痛い。身体が痛い。  節々がぎしぎし痛いし、特に足が痛い。  あれだ。筋肉痛だ。  やっぱり昨日の行程は私には無理があったのか!  ベッドの中で突っ伏しながら私は動かない身体と必死に格闘していた。 「……ユーリ?」 「ぬぅ」  その脇には完全に身支度の整えたリトの姿。 「まって。動けるから。動くから」  ぎこちない動きを布団の中で繰り返しながら、必死に腕を踏ん張って身体を起す。 「い、いたたたっ!…うぎーっ!」  動く度に全身が悲鳴を上げるその痛みに私は奇声を発する。 「ごめんね。ヒールはこういう症状には効かないんだよ」  申し訳なさそうな顔をするリトに私はとほほと項垂れた。  そうだよね筋肉痛は怪我じゃないもんね…。 「今日は休んだ方が良いんじゃ…」 「いやーーっ!行くって決めてるんだから、ついてくのーっ!!」 「………そ、そう…」  迷惑甚だしい私の態度に、リトは苦笑を浮かべる。  おのれっ!この肉体よっ!  ステ的にはリトとあまり変わらぬと言うのに、何故動かぬ!!! 「ふんぬっ!」  優雅さなど初めから持ち合わせていないけど、それにしてもどうよ?的な掛け声と共に私は布団 を跳ね除けた。無理やり立ち上がり、突っ張る身体にムチを打つ。 「うっしゃー!  いける!いけるよ!!」 「………………そ、そう………」  なぜか視線をそらすリトに私はガッツポーズをとった。 「今朝の話なのだけど…」  動きの鈍い私に合わせて、その歩調はゆっくりと。  リトはこちらを向いて声を掛けてきた。 「今朝?」  あの筋肉痛との悪戦苦闘のことだろうか。今もその筋肉痛と戦っているけれど。 「君は、一体何を知っているの?」 「はい?」  今朝なんか話したっけ?記憶に無いな。 「えっと、何の話?」 「何のって…、明け方の事なのだけど……」 「明け方……」  明け方。なんかあったっけ?憶えてないなあ。 「ごめん、憶えてないんだけど…。何か言った?」 「……いや、憶えてないのならそれでも構わないよ」  そう言ってリトは口を閉ざす。  いや、めっちゃ気になるんだけど。私寝ぼけてなんか変な事口走ったのかなあ?  なんとなく深入りしてはいけないような気がして、私は首を傾げたままリトの後を黙って付いて 行った。  階段と言うのは、筋肉痛を抱えているものにとって壁に等しい。  長い長い階段は一歩、また一歩歩く度に鈍痛を身体に響き渡らせる。しかし、まだ昇りだからま だ良いほうなのかもしれない。帰りの下りを考えると今から心が折れそうになってくる。 「もう少しだから」  その言葉を何度聞いただろう。迷惑をかけてまでついていくと公言した自分の言葉を撤回したく なるのは我侭でしかないわけで、その言葉の度に私は数度頷くだけの反応を返していた。  上は見えない、と言うか見る余裕が無く、視線の先は足元の階段だけ。白い階段は時折ひび割れ を見せていたが、綺麗に掃き出されており、ゴミは殆ど落ちていない。  アルナベルツの首都ラヘルが抱える、フレイヤ信仰の総本山セスルムニル大神殿。  階段の向こうにはそれがあるはずだ。  何故リトはそこに行くんだろう。  昨日飛空挺での話からリトが向かうには些か不自然なところだ。  まさか、リトがラヘルの平和クエストをこなした、とか……?  オーディン信徒のリトがフレイヤ信徒の諍いをなくした。  ゲームならどんなキャラだろうとこなせるクエストだけど、この世界ではそうではない。  不自然だった。  どんな個人的な問題があったと言うのだろう。 「ほら、神殿が見えてきた」  リトが私を促した。その言葉に顔を上げてみてみれば威風堂々と佇む荘厳華麗な大神殿。  それはあまりに私を圧巻させ、呆然と見ることしか出来なかった。  綺麗とか素晴らしいとか、そんな言葉は陳腐なもので私の視線はその神殿に釘付けにされる。  辺りには観光を目的とする人の姿もちらほら見えたが、神殿の中庭に入るための門に阻まれ、人 の足はそこで留まっている。