アルトとの会話を終わらせたのはそれから1時間ほど。  彼には私達はラグナロクオンラインと言うゲームをしていて、そのプレイヤーであるキャラクタ ーになってしまったことを伝えた。  ゲームと言う言葉にアルトは眉を寄せ、困った顔をしていた。  …それもそうだろう。自分たちがゲームのキャラクターだなんて信じられるものじゃない。それ でも、私の言葉をアルトは否定しなかった。無理やり納得したような、全てを受け入れるような、 そんな顔をしていた。  何故失踪したか私の思ったことを教えて欲しい、と言う言葉には、私は少し考えた後、「多分こ の世界を見たいのか、帰る手段を探しているんじゃないか」と伝えた。  アルトに、私はどうなのか、と問われれば「判らない」と答えるしかなかった。  この世界に来てまだ1日。見たい事はたくさんあるけれど、この身体の持ち主をないがしろにし て良い訳が無い。返せるなら、返したい。でも、どうやって?  悩む私にアルトは「大丈夫」と声を掛けてくれた。焦らなくて良い。ゆっくりと原因を追究しよ う、とそう言ってくれた。  そして私は、気になることを尋ねる。この世界でもしかしたら一番重要なことを。  『死んだら、どうなるの?』  その言葉にアルトは不思議そうな顔をした。そして困った顔で答えてくれる。  死んだら終わりだと。リザレクションは倒れた直後に掛けなければ意味が無いのだと。  それも制限があって、軽度の損傷が条件。身体が崩壊するような遺体は復活できない、首を刎ね られてもダメだという。  また、高位の術者で無いと失敗もありうるのだと。リザレクションの失敗は、完全な死を呼ぶも ので、現在リザレクションをまともに使える術者は多く無いらしい。  イグドラシルの葉は、産出量の問題から恐ろしく高価なものだという。ゲームでは僅か3k前後 の量産されているその葉は、こちらでは数十Mにも及ぶらしい。現物を目にする人は極僅かとのこ とだ。  そのゲームとの相違点に私は呆然と立ち尽くしてしまっていた。  何かに襲われる恐怖は既に経験済みだ。自ら望んで死のうなんて思うわけも無い。……だけど、 死んでも復活できると考えてしまったら…、私は…もしかしたらその道を辿ってしまうかもしれな い。 「ユーリ殿は心配せずとも良いでござるよ。  いずれ光明もござろう。今は待って、朗報を待つのが得策でござる」 「……待つ、だけだなんて…」 「拙者たちが何もせず今までいたわけではござらん。情報がまだ足りぬだけ。  そなたを戻す手段も必ずや存在してござろう」  アルトはそこまで言うと、私に背を向ける。  窓の縁に手を掛け、チラリとこちらを向く。 「では拙者そろそろ出ねばならぬ。貴重な情報、感謝でござるよ」  そして窓から身を投げ出し、その気配は不意に消え去った。私は慌てて窓に駆け寄って辺りを見 たが、そこにあるのはただの闇ばかり。  ……なんで…。  人の気配の全く無いその闇に向かって私は呆然と立ち尽くす。  …なんで、わざわざ窓から出て行くんだろう…? 『……〜…』  歌、が聞こえた。澄んだ旋律、綺麗な声。だけど、とても物悲しい。  誰が歌っているんだろう、辺りを見ても何も見えない。  歌だけが、そこにある。  それは異国の歌のようで、歌詞は全くわからない。  判るのは、哀しいと感じるその旋律だけ。   「……」  目が覚めた。ぼーっとした頭の中。辺りを見たら、質素な室内。  ……やっぱり、私はまだこの世界にいるんだ。  『OS』と言う症状が認識されている状態、一時の夢のようなものかと思いながらもそうではない のだと実感してしまう。  夢。ああ、そっか、あの歌は夢だったんだ。高いような、低いような。その記憶はあまりにもお ぼろげで残っているのは余韻だけ。メロディすらでてこない。 「…はー…」  息を吐いてそのままの姿勢で天井を眺める。  昨日はいろいろあったな。  ラグナロクの世界だひゃっほーっと浮かれたものの、命の危険には晒されるわ、ゲーム内のギル ドメンバーには重苦しい話を聞かされるわ、思った以上にここは大変なところなのかもしれない。  