「ユーリ」  すたすたと私は歩いている。ジェド大神官との謁見を終え、今はラヘルの街に戻るその道を無言 で歩いている。筋肉痛とかあったけど、でも今はそれに気を割く余裕は無い。 「ユーリ」  再び名を呼ばれる。  私はその呼びかけを無視して先を歩く。 「怒っているの?」  その言葉に私はがばっと振り向いた。 「怒ってる!」  口をへの字に曲げて私はリトを見た。  怒ってる、怒ってるともさ。  別に私がないがしろにされたわけじゃない。  私じゃないけど、ユーリがされたんだ。  怒っても良いと思う。 「なんで、そう言う事ちゃんと話して上げないの!?」 「…知らない方が良い事もあるんだよ」 「いいや、これは知らなくちゃいけないことでしょ!?  リトだって弟に隠し事されたらやでしょ!?」 「……でも、僕は…」  口篭るリトに私は大きくため息を吐いた。 「……優しいよ、優しすぎるよリトは。  でもさ、その優しさって時には残酷だよ」  私は顔を悲しそうに歪ませながらリトを見た。 「さっきリト言ったよね。  『荒事には慣れてる』って。  私だって、転生…じゃないや、エインヘリヤルになるのがどれだけ大変か知ってる。  この間みたいな大怪我とかしてるんでしょう?  ……どんな思いでユーリがそれを見ているか知ってるの?  全然家に帰らなくて、何も教えてくれなくて、たった一人でどんな思いでリトを待っているか考 えた事あるの?」 「………」  リトは視線を私からそらす。 「私、部外者だよ。判ってるよ、それくらい。  二人の事に口出さないで欲しいって、思われてるかもしれないけど。  …でも、ユーリはこのままで良いなんて思ってなんかいない」 「……君に、何がわかると言うの……?」  目を逸らしたまま、そう呟くリトの表情は伺えない。声色から僅かな非難が見えるくらいしか、 その感情を知る事は出来ない。 「判らないよ!  だけど、ユーリがリトの為に何かしたいってそう思ってるのは判ってる!  じゃ無かったら、私はここにいないっ!」  キッパリと私は言い放つ。なぜか判らないけど、そう思った。 「教えてよ。私がユーリに教えるから。  兄弟なんでしょ?すれ違ってたらダメだよ」 「……君、は……」 「私には兄弟は居ない。だからそういう感情って良くわからない。  だけど、仲違いしてる訳でもないのに離れちゃうのは悲しいよ」 「………」  リトはしばらく目を閉じる。そして一つ首を縦に振り、私を見た。 「………。  ついてきて貰えるかな」 「……何処に?」  尋ねればリトは小さく微笑んで。 「僕たちの、生まれた場所」  そう言って、歩き出した。  町の外れの一角の空き地。そこでリトは足を止めた。  何も無い、荒れた土地。 「ここ、が……?」 「何も、残っていないんだ。  父さんと僕が罪人として島送りにされる日、母さんはまだ小さなユーリを連れてここを出た。  家は人手に渡ったのかと思っていたのだけど、どうやら取り壊されたようで。  それからここは誰も見向きのしない場所になってしまった」  その横顔は寂しそうな色で、私はその横顔を黙ってみていた。 「僕たちがこの家から持っていけたのは1枚の写真だけ。  丁度ここから神殿に向かって写した僕とユーリの写真だけを持っていったんだ」  ……あ、ここなんだ。  白い建物はなくなってしまったけど、その奥にある階段とその先にある神殿。  あの写真は、ここで撮られたものなんだ。 「本当に、何も残っていないんだ」 「リト…」 「ユーリはその事を憶えていないはずなんだ。  まだ4つだったし。  戦災孤児として施設に預け、僕はプロンテラ大聖堂に身を寄せる事になった。  本当は神職になんか就きたくなかった。  でも、僕に出来るのはそれしかなかったから。  幼いユーリや僕が生きていくにはそれしかなかったから」  リトは己の手を見つめ、そしてそれを握る。 「……でも、お陰でユーリとは疎遠になってしまったけどね」  微笑んだその顔は悲しい色を秘めていて。 「それはユーリも思ってた事だよ。  リトを疎んでなんかいない」  私の言葉にリトは少し驚いた顔をして、そして、小さな声で「ありがとう」と呟いた。  日は落ちて、あたりはこれから夜になろうと色を濃くしていく。 「…宿に、戻ろ…」  帰りを促すリトの言葉が切れた。その顔は警戒の色が浮かんでいる。 「何……」 「思ったより、早く動き出したな……」  出るその声は低い声。