飛空挺は空を行く。  青い空を駆け抜けて、白い雲はぶつかる波のように。  ああ、凄い。空を飛ぶってなんて気持ち良いんだろう。  私は甲板に出て、奔る風を感じながら絶景を楽しんでいた。    疲れきったリトの顔を見る限り女装しようなどとおちゃらけた事は言えるわけがない。  やれば確かに似合うかもしれないけれど、本来男兄弟の家の訳だから女物など当然無いし、そん な準備をする暇なんか当たり前だが全く無い。  結局のところ、『友人に貰った』と言うことにしようと話しかければ、それが良い、と光明見出 した顔になったリトが印象に残った。女装しなきゃいけないと本気で思ってたんですかい?お兄ち ゃんは。  そんなこんなで今は飛空挺の中にいる。  この世界には越境するためのパスポートは必要ないみたい。ただチケットを渡して船室に案内さ れただけ。  因みに伊豆→ラヘルは途中ジュノーで燃料補給の2日間の航程だった。やはり、ゲームと違って 直ぐ着く訳じゃないんだと実感させられる。  甲板には私の他に一般の方や冒険者の姿がちらほら見えた。  そのどれもが私のように物珍しげに空を眺める人たちばかり。他の乗員は船室にいるか、船内の 娯楽設備にいるらしい。リトは船室に居る。曰く、高いところがダメらしい。そんな意外な弱点に 私は苦笑を漏らすしかなかった。 「ああ、私の悩みってちっぽけのよう…」  空を奔る飛空挺から地上を眺めるとそう言う感情がわきあがる。それだけ雄大なんだ、この景色 は。  しかし、時間が進み日も落ちれば気温はがくんと下がっていく。それほど高い位置を飛んでいる わけではないのだが(飛行機の高度1万フィートとかと比べればって話ね)、北へ向かっていくそ の航程から考えれば、寒くなっていくのは道理だ。  山間に消える夕日を見て満足し、私は船内に入っていった。 「よく、平気だね」  ご飯を食べに行こうと誘う私に対し、リトは狭い船室の備え付けの椅子に座ってそう言った。  その姿はプリーストの法衣じゃない。こげ茶のローブの上に灰色のコートを纏っている。きちん としたハイプリの姿が見れないのはちょっと不満だ。かく言う私も茶色いマント地を羽織っている から、人の事は言えないのだろうけど。 「気持ち良いだけだよ」  そう答えれば信じられない、と言った表情でこちらを見る。 「落ちたらどうなるか判ってるの?」 「普通は落ちないよ」  私は苦笑を交えながらもそう答える。飛空挺が実装され今まで墜落したと言うイベントは無いし 襲撃されるけど、エンジン停止になってもこの飛空挺は飛び続ける。落ちるなんて考えた事すらな い。  と、私は殺風景な個室に目をやってふと思い当たった疑問を聞いてみることにした。食事の場は 人が多いのであまり込み入った話は出来ないと思ったからだ。 「なんでラヘルなの?」  チケットがラヘル行きだとしても、途中ジュノーに降りることも可能だった。追加料金は必要ら しいけど、ジュノーからシュバルツバルト国内の飛空挺に乗り継げる。  だけど行き先はラヘルのままで良いとリトは言った。 「ルカとの用事はベインスでしょ?  ルカ抜きで、ラヘル単身って…。  それにポタメモは無かったの?」 「ルカとの任務は僕が本調子になってから、と言う事で話しているらしい。  それにラヘルには流石にポータルで飛ぶ事は出来ないよ」 「なんで?」 「なんと言うべきかな。  君は僕の職を知っているだろう?  それが理由かな」 「ハイプリーストが、理由?」  ますます意味がわからない。  話を聞けばプリーストと言うのは正装せずにスキルを使う事は罰則に当たるらしく、今のリトは プリの格好をしていないからスキルをおおっぴらに使う事は出来ないそうだ。 「……うーん、そうだな…。  