●ルーンミッドガッツ王国の首都プロンテラ   プロンテラのとある宿屋の一室にて、僕はベッドに体を預けながら何とはなしに天井を見上げていた。   体勢はそのままに視線だけ時計に向ける。   午前5時47分。   フェイヨンの鎮魂祭当日ですら寝坊していた僕にとっては起きているのが奇跡ともいえる時刻である。   今この時間において普段朝寝坊である僕は、宿屋の主人や従業員、後はクラウスが稽古の為に   起しに来るとき以外ではぐっすりと寝こけているはずなのだ。   「結局、あまり眠れなかった、か」   自分一人だけの空間でぽつりと呟く。   誰かに聞いて欲しいという気持ちの表れでもないのだが、つい声に出してしまった。   「さて、今からどうしようか……」   再びぽつりと呟く。   稽古に行こうにも現在の時刻では流石のクラウスも寝ているだろうし、   かといって今他にすることはない。   ふと、部屋の隅に置かれた机に目が行く。   それに釣られるようにベッドから体を起し机へ向かう。   机には一組のノートとペンがあり、ノートのページをパラパラと捲るが全て白紙だった。   暫く立ち竦んだ後、椅子に座り白紙のノートにペンを走らせる。   そうしたのは気まぐれだったのだろうか。それとも顧みる為だったのだろうか。   眠ることの出来なかった原因である、この世界――ROの世界に来てから一年余り経ち、   身の周りで起こった出来事を記そうと思ったのは。 --------------------------------------------------------------------------------------------------------   ある日、目が覚めたら一軒の廃屋にいた。   そこは室内のあちこちが欠損し、いつ倒壊してもおかしくない状況だった。   何が起こったのか確認する為に外へ出ると、そこにはゲームで見慣れた光景が広がっていた。     そして悟った。ここがROの世界であると。頬を抓らなくとも携えた短剣の重みが実感を与えてくれた。   当然僕は混乱したが、それと同時に別の思いが浮かんだのもまた事実だった。   その別の思い――好奇心に惹かれ、先ずは自身の状況を把握するのが先決だと思ったのだ。   最初に自分の名前を確認しようと思ったが、   その方法を知らない僕は現地のカプラ職員に名前を確認してもらった。   known――ノウン、それがこの世界での僕の名前だった。   ――その名を聞いた時、ふと懐かしい感覚がした――   次に自身の置かれた状況が思ったよりも絶望的だったことを知る。   当時の現場であるオーク村に滞在するにあたって、レベルや装備を始めとした所持品が非常に心許なく、   倉庫利用するだけの所持金も持ち合わせておらず、   なけなしの蝶の羽を使ってもオーク村のカプラ前に戻っただけという始末。   ここでの僕の選択肢は全速力でオーク村を強行突破し人里へ出るか、   このままじっと誰かが来るのを待つかの二つだった。   悩んだ挙句後者を選んだが程無くしてその選択を後悔することになった。   所持していた数少ない食料があっさり尽きてしまったこと、   青い草を採取して飢えを凌ごうにも、近くに緑色の肌を持つ魔物であるオーク族がいて実行できなかったこと、   当時の僕には二メートルをゆうに超える体躯を持つ魔物に立ち向かうだけの実力と勇気がなかったこと、   極限の状態で飢えを凌ぎ、魔物の影や雨風に怯える生活が五日以上が過ぎても誰一人来なかったこと、   以上四つの理由があった。   そして心身ともに磨耗し、思考が単純化していた僕が残った選択肢を実行するのにそう時間は掛からなかった。   大量のオーク族に追いかけられながら、ただがむしゃらに安息を求めて走った。   今思えばオーク村を出た後西へ向かえばブリトニアからゲフェンに着けたのだが、   当時はそこまで考えられる余裕がなかった。   オーク村を出た先の三つの海岸でもそれぞれ魔物の群れに追いかけられ、   転倒し、攻撃に身を晒されながらも、なんとかプロンテラまで逃げ切ることが出来た。   城門に辿り着いた時一度気を失い、気が付けば一軒の宿屋にいた。   その宿の主人の厚意に甘えて休ませてもらったのだが、衰弱していたはずの僕の体はたった一晩で回復した。   ――この時点で自身の特異な性質に気づくべきだったのだ――   ――しかし、この時僕はこの世界の冒険者の体ならばこれが普通のことだと思っていた――   そして数日宿屋で過ごした後、剣士としての最低限の基本である剣の扱い方や対魔物戦の戦闘術を学ぶ為に   剣士ギルドを擁するイズルードへ向かうべくプロンテラを後にした。   イズルードの剣士ギルド前まで着いた僕は、ギルドの団員からフェイヨン襲撃事件の顛末を知ることになった。   深刻な被害を被ったフェイヨンの為に多くの者が救済に向かうと聞いて、   自分にも何か出来るのではないかと思った僕は、準備を整えてフェイヨンへと急行することにした。   日が落ちる寸前にフェイヨンに辿り着いたが、荒廃した街並みを見て焦る僕には何も出来ないことを知る。   焦りは周りに動揺を与える、と臨時医療所のローズマリー所長こと、マリーさんにそう諭されたのだ。   その翌日、フェイヨン襲撃事件で犠牲になった人や魔物の魂を静めるために催される鎮魂祭前日に   僕と同じくこの世界にきてしまった冒険者達と出会う。   