私は元々体は丈夫な方ではなかった。  学生時代は発作も多く入退院を繰り返し、クラスとは疎遠、友人も殆どいない学生生活を過ごしていた。  いつも思う。もっと健康な身体だったら、と。  学校にいる時間よりも自宅や病院で自習している時間の方が多く、テレビをつけた時時々はいる学生生活のドラマを見るとやるせない気持ちになった。  友人を作って皆で遊んでみたい。部活で青春を謳歌してみたい。…恋もして見たい。  だけどもし友人を作って楽しんでいる時に発作が起きたらと思うといつもしり込みしてしまい、結局私は一 人でいることの方が多くなっていった。  社会人になってもそれは変わらない。  身体は少しは丈夫になったと思うけど、それでもやっぱり発作は起きるし激しい運動も、身体に負荷の掛か ることもしてはいけなかった。  小さな頃は良く両親を恨んだこともあったけど、両親だって望んで私をこの身体にしたわけじゃないし、… 運が悪かったのだと今では既に諦めに近い気持ちになっていた。  無理さえしなければ生きていける。今は生きることだけが私の望み。もう、夢は見ないと思ったあの頃。  ある日何気なく見た雑誌の中に『オンラインゲーム』と言うものがあった。  数あるその中でこのゲームを選んだのは偶然。  そして今、私が見ている世界が広がっていたのも偶然の産物だとでも言うのだろうか。 「……夢?」  森が広がっていた。住んでいた所は都市ではなくても、こんなに生い茂った緑があるわけじゃなかった。  広い森を切り拓き、町がある。その中で私は目を覚ました。見た事の無いその風景はまだ完全に覚醒してい ない私の頭に虚像を写し込んでいるのだろうか。  夢、もしくは幻覚。まさかとうとう病も頭の方まで侵攻して来たのかと嘆息する。  みーんみーん、と虫の声が聞こえた。大自然に抱かれた町。行きかう人々の服装は奇異なもので一体私は何 処にいるのかと思考をめぐらす。  そしてそれはすぐに無駄なことだと思考を打ち消した。  夢や幻覚なら考えるだけ無駄ではないか。  状況を判断する必要など恐らく無い。  ならばこれが醒めるまで、私はその場に座って待つ事にした。  好奇心が動いて冒険するほど子供じゃない。意識が元に戻ればきっと私は自宅のベッドの上か、さもなけれ ば病院のベッドの上にいるのだから。  木を背に私は何気なしに景色を見ていた。  先程から見覚えがないと思っていたのに、何故か記憶の片隅にどこかで見たような錯覚に陥るのは何故なの だろう。あんな奇抜な格好見る事なんてあるわけないのに。 「…でさー、後猫40くらいだからさー。  ニブル行こうよー」 「えー、ニブル飽きたー」  視界の隅にある男女の会話が耳に入った。共に紫の服に身を包んでいる。  ……ニブル…?  知っている単語だ。 「そんなことより、深淵倒せるようになってよ。  アンタ雑魚いから私騎士団まともにいけないし」 「むりむり、がちったら死ぬっての」  深淵?騎士団?  どういうこと?知っている言葉だ。私がやっているゲームに出てくる単語が当たり前のように前の男女が喋 っている。  と言うことは…。  そう思ってまともに見る事の無かったその男女の方を注意深く見る事にした。  紫の服。共に似たようなそれに見えたけど、男が着ているのは白い布を巻いていて、女の方は恥ずかしげも 無く大きなスリットの入ったスカートらしきものをはいている。  …まさか、アサシンと、プリースト?  ……馬鹿みたいにそのゲームにのめりこんでいたわけじゃない。なのにそのゲームの夢を見るなんて。  そんな空想癖など持ってなかったはずなのに。 「…じゃあ私ご飯だから落ちるね」 「えー。仕方ないかー。じゃあどっか行ってくるよー」  女の言葉に男は立ち上がる。その男に恐らくプリーストの支援スキルだろうそれを使う。 「じゃあねー」  そういって女は青い光を放って姿を消した。男も立ち上がりそして女と同じ様に姿を消す。 「……何?今の…」  私は呆然とその言葉を呟いた。  今のやり取りはゲームのワンシーン。夢として認識するには少々妙なものではないか?  風が吹いた。ざあっと木が音を鳴らす。顔に掛かる髪が風に流れた。 「……銀…?」  目の端についたその髪の毛。その色に私は首を傾げる。そして初めて自分の姿を見た。  腹丸出しの格好。スパッツに茶色に近い色の…スカート?腰帯?を身に着けている。そして近くには弓が置 いてあった。 「……ハンター、だと言うの?」  何気なく手を後ろに回し、あたる髪の毛は長く三つ編みにしているようだった。  銀色の三つ編みの髪の毛のハンター。……まさか、ね。  思い当たる節は、ある。だとしてもそんな事あるわけが無い。自分が作った事の在るキャラクターになって いるなんて夢見がちも良いところだ。 「……目が覚めたらROの世界でした、か…。  馬鹿げてる…」  息を吐く。