何度目だろうか。…もう数えるのもめんどくさくなってくる。  向こうにいた時は現実の夢なんて…いや、夢自体滅多に見なかったのに、こっちに戻ったら毎日 とまでは行かなくとも、見る頻度は高い。  …懐かしんでる?戻りたいと思ってる?  いや、そんな事は無い。ようやく元の鞘に納まった状態で不満などあるわけが無い。  だけど、何だろう。何かが足りない。  …戦いの刺激?違うオレは戦闘狂なんかじゃない。  …魔法が使えない?何処の厨二病患者だ。  …………誰かが、いない?  今はまだ療養中の人が多いんだ、いずれいつかまた会えるはず。  ………会える…はず……?  本当に?  誰だっけ。  一番会いたい人がいるのに、それがわからない……。 『あ…、………ック……。  ……今日…………きま………?』 『…何処かって……?』 『前…………くれ……………です…。…の世…………………るって。  ………………て結……ちま………、自………………るマ……しか…った……………です。  だか…………目………んなと…………て……い。  でも、……………しいか…、……、リ…………さん………に、と……』 『…え……』 『…戦………………くて、………たい…………、や……………な暇な……はわか…………………。  ……レベ…を上……………、みん………る…段にな……………るのに…、そん………う………… 我………っ…思う…………ど…』  オレは誰かと話している。  誰かわからない。  霞んだ…いや、塗り潰されたその姿。  女の子?…多分、女の子。  それしかわからない。  ノイズ混じったその言葉は全く聞き取れず、だけど夢の中のオレは極自然に女の子と会話してい る。  ……誰だ?  誰なんだ君は、一体誰……? 「顔色わる」 「……うん」  その日も夢を見た後に訪れるどうしようもない焦燥感や喪失感を抱えて目が覚めた。いや、今日 のは特に酷い。 「最近夢見が悪くて」 「アンタ、夢見る体質だっけ?」 「…この間から、結構頻繁に見るようになったかな」  リビングのソファに座り込んでテレビを見ていた姉さんは、オレの姿を見止めると眉を顰める。 「因みにどんな夢?」 「………え、……んと、なんて言うか…」  姉さんの問いに言葉が詰まる。正直に言ったら笑われるか、かわいそうな人を見るような目で見 られそうな気がする。 「…そうだな、昔、経験した事があるような…、だけど何か足りないような…そんな感じ?  で、起きたら妙に虚脱感とか、焦燥感とかあって」  極力無難な言葉を選んで伝えれば、姉さんはふーん、と唸った。 「飢えてんの?」 「ちょっ、まっ!?」 「全くそんな夢見るくらいなら、彼女の一人でも捕まえたら?  …ま、アンタの事だから恋愛成就する前に破綻パターンが定型だろうけど。  成就以前にそう言う空気すらわからないアンタの事だし。  年齢=彼女いない暦だもんね」 「そ、そんなこと無いって!!  オレだってちゃんと付き合った事くらいあるさっ!!」 「ふーん?アンタが〜?へー」  全く信じてないその口調の姉さんに、食って掛かるように言うオレ。  ……、付き合った…?  ………そうだよ、オレあっちでちゃんと結婚式してる。  オレ、好きな子がいたんだよ。護りたい人、大事な人。じゃなければあっちの世界でME転生なん てするわけが無い。  忘れてる。オレが、その子の事を。  あんなに好きだったのに、どうして、忘れる事が出来るんだよ。  早く思い出さないと、取り返しの付かない事になりそうだ。  妙な頭痛がある。  思い出すなというように、阻害するような頭痛。  ……絶対に思い出してやる。  思い出せばきっと何かが変わる。  そんな気がした。  ―――そして、また夢を見る。  他に誰もいないその場所で、オレは何度か見た正体のわからない女の子と対面している。  オレは、焦っている。今のオレじゃない。夢の中のオレはその子を前に酷く取り乱している。  初めは塗り潰されたその子だけど、何度か会う内にそれは徐々にモザイクがなくなるように形を 変えていく。