留まっている人たちも、その神殿に目を奪われているのかただ黙って それを見ているようだった。 「こっちへ」  リトに手招きされ、私ははたと気づきリトの後を追う。  何処へ行くのか、リトの足は正面から離れた横道に逸れて行く。  と、その時、正面から死角になるその場所で、長く青い髪をなびかせる女性が柵に手をかける場 面に出くわした。…勝手口、という場所なのだろうか。 「ネマ神官、お久しぶりです」 「あ、あらー?」  その女性に向かってリトは声を掛けた。……ネマ神官って、今言った? 「この節は本当にありがとうございます」  ぺこり、とお辞儀をするその女性。明るいその笑顔はゲームで見たネマ神官と全く代わり映えは なく、めっちゃかわいい。 「ジェド大神官にお取次ぎ願いたいのですが」 「ジェド大神官様ですね。直ぐに確認いたしますわ。  ここではなんですので、こちらへどうぞ」  勝手口を開き、私たちを招き入れるネマ神官。 「ところでこちらの方は?初めてお会いしますわね」 「僕の知人でユーリと言います。所要があって連れてまいりました」 「あらそうなんですか。ネマです。初めまして」 「あ、え、えっと…。  ユーリ、です。初めまして」  お辞儀をされ、慌ててそれを返す。緊張していたため、リトの『知人』と言う言葉に私は気づけ なかった。グラフィックのあるNPCに会うのは初めてだったから、それに気を取られていた所為 なのだろう。  ネマ神官の案内の下、大神殿の中庭を進んで行く私たち。  綺麗に整地された中庭はそれだけで心奪われるようで、その口から出るのはため息のようなもの ばかり。  しばらく歩けば大神殿内部へ続く扉が見える。  途中、フレイヤ信者の人とすれ違い、彼らは突然訪れた来客に好奇の視線を送る。仮面をつけた その下から、ではあるが。  仮面?仮面…。  あれ、仮面って……。  数日前の襲撃。  私は仮面の男達に襲われた。……その仮面と、酷似している。  不意に蘇る記憶に一瞬体が竦む。何故気がつかなかった?あんな仮面をつける人といったらラヘ ル以外に無いだろうに。 「……ユーリ。大丈夫だから」  私の緊張を汲み取ったのだろう、リトは囁くように私に言う。前を歩くネマ神官には聞こえない 小さな声で。  大丈夫…。リトのその言葉に私は息を吐く。リトが大丈夫と言うなら、多分きっと大丈夫なのだ ろう。  私は小さく頷いてリトに振り返った。その表情は優しげなものでそれだけで安心する。  ネマ神官はそんなやり取りに全く気がつかないまま、神殿正面の扉に触れた。  重厚な扉は訪れるものを拒むかのような佇まいだったが、ネマ神官が軽く押しただけで僅かな軋 む音を発するだけで事も無く開く。  神殿なのだから絢爛豪華とは行かないが、荘厳な趣の内装に私は再び言葉を失う。  神聖な場所。  俗世間に浸りきった私ですらそう意識してしまう程、その神殿は美しかった。  そういえば、入り口にいると思われたパノ神官はここには居ないようだ。  そもそも『配置された人』ではないのだから、今は神官としての仕事をしているのだろう。 「こちらでお待ちくださいね」  ネマ神官は私たちを客室に迎える。そこはまるで上級階級の人間を持て成すような調度品が立ち 並ぶ。  落ち着きなさげな私と違い、リトは臆する事も無くソファに腰掛けた。 「どうしたの?」 「え、いや……」  落ち着けと言う方がどうにかしている。流石はリト。場慣れしているその顔は穏やかなものだ。 「あのさ、リト」 「何?」  私はそのリトに向き、尋ねる。不自然だと思った、その事を。 「リトが、手回ししたの?」  『クエストをしたの』とは言えない。少し言葉は悪いけど、それ以外になんと言えば良いんだろ う。 「……そうだよ」 「変じゃない?なんで、リトが……」  宗教格差の厳しいこの世界で、ハイプリーストたるリトがラヘルの平和の為に動くのはやっぱり 奇妙だった。 