日もまだ高いその時間、アサカと別れて一人取り残された私は昨日の様にプロンテラの町を歩き 出す。  町の外に出なくてもこの町は退屈と感じられないほどいろんなものが目に飛び込んでくる。そり ゃあモロクとかゲフェンとか興味あるけど、まずは首都を網羅するのが先決だ。  ゲームであったミニマップさえあれば迷うことも無いのだろうけど、そんなものは当然無く、そ の代わりに町の至る所に「現在地」と書かれた地図が貼られていた。それで迷わない、と胸を張っ て言えない所が悲しいけれど、それでも帰る道だけは何とかわかる。  少し歩けば私が良く清算場所として使っている花屋が見えた。生憎と座り込んで清算している冒 険者はいない。  …やっぱり、と言うのか、本当に『冒険者』はあまり見当たらない。時折騎士みたいな格好をし ている人を見るけど、それは恐らくプロンテラの衛兵のようなものなんだろう。冒険者ではなく、 騎士団の巡回と言うものだと思う。  高く厚い城壁に囲まれているルーンミッドガッツの首都。中にいさえすればモンスターの襲撃に も怯える事無く過ごすことが出来る安全な町。  この町の住人の殆どは剣を持ち戦う事は無いのだろう。  だからこそ皆その手には何も持たず談笑をし、日々を過ごしている。  戦う人はゲームの様にきっと多い訳じゃないのだろう。例えゲームと同じ人数の冒険者が居よう とも、その対比は一般人のそれに及ばないんじゃないだろうか。  戦う事を日常にしているは、この世界でも特殊なのかもしれない。私はそう思いながらすれ違う 人達を眺めていた。  冷たい風が頬を撫ぜ、その風に私は空を見上げた。  気が付けば先ほどまで晴れていたのに、今はどんよりと空が覆っている。湿ったような空気も感 じられるのは雨が近いんだろう。  当然だけど、天気も存在するんだね。  声に出せば「世間知らず」では通用しないその事実を心の中で呟いた。誰かお偉方に聞かれれば 一発で「OS」と疑われてしまいそうな事を言うのはNGだ。  視線を戻し、大通りに向かうその路地を抜ければ、開けた場所に出る。  町の人たちは厚い雲に気が付いてか家路に急ぐものも現れだし、大通りの脇、直ぐ傍にいた商人 も「そろそろ戻るか」とぼやく様に呟いているのが聞こえた。  なんともなしに露店に並んでる商品を見て私は小さく唸る。  楽器。  アサカがダンサーとして稼いでいるのなら、私はバードとして稼ぐ事は出来ないだろうか?  その為には楽器を弾けるようにならなくてはいけない。……出来るんだろうか、私に。  ぽつり。  そんな事を考えていた私の腕に水滴が当たった。 「…降ってきた…」  石畳の小さな丸い染みは徐々に数を増やし、そしていきなりざーーーっとそれは降出してきた。 「うわっ!」  いきなりこんなに降るとは思わなくて、私は直ぐ後ろの壁にへばりついた。少し飛び出た屋根が 雨の道を遮って、かろうじて雨宿りが出来る。  すぐ近くの商人も慌てて私の傍で雨宿りを開始した。 「目測誤ったなあ…」  カートも壁にへばりつきうんざりした表情で空を見上げる商人に私は苦笑を貼り付けた。 「いきなりこんなに降るとは思わなかったよ」 「最近は天候崩れやすいからな。通り雨だと思うけど」 「本降りだったら帰るに帰れないね」 「本降りだったら商品、水でだめにしちまう」 「そうだね」  取り留めの無い会話を商人と話し、私は通りに目を向けた。  慌しく、雨の襲撃に避難をしようと走っている人達が目に入る。強い雨の為水滴が撥ねてうっす らと靄が出てきていた。 「きゃ、ちょ、ちょっと、勘弁してよっ!!」  声のした方に目を向ければ、赤い服に青い髪の色合い的に派手な女性が走ってくる。ずぶ濡れの その姿で彼女も私たちが連なる軒下に避難してきた。 「何よ、雨って聞いて無いわよ」  恨みがましそうに空を睨み上げるその女性。  …あ、ハイプリだ。  両サイドにスリットのある赤いスカートは元は鮮やかな赤色だったのだろうが、今は雨で濡れた 所為か濃いえんじ色になっている。膨らんでいたと思われる腰の白いリボンは、濡れた重さでだら りと垂れ下がっていた。 「…こんなことまで現実なんてやんなっちゃうわ」  ……ん?  ハイプリの言葉に私は眉を顰める。「現実」って今言った? 「通り雨らしいよ」  さっき商人に聞いたその言葉をハイプリに伝えれば、彼女はこちらを見て数度瞬きをする。 「なら良いけど。  あー、もう、でも最低〜。  あ、あなた傘もって無い?」 「持ってるなら雨宿りなんてやってませんよっ」  ハイプリの言葉に商人は緊張したその顔で答える。何をそんなに緊張しているんだろう、この商 人は。 「人待たせてるんだけどなー」 「その人も雨宿りしてるんじゃない?」 