どのくらい気を失っていたのだろうか。夕暮れの赤い光が顔に射したからだろう。俺はようやく、目を開いた。 「気がついたか、クラウス。」 ルーシエと目が合う。レナはまだ、眠っていた。 「お前の同業者が、手紙を持って来たぞ。しっかし、気味が悪いな〜。なんで、お前がここに居るのが分かったのかな?」 「う〜ん、さしずめ『ホシは関係者の自宅に居た。』ってとこじゃないか?」 クルセイダー隊の捜査力も、侮れないな。俺は進駐部隊の隊長に会ったことはあっても、交友関係を明かしてはいなかったのに。 「なるほど。」 ルーシエはうなずきながら、俺の手の中にある手紙に視線を落とす。ああ、そうだった。何て書いてよこしたのかな。 羊皮紙にロウの封印。俺が首都にある、クルセイダー隊の詰め所で見かけたような公式文書だ。上から命令でも来たのかな。 封を解いて、文字を追う。最後まで読んだ瞬間、俺はレナが寝ているのを忘れて叫びそうになった! しかし、俺の表情を見守っていたルーシエが、厳しい視線で自制を求めてくる。ああ、そうだった…さすがに、また何時間か 寝込むつもりはない。手紙にはこうあった。 「発 フェイヨン臨時診療所所長 ローズマリー  宛 クルセイダー クラウス殿  当書簡の受領をもって、貴殿への処罰は完了したものとする。速やかに衣装を返却するべし。」 手紙を読んだルーシエは、ともに喜んでくれた。 「良かったな、クラウス。そう言えば、私たちへのペナルティーは、いつ解除になるんだろう…。」 首をかしげるルーシエの言葉は、俺の胸に突き刺さるかのようだった。面目ない。もとはと言えば、全て俺のせいだ。 「なぁに、気にするなって。レナの可愛らしい商人姿なんて、見られるとは思わなかったぞ。」 俺の表情が曇ったのを見て取ってか、ルーシエは明るい笑顔でそう言ってくれた。 「それより、早く着替えて来いよ!みんなで晩飯を食べに行こう。」 今まで二人のやり取りを見守っていた如月が提案する。おぉ、そうだ。もうこんな格好でいる理由はない。 「30、いや20分で戻る!」 レナをそっと寝かせて戸口に立ち、俺はそう宣言した。 「ははは、焦らないで良いから!」 背中からルーシエの声と一緒に、速度増加が飛んでくる。ワイルドローズのような怪しい男は風のように、町中へと遠ざかって いくのであった。 フロントの人と挨拶を交わすことさえ、もどかしかった。ネコの衣装を脱ぐと、次々に武装を身にまとって行く。 布鎧、鎖かたびら、そしてフルプレート…。たった一日の間、着ていなかっただけなのに、それらの重さがヤケに愛しい。 それにしても、不思議なものだ。今では自分でも驚くほど、スムーズに鎧の着付けができる。この世界に来たばかりの頃は、 それが分からなくて宿の人の手まで借りたのにな。入れ替わる前のクラウスは、当然ながらこんなことに慣れていたのだろう。 画面越しにしか見たことのない、本来のクラウス。俺は着替えながら、そいつの ことを意識せずにはいられなかった。さて、仕上げだ。ちょっと食事に行くだけにしては、オーバーかも知れない。それでも 俺は、ヘルムをかぶる。騎士の正装だ。そして、腰にサーベルを佩く。 レナに会えば、使うことになるだろう。 ワイルドローズの衣装は宿の洗濯屋に預け、後日プロンテラのマリーさんのもとへ届けるように手配を済ませた。 -------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 以下、ルーシエの視点 -------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 赤い夕陽が地平線の向こうへ消えかけ、月や星と美しく共演する頃のことだ。如月がふと小手をかざし、遠く見てから私に声を かけてきた。 「お姉ちゃん、あれクラウスじゃない?」 私には、まだよく見えない。しかし、さすがは忍者だな。もう暗いというのに、よく分かったものだ。 レナと如月を連れて、戸の外へ出ると強めの追い風が吹いていた。