…だけど、その顔は摺りガラスの向こうにいるように、そこだけはどうしても判らな い。  静かに紡がれるその子の声は全てを諦めたように淡々としていて、その夢を見ているオレにも焦 りを生じさせる。  ダメだ、ダメだよ。言うな、そんな声で言わないでくれ。 『私は幸せでした。見ず知らずの私にあなた達はとても優しくしてくれて。  架空の世界だとしても、私は花嫁になれました。  私はあなたを愛しています。  私はこの世界で消えるまであなたの事は忘れません。  ずっと、ずっと忘れません』 『オレだって忘れるわけ無い!だから、もう過去の話として終わらせないでくれ…!』 『…いいえ、ごめんなさい。  私は卑怯です。  お願いこの気持ちは私の心の中だけにとどめさせて?  あなたは忘れるわ。帰した皆の記憶の中に私はもういない。そのように帰しているの。  私に関わったことを全部消して、そして現実の世界で幸せになって欲しい。  あなたも他の人と幸せになってね』 「やめろっ!!!」  叫びながら飛び起きる。全身から汗が吹き出て、心臓が痛いくらい脈を打つ。  知っている、会っている。  オレはその子の事が誰よりも…! 「…ぅあっ、ぐ…」  頭が割れるように痛い。呻きながら頭を押さえ、その痛みに必死に耐える。 「…忘れ、ない…、忘れる…ものか…っ!」  無意識に出るその言葉。 「ちょっとアンタっ!!どうしたの!?」  どんどんと部屋をノックする音。恐らく姉さんが叫び声に気がついて慌ててきたのだろう。  だが、それに意識を向ける余裕などオレには無かった。  きつくシーツを握り締める。  忘れるな、思い出せ。  ガンガンと激しい痛みを伴う頭に、命令するように。  その時だった。不意に一条の光が差し込んだような感覚に陥って、オレはその名を呟いていた。 「……フィーナ…!」  頭の中でぱりんと何かが割れたような音がする。真っ暗になる視界。闇に落ちていく意識。 「ちょっとっ!ねえっ!?  …お母さん!お母さんっ!!―――が!!」  姉さんの声はフェードアウトするように小さく、消えていった。 「脳波に異常はありませんね」 「本当に大丈夫なんでしょうか?後遺症とか…」  医者の言葉に母さんが心配そうにオレを見た。 「…だから、大丈夫だって言ったじゃないか。姉さんも母さんも心配しすぎだよ」 「馬鹿っ!何言っているの!あんなことがあって心配しない親が何処にいるの!  お願いだから、もう心配させないで…」  怒った様な、それでいて泣き出しそうなその母さんの顔を見てオレはばつ悪そうに頭をかく。  ……そうだよな、普通心配するよ。誰だって心配する。 「ごめんって。…大丈夫だから、……もう、大丈夫だから…」  大丈夫。思い出したから。全部、思い出した。  母さんと病院を出て、道すがらしきりにオレの顔色を伺っている母さんにオレは大丈夫、と笑っ てみせる。母さんはオレの顔を見て数度瞬きをした。 「…あんた、いつからそんな大人びた笑い方するようになったのよ」 「……そう?」 「子供子供だと思っていたのに、急に大人になるのね。男の子って」  その目は昔を懐かしむような光があった。…きっとオレが小さい頃の記憶を思い出しているのだ ろう。 「…止めてくれよ、恥ずかしいなあ」  何を思い出しているのか、なんとなく予想はついて、気まずそうにオレは母さんから視線をそら す。と、その目の端に図書館が見えた。  ――そうだ。 「ごめん母さん、先帰ってて。ちょっとオレ図書館寄って行きたいんだ」  オレはそっちに指を指す。  確かめたい事があった。できるだけ早いうちに、調べておきたい事があった。 「別に今日でなくとも良いでしょうに」 「ちょっと気になった事があるんだって。  いいから、オレ大丈夫だから。心配しなくても平気だよ」  怪訝な顔をする母さんを無理やり納得させて、オレは図書館の方へ走り出した。  死んだなどと誰が納得できる?  オレだって死んでもおかしくない状態だったんだ。  