こんなの今日日漫画でも流行らない。使い古された話だ。 「……いや、目が覚めたらって、覚めてないじゃない。夢でしょ?これは」  夢以外のなんだと言うのだろう。気がついたら異世界でしたと喜んではしゃぐほど子供じゃない。  ばさり、と大きな羽音がして私はそちらの方を向いた。 「うわっ!?」  茶色い鷹が私のすぐ傍を旋回する。 「…え?」  鷹は私の事を気遣うかのように何度も頭上を旋回して、そしてすぐ後ろの木の枝に止まった。 「えっと…、もしかして私の鷹?」 「ぎゃあ」  私の声に反応するように鷹は一声鳴いた。…本当にこれは私が…このハンターが使っていた鷹なのだろうか。 「……ありえるの…?」  疑問はもちろん色々とついてくる。  明晰夢…にしてはこの世界は余りにも現実過ぎる。現実過ぎる、と言っても目に映る風景や人物は今まで目 にした事の無いものばかり。状況が、全くわからない。  夢と言うのは現実で見たり聞いたりしたものを、脳の方で処理しその断片を映し出すものだ。思考が夢に反 映するのなら…ありえなくも無い。  私は再び息を吐いて空を見上げた。木の葉の間を縫って見える空は青い。子供の頃に見た空はこれくらい青 かった。町に引っ越して、空も低くなって、もう見上げることもなくなっていたけど、その記憶が残っていた のかもしれない。  どれくらいそこにいたのだろう。不意に訪れる空腹感に私は首をかしげた。 「……なんで?」  夢の中でお腹がすくって今まであっただろうか?何かを食べる夢ならあるけれど、空腹を意識するようなこ とってあるのだろうか? 「………起きたら夢占いの本でも買ってみようかしら」  一体何を暗示しているのか、それが気になってきた。もう少し活発になれとでも言うのだろうか。  しかし食事、か。ここまで現実的ならきっと飲食店もありそうだ。店、ともなればお金の存在だってあるだ ろう。 「そうね、この夢に乗ってみるのも良いかもしれないわね」  子供心を思い出し私は立ち上がった。何も判らないけど、判らないなら調べれば良い。  初めに身の回りを調べてみようか。  …それにしても、この衣装は無いんじゃないかな。足出しお腹出し、ここまで露出しているのはやはり恥ず かしいものがある。どこかで着替えることにしよう。……きっと服もあるはずだ。  自分の身体を眺めて、腰に鞄がついていることに気がつく。  鞄を開けてみればそこには小瓶や箱が入ってあった。  瓶を手に取り眺めてみる。透き通る緑色の液体が入っていた。 「これがもし本当にラグナロクオンラインだとしたら、これはハイスピードポーションってことよね」  箱の中には鉄で出来た変わった形の何か。 「…まさか、設置用罠、とか?」  確かゲーム上では虎バサミの形をしていたはずだけど…、形が何か違う。なんとなく出っ張った部分に触れ てみれば、カチカチとその形が変形していく。まるで玩具のようだ。  しばらくそれを弄っていた私はふと我に帰る。そういえばお腹がすいていたっけ。  何か食べ物を探さないと。  そう思って私は森の町を歩き出した。歩く私に合わせて鷹が飛ぶ。つかず離れずの位置を旋回する鷹に私は 小さく笑って見た。 「まるで従順な犬みたい」  呟けば、鷹はぎゃあぎゃあと鳴き出す。まるで自分は犬じゃないと抗議しているようだ。 「…ごめん、怒らないでよ」  騒ぐ鷹に笑いながら謝り、私はあたりを見渡した。  露店が見える。箱にぎっしりと詰まった果物。まるで八百屋のような店だ。 「いらっしゃーい」  若い女性が私の姿を見て声を掛けてくる。なんとなくその果物を覗き込めば、林檎やバナナなどが山積みに なっている。手書きで書かれた値札には15zenyと記されている。 「……お金、か」  単位のzeny。こちらの世界の通貨。  私はお金を持っているのだろうか。ふと不安になって腰に手を当てたり、鞄に手を入れてみたりして探って いる私に店員が不思議そうな目でこちらを見てくる。 「………ちょ、ちょっと待っててください」  鞄のサイドポケットに手を入れてみれば、そこで皮の感触。取り出してみたら、……私が使っていた財布。 白い皮の片手で収まるくらいのシンプルなそれ。就職したその時に親から買ってもらった、それ。 「変わった財布ね」  目の前の店員は私の持つそれを見て言う。 「…そうですか?」  私は曖昧に答え中を見たら、見覚えの無い札が入っている。 「えっと…これ?」  取り出して、店員に見せれば店員は不思議そうな顔をする。…違うの、かな? 「もう少し細かいの無いかしら?」 「え?」 「ごめんなさいね、10,000ゼニーじゃお釣りが足りないわ」 「あ、すいません」  私は慌てて財布の中を調べて、お札を見る。100zenyと書かれた紙片が目に入り、慌ててそれを渡す。 「ごめんなさいね、冒険者さんは大金出してくるから。  