そよぐ草が香る。心地いい晩だなぁ。 む、ようやく私にも見えてきた。うん。あの格好は騎士かクルセに違いない。だけど、クラウスかどうかはまだ分からなかった。 向かい風のせいだろう。相手は、ヘルムのバイザーを目深に下ろしていたのだから。 じっと謎の訪問者を見ていたレナが、私の袖を引いている。ん?どうしたの? 「ママ、気をつけて。」 娘の言葉に、私は怪訝そうな顔になる。それを見て、レナは理由を教えてくれた。 「あの人、こんなに風が強いのにマントをまとめてないわ。」 言われてみれば、その通りだ。騎士はこれ見よがしに、向かい風にマントをはためかせていた。 如月が息を飲む。何かに気づいたようだ。 「そうか!よほどの見栄っ張りでもなければ…。」 「そう。腰の剣を使うつもりかも知れない。」 如月の言葉を、レナが引き継いだ。 レナはすぐさま、家に戻ると自分の剣を抱えて戻ってきた。可愛らしいマーちゃんにそぐわない、大きな剣。こんな緊迫した状況 なのに、その不思議な組み合わせはとても可愛らしいものに見えた。いけないっ。今は、あの謎の来訪者に意識を集中させないと。 男が近づくにつれ、だんだんと細部が分かるようになってきた。うん、あの鎧はクルセのものだな。いよいよ、バイザーを下げていても、 そいつの顔が見えるまでになる。 ほっ…良かった。さんざん張り倒したあの顔を、忘れることなどできるわけない。クルセイダーは間違いなく、クラウスだった。 気を取り直し、精一杯あかるい笑顔を作って、クラウスに挨拶する。 「よー、クラウス!早かったな!」 クラウスはようやく、ヘルムのバイザーを上げると、なかなかさわやかな笑顔を返して会釈した。 「こんばんは、ルーシエに朔夜!待たせてしまって済まない。」 ん…?何かが腑に落ちないぞ。そうだ!奴の仕草、どことなく堅苦しいな。そもそも、飯を食うだけなのに何でヘルムなんてかぶってるんだ。 おかげで、無駄にハラハラしちゃったじゃないか。 それにしてもこいつめ、何を考えているのやら。今度は私の娘に目を合わせるなり、背筋をピンと伸ばしたじゃないか。レナもそんなクラウスを、 正面から見つめ返している。 次の瞬間、私は首をかしげてもいられなくなった!クラウスめ、サーベルの鯉口を切るなり、それを拳二つ分くらい、引き抜いている! 何をするつもりだ?私には事の成り行きが全く見えなかった。 「ママ、大丈夫だから。」 動揺する私を横目に見て、レナがwisを送ってくる。いやいや、大丈夫じゃないって! 腐ってもクラウスは高レベルのクルセで、私の娘はゲーム的に言えば養子キャラだ。斬り合いになれば、無事には済まない。クラウスもだ。 だーかーらーレナ!何でお前も、クラウスと同じことをしてるんだ! そうだ、如月と一緒なら、この二人をまだ止められるかも知れない。私は妹の方を振り返った。くっ、ダメか!朔もまた、うかつに動けないでいる。 シュラッ。 ああ、もう見ていられない!ついにクラウスとレナの剣は勢いよく引き抜かれ、交差した。一瞬だが、思わず目をそむけてしまう。 チャキッ。 いよいよ恐ろしい果たし合いが始まるかと思った時、私の耳は意外な音を捉えた。剣戟の響きとは、明らかに違う。うっすら目を開けてみると、 クラウスとレナはお互いに、剣を持つ手を自分の胸のすぐ前に持ってきていた。二人とも手の甲を相手に向けて、剣を垂直に立てている。その まま剣を右下に払うと、双方とも直線的な動きで、剣を鞘に収めた。 ため息をつくしかなかった。肩の力が抜けていくのが、はっきり分かる。なんだ、敬礼だったのか!心配した自分が馬鹿みたいじゃないか。 ようやく、冷静な心が戻ってくるとクラウスの名乗りが耳に飛び込んできた。 「お初にお目にかかります。プロンテラの冒険者、クルセイダーのクラウスであります!以後、お見知り置きを。レナ殿のお噂は、お母上より伺っております。」 「初めまして、クラウス殿。ルーシエの娘、ナイトのレナです。」 娘はいたずらっぽそうな笑みを浮かべて付け足した。 