●ルーンミッドガッツ王国の首都プロンテラ   プロンテラのとある宿屋の一角、食堂にて。   「なあ、クラウス」   「なんだ?」   向かい側に座った彼の目の前に次々と空になって積まれていく皿を一瞥する。   「もう少し落ち着いて食べたらどうなんだ?」   「これが落ち着いていられるか! 腹が減っては戦は出来ないんだぞ!」   猛烈な勢いで料理を平らげていく彼を見て、無意識に溜息が一つ出た。   「あ、何だその溜息は。言っておくがなノウン、お前だって充分な量を平らげているじゃないか!」   食べる手は休めずに、クラウスは僕の横に積まれた五枚ほどの皿を指差す。   「だって、僕もお腹は空いてるし……」   「そりゃそうだろう、それが当たり前なんだ。ま、俺ほど腹は空いてないようだがな! ハハハ!」   「そこ、自慢するようなことか?」   フェイヨンからプロンテラに戻ってから数ヶ月、僕は彼とこうして会うことが当たり前になっていた。   この朝食を食べた後、いつもの稽古が待っている。それから後は日課をして過ごす。   それがプロンテラでの僕の日常だった。   「男は食ってナンボだ! さあ、じゃんじゃん食え! 今日は俺の奢りだぞ!」   「じゃあ、そういうことなら遠慮なく……」   そういえば初めて稽古をした後もこうやってクラウスの奢りで食事をしていたっけ。   少し苦笑して、運ばれてきたばかりのスープをゆっくりと啜る。   喉に流れるスープの熱を感じながら僕はその頃を思い出していた。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------   プロンテラ城内の回廊に囲まれた中庭で、僕とクラウスは対峙していた。   稽古開始前のルドルフさんの助言も手伝ってか、一度目の奇襲には成功した。   その影響もあって僕たち二人を取り巻く観衆の数が増している。   何でも「あのクラウスが剣士相手に後れを取り、もしかしたら負けるかも」との噂が流れ始めていたようだった。   だが現実はそこまで甘くはないだろう。   奇襲は飽くまでも奇襲、そうそう何度もチャンスが巡ってくるわけではない。   ましてや相手はレベル98のクルセイダー。そして僕はたったレベル15の剣士だ。   正攻法――真正面からぶつかり合っても僕には万に一つも勝てる見込みはない。   なら、少しでも僕が優位に立つ為にも策を弄する必要がある。   (考えろ…… 必ず何かできるはずだ……)   中途半端な策では返り討ちにあうだけだ。   僕にとってのチャンスが巡ってくるまでじっくり待つしかない。   (けど、最後の瞬間まで彼に一矢報いることが出来るだろうか?)   その一瞬の逡巡の後、クラウスが跳躍するような速さで僕に向かってくる。   (――速い!)   僅かに反応の遅れた僕の右側――丁度盾を構えていない方向にクラウスが回りこむ。   (間に合う……か……!?)   クラウスの向かってきた方向に何とか向き合った瞬間、クラウスは僕の左側へと跳ねる。   (さっきのはフェイントか!?)   がら空きとなった僕の左後方に向けてクラウスの剣が振り下ろされる。   急いで振り払った左手のガードに彼の剣戟が打ち込まれる。   ガードに激しく打ち付けられた衝撃によって左半身に痺れが走る。   たまらず僕はクラウスのいた方向にスティレットで振り払う。   が、それは空振りに終わった。   剣を振り下ろした直後に彼は僕の更に右側に回りこんでいたのだ。   (しまっ――)   そう思ったのも束の間、クラウスの横薙ぎに放った一撃が僕のみぞおちに直撃し、   僕の体は転げ回るようにして吹き飛ばされた。   その直後、場が音を失ったかのように静まり返る。   そして誰もがこのままクラウスの勝利が確定すると思っていただろう。   ――僕以外は。   クラウスが倒れたままの僕に向かってゆっくりと歩き出す。   彼もこのまま自分の勝利が揺るぎないものだと思っていただろう。   だが、その慢心とさっきの一撃で僕の意識を奪えなかったこと、その両方を……   (――後悔させてやる)   クラウスには勿論、周りの観衆にも気づかれないように左手とガードを繋ぐベルトを少しづつ外していく。   