広大な草原。マップを一つ行けばすぐに砂漠があるとは言っても、穏やかな気温の緑の広がった 場所。臨時広場からさらに南に下っていけば人の数も酷くまばらで、気がつけば誰もいなくなって いた。誰もいないその場所で、座るのにちょうど良い岩を発見してそこに座り込む。  先ほどアルケミさんのところから買った白ポを飲むべくコルクを抜いて軽く口をつければ、ハッ カのような涼しい風味に絶妙な甘味が口の中で広がった。  ……美味しい。  ポーションってこんなにおいしいものだったのか!新たな発見に感動が一つ生まれる。  他のポーションはどうなんだろう。青ポとかもしかしたらもっと美味しいかも知れない。プロに 戻ったら買ってみよう。  そんな感動を他所に、私は肩からぶら下げたギターを持ち直した。先ほど倉庫から持ってきた装 備品だ。  意外とこの世界の事を理解しているらしいこの状況。ひょっとしたら楽譜は読めないけど、ブラ ギあたりできそうな気もしてくる。  D>I=Vのブラギバード。それがゲーム上での私のキャラ。  ギターなんか弾いたことも無いけれど、どった見た、見よう見まねでギターを構える。  べん。  弦を親指で弾けば気の抜けた音が当たりに広がった。  べべん、ぼん、べべべん、ぼみょーん。  右手の指を適当に動かして左手の親指で適当に弦を弾く。  ぼぼべん、べみょめん、びみょん。 「………」  ただ音を鳴らしているだけ。曲も何もあったものじゃない。  不協和音、それすらも出来ない、単音の間抜けな音。 「ふ……、  無理だ」  音楽など出来はしない。ギターなど触ったことすらない。これで出来れば天才だ。所詮は私は凡 人。無理に決まっている。 「そもそもブラギってどうするわけ?  吟遊詩人、でしょ?歌うの?弾き語り?ブラギの音元の『セヴィリアの理髪師』に歌詞なんかな いじゃん」  ギターをその手にもって唸る。  スキルは楽器を持って初めて使える。となれば、楽器を弾かなきゃ効果は無いということだろう か。 「まさか、これで出来るかな?」  私は最終手段の手に出た。  指の動かし方など知るわけが無い。適当に左の親指で弦を弾く。 「ブラギの歌!!」  叫んでみた。  ほら、スキル使うと頭の上に文字が出るでしょ?  ……でもなんか違う。  ならば…っ! 「ちゃちゃちゃちゃらっ、ちゃちゃちゃちゃらっ、ちゃちゃちゃちゃらっちゃちゃちゃらちゃら」  口で音をとってみた。  ………なんか違う…どころの話じゃない。 「はあーぁー」  スキル使えないなあ。どっちにしてもバード自体にはスキルの恩恵無いから確認しようも無いん だけど、たぶん、絶対、使えてない。  じゃあ弓はどうだろう。  私は立ち上がって弓を片手に構えてみる。とりあえず矢を1本つるがえてみて適当な木に狙いを 定める。  ぱしゅっ。  矢を打ち出す。 「いだっ!?」  私の持っていたのは角弓。左手でしっかりもって弦を右手で引いて、矢を打ち出した直後、弦は 弦は左手にびしっとあたり、そこは真っ赤になった。矢は木に突き刺さっている。 「いたーい、いたいよーーー」  ジンジンと痛む左手をさすりながら、誰もいないことを良いことに、イタイイタイと連呼する。 したところで痛みは抜けるわけじゃないけど、痛みの気が逸れるというものだ。 「なに?矢を打つたびこれに我慢しなきゃいけないの?やだよー、勘弁してよー、狩り出来ないじ ゃんー」  普通に打っただけでこれなのだから、ダブルストレイファングとかどうなるんだろう? 「世知辛いよー。どうなんのよー」  矢は打てない、楽器は使えない。どうしよう、先が見えない。  しょぼんとしょぼくれて、半ば呆然とその場に座りこんで幾時間。  日は傾いて、夕闇が訪れる。  この世界には夜が存在している。…まあ当然だろう。  お腹がなった。そう言えば起きて、アサカの作ったスープを飲んだだけだっけ。  