不穏な空気が辺りに満ちた。 「……もしかして、敵?」 「ああ。数は…5人って所かな…」  口元を引き締めてあたりの気配をうかがうリト。 「ユーリ。僕が引き付けるから、大通りに出るんだ。  まだこの時間は人が多い。まぎれて、蝶の羽でプロンテラに帰った方が良い」 「ポータルは?」 「誰が見ているかわからない。この町では使えない」 「そんな!」  リトを残していくなんて出来るわけが無い。かといって私では足手まといにしかならないし、リ トが言うように彼をおとりにして逃げた方がリトの負担は減るだろう。  ……だけど…。  ざ、と地面を踏む音が聞こえた。その音に見渡せば仮面をつけた男が5人。 「……ヴァンベルク…」  初めて見たときは気がつかなかった。だけどラヘルに来て、仮面の神官を見て、そこでゲームと の繋がりを理解する事が私は出来た。  リトは今盾も杖も持っていない。ヴァンベルクはその攻撃力もある上にレックスエーテルナから ホーリークロスに繋げるスキルもある。  避けれなければ、そのダメージはかなりのものだ。 「リト、どうやって耐えるつもり?  魔法、使えないんでしょう?」 「何とかなるよ。これでも死線は何度も経験しているし…」  君は護るから。その言葉に私は首を振った。  ―――護られるだけなんて嫌だった。  考えなきゃ。私が出来る事。『OS』として、冒険者として、バードとして出来る事。  ヴァンベルクたちが間合いを詰めてくる。  庇うように前に出るリト。  バードとして、出来る事…!  楽器は無いけど、ある!ここから切り抜ける方法が! 「リト!PT切って!  マグニフィカートの範囲から私を外して!!」 「え!?」 「早く!!」  リトの返事を待たないまま、私はヴァンベルクたちの前に出る。 「ユーリ!?」  息を吸う。言葉に、力を篭める。バードはその声が武器だ。リトが魔法を使うように、言葉に魔 力を篭める。  初めて襲われたとき、あまりに恐ろしかったヴァンベルク。  でも、大丈夫。私は今震えていない。――戦える…!  飛び掛るその男達に向かって、私は声を張り上げた。 「アルミ缶の上にあるミカン!!!」  指を相手に突きつけて、怒鳴るように発する私の声に空気が凍った気がした。  まだ足りない!畳み掛けなければ!! 「ネコが寝転んだーーーっ!!!」  ぴし、と音が聞こえた。……凍った!?  動きを止めるヴァンベルクたち。ウィザードスキル、フロストノヴァ級の極寒が辺りに渦巻く。 ―――鳥は巣に帰れ、そんなフレーズが頭を過ぎる。 「リト!今のうちに!!」  振り向いて、促す私の目に余りの展開についていけないリトが呆然と立ち尽くしていた。 「もう!!PT切ってって言ったじゃない!!」  硬直するリトの手を取って私はヴァンベルク達から離れるよう駆け出した。 「い、今のは一体…?」  ようやくショックから立ち直ったらしいリトは走りながら困惑の表情で私を見る。 「『寒いジョーク』。バードのスキルだよ。  敵とPTを凍らせる事が出来るの」 「ぴーてぃー?」 「平たく言うとマグニの効果範囲内」 「……そ、そうなんだ…  それが、『OS』の知識…なんだね」 「そう」  街灯の少ないラヘルの街。狭い路地は闇を落とす。大通りの宿屋に戻るべきか、と走る私にリト は待って、とその行動を止めた。 「……こっち」  促され、それについていく。ラヘルの詳しい地形など私にはわからない。きちんと宿に戻れる自 信は余り無かったので、素直について行く。  見知った場所なのだろう、迷う事無くリトは進んでいく。石壁が目の前に現われ、左手に門が見 えた。リトは迷う事無くその門に向かっていく。 「…なんで外!?」 「この状況で分かれるのはまずいから、悪いけど、ちょっとついてきて」  門には人がいなかった。開け放たれたそこから、荒廃した大地が見える。  空港からラヘルまで歩いたその場所かと思ったけど、どうやら違うらしい。  痩せた大地をリトはそのまま進んでいった。何処に行くつもりなのか、目印の無い開けた場所で あってもその足取りは真っ直ぐだ。  日は落ちて、辺りは尚一層暗くなる。ラヘルの街を囲む石壁は既に見えなくなっている。かなり の距離を進み、リトはそこで足を止めた。 「今からポータル開くから、ユーリはそれに乗って帰るんだ」 「……リトは?」 「………僕も、帰るから」 「嘘」  リトの言葉に私は首を振った。