華やかな夕食も終わりを告げた。次の日の朝、暁のまだ暗い刻限に俺は宿屋を後にしていた。 まだチェックアウトはしていない。目指すはクルセイダー隊の駐屯地。また隊長殿に用があるのだ。 まだそこ、かしこに松明が灯っている。夜警が配置されているのだ。俺が目の前を通ると、「トン」 と槍の石突きを鳴らして敬礼する。その顔を見ると、心に痛みを覚える。若い。まだまだ、表情に あどけなさが残っているじゃないか。身につけている武器や甲冑まで新しい。しかも目に映るフェイ ヨン兵のほとんどは、こんな感じだったのだ。まだまだ大変だな、この町も。でもようやく、現地人 部隊の再建が緒に就いたのは喜ぶべきことなのだろう。 ここで俺は、あることに気づいて足を速めた。夜警に就いているのは、ほとんど現地の兵士だけじゃ ないか。昨日までは、騎士やクルセもたくさん見かけたのに。まずい。行き違いになってしまったのかな? やがて駐屯地の営門が目に入ってくると、俺は思わずホっとした。そこにも松明が掲げてあったからだ。 いや、それより早く耳の中に、賑やかな槌の音が届いていたのだが。 駐屯地に近づいてみると、周りの柵がほとんど撤去されているのが分かった。簡易宿舎の数も減っている。 それでも形ばかりの営門は残されていて、そこで同業者に誰何された。前に来た時と同じ人だな。 「おい おまえ! おれの名をいってみろ!!」 と言いたくなったが、悲惨な最期を迎えたくないので止めた。彼も仕事なんだろうし。 とりあえず、来意を告げると隊長殿の居場所を教えてくれた。宿舎にはおらず、解体現場の指揮を執って おられるとか。 門衛にお礼を言って、今は一大解体現場と化した駐屯地の中を、隊長殿の姿を求めて歩き回る。 宿舎のほとんどは、出来た時と同じくらい迅速に解体されつつあった。来るのがあと一日遅かったら、隊長は 部隊と一緒に撤収してしまっていただろう。手つかずで残っている柵や宿舎がある所を見ると、恐らく人員 の一部は駐屯を続けるのだろうが。無理もないな。あの若いフェイヨン兵たちの顔が、目に浮かんでくる。 幸運なことに、隊長殿はすぐに見つかった。方々に指示を飛ばしているかと思えば、近くの者に気さくに話し かけてもいる。近づくにつれ、こんな会話が聞こえてきた。 「リチャード!こたびの槍働きは、実に見事だったぞ。よくやってくれた。」 「これは隊長殿!ありがとうございます。自分はただ、命が惜しかっただけであります。」 「いや、そうだとしても恥ずべきことではないさ。しかし、それを私に明かすほど命を惜しむような理由が できたのかね?」 「はっ。息子の顔を見るまでは、死ねないと思いました。戦いの直前、妻から知らせが届きまして。」 「おお!そうか!生まれたのか、おめでとう!お前は私を最高の気分にしてくれたな。よし、リチャード。 明日の行軍では、お前が旗手を務めろ。」 「凱旋行進の旗手でありますか?自分などにはもったいなくあります!」 「遠慮するな。予備役から召集されたこの老骨の権限では、祝いの代わりといってもこれくらいのことしか してやれんのだ。受けてくれるな?」 リチャードの返事は、もはや俺の耳に入らなかった。彼は会話を聞きつけた同僚たちに、揉みくちゃにされ出した からだ。祝いの言葉が引きも切らない。 隊長殿が俺に気づいたのは、ようやくその騒ぎが一段落してからだった。 「おう、クラウス!よく来たな。」 「おはようございます、隊長殿。」 「何の用だ?見ての通り、我らは明日にもここを発つ。同行の許可くらいしか、私にしてやれることはないぞ。」 「それならば、話は早い。それをお願いに参上したのであります。」 俺は、フェイヨンへ行く途中で道に迷ってしまった。しかし冒険者の端くれなのだから、せめてプロンテラとフェイヨン を結ぶ道筋くらいは覚えたかった。でも、それは今さら人に尋ねられるものではない。それにこの部隊には、クラウスを 知っている者が少なからず居そうだ。そんな人と言葉を交わせれば、俺の知らないクラウスの一面を垣間見ることができ るかも知れなかった。そして何よりも、ノウンと一緒に首都に戻りたかった。いよいよ、彼の願いを叶えることができる。 プロンテラ城の訓練施設は、充実していたからなぁ。これらの目的を一挙に達成するには、駐屯部隊の撤収は願っても ないチャンスなのだ。 「よし。それでは明朝6時に、ここに来るように。そうだ。こちらからも、二つ頼みたいことがある。実は病人が居るのだが、 どうしても今回の行軍に参加したいそうだ。分からないでもない。名誉ある凱旋だからな。そこで、お前のペコの背を狩りたい。 どうかな?」 渡りに船だ。ノウンは徒歩、こちらはペコ乗り。どうやって歩調を合わせるのか、悩んでいた所だったのだから。 「了解しました!私の不遜なペコでよろしければ、どうぞお役立て下さい。もう一つの頼みというのは、何でしょう。」 「私はお前の隊長ではない。『ルドルフ』と呼んでもらえるかな?あだ名も教えよう。よくある名前だからな。他の人とまぎらわしい 場合は、『雪山』と言えば通じる。」 「雪山」か。人目を引く白い髭、止め難い雪崩を思わせるあの剣の腕、それに山のような威厳を感じさせる風貌。確かに、この方には ぴったりの異名かも知れない。 「はっ。ルドルフ様、私の願いをお聞きとどけ頂き、ありがとうございます。」 「うむ、クラウス。ノウン殿によろしくな。」 俺は一礼すると、その場を辞して宿に向かって歩き出した。今なら、ノウンと朝飯を食べるのにちょうどいい頃合いに戻れるだろう。