「そーかなー?」  その場で黙って立ち尽くすのも居心地悪いし、とりあえず通り雨らしいのでその間の時間つぶし に何気なく言葉を投げかける。  ハイプリは濡れた髪の毛先を弄りながら通りに視線を向けていた。  がらがらがら、と走るのはペコペコに牽かせた車が走る。視界は決して良いものではないが、そ れでも目の前を走るその鳥車は立派なもので、乗っているのは恐らく上級階級の人なのだろう。 「あれに乗せてもらえないかな?」 「無理じゃない?」  ハイプリがその鳥車に向かって指を指したその時、それはいきなり訪れた。 「ケェーーーーーっ!!!」  けたたましいペコの鳴き声、そのペコを遮るように立つ人影。手はだらりと下ろし、その身体は 緩やかに前後に揺れている。  その人となりは雨靄の所為で判断付かないが、車に乗せてくれと言った様子では無いようだ。  御者の男は目の前に現われた人影にどけ、ど怒声を上げる。  しかし人影はその言葉に何の反応も見せない。  御者が再びどけと怒鳴ったその時、人影はゆらりと下げていた腕を振り上げた。  ――あれ?あの人影…。  少し離れたその場所で私は成り行きをただ見ていて、その違和感にざわりと悪寒が走った。 「な、なん…っ!」  御者はその言葉を最後まで発することは無かった。それは一瞬だった。  振り下ろした人影の腕。  ぱっと散る深紅の模様。  崩れ落ちる、御者の男。  人影が再び腕を突き出す。  がしゃんと派手な音が車から発せられる。  ざーっと降りしきる雨音と、うっすらベールの掛かったような雨靄はそれを何処と無く現実から 切り離しているかのようで。  何が起こったのか、私には直ぐには理解できなかった。 「…う…、うわあああぁぁぁあああぁぁぁぁっ!!!!?」  それは直ぐ横から聞こえた。  恐慌をきたす、商人の叫び声。  その声に驚きそちらを見れば、商人は慌てふためき、逃げ出すその後姿。  叫び声に気が付いたのだろう、人影がゆらり、とこちらを向いた。  心臓がどくんどくんと脈を打つ。  激しい眩暈がした。 「―――父さん…」  私の口から不意にその言葉が零れ落ちた。 *************************************************************************************** 「いきなりグロいもの見せ付けて…。  ゾンスロ?枝かしら、厄介ね」  青髪のハイプリーストは呟きながらポケットから指輪を取り出す。  青い宝石のまわりに羽の彫刻の施された美しい指輪。馴れたようにそれを指に嵌め、別のポケッ トから青い石を取り出す。  …彼女は退魔師か。それも腕は相当良い。  あの指輪は見覚えがあった。スピリチュアルリングと呼ばれるその指輪は、魔術を操るものにと って何物にも変えがたい大いなる力を秘めた物。  だがそれは例え貴族であろうとも、おいそれと持つことの出来ないほど恐ろしく高価な指輪。  それを持っているという事は、一流の術者に他ならない。  ならばと視線を移す。先ほど遁走した商人の置いていったカートが目に映る。そこに入っている 楽器を手に取った。  爛れた皮膚のその人影は、窪んだ目をこちらに向ける。  ああ、なんて姿だ。なぜ、こんな事になったんだろう。  なんで、ここに…。  いや、そんな事を考えている場合じゃない。  父さんはもう死んでいる。知っている。わかっている。  あれは―――父さんなんかじゃない―――――。 「ゾンスロ1体で怯まないわよ」  ハイプリーストは青い石ブルージェムストーンを握り締め、1歩足を踏み出した。  ぽろん、と弦を弾く。  その音に怪訝な目をこちらに向けるハイプリースト。  息を吸い、声を張る。慣れた旋律、もっとも得意とするその歌。 「―――ブラギ、ブラギ  永遠の詩人の名を呼びなさい」  ふわりと目に見えない空気があたりを舞う。 「ブラギ?  …上等だわ」  ハイプリーストはその顔に笑みを貼り付ける。人影はこちらに向かって歩き出し、御者を刻んだ ように腕を振り上げて…。 「セイフティウォール!」  赤は散らばらない。薄紅色の光が彼女を覆い刃は弾かれる。 「我が歌は彼の息づかい  我が心は彼の意志―――」 「レックスエーテルナ!」  光の刃が人影に降り注ぐ。 「吟遊詩人は彼の化身  すべての歌は彼に帰るでしょう―――」 「マグヌス、エクソシズム――!!」  浄化の光が人影を包み込み…、そしてそれは消えた。 ***************************************************************************************  ………。  叫び声が聞こえた。