家に帰ろうと思ったけど、私は『ユーリ』じゃないし、アサカがいれば多分また追い出される。  野宿など出来るわけもないし、なによりご飯も食べなきゃいけないし、となれば旅館しか無いわ けだ。  とぼとぼとプロンテラに向かって歩く私の耳に、ざ、ざ、と地面を踏む音が聞こえた。  夕闇の薄暗いプロンテラ南の草原。ここは岩場も多くあり、その影から聞こえるその音。  モロクやフェイヨンからプロンテラに向かう人の足音か、と私が何気無しに振り返るとそこには 仮面をつけた男が立っていた。  異様。異様過ぎる。  鉈のような物をその手にもって、白い仮面をその顔につけている。表情は夕闇と仮面の所為でよ くわからない。数は3人。そのどれもが幽鬼のようにゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。 「……ひぇっ」  むちゃくちゃ怖い。冒険者?ううん、なんか違う。あの仮面、どっかで見た記憶がある。  怖い。  3人の足は間違いなく私に向かっていた。じりじりと迫るその歩み。無意識に後ずさる。  逃げようっ!プロンテラまで逃げようっ!!  怖くて怖くて、私は後ろを振り返り走り出した。  ざっざっざっざっ!  足音はその速度を速める。追いかけてくるっ!?  私は後悔していた。誰もいないこの場所に来た事を。遅くまでここにいたことを。明るい時、ピ クニックに出る気分で遠出して、その為にプロンテラまでかなり離れてしまっていたことを。  運動なんて苦手だった。走ったって、そんなに速く走れるわけじゃない。早くいることに必要は 無かったから。私が住んでいた所は平和だったから。  ざっざっざっざっざ!  足音はすぐ近くまで聞こえる。向こうの方が私より早いんだっ!現実の私は運動は出来ないけど このバードはどうなのか。  ゲーム上のステであるならば、Agiの振っていないステータスは逃げるのに不向きなんじゃない だろうか。  怖い怖い怖い怖い怖いっ!!!  息が乱れる。足がもつれる。きちんと整地されていないその地面は走るのに不向きで、でこぼこ した地面に何度も足を取られかけた。 「…だっ、誰か、助けてっ!!!」  薄暗いその辺りには誰もいない。にぎわっていたプロ南もそのなりを潜めている。  必死に逃げる私と、それを追う正体不明の男達。  私は何をやった?私はやっちゃいけない事をした?私が何をした?なんで、何でこんなことにな るの?  ブン!  風が、鳴った。 「っ!!?」  鋭い痛みが、背中を掠めた。すぐ後ろにいる仮面の男が振るった刃だと気がついて、突然の痛み に私は前のめりに転んでいた。  うつ伏せに倒れて、それでも立ち上がって逃げようと前を向いたとき、そこには私を追っていた 男の足が見えた。  回りこまれている、逃げられない。  顔をあげ、下から男達を見る。仮面の下の表情はわからないけど、とても冷たかった。  殺される。死ぬの?私は、ここで死んでしまうの?  恐怖が全身を襲い、体は硬直する。黙って男達が何をするか私は見ているしかなかった。 「何をやっているっ!!!」  その声は前方、プロンテラの方から聞こえてきた。  その声に男達は反応する。  そちらを振り返り、声の主にその武器を構えた。  ……何が、起こっているの? 「こんなところまで出張かっ!  精が出ることだ!」  若い男の声。大きなその声に私もそちらを見た。  夕闇の薄暗いその場所でも一際目立つ白銀の鎧。真っ赤なマントを翻し、淡い光の発するその長 剣を携えたその姿。  まるで、正義のヒーロー。  銀光が走る。ギンと硬い音。 「わざわざプロンテラまでご苦労様。  だが、早急に帰還願う」  鎧の男がザンっと地面を踏む。腰を低く落とし、居合い抜きのような構えをする。  飛び掛る仮面の男。  ふ、と鎧の男が笑った気がした。 「ボーリングバッシュ!!!」  円を描くように振るわれた長剣。銀色の光しか、私には見えなかった。ぱっと散る液体。