君は僕がルーンミッドガッツに籍を置く聖職者だと知っているだろう?  ルーンミッドガッツはオーディン信仰。  そして、アルナベルツはフレイヤ信仰。  対立する立場にあるその場所に、神職の、ましてや司教の立場にいる人間が歩いていていたら…。  ……それがどんな結果になるのか、あまり想像はしたくはない。  そんな所に、聖職者のみが使う事の出来るポータルを開く事は出来ないよ」 「宗教ってそんな怖いものなの…?」  多宗派の日本育ちの私にはそんなのは理解できない。  ああ、歴史の勉強で聞いた宗教戦争って結構酷い事やってたって言うし、そう言う事なんだろう な。なんかちょっと怖いなあ。 「……でもさ、言い換えればリトはオーディン信仰のプリーストでしょう?そのリトがラヘルに用 があるってなんか変なんだけど」 「………僕個人の事だよ」 「ユーリには関係あるの?」 「………」  私の問いかけにリトは口を閉ざした。……これは関係あるな、きっと。 「じゃあ質問変えるね。  リトは何処まで行ってるの?」 「え?何処までって?」 「ん、むー…。  なんて言ったらいいかな。名無しクエしてるって事は聖域クエも終了してるって事で良いんだろ うし……、トール火山地下の話も聞いたから基地潜入クエも終わってそうだし…、あ、平和クエス トは終わってるの?」 「え?何??  な、なしくえ?へいわくえすと??」 「……あ。  違う違う。そうじゃなくて……、戦争始めようとする急進派の解体は済んでいるの?」 「…っ、君はそんな事まで知っているの!?」 「ん、まあ私OSだしねー」 「……そんな内部事情まで知っているのか、『OS』は……。  それにしても、クエスト、か…。実際こうして耳にすると複雑だな……」 「………あ、ごめんなさい…」  そう呟くリトの言葉は私ははっと気づく。それはあまりに軽率な言葉で、リト達の今までを無視 したのにも等しいものだ。  怒られても仕方の無いその言葉でも、リトは首を振ってこちらこそごめんと口にした。  気まずい空気が辺りに落ちる。その沈黙におろおろと視線を彷徨わせ私はここに来た当初の目的 を思い出す。 「そうだ、ご飯、食べに行こう!」  リトはその言葉に苦笑を交えつつ頷いた。  二日間の航程は充実とは言えなかったけど、それほど退屈はしなかった。  甲板に出るのに飽きたら、娯楽設備に足を運び、リンゴギャンブルや早口言葉(タイピングラグ ナロクだろうね)に挑戦する。  特に気合を入れた早口言葉は熱が入りすぎて激しく舌を噛み、半泣きでリトに回復してもらった。 もちろん船室内で、だけど。……うー、すっごい笑われたなぁ……。  到着したアルナベルツ空港(と便宜上呼んでおく)。飛空挺から眺めていたからわかっているけ ど、ごつごつと岩場が多く、緑が良く見えない茶色い大地が広がっているのが目に入った。  ここからラヘルまで歩いて半日掛かるという。その距離に私は渋い顔をした。  うん、知ってるよ。  ラヘルの空港はラヘル→マップだって事は。  こうして歩くのなら、フィゲルのように町の中に空港作れば良いじゃない、と言いたくもなる。  ラヘルがある方角を見ても、その町がうっすらとも見えやしない。 「凄い顔しているけど、大丈夫?」 「……大丈夫…だと思いたい」  皮で出来たリュックを背負い私はただただ岩場の広がるその大地を眺めていた。  リトは茶色いアタッシュケースのような鞄を持って、そのいでたちはさながら旅行者だ。  辟易していても送迎バスなど来るわけはないし、私は覚悟を決めて歩き出した。 「つか…れた……」 「…うん、そうみたいだね…」  必死に歩いて歩いて歩いてやっとラヘルに到着したら、既にあたりはとっぷり暮れている。  つーかね、お兄ちゃん。あんた歩くの早いよ!?