まばゆい光が私の目を焼く。 「…なんか手負い?」  ハイプリが消えたそれに向かって呟くのが聞こえた。  ……今のは一体……。  手の中に在る楽器、弦の感触は残ったまま。 「ブラギ、ありがとう」 「……………あ」  白昼夢のような意識の中で、私が取った行動。『ブラギの詩』。 「ディレイもないし、詠唱も早かったし、良いステだったわ」  ありえない。昨日試したじゃない。楽器も使ってみたじゃない。ありえない。  戸惑っていなければ、私はこのハイプリの言葉が普通と違うことに気がつけたと思う。だけど、 それに気がつけるほど私には余裕が無かった。 「――何事だ!?」  遠くから声が聞こえる。衛兵?逃げなきゃ。早く、一刻も早くここから逃げなきゃ…! 「あ、あれ!?ちょ、ちょっと!?」  走り出す私にハイプリは驚いて声を上げるが立ち止まる事は出来ない。急いで逃げないと大変な 事になる。  まだ雨は強かったけど、その中を私は一心不乱に走り出した。    なんで、なんなの、今のは一体何!?  雨が顔に当たるのも無視して私は石畳を走り行く。  そう。言うなれば夢。夢の中で私の意志とは無関係に動くという、その夢。  でもわかってる。夢なんかじゃない、白昼夢なんかじゃない!  あのハイプリはゾンビスローターに向かってMEを使った。LAの直後のME。ディレイが全く 無いのはブラギに乗っていたから。じゃなければありえない。  それに……、それに…!!  私は、あのゾンビスローターに向かってなんと言った?  『父さん』と言ったじゃない。  人にならざるものを父さんと呼んだ。  訳がわからない。わかってたまるものか。死者が私の親だと言うの!?  雨の中、傘もささずに走る私の姿は目立つものだろう。時折怪訝な視線を投げかける町の人も居 たが、それに気を向けれるほどの余裕は全く無い。  わき目も降らず、がむしゃらに走って走って走って。とうとう息が上がり壁にその身を預ける。 「………もしかして…、『ユーリ』が……出てきた……?」  さっきの行動は私が意識した動きじゃない。慣れた手つきで楽器を弾き、その喉からは強い響き の在る歌声を発する。歌詞も知らないブラギの詩。止める事も、戸惑う事も出来ないその時の私。  ……怖い。  私じゃないものが勝手に私を動かしている。その事実が……怖い。  いや、私は意志だ。身体じゃない。だけど、『今』は私がこの身体を操っている。  怖い。怖い。怖い。  いつの間にか雨は止んでいる。しかし今だ曇天の空は重く、まるで私の心の様に暗く落ち込んで いた。  いつまでそうしていたか、その寒さに私はぶるっとその身体を震わせた。  黄昏時、人の影は見えない。  辺りを見る。見覚えのあるその場所。  ―――ここは…。  思い出した、リトが入院している療養所だ。  無意識に私はリトを頼ってきたのだろうか。  そして、重い足取りのまま私はその療養所に向かって歩き出す。 「ちょっと、君!?」  受付の声も耳に入らず私の足は進む。  ずぶ濡れの暗い表情の私はさぞや不審人物に見えるだろう。  そんな事、気にも留められない。ただただ、その足はリトがいるであろう病室に向かっている。  目の前に扉がある。扉の前で一瞬躊躇った後、私はその扉をゆっくりと開いた。 「ユー…リ!?」  身を起こし、本を読んでいたリトは私の姿に驚き、手に持っていた本を取り落とす。  ぽたぽた滴る雨水を拭う事もせず、虚ろな目を床に落とし、ただ私はそこに立っている。  お互い何も言わずに僅かな沈黙がその部屋を覆った。 「…何が、あった?」  落ちた沈黙は優しいその声色によって消え去って、私はその声に床に崩れ落ちる。項垂れ先ほど の恐怖がふつふつと沸き上がって、私のその身体は小さく震えだす。 「怖い事があったんだね」  肩に触れる手の感触、すぐ近くからの声。弾けるように顔を上げれば、穏やかな優しい表情のリ トの顔。 「……ぅ」  なんだか我慢しなくて良いんだよ、と言うようなそんな表情のリトに私はこみ上げる感情を抑え ることが出来なくなっていた。 「うわああぁぁぁぁん」  まるで子供のようにみっともない泣き声を上げて、私はリトにすがり付いていた。  リトは濡れた私の身体を拒む事無く受け止めて、そしてやはり子供をあやすかのように背中を軽 く叩いてくれていた。 --------------------------------------------------------------------------------------- >>356氏キャラクターの無断使用申し訳ありません。 ゾンスロ、ソロで余裕かませるのは彼女しかいないだろと思った次第。 人様のキャラ口調と言うのはなかなか難しいものです。