〜フェイヨン診療所・撤退一日前〜 ===============================================  朝のミーティングが行われているスタッフルーム。  場を取り仕切る教授の女性。控えめな♀ハイプリーストと、彼女に付き従うように寄り添っているメイド型Mob、アリス。  まるで昨日まで違う服装だったかのように白い肌のBSと、その養子らしき商人の少女。  どこからか送られてくる熱い視線を気にしているのか、ずっと俯いたままの剣士の娘と、何か吹っ切れたかのような、この場に居る者達のなかでは一際明るい表情をしている赤眼鏡の忍者。  ごく当たり前のようであり、どこか異様な雰囲気を漂わせるその打ち合わせを、盗み聞きしている連中が居た。 「明日には撤収だってよ」 「そっか。あの子に会えるのも明日までなんだな…」  感慨深げにため息をつく相方の頭を小突いてから、彼は再び耳を立てる。 「―――――というわけで、各自気を抜かないようにね」  教授の女性が一通りの通達を終え、医療所のスタッフ達はそれぞれの持ち場へと散っていく。所長である彼女の、直属の部下らしい数人だけがスタッフルームに残った。 「さてと…」  全員を見回してから、マリーは大きく深呼吸をした。 「まずは、鎮魂祭のときあそこまで大暴れした貴方達が、今日まで患者を巻き込む大騒ぎを起こさずにいた事には驚きました。正直なところ、5回くらいはキレなきゃ駄目かと腹をくくってましたけどね」  ハイプリーストの法衣を纏ったアコライトと、その後ろにいるメイド服の「彼」に視線を送りながら言う。  この2人が、一緒にいたはずのミーティアがいないのを心配&勘違いし、大慌てしたあの騒動以外は特に何も起きていないのだ。  少なくとも、マリーの所へは報告が来ていない。 「その格好も今日で着納めですから、存分に堪能しておきましょう」  このまま何事もなく終わればいいなと、その場にいた全員と、ここにはいない猫の着ぐるみは考えていた。 ・・・・・ 「うわっ、何だこれ汚ねぇ」  通りすがりの子供に罵声を浴びせられながら、ワイリーちゃんことクラウスは荷車を引きながらため息をついた。  この数日の売り子や荷物運びで、着ぐるみはすっかりくたびれてしまっている。あちこち汚れが目立ち、蒸れる上に汗臭い。今朝はこの着ぐるみの香りで目が覚めたくらいだ。  ピンと伸びていた耳や髭もだらしなく垂れ下がり、着ている側から見ても、可哀想になってくる。 「頑張れよワイリーちゃん。今日一日だ。あと17時間ちょっとで俺もお前も解放されるんだ」  くたびれているのは着ぐるみだけではない。  クラウスも『贖罪だ』と休みなしで働き続けたおかげで意識が朦朧としているし、なにより連日の鉄拳制裁が身体に響いている。青いおにぎりを食べた事による体調不良も回復していないし、結局ルクスがミーティアを助けることができたかどうかも分からない。  っていうか、ラグナは結局どうなったんだ?  とにかく心身ともに疲れきっており、彼はいつ倒れてもおかしくない状況に追い込まれてしまっているのだ。 「やべえ…暑い」  プロンテラの周辺では土砂降りの大雨に見舞われているらしい。視界に入った滝に飛び込んで、汗を洗い流したい衝動に駆られるが、今は仕事の真っ最中。いや、まだ始まってすらいない。 「負けるなクラウス…、これしきの事…耐えてみせる。うへ、うへへへ…」  薄ら笑いを浮かべながら、クラウスは重い足で歩き出した。  その光景が凄まじく恐ろしいものだったのは言うまでもない。 ・・・・・ 「それで所長。何故私だけ?」 「隠密任務が貴女に合いそうだったからじゃ、いけないかしら?」  それぞれが役割を与えられている中、朔夜に与えられたのは「医療所の建物を一周見廻りして戻って来い」というワケの分からないものだった。 「あまり人の居る場所で話す事じゃないから、ここで聞いているのは貴女だけになるように仕向けたのよ」 「……なるほど」  実を言うと、朔夜は忍者という自身の身体の感覚で、窓の外でミーティングの内容を盗み聞きする二人に気付いていた。言い出せなかったのは、マリーの長話を中断すると彼女が怒るからだ。 「あの二人に関連した事でしょうか?」 「いい勘してるわね。説明が省けていいわ」  マリーに寄せられた報告によると、その二人は鎮魂祭当日、自警団の巡回がない迷いの森に勝手に侵入したらしい。祭りの終了時刻になって発見され、そのままこの医療所に入所したという経緯がある。 「危機感覚が鈍いというか、勝手な奴らですね」 「これだけなら良かったんだけどね」  彼らは元気になると、すぐさまその頭角を現した。 「女性所員へのナンパにセクハラ、医療所の備品の無断持ち出し、食事はしょっちゅうつまみ食い、夜食に無断外出にそれから…」  その悪行の数には朔夜も呆れるしかなかった。