「君から見ても、変かな」 「良くわからないけど…、でも、ちょっと変」 「そうか」  短く、それだけを言い、そして視線を落とす。 「ちゃんと話すから。  今は何も聞かないで、見ていて欲しい」  そう言って、私に微笑んで見せた。  待った時間は長くは無い。客室にノック音が聞こえたのはそれからややあってのこと。  扉が開かれそこに居たのは白髪の人の良さそうな壮年の男性。そしてその両脇に仮面をつけた神 官が二人。  ノックの音で立ち上がり、扉が開いたその時にリトは深く頭を下げていた。 「突然の来訪、大変申し訳ございません」  慌てて私もそれに習う。 「いや、頭を上げてくれまいか。君の来訪を拒む理由は私には無いのだからね」 「恐れ入ります」 「雑務で忙しいとは言え、茶の用意もしていなかったのか。  すまないね。そこまで気が回らなくて」 「いえ、お気遣い感謝いたします」 「………、  ところで、そちらは初めて見るがどなただね?」  男性は私の姿を見て首を傾げる。その視線が僅かに揺れたのが私には見えた。 「僕の弟です。  ユーリ、こちらは大神官ジェド様だよ」  そう言って目配せするリトに私は再び頭を下げる。 「は、初めまして。  ユーリといいます」 「ほう、君の弟か」 「はい。故あってこちらに連れてまいりました」 「……なるほど。ただの挨拶と言うわけではないようだね」 「はい。ジェド様にお願いしたい事がございます。  申し訳ございませんが、人払いをお願いできますか?」  リトはちらり、と両脇の神官に目を向けた。僅かに反応する神官達をジェド大神官は手で制する。 「問題ない。彼の言うとおり席を外してもらえぬか?」  その言葉は穏やかながらも反論を許さないように聞こえ、神官達はややあって頷き客室から出て 行った。 「……さて。  君の用件を聞かせてもらえるかな?  どのような内密な話だね」  ジェド大神官は、向かい合うソファに腰を落とす。それを見届け、リトと私はソファに座りなお した。 「君たっての願いならば、私は出来る限り協力しよう」 「……感謝いたします」  その表情に穏やかな笑みを浮かべたリトはふと息を吐く。そしてジェド大神官をその両目で捕ら えたまま、固い口調で告げる。 「ジェド様にお願いしたい事が2件。  まず一つ、戸籍の抹消をお願いしたく申し上げます」  リトの言葉にジェド大神官は眉を寄せた。 「戸籍の抹消?何の事だね?」 「12年前、当神殿で反逆の罪に問われた僧兵長と神官見習い、家族に関する記述の抹消をお願い いたします」 「………それほど昔の戸籍を、何故、今になって消す必要が、あるというのだね…?  そもそも、それだけでは調べる事も難しい……」  ジェド大神官の声が僅かに震えるのを私も気がついた。  今更そんな昔の事を持ち出されても困惑する、と言う表情ではなかった。何かに気がついた、そ んな顔。それでも口調は言っている意味が判らない、といったものでリトは更に続ける。 「罪状は聖域への不可侵入。  名は僧兵長カルディエン=フォード、神官見習いリントレット=フォード。  その家族、妻エルフィオナ=フォード、息子ユーティリス=フォード」  淡々と告げるその言葉にジェド大神官の表情は硬くなる。 「……まさか、そんな、はずは…。  …あの者達と、……君は……」  何の関係がある、そう続く言葉をジェド大神官は飲み込んだ。リトが「失礼します」と立ち上が ったからだ。 「これを見ていただけますか?」  後ろを向き長い髪をあげれば、白い首筋があらわになる。そこにあったのは赤黒い歪な模様の痣 ……、いや、焼き痕が浮かんでいた。  ジェド大神官の目が信じられないものを写すかのように広げられる。 「まさか、君が……」 「それにジェド様も気がついたでしょう。  ユーリは、いえ、ユーティリスは父の生き写しだと。  父がジェド様に懇意していただいた事は、僕も覚えています。  ジェド様が父や僕の刑を軽くしてもらうよう、尽力していただいた事も。  ……僕は逃げ出してしまいましたが…」  僅かに微笑むそのリトの顔に影が落ちる。