それにしても、やっぱりと言うか当然と言うかゲームとは結構違う事が多いんだなあ。  クエストさえやっちゃえばいろんな所行けるのに、そのクエスト自体が特殊らしいし、もしかし たら生体とか名無しとか知らない人の方が多いのかも。  ………。  ……………あれ?  ちょっと待てよ。  なんで、ルカ達はそれ知ってんだろ?  生体は、まあクエストは別に限定されて無いはずだけど、聖域ってあの可愛い教皇に会わなきゃ いけない場所だよね。  『レッケンベルのその事情が表に出れば』ってルカは言ってたけど、じゃあルカはその事を知っ てるって事だよね。  クエストやってる人って他にもいそうなのに、なんでルカ達は知っているんだろう。  『OS』の事だってそうだ。  リトは『認知度は全く無い』って言ってたのに、アルトがその調査してて…。  何者なんだろう?うちのギルドの皆は。  私はがばっと起き上がる。  聞いてみようか。  …誰に?  最初に思い立ったのはギルドマスターのルカ。  だけどルカが何処にいるか判るわけない。  そしたら、リトしかいないよね。会い難いけど、でも気になるし。  そう思って私は身支度を整えて、家を出ようとしたその時、扉をノックする音を聞いた。  誰だろう?新聞の勧誘…なわけないか。  ユーリの知り合いだったらちょっと厄介だぞ。あいにくとここには覗き窓は無いから誰かはわか らない。  私は警戒して扉の付近まで近寄った。  再びノック音。どきんと心臓がなる。次の瞬間、がちゃがちゃっとノブが回る音を聞いて私の緊 張はピークに達した。 「入るわよっ!」  声と同時に扉を開いたその場所には、昨日この家から私を追い出したアサカがワンピース姿で立 っていた。 「…っ!!?  い、いるならいるって言って頂戴っ!!」  扉の真正面、直ぐ傍で向かい合う私に向かってアサカはびっくりした顔をしてそう怒鳴り出す。 「いや、あの、だって…」  しどろもどろ弁解する私にアサカはため息一つつき、そのままずかすかと家に入ってくる。  なんと言う勝手知ったるその態度。  確か私は家に鍵をかけたはずだ。つまりアサカは合鍵を持っているということか。  ……昨日、ここにいたもんね。当然なんだろうな。 「何突っ立ってんのよ」  既にリビングに到達したアサカはいまだ玄関で立ち尽くす私に呆れた色の交えた声を掛けてくる。  慌てて、扉を閉めて私はアサカに向き直った。 「…な、なんで!?」  私に会いたくないんじゃなかったの? 「……アタシが来るの迷惑だって言いたいの!?」 「いや、そうじゃ、無くて……」  うう、そのきつい口調が怖いよぅ。 「だったら別に良いでしょ!?」  アサカは手に持っていたバスケットをどんとテーブルの上に置く。  そしてそれに手を入れて、中身をテーブルの上に乗せていった。  それは、サンドイッチや果物、飲み物といったいわゆる朝食のようなもので、出し切ればバスケ ットを床に、アサカは椅子に座る。  テーブルの上の物はちょうど二人分あり、それはアサカと私の…分? 「早く来なさいよ」  こちらにきつい視線を送り、私を促す。 「は、はい」  言われるまま席に座れば、彼女は無言でサンドイッチに手をかけた。 「……あ、あの…」 「何よ」  恐る恐る声を掛ければ、こちらを見ずにサンドイッチをほお張るアサカ。 「きょ、今日は服違うんだね…」 「今日はオフだからよ」 「そ、そう…」  肩を竦めて居心地悪げにいる私にアサカはこちらを一瞥する。 「とっとと食べなさいよ」 「はい…」  促されてサンドイッチに手を出す。まるで針のむしろ状態では昨日みたいに味はわからないんだ ろうな、そう思って口に運び……あれ? 「…美味しい」 「そりゃそうでしょ。行列出来る店で並んで買ったんだもの。  アンタの好物なんだし」  つっけんどんな物言いではあったんだけど、さっきに比べると幾分声に和らげがあり、さっきま でのぎしぎしした空気がちょっと抜けたような気がした。 