再誕 -Ragnarok Online- -変調- --- (3) --- 最初に動いたのは今まさに崩れ落ちようとしていたMr.Jだった。 Mr.Jが突如、激しく体を捻り半回転させる。 男の狂気の笑顔が、その瞬間に驚愕の表情に変わる。 Mr.Jの体に深々と突き刺さったままのナイフは・・・当然抜けない。 次の瞬間剥ぎ取られる様に男の手を離れるナイフ。 間髪を入れず、その顔にピロシキの拳がめり込む。 怒りを込めた渾身の一撃。 僕の時よりも大きく吹き飛ぶ男。 更にピロシキは追撃を止めない。 「よくもJさんを!?」 地面に転がる男に馬乗りに跨ると、怒りに任せ何度も男の顔を殴り続ける。 それから後は一方的な展開だった。 男は「ひいぃぃぃ」と情けない悲鳴を上げ、ピロシキの拳から顔を守る事しか出来ずにいる。 それは駆けつけたプロンテラ騎士団(NTI社のガードマンらしい)によってピロシキが引き剥がされるまで続いた。 男はプロンテラ騎士団に取り押さえられた。 身動きが取れない様に羽交い絞めにされた後も、血と涙で顔を歪めながら「アイツはモンスターなんだ、皆を守るんだ・・・僕は正しいんだ・・・」と支離滅裂な言葉を呟いている。 でもそれよりもMr.Jの方が大切だ。 僕らはうずくまっているMr.Jに駆け寄った。 「Jさん大丈夫!?」 「返事しろ!?」 「しっかりJさん!?傷は浅いよ!?」 ・・・ん? 傷は浅い? そう言えばあれだけ深く刺されたと言うのに彼の周りには血の一滴も落ちていないのは何故だ? 「フー、間イッパツだったネ・・・」 そう言うと彼は今だにナイフの突き刺さった懐をゴソゴソを弄る。 そこから出てきたのは・・・ ナイフの突き刺さった『はじめてのラグナロクオンライン ガイドブック』3個獲得 「んなアホな・・・」 「Jさんあの講習受けたの・・・ってえ!? 何で3冊!?」 「アンタ3回受けたのか!? ってか受けたんだな!?」 まるで昔の映画みたいな展開だ。 ナイフは2冊の本を貫通し、3冊目から爪先程度頭を出した所で止まっていた。 間違いなく1冊だけなら深々と体に刺さっていた事だろう。 つーか何で3冊? 「ン、読書用ト保存用ト布教用だネ」 アンタはどこぞのコミケ参加者ですか・・・。 本欲しさにあの講習を3回も受けるのはある意味凄いとは思うが・・・流石に僕は真似出来ない。 でも僕は見逃さなかった。 一見何時もの様におどけている彼だが、その足や手が小刻みに震えているのを。 考えてみれば当然だ、普通の日常生活においてこんな場面に遭遇するなんて事はまず無い。 彼なりに仲間を心配させないようにしてるのだろう。 「デモ・・・」 Mr.Jは今だ取り押さえられて暴れている男を見る。 男はMr.Jが無傷(実際はちょっとだけ刺さった)なのを見てまた興奮し出した。 「生かしておいたら町が滅茶苦茶になる!」「なんでアイツを生かしておくんだ!」「アイツはモンスターだ!」等、血と涙で顔をグチャグチャに歪めながら喚いている。 あの暴れようからすると最初から僕じゃなくてMr.Jを狙っていたのかも知れない。 でも何故?男は本気で彼をモンスターだと思っているのか? まさかゴブリン族の仮面を着けてるというだけの理由で? そんな男を見ながらMr.Jはポツリと呟いた。 「あレはタブン、ロストシンドロームだネ・・・」 --- (4) --- ロストシンドローム(現実喪失症)とは、2016年に心理学者ホフマン・ドーキンスによって定義された精神疾患病の一種だ。 主に描写が精巧すぎるコンピューターグラフィックスやバーチャルリアリティに長時間触れる事で発生する現象で。 