脱走はジェド大神官を裏切る事になるとその目は言っ ていた。 「……私も覚えているとも……。  カルディエンは正義感の強い、良く出来た人間だった。  だからこそ、あのような事が起こってしまった…」 「知らない方が幸せだったかもしれません。だけど、それではいけないのだと、父は言っておりま した」 「…そうなのだろう…。  しかし、だ。  何故今になって戸籍の抹消などする必要があるのだね?  確かに当時の記述は現在も残っている。  しかしそれは過去の記録として深く埋もれてしまっているものだ。  12年もの間、何も起こってはいなかったはずだ」  ジェド大神官の言葉にリトは首を振った。 「最近までは何も無かったのですが先日、ユーティリスが襲われました。  恐らく僕をおびき寄せるための人質にする為だと思われますが」 「君をおびき寄せる…?  何の為に」 「これの為です」  ジェド大神官の言葉にリトは自分の着ていた灰色のコートに手をかけて、それを脱いだ。 「……あ」  その下の服にジェド大神官は息を飲む。  白と赤、金の刺繍、裾の広がるこげ茶のローブ。首に下げたロザリオ。  何処からどう見てもそれはハイプリーストの法衣そのもの。 「ご覧の通り、僕はルーンミッドガッツに属するハイプリーストです。  ……騙すつもりは無かったのですが、でも、僕はたとえ追われた身だとしても、自分が生まれた この国は好きです。  戦火になど晒したくは無かった。  だけど、ジェド様を騙す事には変わりはありません。  なんと申し上げれば良いか……」  その表情はとても悲しそうなもの。ジェド大神官はそのリトに対し首を振った。 「いや、いいや。  私の方こそなんと言えばよいか…。  罪人の烙印を捺された君が…、こうして国の事を思ってくれたのは……。  本当に申し訳が立たない…」 「そう言っていただけると救われます。  ……話は戻すのですが、国の内情に他国の、ましや敵対するオーディン信徒の手を貸したとあっ てはせっかく築き上げた土台が揺るがされる恐れがあるのです。  ジェド様がオーディン神の司教と内通があるなんて、それは悪い結果しか産まれません。  なので僕はジェド様や教皇様の邪魔にならぬよう、この国の安定を良しとしない者たちの手に落 ちるわけにはいかないのです。  僕だけでしたら大丈夫なのです。驕るつもりはありませんが、これでもエインヘリヤルとしてヴ ァルハラに行く資格を持った身。荒事にも慣れております。  …だけど、ユーリは違う。戦う事にも慣れておりませんし、詳しい話も知りません。  巻き込みたくないのです。僕の所為で危険に晒されるなど…、そんな事は耐えられない。  戸籍の抹消と言うのは、僕とユーリの繋がりを書面上から消すためです。  血の繋がった兄弟だと知られたくないのです」  真摯の訴えにジェド大神官は黙って聞いていた。私も口を挟む事なんか出来ずリトの話を聞いて いた。……でも、何だろう。なんか胸の辺りがもやもやした感じがするのは。 「しかしだ。  君の弟は先日襲われたのだと言っていたね。  その者達には既に周知の事ではないのかね?」 「その者達のおおよその見当はついております。それさえ抑えれば何とでもなります。  戸籍の抹消は、『これからそのような事を考える者に、余計な情報を与えない』事が必要なので す。証拠が無ければ動けないでしょう?」  リトの言葉にジェド大神官は小さく唸った。確かに証拠が無ければ狂人の戯言として処理される だろう。 「………。  そうか、判った。  君の望むよう、戸籍や履歴はこちらで消させてもらおう。  しかし、既にその事が洩れた者達はどうするつもりだね?」 「…それが、お願いしたい事の2つめなのです。  これから僕はその者達を特定する証拠を集めます。それを以ってその者達を裁いてもらいたい。  ………証拠が無ければ、こちらも動けませんから」  そう言ってリトは小さく微笑んだ。