「貴殿のお噂は、ワイリーさんからかねがね承ってましたわ。」 一瞬、狼狽するクラウスの表情が面白い。 「こ、光栄であります。レナ殿、これからもよろしくお願いします。」 「こちらこそ、クラウス殿。」 レナは上品に膝を折り、クラウスもまたうやうやしく一礼する。こうして初対面(?)の二人は挨拶を終えた。 いやいやいや、このままじゃ済まされないだろう!落ち着いてくるとともに、私の心にはクラウスへの怒りが込み上げてきた。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------ ルーシエの視点、ここまで。以下、再びクラウス視点 ----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- うん、よし。少なくともこれで、レナは俺のことをストイックな人間だと認識してくれたに違いない。間違っても、エロクルセだなどとは 思わないだろう。それにルーシエにも俺のこんな一面を、しっかりと見せることができた。見直してもらえただろうか…。 そんなことを考えつつ、いよいよ動きだそうとする俺の肩を、後ろからしっかりとつかむ力強い手があった。 振り向いてみると、ルーシエ本人ではないか。 「挨拶は済んだか?クラウス。」 その表情はあくまでにこやかだが、肩に伝わる力の強さが恐いぞ。俺はとりあえず、そのままルーシエに向き直る。 「いやー、クラウス!あれは敬礼だったのか。堅苦しいじゃないか?お前とレナは知らない間柄でもあるまいし。」 「あ、ああ…。でも、一介の騎士としてしっかり挨拶したかったんだよ。」 「そうだろうとも!あんな衣装、まるっきり道化だったもんな。そりゃちゃんと、仕切り直しをしたかっただろう?でもな…。」 ここでいっそう、ルーシエの手に力が加わった。仮に逃げようとしても、そうはいかないくらいに。 「私の娘に鯉口を切るな!もっとフツーな挨拶くらい出来なかったのかぁ!」 ルーシエの言葉をしまいまで聞く頃には、顔に強烈な右フックを食らった俺の体は宙を舞っていた。 背中から地面に落ちる俺、あわてるレナ。 「よし!気が済んだ!さあ、晩飯に行こう。」 気持ちを切り替えたルーシエが、明るい声で呼びかける。転がってる俺を心配そうに見下ろしながら、レナは母について歩いて行く。 やっぱり、優しい娘だな…。後に続くのは如月だ。いかにも呆れた、という様子で俺を見下ろすと、それでもこう声をかけてくれる。 「いつまで寝てるんだ。どうした?一緒に来ないのか?」 ま、待ってくれ!ヨロヨロと起き上がり、俺は必死で、遠ざかる三人の背中を追うのであった。 行き先の食堂で、どことなく緊張していたのはこんなことがあったからだ。それにしても、不思議だったなぁ。 何人もの美人と、席を同じうする栄誉に与れたのはいいんだ。でも、なんでみんな、俺のことを知っていたんだろうな? まあ、いい。何より嬉しかったのは、昼飯の時にちらっと見かけた、とびきり美しい剣士の女の子と再び会えたことだ。 でも、脈はないと思った方がいいだろう。恥ずかしがってうつむき、俺とはついに目を合わせてくれなかったんだから。 そうそう、俺に恥をかかせてくれた剣士とシーフにも会えたぜ。この手でとっちめてやりたいのは山々だったんだが、また同じような罪を 犯すわけには行かなかった。せっかく自己紹介をやり直せたのに、レナに乱暴者だと思われるのも嫌だったしな。何より、俺のせいで受け ているペナルティーを、二人はまだ解いてもらってもいないじゃないか。 そのルーシエに止められて、仕方なく腰を下ろす。その場には、俺の同僚たる他のクルセイダー達も来ていた。そいつらは俺を押しとどめた ルーシエに、感謝の視線を送っているように見えた。ああ、恥ずかしいったらありゃしない。気を取り直して、食事を楽しむことにしよう。 せっかく、花のような女性たちとご一緒させてもらってるんだ。あの娘、ノーラさんと言ったな。どうしても、俺を見てはくれないのか? このささやかな願いは、ついに叶うことはなかった。