その内の一人、クラウスの誤解から僕は彼のペコペコに頭を飲み込まれかける形となる。   だが、その時生じた体の痺れ等は直ぐに治り、後遺症も見られなかった。   ――プロンテラの宿での出来事に続いて自身の特異な体質に気づくべきだった――   その夜、僕はクラウスに鎮魂祭が終わったら稽古をつけてほしいと申し出る。   それは戦い方を碌に知らない僕が元の世界に戻る為に、この世界で生き抜く為に彼を利用する為だった。   ――いつかは彼に稽古を申し出た理由を言わなくてはと思いながらも、未だに知らせることが出来ずにいる――   そして鎮魂祭当日、街が活気に溢れて賑わいを見せる中で、僕は結局何も出来なかったことを一人悔やむ。   その様子を冒険者の一人、ルクスさんに悟られた僕はちょっとした依頼を通して喝を入れられる。   ――資金を工面してもらったことも含め、彼にはいつかこの恩を返さなくてはいけない――   気を取り直した僕は仲間達と共に鎮魂祭の夜の喧騒へと溶け込んでいった。   鎮魂祭の翌日、僕達は知らぬ間に破壊されていたビアガーデンの現場にいたことの責任を問われ、   マリーさん言いつけに従い僕は女性剣士の格好をすることになった。   ――この時のことは正直思い出したくない…… そして未だに女装させられた意味が分からない――   特別声色を変えることなく、立ち振る舞いを気にせずに過ごすことが出来たのは不幸中の幸いというべきだろうか。   ただ一度だけ、ひかると名乗ったメイド姿の女性に声を掛けられた際に気が動転して「私」と言ってしまったことがある。   それでも怪しまれずに済んだのは運が良かったとしか言いようがない。   しかし大勢の前で女装姿を晒し、好奇の眼差しや声を向けられ続けることで僕の羞恥心は常に臨界点にあった。   因みにこのペナルティ期間中にルクスさんと連れの冒険者フリージアさんが、鎮魂祭を共に過ごした仲間の一人、   ミーティアがいなくなっていたことで一騒動あり、僕のところにもWisが届いたほどだった。   結論から言うとこれは二人の早とちりであり、意識を失っていた僕たちの代わりにラグナという名の商人が   ビアガーデンの酒代を支払い、彼の連れであるミーティアを連れて帰っただけだったという。   結局僕は誰にも正体を悟られることなく課せられたペナルティ終えることに成功した、と思う。   が、僕と同じくペナルティを課せられたらしいクラウス、ルクスさん、フリージアさんの姿はおろか、   何故かは知らないが冒険者の一人、ルーシエさんの姿も途中からペナルティ期間中に見かけることはなかった。   フェイヨンでのそれぞれやるべきことを終えた僕とクラウスは、   駐留していた聖堂騎士の部隊と共に首都プロンテラへ戻ることになった。   別に稽古をするだけならどこでもできるが、クラウスにはクラウスなりの考えがあって僕を誘ったようだ。   クラウスの同僚である聖堂騎士のみんなは、僕が彼に稽古を頼んだことに多少驚きながらも迎え入れてくれた。   不躾で無遠慮なところもあったが、僕に差し伸べる彼らの手は大きく、暖かかった。   ――ただ、その温もりに甘えていい資格が僕にあるのだろうか――   プロンテラでの生活にも慣れ始めた頃、僕はクラウスと共に一つの事件に関わることになった。   ラグナさんとミーティアの二人とモルドレッドと名乗る騎士、   双方の食い違っている言い分から糸口を見つけ、真相を明らかにすることになったのだ。   最初にクラウスの提案した策はラグナさんにあっさり却下される形となったが、   結果としてミーティアの機転からモルドレッドの言い分の矛盾点が明らかになり彼の処罰が確定、   残る二人は無事釈放されることとなった。   あの時、僕は鎮魂祭で見せたあどけなく無垢な面しか知らなかったミーティアにあのような一面があったことに驚くと共に、   自身にも彼女と同じかそれ以上の心の強さがあれば、と羨ましく思った。   ――もしかしたら、その羨ましさの中に嫉妬も入り混じっていたのかもしれない――   それ以外には特に何かが起こることもなく、僕はプロンテラで大きく分けて四つのあることを日課にして過ごしていた。   その日課というのはクラウスとの稽古と、 --------------------------------------------------------------------------------------------------------   突如、ノックの音と共に聞き慣れた声が扉越しに響く。   「おーい、ノウン起きてるかー?」   クラウスだ。   時刻は既に7時30分を指している。   先程まで書くのに夢中だったが、いつの間にか彼が稽古の誘いに訪れるいつもの時間になっていた。   ペンが途中で止まったノートを閉じながら返事をする。   「うん、起きてるよ」   「おっ、今日は珍しく早いじゃないか。それより今から稽古しようと思うんだが朝飯は食ったか?」   「いや、まだだけど」   「じゃあ一緒に食うとするか。俺、先に食堂で待ってるからな」   そう言って足音が次第に遠くなる。   僕は暫くノートを見つめた後、ペンと一緒に机の引き出しに仕舞いこみ、   彼の足音を追いかけるようにして部屋を後にした。