……恐 らく血。 「ひ、ひえっ!」  掠れた悲鳴が喉を通る。  どさりと落ちる男達。その男達のひとりの喉下に鎧の男の剣が伸びていた。 「上にも伝えとけ。こんなマネをしても無駄だと。  俺達は決して屈する事は無いと」  ぎり、と歯軋りの音が聞こえた。次の瞬間男達はその姿を消していた。  ガタガタと震えて、その一部始終をその目に映して。  私は新たに現われた鎧の男を見つめていた。  鎧の男は私に目線を移す。 「ばっかwwwなにやってんのwwwww」 「へ、ふぇ?」  先ほどの口調は何処へやら。発音不明の芝生を生やすこの男に私は困惑の視線を向けていた。 「ちょwwおまwww怪我してんじゃんwwwwこのにぶちんwwww」 「んな…」  男はいきなり私の首根っこを捕まえて持ち上げる。…まるで猫を持ち上げるかのように。 「なっ、なに、すんの!!?」 「うはwww女言葉wwwテラキモスwwww」  今とさっきのギャップの激しさに戸惑い、男の顔を見た。  赤い逆毛、白銀の鎧に金の十字の模様。赤いマント。ロード…ナイト。  下ろしてと抗議してもロードナイトの男は従わず、暴れれば背中の傷が痛くてその動きを止める しかない。  成すがまま、酔っ払いのおっちゃんのお土産如く、私はプロンテラまで連れて行かれる事となっ た。  プロンテラの城門がその薄闇の中に見えた。篝火が焚かれていてぼんやりと門を映している。 「さてwwwいてえwと思うけど我慢なwwwww?」  ロードナイトはそう言ってそこで私を下ろす。地面に足がつき、体重がかかり背中の傷がじくり と痛んだ。 「ほれwww」  ロードナイトは腕を差し出す。捕まれと言っているらしかった。ともすれば座り込んでしまいた くなるくらい痛くて、私はその腕にしがみついた。 「wwwうはwww、やっぱしキモスwwww」  へらへら笑うそのロードナイトに私は憮然と視線を下に向ける。  自分から手を出したクセに、キモス、とか失礼じゃない!こっちはそれどころじゃないんだから ねっ!?うう、痛いよぅ、もうやだよぅ。  ゆっくりとした足取りでロードナイトと私は城門に向かう。そこには見張りなのだろう衛兵の姿 があった。  ロードナイトが開いた手を軽く上げれば、衛兵は緊張した面立ちで敬礼する。  何このロードナイト。もしかしてものすっごい偉い人なの?  あたりは闇に包まれている。  プロンテラに入り、それほど歩いていないその場所で、ロードナイトはある建物に入っていく。  建物の中に入ったとき、つんとアルコールの匂いがした。  病院、みたいな所だった。 「すまないが治療を頼む」  受付らしきその場所でロードナイトの男が再び先ほどの言葉を覆すまともな口調を発した。  こ、このロードナイト、本当に一体なんなの!? 「かしこまりました。どうぞこちらへ」  促され、入った場所は治療室のようなところ。  年配の男が椅子に座っていた。医者、だろうか。 「怪我は大したことは無いと思うが、場合によっては毒も考えられるから看て欲しい」  ロードナイトは医者にそう伝える。  ど、毒!?  ロードナイトの言葉に驚いていた私は、気がつけば椅子に座らされ、あっという間に上着を脱が されていた。  うひゃーーっ!?いつの間にっ!?こ、これが男の姿じゃなかったらとんでもない状況じゃない の!? 「…なるほどねぇ、応急処置もせずに来たのはこの所為かい」 「いたっ!」  医者は背中の傷に手を触れる。痛みが背中に響いた。 「……大丈夫、死に至るものじゃないようだね。神経系を侵すようなものだ。  しかし、君はここまで歩いてこれたのかい?」 「う、はい、まあ…」 「耐性があるんだね。うん、大丈夫だよ。すぐに治る」  優しいその声で医者が言う。 「だけど、ちょっと我慢してもらわないといけないがね」  その言葉に私は身構えた。痛いんだ。きっと、とっても痛いんだーー。  結果から言うとやっぱりめちゃくちゃ痛かった。  