この町じゃ大きなお金はあまり見ないのよ」  店員の苦笑に私もそれで答えてみた。ごそ、と小さな紙袋にリンゴを数個入れた店員はそのままそれを私に 渡す。 「まいどどうも」 「ありがとう」  にっこりと微笑んだ店員に頭を下げて私はその場を立ち去った。  しゃくり、と紙袋からリンゴを取り出して食べる。酸味の利いたリンゴは現実の世界と全く同じ味がした。 味覚も反映されているようだ。 「……なんなの、一体」  しゃくしゃくと歩きながら食べるのは行儀は悪いけど、混乱した頭ではそこまで思いが至らない。紙袋から 2個目のリンゴを出して食べようとして、ふと頭上の鷹を見た。 「食べる?」 「ぎゃあ」  私の問いに鷹はいったん近くによってきて、そしてふいと首を逸らして飛び去った。いらなかったかな、と 思っているその間、ややあって鷹は戻ってくる。その足には小鳥が捕まっていた。 「………」  そしておもむろに鷹はそれを食しだす。すでに絶命しているらしい小鳥はただの肉片となって鷹に啄ばまれ て…。 「……ひ、あ…」  考えてみれば鷹は肉食、この光景も当然と言えたかもしれない。だけど、テレビで見ただけでしかないその 光景を間近で見て、青褪めない人っているんだろうか? 「ぎゅい?」  私の態度をおかしく思ったのだろう、鷹は人のように首を傾げる。 「い、いやあっ!!」  怖くなり思わずその場から走り出してしまっていた。  どれ位走ったのだろう、気がつけば町を越え鬱蒼と茂る森の中に入り込んでいた。ざあざあと風が木々を揺 らすその中で、私はあることに気がついた。  …あんなに走ったのに、息が切れない。  その事が信じられず、ただ自分の身体を見るしかなかった。 「…本当に、私の身体…?」  こんなに走ったのはいつ振りだろう?発作に怯える事無く動いたのはいつ振りだろう。  動ける事が、こんなに嬉しいのだと初めて気がついた。 「…あは、夢よ、夢…。……でも、醒めたくない」  醒めればあるのは病弱な身体。戻りたく、ない。  がさ。  そう考えの淵に立っていた私の耳に草木を分ける音が聞こえた。  人?それとも、あの鷹?  訝しんで顔をあげ、そして引き攣る。  それは朽ちた古木に手足が生え、蠢く姿。空洞の、恐らく目だろうその場所は奥に胡乱な光を湛えて私を見 る。血に塗られたような赤の木。かしゃ、ざり、と乾いた足音が聞こえ、ゆっくりとだけど確実に私に迫る。  あれは、あれは…、もしかして、エルダーウィロー…?  ハンターにとってエルダーウィローは雑魚モンスター。でも戦った事の無い私にはとても雑魚に見えなかっ た。私と同じくらいの大きさのエルダーウィローはその節くれの手を振り上げて私に向かって振り下ろす。 「きゃ…っ!!?」  慌てて跳んで、転がるようにその攻撃をかわす。どうやって戦えば良い?弓?使った事なんか今までに無い のにっ!!  幸いエルダーウィローの攻撃はそれほど早くなく、私はかろうじて避ける事が出来ていた。だけど、避ける のに精一杯で、持っていた弓を構える事も出来ず転がりながら何とか避けて。  このままじゃダメだ、このままじゃ…っ!  今まで扱った事のない弓を想像に任せて構えて、そして撃った。風が唸り、矢は走り、そして外れる事無く エルダーウィローに突き刺さった。  崩れ落ちた赤の古木。倒れる時のその怨嗟のような声が耳に響く。  ドキドキと心臓が鳴っているのは発作ではなく、今この瞬間の緊張から解放された為。 「……信じら…れない」  呟いた言葉は風に乗って流れた。  それからどれ位時は経っただろうか。  この世界の事を手探りに調べ、判った事はこれは夢ではないと言う事。  何度この世界で眠りについても、現実の世界で目を覚ます事は無かった。  戦い方は何故か身体が覚えているらしく、不思議と直ぐに動けていた。スキルも自然と使えるようになって いた。  そして、死なない事。  試したわけじゃない。偶然だった。プロンテラの町でテロの襲撃に会い、不意を突かれ私は1度殺された。 あの衝撃と激痛と恐怖は今でも身体が震えてくる。これで終わった、そう思っていたのに、フェイヨンの町で 激痛の中目が覚めて、その時はっきりと判った。…私は元の世界に帰る事が出来ないのだと。  この世界で死んでもこの世界で生き返る。  さながら、死んで復活するゲームのように何度も、何度も生き返るのだろう。  その事実を知った時恐ろしくなり、その夜は眠れなかった。  でも、と思う。  私は現実の世界で何の希望を持っていただろう?  この世界で朽ちるのも、それは現実の世界となんの違いも無い。親不孝とは思っていても私の力でどうする 事も出来なければ、対処にしようが無いではないか。  それならば時に任せ、いずれ朽ちるのを待つのがいいのかもしれない。  そう、思ってた。  そう、あの二人に会うまでは、私はそう、思ってた。