「昨日は、ごめんなさいね」  そんな折、アサカは食事をする手を止めないままぽそっと呟くように言う。 「……え?」 「アンタが悪いんじゃないって知ってるわよ。  アタシだってルカさんとかから聞いてるし…。  判ってるつもりだったんだけど…、やっぱり、その…」 「アサカ…」 「アタシ、酷い事言ったわ。頭に血が昇ってたとは言っても、あんなの酷過ぎるわよね」  アサカはこちらを見ない。ぽそぽそと独り言のように言う姿は、まるで自分が悪いと思いつつも 素直になれないそんな様子で。そんなアサカが私は凄く可愛く見えた。 「…アサカは悪くないよ。もし私がアサカの立場に立ったら、同じ事したかもしれないし。  アサカ、ユーリの事好きなんでしょ?」  ぶっ。  私の言葉にアサカは盛大に吹きだした。  アサカみたいな人でもこんなわかりやすいリアクションするんだ…。 「な、ななななな、なに言い出すのよっ!!  そんな事、あるわけ無いじゃないっ!!?」  …マジビンゴ。めっちゃ慌ててるよアサカ。うん、ツンデレだ。見事なまでのツンデレだ。 「その態度だと、「うん」って言ってるようなものじゃない」 「…っ、……!!  あ、アンタっ!ユーリの顔でそんな事言うなんて卑怯じゃない!?」  あわあわと慌てたアサカは恨みがましそうな視線を投げかけた後、大きく息を吐き出した。 「……そうよ!?悪い!?  どうせユーリは気づいて無いだろうけどね」  観念したようにテーブルに肘を付き、ジュースを口に含む。 「初めは同じ境遇で気に掛けてただけだったんだけどね。気が付いたらって奴よ」 「同じ境遇?」 「アンタさ、シェシィって人知ってる?」  ……知ってる。ギルドのハイウィズ。…アサカの別キャラだ。ゲーム内でよくリトとペアしてい た。……もしかして…、シェシィはアサカの……。 「ハイウィズのシェシィだよね?」 「ええ、アタシの双子の妹」 「双子の妹っ!!?」  リトが兄だからきっと姉だろうと思っていたら、双子で妹ときたもんだ。ああ、そう言えば容姿 は同じだっけ。 「神童、って言われてたのよね。そりゃそうよ、アカデミー飛び級の主席、飛びぬけた魔力にそれ を操る技術。国からは何度も声が掛かったわ。  それに引き換えアタシは、魔力なんかなんも備わってなくて、出来る事といったら踊るだけ。  双子なのにね。なんでこんな差が付いちゃったんだろうってさ。  そんな時に、ルカさんに会ったのよ。ギルドの勧誘だったんだけど。  それまで、全部そう言うの断ってたシェシィがさ、加入するって決めて、で、アタシも一緒にだ ってさ。  その時に、アンタ…じゃないか。  ユーリとリトさんに会ったのよ。  あ、アタシとおんなじ人だって、そう思ったらちょっとだけ嬉しくなって……」  過去を思い出すようにテーブルに頬杖付いて、ちょっと遠い目をするアサカ。 「アタシ、ユーリの事一番よくわかってたって思ってたんだけど……。  考えてみれば全然わかってなかったのかなって、さ…」 「アサカ…」 「『OS』…。アタシもなってたかもしれなかったのに、アンタに当たっちゃって…。  本当にごめん」 「ううん、アサカは悪くないよ。  謝んなきゃいけないのは、私の方なのに…。  アサカの気持ち無視してさ、異世界だ、とかって馬鹿みたいに浮かれて…」  一人の人間が変わってしまう、と言うのは実際のところ些細なことかもしれない。  だけど、その人を良く知っている人にとっては些細なことなんかじゃない。  馬鹿だな、そんな事も気が付かないなんて。 「…アンタって」  私の方を見てアサカは微笑んだ。寂しげなそれだったけど。 「良い奴よね」 「そんな事無いよ」 「アタシ、アンタがアンタとして出会っていても、友達になれたかも」 「…今からじゃ…ダメかな?  この姿じゃ、無理かな。この先どうなるかわからないから…無理かな…」 「ふふ、見た目がユーリだからさ。うん、ちょっと難しいかな?」 「……そっか」 「だって、ユーリは友達じゃなくて相方だったもの。ランク下げなきゃいけないじゃない?」 