神経系の毒を中和するために塗られた薬がこれまた沁みて、悲鳴を上げてしまうくらいに。  その後、アコさんだと思われる女の子にヒールを貰って傷口をふさいでもらった。  初めて見て、初めて受けた回復スキル。普通に彼女は「ヒール」と言い、ほわんと暖かい光が背 中を覆った。痛みはそこで消えていた。 「うしwwwいくぞwwww」  治療費はロードナイトが払い、私はそれに付き添う形になる。  しかし、建物から出ずにロードナイトは2階に続く階段に向かっていった。  ……どうやらこのロードナイト、他の誰かがいると芝生を生やさない喋りになるようだ……。 「……何処へ…?」 「会ってのおwたwのwしwみwwwww」  な、なんだと言うのだろう!?  2階の奥まった部屋、そこに私達は向かっていった。  病室、なのだろう。お見舞いなのだろうか? 「今帰ったぞーーーwwww」  ノックもせずにいきなり扉を開け放つロードナイト。  帰ったぞーって病室にその言葉は変じゃないの?  明りのともった室内は個室のよう。  部屋が白いからか、明りに揺れる色合いは黄色みが強くなっていた。  ベッドの横になっているその人物にロードナイトは笑って挨拶をする。  その声にベッドにいた人はゆっくり起き上がり、そして私と目があった。 「ゆ、ユーリ!?」  私の顔を見て驚いた顔をするその人。線の細い、長い金髪の綺麗な男の人。……だれ、だろう?  きょとんとした表情で私は彼を見る。  私の名を呼んだということは『ユーリ』の知り合い。 「……やっぱwwだめかwwww」  私の表情を見てロードナイトは息を吐いた。 「これは、どういう……」  驚きと、困惑のその表情。金髪の人は私とロードナイトを交互に見た。 「俺もテラ困惑中ww……だめだ、さすがにこれじゃあノレねえ。  ……まさか身内に出るとは思わんかったぜ…」  ……なんの話だろう? 「………な、なんだ…って…、まさか、嘘…じゃ……」 「ユーリがお前を見て何の反応も無いのはそれを証明する事実じゃねーか?」  ロードナイトから芝生は消えている。 「『OS』……」  今日の朝、アサカも言っていたその単語。……なんとなく、だけど、なんとなく私は目の前の人 たちが誰であるかわかったような気がしてきた。  哀しそうな瞳で私を見る金髪の人。 「忘れているんだね、僕たちの事を…。  僕は、それほどユーリを追い詰めたのか……」 「追い詰めたとかそー言うもんじゃねーんじゃねーか。  いつ起こるか、何故起こるかそれすらも判んねー。  おめーの所為じゃないだろ、リト」  ……ああ、やっぱり。  アサカはリトは療養所にいると言っていた。ハイプリーストだから、回復要員にでもなっている のかと思ったのだけど、……入院、していたんだ……。  じゃあ、このロードナイトは……。  赤い髪の逆毛。多分、恐らく、私が所属しているギルド『4畳半マイルーム』のマスター、ルカ だ。 「……あ、あの…」  声を出してみたけど、何を言うというのだろう。私は完全に部外者だ。謝ることも、慰めること も出来る人間なんかじゃない。  そんな私の肩にルカはぽんと手を置く。 「おめーは気にすんなや。アサカだって突然のことで頭ん中ショートしてるだけだってな。  おめーだってどうやって来たかしらねーんだろ?」  朝のやり取りを思い出す。ルカはアサカから聞いて私を探しに来てくれたんだろう。 「それにリト、身内に『OS』が出たっちゅう事は、あいつの調査にも進展があるってぇ事じゃねー か?」 「……そう、だね…」  納得しきれないその顔は『ユーリ』を道具扱いしているんじゃないかと言う意味合いがあるよう で。  それよりも気になっていたその単語。 「あの、『あす』って、なんなの?」  私の問いに、ルカとリトは顔をあわせてからこちらを見た。静かに、重く口を開く。 「『Others Syndrome』。  ……他者認識症候群。僕達はそう呼んでいる」