静まり返った中庭の中でクラウスが徐々に近づく気配を感じる。   (そうだ、もっと、もっと遅く来い)   その意思に応えるかのようにクラウスの歩調が更に遅くなる。   (まだだ、まだあと4秒の辛抱だ……)   クラウスの足音がだんだん近づいてくる。   (……3……)   今度の奇襲は果たして成功するだろうか?   それは始めてみなければ分からない。   (……2……)   ただ、これだけははっきりと分かる。   最後の最後までクラウスに喰らいついていけなければ、きっと僕は元の世界に戻る前にこの世界に飲み込まれる。   (……1……)   それだけは駄目だ。   僕は意地でも元の世界に戻ることを諦めない。   その為には――   (――今だ!)   倒れたままの体勢で僕はガードをクラウスに向けて投げだし、   同時に体を無理やり起しスティレットを正面に構えて走り出す。   「なっ!?」   クラウスの驚く声と共に沈黙を破って周りがどよめきだす。   観衆の動揺は僕の型破りな行動に対してだろう。   だが、クラウスだけは違う。ヘルムのバイザー越しに覗くその目が語っていた。   「どうして動くことが出来るのか」と。   僕を吹き飛ばしたクラウスの一撃は間違いなく彼の中で全力の攻撃だっただろう。   常人なら確実に気を失うほどの重い剣戟だ。   ――だが、僕は普通の人間ではない。   彼が驚くのも無理はない。   僕のジョブレベルは1。本来ならどのスキルも、HP回復向上ですら取得できないはずなのだ。   にも関わらず、その僕が意識を失わずに僅か10秒で体力を回復できたことは   この世界に来てから既に兆候がみられていたことだっだ。   プロンテラの宿屋で一度目、フェイヨンで二度目。   僕自身も確信を持つまでに時間が掛かった。そう簡単に信じられるはずがなかったのだ。   ――僕が普通の冒険者とは違い、異常なほどの再生能力を有していたことは。   「ちっ!」   舌打ちと共に僕の投げつけたガードを振り払うクラウス。   その隙を見逃さずスティレットを構えたまま僕は突進する。   が、その攻撃は僕より僅かに反応の勝ったクラウスのバックラーに阻まれる。   そのまま攻撃をバックラーの表面に滑らせるように受け流した彼は、スティレットを握る僕の手に剣を打ち込む。   「ぐっ!?」   あまりの衝撃に耐えられなくなりスティレットを落とした僕の喉元にクラウスのフランベルジェの切っ先が伸びる。   今度こそ本当に決着がついた瞬間だった。   「そこまで! この勝負はクラウスの勝利とする! しかしノウン殿もよくやったものだ、私は今とても感動しているぞ!」   感極まった様子のルドルフさんの声に続くように周りの観衆から拍手がこぼれた。   「よくやった」「惜しかった」等の僕に対しての賞賛の声に混じってクラウスに対する冷やかしの声も聞こえる。   「くそっ!」   悔しさのあまり拳を地に叩きつける。   最初から勝てる見込みはなかった。それでも最後まで捨て身の覚悟で臨んだ。   その結果がこうだ。   ルドルフさんや周りの観衆は僕に賞賛の声を掛けるが、   勝負の世界において「よくやった」「惜しかった」というのはただの言い訳でしかない。   あるのは勝者と敗者の二つだけ。僕はあの瞬間、確かに負けたのだ。   悔しさに震える僕に手が差し伸べられる。   クラウスの手だった。   「負けて悔しかったか?」   その言葉に僕は正直に答えた。   「ああ、本気で悔しかったよ。最初から勝てるとは思っていなかったけど、それでも最後まで喰らいつくつもりでいたのに」   「なら、次は喰らいついてみせろ」   次? 次って何だ?   「これが実戦だったら僕は死んでいた! その僕に次があると思っているのか!?」   「死なない為の、その為の稽古だろ? だから次は俺に最後まで喰らいつけ、そして勝ってみせろ!」   彼の言葉を聞いた後、僕の感情に嬉しさと、悔しさと、申し訳なさが入り混じって一筋の涙が零れ落ちた。   それを悟られないようにそっと拭って、僕はクラウスの手を取った。