「それって…」 「アタシにとって、アンタひっくるめて今まで通りよ。皆が幸せになれるように、アタシも頑張る からさ。これからもよろしくね」 「……アサカ」  アサカはそう言って手を差し出す。私は凄く嬉しくなってその手を握った。 「…楽器出来ないバードだけど、よろしく!アサカ」 「そういえば」  今日はオフだと言っていたアサカはその後直ぐ家を出るわけではなく、私たちは他愛の無いおし ゃべりに興じていた。見た目は違うけど、やはり女同士おしゃべりは全国共通の交流だ。 「何?」 「ちょっと気になったんだけどね。  うちのギルドのメンバー、なんか変に事情詳しくない?」  今日起抜けに思った疑問をアサカに尋ねてみれば彼女は少し困った顔をして見せた。 「ああ、それね。  えっと、アンタはうちのギルド名知ってるのよね?」 「うん。『4畳半マイルーム』でよかったはずだよね」  今思えばかなり間の抜けたギルド名だと思う。  ノリと勢いで作ったこのギルドのレベルも、今では無駄に高くなっている実状だし、もうちょっ とおしゃれな名前思いつかなかったものかと、当時のルカに問いただしたい。 「…そ。それが正式登録名。  だけど、誰もその名前で呼ばないし、もしかしたら知らない人の方が多いかもしれない」 「……どういう意味?」  アサカの私を見る眼はとても真剣だ。嘘は言ってない。だけど、ギルド名くらいでそんな真面目 な顔をされるとは思わなかった。 「国の要請も受ける程のアタシ達のギルドはある意味有名よ。  表には決して出ない、裏だけの有名ギルド。  彼らはアタシ達のギルドをこう呼ぶの。  4M…、『4マニフェスター』ってね」 「『4マニフェスター』……」  Manifest、「明らかにする」。……暴く、もの? 「うちのギルドってね、実力はかなりのものよ。事情を知っている大きなギルドからお呼びが掛か る事もあるし、多分、本腰を入れれば砦も取れるほどの力もある。  だけど、ルカさんはそれをしなかった。  砦の城主ともなれば、国王への発言権も得られるし、色々な支援も受けられるだろうけど…それ じゃあダメなんだって。それじゃあ本当に見なければいけないものを見る事が出来なくなるんだっ て言ってたわ。  闇や暗部、知ってはいけないもの、知らなくてはいけないもの。全部確認するには国と言う大き な後ろ盾は逆に壁となって立ちはだかるんだって。  ……だからと言って悪い事をするんじゃないのよ?  調べて、必要な物を必要な者へ受け渡す。それがアタシ達ギルドの方針。  ルカさんは、本当は将来約束されている人だって言うのに、全部捨ててね、このギルドを立ち上 げたんだって」  アサカの言葉に私は呆然とするしかなかった。話が壮大すぎる。  ゲーム内ではGvのやらないまったりギルドで、気が付けば高レベルになってしまったようなそ んなギルドだ。それが裏の世界の有名ギルドだなんて話が飛び過ぎている。 「なんで、そんな事に……?」 「…アタシは設立当時のギルドにいたわけじゃないから判らないけど…。  でも、何かあったのよね。じゃないと、ヴァルキリーに認められたエインヘリヤルが、これだけ いるギルドだと言うのに表に出ないのはおかしな話だし」  エインヘリヤル…って何?  ヴァルキリーに認められたって言うのは…つまり転生職って事?  ………だから、かなあ。臨時広場に転生職が全くいなかったのは。転生職は国の要人になってい るって事なのかな? 「まってアサカ。さっきギルドの事「4マニフェスター」って言ったよね。  4って…何?」 「………うちのギルドのトップの事よ。  ギルドマスター、ロードナイトのルカさん、それからアサシンクロスのアルトさん。  ………アタシの妹、ハイウィザードのシェシィ」  アサカはそこで言葉を切る。トップと呼ばれるその中に、アサカの妹がいるということは…今ア サカが言葉を切ったのは……次に来る言葉も想像できる。 「ユーリの兄、ハイプリーストのリトさん。  この4人の事よ」  その思った通りの内容に私は…、それでも呆然とアサカを見ることしか出来なかった。