悪ガキというか、ゴキブリやネズミのような速さで逃げてしまい、現場で捕まえる事ができないという。 「つまり、あいつらを現行犯逮捕しろといういことですかね?」  あまり長い時間話し込んでいたら誰かに聞かれるかもしれない。そう思った上で聞いてみる。 「捕まえなくても、物的証拠として何か残してもらえればいいわ」  要は、SSか何かで現場をおさえろという事だ。無理に争って騒ぎにしたくないという思惑が見え隠れしている。 「左様ですか」  せっかく忍者なのだからと、ちょっとした遊び心で朔夜はそう答えた。思ったよりも、だら「そうですか」と言うよりもしっくりくる。 「とりあえずは医療所の監視を続けて頂戴。何かあったら、行動を起こす前に私に報告して」 「御意」  調子に乗ってそれっぽく言ってみた。うん、違和感が全然ないな。 ・・・・・  長いようで短い付き合いだった竹箒で庭を掃きながら、ルクスはいつ来るか分からない脅威に対して神経を尖らせていた。  昨日辺りからだろうか。背後に音もなく忍び寄ってスカート捲りを行う不肖の輩がいるのだ。  後ろからなので、彼らは前のほうにある丘には気付いていない。  いや、もしかするとそれを分かっていてやっているのか。それはそれで怖い。 「そこかっ!」  おもむろに竹箒を振るい、植え込みを叩きつけてみる。反応は、ない。  ただでさえ恥ずかしいこの格好なのに、しかも男なのに。  親しくも無い女性に対してそのような行為をする事が許せなかった。気付かれていないのが災いしているのか、自分だけで何回やられたかも覚えていない。  ここはひとつ、懲らしめてやりたいところ。 「そういえば、銃はどこ行ったっけ…?」  本当に撃つ気はない。ただ脅しにさえなればいい。単純所持で罰せられるのは日本であって、ここならマリーさんに注意される程度で済むだろう。  そうと決まれば善は急げだ。彼は、ルクスの服を入れてあるロッカーへと向かった。 ・・・・・ 「――――ッ!?」  何者かが、カットジーンズの上から尻に触れた。いきなりの出来事にルーシエは短い悲鳴を上げて飛び上がった。 「誰だッ!」  犯人の手を捕まえようとした手は空を掴み、振り返るも、誰の姿も無い。  まさか自分が痴漢に遭うとは夢にも思っていなかった。いくら女性の身体であったとしても、だ。  痴漢に対する怒り、憎しみ、それを捕まえられなかったという焦り。他にも何かいろいろな感情が湧き出し、どうしていいかわからなくなってきた。  だが、今の自分は頼られる側だ。以前クラウスが滑り込んできたときのように、ただ無造作に暴れまわって泣き叫んでいればいい立場ではない。 「ママ?」  傍にいたレナが不思議そうに首をかしげながら、こちらを見上げて聞いてくる。 「なんでもないよ、レナ」  次は必ず捕まえてやると心に誓い、彼、いや彼女はまた仕事へと戻っていった。 ・・・・・ 「それを、私から告げろと?」  ほんの30分前に朔夜がいた位置に、例の二人、シィドとベイルが立っていた。 「直接本人に聞いてみたほうがいいと思うんだけど」 「そこをどうにかお願いしますよ。俺らみたいな見た目から泥臭い連中がいきなり声掛けたんじゃ、不審者扱いされておしまいっスよ」  愛想笑いを浮かべ、ベイルが言う。何を思うのか、シィドはただ頷くだけだ。  マリーはそんな二人の様子を数秒ほど眺めてから、ため息とともに答えを出した。 「わかったわ。話すだけは話してみるけど…」  OKを貰える保証はどこにもないと、一言断っておく。  満足そうに去っていく二人の背中を見送ってから、マリーはwisで彼女を呼びつけた。  個人的な意見を添えるか、それとも最初からなかったことにするか。彼女は相手が来るまでの短い時間で頭をフル稼働させて対策を練った。  だが、焦ったせいなのか、答えはまとまらなかった。 「はい、なんでしょうか?」  いつの間にか彼女が到着している。この時点で「やっぱりなんでもない」とは言えない。ここは、腹をくくって正直に話すべきなんだろう。 「とりあえず、腰掛けて」  彼女にとって、その誘いは悪い話ではない。  問題なのは、彼らの言動と素行の悪さなのだ。  万が一彼らを更生させることができたとしたら、その判断は間違ってはいなかったと言えるだろう。だが、もしもの事があったら…。  何にしろ、それは彼女の問題なんだ。それに、すぐ答えを出す必要なんてない。 「所長、どうかしたんですか?」  こちらの雰囲気の違いに気付いたんだろう。彼女が不安げに聞いてくる。  ここまで着てしまったんだ、後戻りはできない。  意を決し、マリーは正面から彼女を見つめ、静かに問いかけた。 「貴女を連れて行きたいと言う冒険者がいるのだけれど、どうする?」 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――