人の心なんか読めるわけじゃないけど、その言葉は本当じゃない くらい私にだってわかる。 「どうにかするつもりなんでしょ。ヴァンベルクを。  証拠を集めるって言ってたよね」 「…巻き込みたくないと、僕が言っていたのを覚えているだろう?」 「護られるだけじゃ嫌なんだよ。私も、ユーリも。  足手纏いなのは知っている。  だけど、私には『OS』としての知識や戦い方がある」 「…なんで…」 「目の届かないところで全部終わらせられるのは嫌だから。  大丈夫、邪魔にはならないよ」  先ほど、『寒いジョーク』が使えた。使えないと思っていたスキルが使えた。それが私の自信を つけた。 「迷惑だって思ってるでしょ。  でも、『戦いに行くわけじゃない』って言ったくせに、こうなるって事考えてたリトも悪いんだ よ?」 「………君は…、本当に変な子だね」  リトはそう言いながら、歩き出した。どこかへ行く、と言うわけじゃなく、何かを探している、 そんな行動だ。 「リト?」 「……確か、ここに…」  そう呟いて地面の一角に手を伸ばす。ざり、と言う土を掘るような音が聞こえた。 「………リト、それ…」  手を泥で汚し、その手に収まった長い杖。髑髏を模るその杖に私は呆然とそれを見る。  骸骨杖じゃない。 「スタッフオブカーシング……?」  なんで、それを。こんな場所に。  ネクロマンサーの落とすその杖を、名無しクエ中のリトが手にするのは妙な光景だ。  露店で買った、そんな風にも見えない。 「この杖を持って町に入る訳には行かないからね。ここに隠しておいた」  周りに呪いを撒き散らすその杖は人々にとって禍つものとして忌み嫌われている。そう付け加え てリトはその杖を軽く振るう。  そんなことよりも入手経路の方が気になる私は、それを口に出そうと開きかけた時、ざん、と地 を踏む音を耳に捉えていた。  どうやらそれを聞いている余裕はなさそうだ。 「……我らが神に仇なす者め…」  低い声を発するその男達。…ヴァンベルク、喋れたんだね。 「貴方方には色々と聞きたい事が在りますゆえ、覚悟をお決め下さい」  杖を構えるリト。……って、純支援のハイプリがどうやって戦うつもりなの!? 「ほざけっ!!!」  飛び掛るそのヴァンベルク達。思わず私は咄嗟に叫んでいた。 「布団が吹っ飛んだ!!」  再び凍りつく周りの空気。シリアスな空気を打ち破る、バードの寒いジョーク。  硬直する両名。あれ?PT抜いてても効果ってあったっけ? 「……あ、あの。  それだけは止めてくれない……?」  ひたすら困った顔のリトは私に向かって、そう言った。  ―――――――――仕切りなおし。  アスムプティオの光はうっすらとリトの身体に纏われている。盾を持たず、杖だけで数人のヴァ ンベルク相手に防戦を行なうリトの動きは凄いとしか言い様が無かった。  確かにヴァンベルクの攻撃はルカよりも鋭くない。だとしてもあの人数相手に一人で対するリト の実力は凄まじい。…動きも、ルカの時より良くなって見えるのは気のせいなのだろうか。  その私の耳に土を踏む音が聞こえた。  バードの聴覚はやはり普通より良いようで、振り向けば私に向かって刃を向けるヴァンベルク。  不思議と恐怖は無かった。す、と冷えた頭で自身が掻き消えるイメージを膨らます。  宙を空ぶるその刃。私の姿を見失いあたりを伺うヴァンベルク。その背後にハイディングの効果 を消し、私はその頭目掛けて息を吸い込んだ。 「わーーーーーーっ!!」  声に指向性があるとは思えないけど、リト達の方には何の影響も無い。  ネタスキル「パンボイス」。目を回したヴァンベルクはあらぬ方向に歩き出す。  邪魔にはなっていない。役にも立ってないけど。  せめて楽器を使えるならば、リトにブラギとかイドゥンとかサポートしたいけど、楽器が弾けな い以上はこうやって自衛するしかない。  そんな状況で私は再びリトの方に視線を戻す。  盾が無い分、ヴァンベルクの刃はリトに届く。  しかしそれを受けるリトの表情はまだ余裕のそれがある。  だけど、防戦一方では事態は好転しない。リトから攻撃を仕掛ける事も無い。仕掛けたとしても STRの無いリトの事、相手を怯ます事は無いのだろうけど。  どうするのだろう、そう思って見ていたその時、リトは大きく後ろに下がった。  杖を相手に突きつけて、低い声で一言。 「発動せよ」  ざわり、と空気が動いた。