もしかしたら、もしかしたらそれを忘れているのは、君の方かもしれないだろ?  図書館に設置してあるパソコンを開く。見たいのは新聞、特に地方誌。  彼女が向こうに来た日付も、何処に住んでいたかも全部思い出した。  事故なのだろう?なら、たとえ小さなものであれ、記事にはなるだろう?  新聞の日付をその日にあわせて、細かい文字が乱立するその画面を食い入るように見る。  細かい文字を追っていくオレの目に一つの記事が目に付いた。  『意識不明の重体』  顔写真は無い。だけど名前と年齢が出ていた。  車での事故………、彼女である可能性はとても高い。  …重体。つまりはこの日の段階では死んではいない。  他の人の可能性もあるけれど、もし違っていたらまた最初から探してみせる。  向こうでこっちに戻るための手段を探していたオレにとって、それは造作のないことだろ?  その後の新聞を見る。  特に目を通すのは亡くなった人の一覧。  半年分のその欄の中に、彼女の名前は…………………………………なかった。 「…あ、あはは…、死んで、ない…。生きている……っ!」  閉館間近のその中で、オレは震える声で顔を覆った。 ********************************************  白い扉が目の前にある。  あれから色々な伝手を使ってようやくたどり着いた、その場所。  …面会謝絶にはなっていない。だけど扉の向こうにある気配は余りにも希薄で、オレはその扉を 開く事に僅かな戸惑いがあった。  ――別人だったら。  気にするな。そうやっていつも落胆していたのは1年前に沢山経験している。今更それで落ち込 む理由なんか無い。  ここが病院だからこそ、希望は消えてない。最悪の状況はありえない。  扉に手をかけて、そっと開く。  かちゃりとノブのまわった音が耳に届く。  室内は窓から日が差し込み明るい。  ぴ、ぴ、と単発的に鳴る電子音。  白い室内は個室。  ベッドに横になっている誰か。  顔は死角になって見えない。  オレは小さく息を飲んでから、その病室に入っていった。  顔の見える位置にゆっくりと進んでいく。  期待と、不安と、焦燥の入り混じった複雑な心音が胸を突いて。  そしてあらわになるその容姿にオレはその場で立ち尽くしてしまった。  白く痩せ細り、それでも本当にただ眠っているように横たわるその姿は、オレの良く知っている 彼女そのものだった。 「……ようやく、会えた」  問いかけるように、でも独り言のように呟いたオレは彼女の傍に近寄る。  窓際に活けている花は彼女の家族が運んだものだろうか。  ベッドの横にあるパイプ椅子に腰掛けてオレは眠り続ける彼女を見た。 「驚いた?  調べて調べてここまで来ちゃってさ。  オレ、自分が思っていたよりも結構しつこい人間みたいだ」  声を掛けても反応は無い。……判ってる、判ってるよそれくらい。  手を伸ばし、彼女の頬に触れる。  痩せこけてはいるけれど、そこから伝わる温かさは生きていると実感するもの。 「………待っている人がいるなら、帰らなきゃいけないって…言ったのは、……君だろう?」  生きている、それだけで良かったと思ってた。  だけど、眠っているその姿を見てしまったら、どうしようもなく胸が苦しかった。  オレは我侭だから。  怒った顔も、拗ねた顔も、泣いた顔も…………………笑った顔もまた見せて欲しい。  君の声を聞かせて欲しい。  このままなんて絶対に嫌だ。  彼女の細い手を握って、こんこんと眠り続ける彼女を見る。  今君は何処にいるのだろう。  早くこっちの世界に戻ってきてくれ。  オレは祈るように彼女の手を両手で握りしめた。  目が覚めた時、オレは「おはよう」と言おう。  いつかオレが目が覚めた時、君は嬉しそうな顔で「おはよう」って言ってくれたから。  だからオレも君が目覚めた時、笑って「おはよう」と言うから。  だから、早く起きてくれないか?  ここはラグナロクの世界じゃない。  ―――目が覚めたら、現実の世界なのだから。