余りにも現実に近い仮想現実を直視する事により、現実と非現実の境界線が曖昧になってしまうと言う症状である。 だがこの疾患症の最も重要な所はその症状そのものにあるのでなく。 患者が現実と非現実を取り違え抑制のタカが外れ、非現実的な行動を起こしてしまう所にある。 奇しくも世界は21世紀に入り視覚技術において著しい進歩を遂げ続け、 中でもテレビゲームや映画と言った娯楽分野においては現実となんら遜色の無い映像を創造出来るレベルにまで達していた。 しかしながらそう言った産業技術の発展が、皮肉な事にロストシンドローム患者の増加を助長する結果となってしまった。 ロストシンドローム患者は大衆娯楽が提供する暴力的、あるいは性的な、非現実世界においてのみ容認される行動を実際に現実世界において行い。 結果として2020年現在では、世界規模でこのロストシンドローム患者の犯罪率の上昇が大きな社会問題となっていた。 「確か日本だけで言うなら、ロストシンドロームになってしまうと80%の人間は何らかの犯罪を行ってしまうって結果が出てるらしいよ。」 そう言ってナギは説明を締め括った。 彼は医療関係かなにかを勉強してるんだろうか? まるで専門家のような知識だ。 その隣では相槌をうちながらMr.Jが腹に絆創膏を張っている、と言うか今時バッテン型の絆創膏なんて何処で買ったんだ?ギャグ漫画の中位でしか見ないぞオイ。 あの後僕らはプロンテラ騎士団のゲフェン詰め所に案内され、そこで簡単な傷の手当と事情を聞かれた。 と言ってもいきなり襲われた僕らとしては何も話せる事もない為、小一時間後には開放され、今は近くのベンチに座って気持ちを落ち着ける為に話し込んでいた。 「でもよ」 ピロシキが拳にテーピングしながら尋ねる。 男を全力で殴った彼の拳は皮が剥け、男に負けず血だらけだ。 「最初にこのゲームを始める時にそこら辺のチェックは全部したろ?医者の診療だって嫌になる位受けたんだしよ」 「そうだね、このゲームの参加条件が事前の診断書の提出に加えて参加直前にも健康診断があるし、ロストシンドローム患者が参加出来るような余地は無い筈なんだけど・・・」 ナギも頭を頭を悩ませている。 ふと、僕はなんとなく頭を過ぎった事を言ってみる。 「例えばこのゲームをやってるから発症するとか?このゲームもかなりリアルですからねぇ。」 突如、時が止まった・・・・・かに思えた。 ナギは大きく目を見開いて僕を見ている。 ピロシキはテーピングを取り落とした。 Mr.Jは・・・なぜか傷口ではなくヘソにバッテン絆創膏がくっ付いている。 「なるほど・・・確かにそう考えると辻褄が会うね、バッシュ君その考え多分当たってるよ」 沈黙を破りナギが呟いた。 彼は何度も頷いている、彼の頭の中で全てパーツが繋がったのかもしれない。 「何で考え付かなかったんだろう・・・ロストシンドロームはモニター越しに発症するって先入観があったのかな。確かにこれだけの現実と仮想現実が近いゲームなんて他に無いのに・・・いざ当事者の立場になってしまうと気が回らないものだね。」 「でもそれってマズくね?ひょっとしたら他にもその病気の人間が居るかも知れないって事だろ?」 ピロシキはテーピングを巻き終わったようだ。 気のせいか傷の手当と言うよりもボクサーが巻いているような感じになっている、また襲われるかもしれないと用心してるのだろうか。 「そうだね、もしかするとゲフェンにもまだ何人か発症した人がいるかも知れないね。」 「もしそうだとしたら・・・アユさんが心配ですね、皆さんとりあえず一旦戻りませんか?」 僕の提案に皆は一にも二にも無く賛成した。