速度増加使ってんじゃないの!?と、言いたく なるくらいリトはすたすたと歩いて行ってしまう。  コンパスの長さが違うのかと思ってみたけど、ユーリとリトの身長差は殆ど無いからそれは無い だろう。  冒険者として長いから旅慣れしてる所為もあるのかもしれない。  私のこの歩みの遅さは、ユーリの所為なのか私の所為なのかそれはさっぱりわからない。  ユーリの所為だとしたら、ユーリはあまり外に出る事は無かったのだろうか。 「すぐそこに宿があるから、そこまで頑張ろう?」 「……う、うん……」  まさしく引き摺るように。最後の力を振り絞り私は宿まで歩き出した。  夜のラヘルはしんと静まり返っている。時間も時間だから店の明りは既に消え、民家の明りもぽ つりぽつりと心許ない。  今までプロンテラに居たため余り気にしていなかったのだが、夜は本当に暗かった。  その中、リトは迷う事無くある建物に向かって歩いていく。  質素なその建物は、入り口もそれほど大きくなくともすれば民家に見えなくも無いが、扉の上に 看板があり、それからここが宿屋だと伺う事が出来た。  扉をくぐり、店番らしく恰幅の良い中年男性がカウンターにおり、その男性に向かってリトは2、 3話し出す。 「……そうなんですか?」  店番と話すリトの表情が余り芳しくない。そんなことよりも私は疲れ切っていた為に、ロビーの ソファに座り込んでいた。  こちらを見るリトの表情は困ったようなそれで、私は首を傾げる。……もしかして、満室、とか …?それは困るなあ……。 「今一部屋しか開いていないんだ」  満室じゃない?あいてる?なら良いじゃない。疲れた頭の中ではその言葉の意味も図りかね、問 題ないんじゃない?と伝えてみれば微妙な顔をするリト。  何故そんな顔をするのかわからない。とにかく私はとっととシャワーなり浴びて休みたいのだ。 何を困ると言うのだろう。 「……う、まあ…君が良いというのなら…」  渋い顔をしたまま、リトは再び店番に振り返る。前金制らしく財布からお金を取り出していた。  到着した部屋は真っ暗だった。蛍光灯などと言う文明の利器の無いこの世界、照明と言うのはラ ンプのように火を発して得られる明りのため、常時その部屋を照らすものは無いようだ。  廊下からの明りもあまりに心許なく、部屋の隅々を照らす事は無い。  そして扉を閉めてしまえば、まさに闇。自分の伸ばした手すら見えない。 「ねえ何で明りつける前に扉閉めちゃうの?」  その暗闇の中の私の疑問も当然だと思ってもらいたい。下手に歩けば何かにけつまづく。 「問題は無いよ」  その言葉と同時にリトが動いた…と思う。  ふっとともる白い明り。 「え?」  リトを振り向けば翳した左手に丸く白い光が灯されていた。 「え??」  その正体の判別がつかず私はそれを見入る。ふわふわとまるで風船のように揺れるその光。十分 な光量のため、室内の隅々を見渡せるほどの明りだった。 「ルアフだよ」 「え、あ」  そしてようやく気がついた光の正体。そう言えばプリスキルに明りを灯すスキルあったよね。  その明りをもってリトは備え付けのランプの元まで歩いていき、持参していたマッチで火をつけ る。  独特のにおいが部屋に混じり、そしてルアフの白い光と入れ替わり黄色みの強い明りが室内を照 らしていた。  船室のヒールもそうだが、どうやらリトは誰もいないと判れば法衣を着けずにスキルを使う事へ の躊躇いは無いようで、そこまで堅物と言うわけじゃないみたい。  それはともかくようやく休めるぞとツインルームらしいそのベッドの一つに身を投げ出して大き く息を吐いた。 「もーだめ。つかれたーーー」  馴れない長距離移動で足はがくがく、荷物は両肩にのしかかってくるほど重たいし、かなりきっ つい。