闇夜に舞う、漆黒の気配。怨嗟のような呻き声が聴覚の発達した私の 耳に届いた。 「……こ、これ…」  スタッフオブカーシングの能力、非ダメ時画面内呪い発動。狩りには迷惑極まりないこの効果も、 この場合ではその限りではない。  頭を押さえ、動きの鈍くなるヴァンベルク。…呪いとは、この世界の人間にとってどんな影響を 及ぼすと言うのだろう。  リトはそれを見届けて、懐から何かを取り出した。その手には数枚の紙。 「…穿て」  ただ一言。スキル名も何も言わない。  ずん、と地面が動く。次の瞬間、ヴァンベルクの悲鳴が聞こえた。  ……アーススパイク…。  大地の槍がヴァンベルク達を貫く。主に、手足に手酷いダメージがあり、それは狙って撃ったか のようだった。皆動けずにその場に倒れこむ。 「…思ったより、早く来ていただいて助かりました」  リトの顔に笑みは無い。無表情なそれ。  呻くヴァンベルク達に近寄り、仮面を剥いだ。 「やはり、貴方方だったのですね。  それほどまでに戦はお好きなのですか?」 「…黙れ!フレイヤ様の敵め!!」 「フレイヤ神のお言葉は貴方には聞こえなかったのでしょうか?」 「あのような神託などでたらめに過ぎぬ!!」 「なるほど。教皇様のお言葉には偽りがあると、申されるのですね」 「ジェドやニルエンが教皇様を誑かしたのだ!!  フレイヤ様はそのような事をおっしゃるわけは無い!!!  ………いや、ジェドすら誑かした貴様が……貴様がアルナベルツを陥れようと…!」  リトはその手に持った仮面に視線を落とし、小さく笑う。冷めた、身震いするような笑い。 「ビルド大神官は、詰が甘かったようですね。  あの時、カルド僧兵長を息子共々殺しておけば、このような事にはならなかったのでしょうに」  くすくすと笑いながら、リトは他のヴァンベルク達の仮面を取っていく。 「殺すが良い!貴様の悪行もフレイヤ様が裁いて下さる!!  冥府に落ちるが良い!!!」  その声は死ぬ事も本望だと言わんばかりの響きがあった。その様子にもリトは冷たい笑みを消す 事は無い。 「私を見縊らないでいただきたい。  私とて神に仕える身、人を殺める道理はございません。  この証拠となる仮面さえ戴ければ、これ以上貴方方に危害を加えるつもりはございません。  ……後はどうぞご自由に」  踵を返すリト。その行動にヴァンベルク達に動揺が走った。 「…ま、待て!!」  制止の言葉にリトは立ち止まる。 「何か?」 「わ、我らが憎いのだろう!?殺せ!!!」 「ですから、私が人を殺める事は出来ないとそう言いましたが?」  何を馬鹿な事を言っているのだ、と言う表情を浮かべヴァンベルク達に向きなうリト。 「貴様はここを何処だと思っている!?アルナベルツの民ならば知っているはずだ!!」 「さあ?  私はルーンミッドガッツの民。仰る意味がわかりません」 「な、何を世迷言を…!  ガリオンが生息している地におびき寄せ、腕の腱を切ったのは貴様が狙って行った事ではないか !?」 「意味がわかりません。  私はただ、ラヘルの町で正体を明かす気は無い為、こちらまで来ましたし、腕の腱が切れた等偶 然ではありませんか。  私はご自由に、と申しているのです。  ガリオンと言う獣が恐ろしいのであらば、癒しの術を使うなりして帰ればよろしいでしょう?  沈黙の術は使っておりませんので、問題は無いかと思われますが」  冷淡な口調で一瞥を送りその手にある仮面を弄る。  ヴァンベルクたちは顔を歪ませ、互いに顔を見合わせた。 「………。  …頼む、殺せぬと言うのであれば、せめて…、せめて片腕だけでも治して、欲しい……。  ……どうか、どうか、頼む……」  血を吐くようなその言葉にリトは僅かに首を傾げる。 「私は貴方方に命を狙われた身。治したその隙に殺されては堪りません」 「もう我らは戦わぬ!どうか、どうか…!」 「………フレイヤ神に誓って?」 「誓うとも!!」 「…………。  ……判りました」  リトはそう言うと、ブルージェムストーンを取り出した。杖を私に渡し、両手が開いた状態で印 を切り、その口から聞き取れない音を発する。  その瞬間ヴァンベルク達を取り囲む、柔らかい光が溢れ出した。サンクチュアリ…なのだろう。 「……二度と私の前には現れないで頂きたい。  次はこのような事はありませんよ」  今度こそ、リトは振り向く事無くその場から立ち退いた。