました。  別れ話、でした。  他に好きな人が出来たから、別れようと。  うすうす勘付いてはいたんですけど、それでもまだ信じていたくて。  頭が真っ白になって、信号が赤なのに気が付かなくて、私は……」 「やめろっ!!」  聞きたくなくて、信じたくなくて、オレはフィーナの言葉を遮るように叫び、そして強くその身 体を抱きしめた。 「死んだなんて、嘘だろ!?  オレは今こうやってフィーナを抱いているのに!?」 「嘘じゃないわ。本当なの。  私は覚えている、近づいた車の色も形も運転している人の驚きに満ちた顔も。  酷いよね、悪いのは私なのに、あの運転手は大変な目に会っているわ。  最低だよね。  自分勝手な私はこんな結果で当然だよね」  その声は嫌に静かで落ち着いていて、オレでもはっきりと判るほど自分を否定するようなそんな 響きが込められている。 「やめてくれよ、フィーナがいなかったらオレ達はみんな大変な事になっていたんだ。  なんでフィーナがそんな事にならなくちゃいけない?  なんでフィーナだけが帰れない!?  ……帰れない…、帰る方法が無いのなら……、オレも…、オレもここに残る。  フィーナだけを残して帰るなんて出来ない…、君を一人にさせたくない…!!」 「……ありがとう、その言葉だけでも嬉しい。  でも、だめ。リディックさん、あなたはまだ生きているから。  あなたを待っている人がいるから、あなたはここにいちゃいけない」 「なんで、そんなこと言うんだよ…。オレは…」 「私は幸せでした。見ず知らずの私にあなた達はとても優しくしてくれて。  架空の世界だとしても、私は花嫁になれました。  私はあなたを愛しています。  私はこの世界で消えるまであなたの事は忘れません。  ずっと、ずっと忘れません」 「オレだって忘れるわけ無い!だから、もう過去の話として終わらせないでくれ…!」 「…いいえ、ごめんなさい。  私は卑怯です。  お願いこの気持ちは私の心の中だけにとどめさせて?  あなたは忘れるわ。帰した皆の記憶の中に私はもういない。そのように帰しているの。  私に関わったことを全部消して、そして現実の世界で幸せになって欲しい。  あなたも他の人と幸せになってね」 「ふざけないでくれ、なんでそんなことを…。  君がいなくて何が幸せだ?君を犠牲にしてどうして幸せになれる?  オレは信じないから、そんな現実なんか信じられるわけがない…!」 「……ごめんなさい。本当に私はあなたを困らせてばかりだわ」  フィーナは困ったように微笑んで、するりとオレの腕から離れる。力は抜いていないのに、事も 無げに抜けて、それはまるで彼女の存在が希薄になったかのような錯覚を憶える。  そしてフィーナは自分の腕をオレの首に回し、顔を近づけて――― 「……あ」  ほんの一瞬、触れ合った唇。突然の事に思考が一瞬停止して。 「ごめんなさい、リディックさんのファーストキス、奪っちゃいました」  悪戯っぽい笑みを浮かべるフィーナ。 「それでは、お別れです。  さよなら」 「…ま、まて、やめろ、フィー…!!」  ぶつ。  最後に見えたのは大粒の涙をこぼしながらも微笑んだフィーナの姿。  次の瞬間にはオレの意識は完全に闇に閉ざされていた。