だと言うのに、リトは疲れた顔など全くしていないのだから、冒険者と言うのは恐ろしいも のだ。この線の細い身体の何処にそんな体力があるというのだろう。というか、病み上がりなんだ よね、この人は。 「本当に良かったの?」  問いかけられるその言葉に私は再び首を傾げる。 「なにが?」 「いや、ユーリに向かって言う言葉じゃないとは思うけど……。  君は女の子なんでしょう?  ……その、僕は男なんだけど……」 「……んん」  なるほど、そういう意味か!! 「別の宿に行くべきなんだろうけど、ユーリとはここであまり離れるべきではないし…」  困った表情のまま呟くリトに私はねっころがったまま腕を組む。 「つまるところ、私がそう意識しなければ万事オーケーと言う事だね?」 「………そ、それはそうなんだけど……」 「安心してよ。『キャー、イヤー』とのたまうウブな乙女じゃないんで。むしろ眼福物とさせてい ただきます」 「…眼…福って……?」  そうですとも、そうですとも。あえて気にしないようにしていたけど、リトは美人さんなのだ。 アサカやシェシィのような華やかさに欠けるけど、滅多に見られない程の美人さんなのだ。ええ、 もちろん性別的な意味であの二人と比較するのは間違いなのはわかっていますとも。でもさ、女の 人よりも綺麗って反則だよね。これを眼福にせんとなんとする?  私の嬉々とした視線にたじろぎながらリトは明後日の方を向く。 「………えっと……、まあ……、君が気にしないと言うのなら……」  そう呟くその表情はむしろ自分の心配をした方が良いんじゃないか、と言うように見えるのはき っと私の気のせいと言う事にしておいた。 『お母さんっ!僕を見て笑ったよ!』 『ふふ、お兄ちゃんってわかったのよ』 『お兄ちゃん!そっか。僕お兄ちゃんなんだ!』 『そうよ。だから、護って上げてね。あなたはお兄ちゃんなのだから』 『うん、わかってるよ!僕が護るんだ。僕が――を護るんだからっ!』 ―――違う。そんな事望んでない。    護られるだけなんて、そんなのは嫌だ。    認めて欲しい。信頼して欲しい。頼って欲しい。    だから、だから――――― 「………」  ふと目を開けた。  薄暗い室内はまだ夜が開け切ってないという現われで。  霞む頭はさっきの夢の延長のような錯覚を与える。  夢。なんだっけ。憶えてないや。  ……私の夢、じゃないと思う。ユーリの夢のような、そんな気がした。  寝返りを打ち、ふと隣のベッドに目を向けてみれば、そこはものけの空で私は寝ぼけた頭で首を 傾げる。 「……」  視線を巡らせて室内を見渡せば、窓辺に佇む長髪のシルエット。  カーテンをその手にして窓から外を眺めているその横顔は、とても真摯なもの。  私はただその光景を黙って見ていた。  ふと浮かべる自嘲じみた笑みがその顔に表れた。首の後に手をあてがい、僅かに俯く。  その横顔がゆっくりと振り向いて、そして私と目があった。 「……あ」  僅かに驚いた顔。そして少し気まずそうな顔。 「起した?」 「…ううん」  見られたくなかったのかもしれない。見ちゃいけなかったのかもしれない。 「何を、後悔しているの?」 「え?」 「そんな顔、してる」  不意に出た私の言葉にリトはこちらを注視する。その色は戸惑い。 「話すべきだと思う。ユーリはそれを望んでる」 「……君は……」 「ユーリの事判ってるなんて、そんなおこがましい事言わない。  だけど、私が同じ立場になればきっと話して欲しいって思う」  話しながら意識が霞んでいく。 「受け入れてくれるよ。そうじゃないと、かなしいよ」  うつら、うつら。訪れる夢心地。  リトが何かを言った気がした。でも何を言ったか聞き取れない。眠いんだ。眠たいんだ。  まぶたが落ちる。  そして、暗転。